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終章
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――ウィノラ・ツーファールを第四皇女として認める。
そう正式に皇帝陛下から発表が下されたのは、ウィノラは帝都に戻ってしばらくしてからの事だった。
「後宮を整えるのなんか後だ後!」
ガリオンの大きな声が執務室を通り越して廊下まで響き渡る。昔は剣を振り回していたガリオンは今や印章を振り回し最終決済に追われていた。
エミル王国から魔女が送り込まれ、破壊された帝都のあらゆる場所の修繕費に店や民家への保証などに加え、今だに多くの陳情書が帝都のみならず各地から届く為、その処理に追われていた。
外はすでにどっぷりと陽が暮れている。ガリオンは手に持っていた印章を一旦置くと、赤くなっている手のひらを見て舌打ちをした。
「大体こんなのはお前がポンとこれを押せば済む事じゃないのかよ、ライナー!」
広い執務室の中でまだ残っていた官僚達はびくりと肩を震わせたが、当の本人はガリオンから一番離れた場所で山積みの書類に目を通しながら止まる事なく仕分けをしていた。
「なんとか言え! 返事くらいしろ!」
するとライナーは口をパクパクとさせ手を振って見せた。
「聞こえないぞ。もう一回言え!」
しかしライナーは口を動かすだけでガリオンに声は届いていなかった。そしてトントンと書類を整えると、側近に何やら伝言をして部屋を出て行ってしまった。
「今日の分はあとこれだけなので、必ず終わらせて下さいとの事です」
そう言ってガリオンの机の上に積み上げらた書類で、その視界は遮られてしまっていた。
「待て、さっきあいつはなんて言ったんだ。お前には聞こえていたんだろ?」
「さて? 宰相補佐様は何も仰ってはおりませんでしたが」
「あの野郎! だから大嫌いなんだ!」
「陛下、そのようなお言葉遣いは……」
その瞬間、ガリオンの目の前の書類は一気に雪崩を起こしたのだった。
「ウィノラ、ここにいたのか」
「探しました?」
ウィノラが居たのはミモザが咲くあの塔の下だった。
「いくら護衛がいるとはいえ、真夜中にこんな所に来るな」
「眠ってしまいそうだったので少し散歩をしていました」
「そのまま眠っても良かったのに。今屋敷は静かだから伸び伸び過ごせばいい」
そう言いながら自分の上着を肩に掛けてくれる。暖かくなってきたと言っても夜はまだ肌寒い。シャツとベストになってしまったライナーを見て、ウィノラはとっさに上着を返そうとしたが大きな手に抑えられてしまった。そんな一つ一つの仕草に、胸が締め付けられる程に嬉しくなってしまう。ライナーが好きだと自覚してからは、特にその痛みが増している気がした。
「リンディ様がいらっしゃらなくてお寂しくないですか?」
「……本気で聞いているのか?」
「第五皇女様と外遊に行かれたと聞いた時は驚きましたが、ライナー様はご心配ではありませんか?」
熱い掌で撫でるように腕を擦られると甘くて切ない感覚に、堪らずその腕にそっと触れた。
「ロタリオとガティネも付いて行ったんだから問題ないだろ。陛下もこの時期に外遊を許可したのには理由があるはずだしな」
「理由ですか?」
「もう皇女はウィノラと第五皇女しかいないから、しばらくは自由にしていいという意味だと思うぞ。せめてもの兄心だろう」
「私がライナー様とこのような関係になってしまったからでしょうか」
「勘違いしているみたいだから言っておくが、第五皇女は俺との結婚を望んでいなかったと思うぞ」
「なぜです! こんなに素敵なお方なのに!」
すると後ろから小さく笑った声が聞こえた。
「おそらくは向こうも婚約の話をのらりくらり引き延ばしてきたのだと思う。もし乗り気なら、流石に俺一人の意思では躱せなかっただろうから。だから俺も微力ながら二人の外遊を後押しさせてもらったよ」
微力とは言うが、おそらく陛下が承諾するように口添えや、安全を確保した訪問地選びなど、きっと尽力したに違いない。それなのにさもなんともない言い方をするライナーに、ウィノラはまた愛しい気持ちが増えた気がした。
「ところでここは真夜中に散歩するような場所じゃないぞ」
「ジェニー様とお話をしていました」
「母上と? 母上はなんて?」
信じているのか、からかっているのか、ライナーは小さく微笑みながらミモザの木を見上げた。
「ライナー様は食事の後はデザートまで食べないと不機嫌になるとか、剣のお稽古には何かと理由を付けてサボりたがるとか。でも結局時間になると訓練場に現れる真面目な性格だと」
「ははッ、子供の頃の話だが当たっているな。あとは?」
「実は寂しがり屋だからいつも気に掛けて欲しいと」
その瞬間、ライナーは我慢できなくなって顔を上げた。
「まさか本当に母上と話したんじゃないだろうな?」
「そうだって言ったらどうします? ふふ、……今のは全部フックス公爵様からですよ」
「まさか、ありえない」
「いいえライナー様。公爵様はずっとライナー様を見守っておられたのですよ。きっと関わり方が分からなかっただけで、大切に思われていたはずです」
「父上はいつも家にはいなかった。だから俺の事は知るはずがないんだ」
「家にいなくてもライナー様を気にかけていたんですよ。きっとこっそり見ていた事もあるんじゃないでしょうか」
その時、ミモザの青々とした葉を茂らせた木が風に吹かれてざわめいた。
「今度フックス公爵様ももっと聞いてみましょう。二人で」
「というかいつの間にそんな話をしたんだ?」
「え、だってフックス公爵様もたまにここにいらっしゃいますよ? 昔からずっと通われていたみたいです」
「……今日は本当に驚く事ばかりだ」
「どうします? 二人でお会いしに行きますか?」
するとライナーは伺うようにウィノラを覗き込んだ。
「約束を果たしてくれるなら行ってもいい」
「約束ですか? いつしました?」
「お前がリナ様のお腹の中にいる時にだ」
「それって、もしかして……」
「ああやっぱりなしだ! 今のはなかった事にしよう。そんな交換条件みたいなので結婚はしたくない。そうだ、それなら一緒にリナ様に会いに行くというのはどうだ?」
驚くのはウィノラの番だった。
リナは皇帝が変わった事で、ウィノラ達が戻った時にはすでに後宮を出ていた。今はオーティスが所有している土地でエデルと共に静かに暮らしているという。返事に困っているとライナーはすっぽりとその腕に閉じ込めてきた。
「別に今すぐにじゃなくていいんだ。リナ様のした事を許せないウィノラの気持ちもよく分かる。でも、子を所有物のように扱う親は貴族でも平民でもいるが、リナ様はそういうお方ではないように思うんだ。誤解しないで聞いて欲しいが、リナ様は常に葛藤していたんじゃないかと思う時があるんだ。そばに置きたいと思いながら手放し、それでも子に会える機会に喜び、でも一族の事を思いながら自分の気持ちは押し殺して生きて来たんじゃないだろうか。なんて、偉そうな事を言ったな」
「……私よりもライナー様の方がずっとあの人を知っているんですもの、きっと当たっていると思うんです。その証拠に、あんな事があったのにオーティスはたまに様子を見に行っているみたいですし、エデルは今も一緒に暮らしているんですもの。私なんかよりよっぽど出来た弟達なんです」
「それはオーティス殿下とエデル殿下にはリナ様と過ごした日々の記憶があるからだろ。誰もウィノラを責めはしないよ。いつかで構わないからもしリナ様に会いたいと思う日が来たら、その時は俺を共に連れて行って欲しい。これは俺の我儘だ。ウィノラが悲しむ時も泣く時も、前に踏み出す時もどんな時でも側にいたいっていう俺の我儘だ」
「それってつまり、この先もずっと一緒にいるって事ですか?」
すると、抱き締められていた身体が少しだけ離され、その代わりに物凄く近い距離でライナーの顔があった。
「ライナー様?」
しかし逃れる事は出来ない。真っ直ぐに見つめられ、ウィノラはその意志の籠もった瞳を見返すしかなかった。
「やっぱり気長に待つなんて出来そうにない。ウィノラ、俺と結婚してくれ。今もいつか誰かに取られやしないか気が気じゃないんだ。正直、オーティス殿下との仲を信じて疑わなかった時のような苦い気持ちはもう二度と味わいたくない」
「ライナー様の方こそ、縁談が幾つも来ているんですよね?」
「そんなの関係ない。俺には生まれる前から予約していた人がいるんだから」
頬が熱くなっても顔を背ける事は許されない。ライナーはたまにこんな風に強引な所がある。そしてそれを悪くないと思っている自分も。
「先の事も周りの事も何も考えないで、どうしたいかだけを言ってくれ。俺はそれを叶える為ならなんだって出来る」
「そんなの……一緒にいたいに決まっているじゃないですか」
その瞬間、唇に触れたのは冷たく、少しカサついた唇だった。緊張していたのだと分かるその感覚を、少しでも解いてほしくて、唇で冷たい唇を食むように動かすと、一気に口の中に熱い舌が入り込んでくる。息が出来なくて厚い胸を叩いて抗議すると、ようやく離された唇から漏れた言葉は、ウィノラを溶かすには十分だった。
「ずっと君だけを待ち望んでいたんだよ」
そう正式に皇帝陛下から発表が下されたのは、ウィノラは帝都に戻ってしばらくしてからの事だった。
「後宮を整えるのなんか後だ後!」
ガリオンの大きな声が執務室を通り越して廊下まで響き渡る。昔は剣を振り回していたガリオンは今や印章を振り回し最終決済に追われていた。
エミル王国から魔女が送り込まれ、破壊された帝都のあらゆる場所の修繕費に店や民家への保証などに加え、今だに多くの陳情書が帝都のみならず各地から届く為、その処理に追われていた。
外はすでにどっぷりと陽が暮れている。ガリオンは手に持っていた印章を一旦置くと、赤くなっている手のひらを見て舌打ちをした。
「大体こんなのはお前がポンとこれを押せば済む事じゃないのかよ、ライナー!」
広い執務室の中でまだ残っていた官僚達はびくりと肩を震わせたが、当の本人はガリオンから一番離れた場所で山積みの書類に目を通しながら止まる事なく仕分けをしていた。
「なんとか言え! 返事くらいしろ!」
するとライナーは口をパクパクとさせ手を振って見せた。
「聞こえないぞ。もう一回言え!」
しかしライナーは口を動かすだけでガリオンに声は届いていなかった。そしてトントンと書類を整えると、側近に何やら伝言をして部屋を出て行ってしまった。
「今日の分はあとこれだけなので、必ず終わらせて下さいとの事です」
そう言ってガリオンの机の上に積み上げらた書類で、その視界は遮られてしまっていた。
「待て、さっきあいつはなんて言ったんだ。お前には聞こえていたんだろ?」
「さて? 宰相補佐様は何も仰ってはおりませんでしたが」
「あの野郎! だから大嫌いなんだ!」
「陛下、そのようなお言葉遣いは……」
その瞬間、ガリオンの目の前の書類は一気に雪崩を起こしたのだった。
「ウィノラ、ここにいたのか」
「探しました?」
ウィノラが居たのはミモザが咲くあの塔の下だった。
「いくら護衛がいるとはいえ、真夜中にこんな所に来るな」
「眠ってしまいそうだったので少し散歩をしていました」
「そのまま眠っても良かったのに。今屋敷は静かだから伸び伸び過ごせばいい」
そう言いながら自分の上着を肩に掛けてくれる。暖かくなってきたと言っても夜はまだ肌寒い。シャツとベストになってしまったライナーを見て、ウィノラはとっさに上着を返そうとしたが大きな手に抑えられてしまった。そんな一つ一つの仕草に、胸が締め付けられる程に嬉しくなってしまう。ライナーが好きだと自覚してからは、特にその痛みが増している気がした。
「リンディ様がいらっしゃらなくてお寂しくないですか?」
「……本気で聞いているのか?」
「第五皇女様と外遊に行かれたと聞いた時は驚きましたが、ライナー様はご心配ではありませんか?」
熱い掌で撫でるように腕を擦られると甘くて切ない感覚に、堪らずその腕にそっと触れた。
「ロタリオとガティネも付いて行ったんだから問題ないだろ。陛下もこの時期に外遊を許可したのには理由があるはずだしな」
「理由ですか?」
「もう皇女はウィノラと第五皇女しかいないから、しばらくは自由にしていいという意味だと思うぞ。せめてもの兄心だろう」
「私がライナー様とこのような関係になってしまったからでしょうか」
「勘違いしているみたいだから言っておくが、第五皇女は俺との結婚を望んでいなかったと思うぞ」
「なぜです! こんなに素敵なお方なのに!」
すると後ろから小さく笑った声が聞こえた。
「おそらくは向こうも婚約の話をのらりくらり引き延ばしてきたのだと思う。もし乗り気なら、流石に俺一人の意思では躱せなかっただろうから。だから俺も微力ながら二人の外遊を後押しさせてもらったよ」
微力とは言うが、おそらく陛下が承諾するように口添えや、安全を確保した訪問地選びなど、きっと尽力したに違いない。それなのにさもなんともない言い方をするライナーに、ウィノラはまた愛しい気持ちが増えた気がした。
「ところでここは真夜中に散歩するような場所じゃないぞ」
「ジェニー様とお話をしていました」
「母上と? 母上はなんて?」
信じているのか、からかっているのか、ライナーは小さく微笑みながらミモザの木を見上げた。
「ライナー様は食事の後はデザートまで食べないと不機嫌になるとか、剣のお稽古には何かと理由を付けてサボりたがるとか。でも結局時間になると訓練場に現れる真面目な性格だと」
「ははッ、子供の頃の話だが当たっているな。あとは?」
「実は寂しがり屋だからいつも気に掛けて欲しいと」
その瞬間、ライナーは我慢できなくなって顔を上げた。
「まさか本当に母上と話したんじゃないだろうな?」
「そうだって言ったらどうします? ふふ、……今のは全部フックス公爵様からですよ」
「まさか、ありえない」
「いいえライナー様。公爵様はずっとライナー様を見守っておられたのですよ。きっと関わり方が分からなかっただけで、大切に思われていたはずです」
「父上はいつも家にはいなかった。だから俺の事は知るはずがないんだ」
「家にいなくてもライナー様を気にかけていたんですよ。きっとこっそり見ていた事もあるんじゃないでしょうか」
その時、ミモザの青々とした葉を茂らせた木が風に吹かれてざわめいた。
「今度フックス公爵様ももっと聞いてみましょう。二人で」
「というかいつの間にそんな話をしたんだ?」
「え、だってフックス公爵様もたまにここにいらっしゃいますよ? 昔からずっと通われていたみたいです」
「……今日は本当に驚く事ばかりだ」
「どうします? 二人でお会いしに行きますか?」
するとライナーは伺うようにウィノラを覗き込んだ。
「約束を果たしてくれるなら行ってもいい」
「約束ですか? いつしました?」
「お前がリナ様のお腹の中にいる時にだ」
「それって、もしかして……」
「ああやっぱりなしだ! 今のはなかった事にしよう。そんな交換条件みたいなので結婚はしたくない。そうだ、それなら一緒にリナ様に会いに行くというのはどうだ?」
驚くのはウィノラの番だった。
リナは皇帝が変わった事で、ウィノラ達が戻った時にはすでに後宮を出ていた。今はオーティスが所有している土地でエデルと共に静かに暮らしているという。返事に困っているとライナーはすっぽりとその腕に閉じ込めてきた。
「別に今すぐにじゃなくていいんだ。リナ様のした事を許せないウィノラの気持ちもよく分かる。でも、子を所有物のように扱う親は貴族でも平民でもいるが、リナ様はそういうお方ではないように思うんだ。誤解しないで聞いて欲しいが、リナ様は常に葛藤していたんじゃないかと思う時があるんだ。そばに置きたいと思いながら手放し、それでも子に会える機会に喜び、でも一族の事を思いながら自分の気持ちは押し殺して生きて来たんじゃないだろうか。なんて、偉そうな事を言ったな」
「……私よりもライナー様の方がずっとあの人を知っているんですもの、きっと当たっていると思うんです。その証拠に、あんな事があったのにオーティスはたまに様子を見に行っているみたいですし、エデルは今も一緒に暮らしているんですもの。私なんかよりよっぽど出来た弟達なんです」
「それはオーティス殿下とエデル殿下にはリナ様と過ごした日々の記憶があるからだろ。誰もウィノラを責めはしないよ。いつかで構わないからもしリナ様に会いたいと思う日が来たら、その時は俺を共に連れて行って欲しい。これは俺の我儘だ。ウィノラが悲しむ時も泣く時も、前に踏み出す時もどんな時でも側にいたいっていう俺の我儘だ」
「それってつまり、この先もずっと一緒にいるって事ですか?」
すると、抱き締められていた身体が少しだけ離され、その代わりに物凄く近い距離でライナーの顔があった。
「ライナー様?」
しかし逃れる事は出来ない。真っ直ぐに見つめられ、ウィノラはその意志の籠もった瞳を見返すしかなかった。
「やっぱり気長に待つなんて出来そうにない。ウィノラ、俺と結婚してくれ。今もいつか誰かに取られやしないか気が気じゃないんだ。正直、オーティス殿下との仲を信じて疑わなかった時のような苦い気持ちはもう二度と味わいたくない」
「ライナー様の方こそ、縁談が幾つも来ているんですよね?」
「そんなの関係ない。俺には生まれる前から予約していた人がいるんだから」
頬が熱くなっても顔を背ける事は許されない。ライナーはたまにこんな風に強引な所がある。そしてそれを悪くないと思っている自分も。
「先の事も周りの事も何も考えないで、どうしたいかだけを言ってくれ。俺はそれを叶える為ならなんだって出来る」
「そんなの……一緒にいたいに決まっているじゃないですか」
その瞬間、唇に触れたのは冷たく、少しカサついた唇だった。緊張していたのだと分かるその感覚を、少しでも解いてほしくて、唇で冷たい唇を食むように動かすと、一気に口の中に熱い舌が入り込んでくる。息が出来なくて厚い胸を叩いて抗議すると、ようやく離された唇から漏れた言葉は、ウィノラを溶かすには十分だった。
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