隠された第四皇女

山田ランチ

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23 愛しい人へ

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「この女性を見てないか? 本当はこの写し絵よりももっと美しいんだが」

 酒場で新しく入ってきた者に紙を見せては項垂れる男は、今日
ですでに有名になっていた。

「そうがっくりしないで飲んだ飲んだ」

 店主が勢いよく注いだ酒には口も付けずに、ライナーは写し絵を見つめた。
 この町に来たのは昼過ぎ。こうして各地を転々としながら暮らし、もう七ヶ月が過ぎようとしていた。

「どれどれ、妻に逃げられたんだって?」

 酒に酔った男が連れの女の腰を引きながらライナーの側に来ると、ぴらりと写し絵を取る。そしてライナーの顔を覗き込んだ。

「それだけいい男だったら、捨てた女なんかを追い掛けなくてもすぐに相手なんか見つかるだろうに」

 女も興味本位で覗いてきた瞬間、頬を赤らめて身体を擦り寄せてきた。

「寂しいんだったら私が相手になるけど?」
「は? お前は俺の女だろ!」
「触んないでよ! さっき会ったばかりじゃないか!」
「……それを返せ」

 ライナーは男の手首を握り締めた。

「止めろって!」
「返せば離してやるさ」

 締め上げていく手首がゴキリと鳴る。男は声にならない声を上げると、手からはらりと写し絵が落ちた。

「ちょっとちょっと! お前達喧嘩するならもう出て行った! あんたも揉め事起こすならもう客に聞き込みするのは禁止にするからな!」
「すまなかった」

 ライナーは手首を抑えている男の手にそっと触れると酒場を出ていった。

「あいつを捕まえてくれよ! このままじゃ許せねぇ、人の手首を折りやがった!」

 そう言いながら立ち上がった男はしっかりと手をカウンターの突いていた。

「ピンピンしているじゃないか! これだら酔っ払いは嫌なんだよ。次問題を起こしたら出禁だからな!」
「え? いやさっきは本当に折れていたんだよ」

 周囲に冷やかすような笑い声が上がる。その時、一番端に座っていたフードを被っていた二人組が立ち上がるのを誰も見てはいかなかった。

 二人は足早に細い路地を抜けると狭い宿屋へと入って行った。

「ただいまエデル!」

 窓から帰ってくるのが見えていたらしいエデルは扉の前で立ち、満面の笑みで出迎えてくれた。

「おかりなさい、兄様、姉様!」

 未だに姉様と呼ばれるのに慣れていないウィノラは照れながらマントを外して掛けた。
 治安の悪い町ではエデルは留守番。それでも文句一つ言わずにこうして待っていてくれるおかげで、この逃亡生活もなんとか続ける事が出来ていた。

「今日の夕飯はこれよ。といっても酒場だったからつまみみたいな物しかなかったけれどね」
「僕つまみ大好き!」
「エデルの将来は酒豪決定だ」

 オーティスも嬉しそうにその横に座ると三人で小さな机を囲んだ。
 エミル王国が攻め入って来たあの時、ライナーが荒ぶる魔女達の前に出ると、魔女達は魔法にでも掛けられたように大人しくなりライナーの言う事に従った。
 蓋を開けてみれば、たった七名の魔女達の侵攻によって帝都はあれほどに混乱し、そしてその七名が助かる事はなかった。
 エミル王国は戦争ではなく、これは暴走した魔女のせいだとし、最後まで暴走の原因には関与していないという姿勢を貫き通した。そして国を捨て帝国のエミル領となる事で自体の収束を得た。ここにエミル王国は歴史上滅んだ事となった。

「もっと混乱していると思っていたんだけど、案外平気そうで驚いたわ」

 ウィノラはチーズとパンを交互に食べながら小さく息を吐いた。エデルは公言した通り、濃い味の豆の煮物と、甘辛い味付けの串焼きを美味しそうに両頬一杯に頬張っている。その口元を拭くオーティスもまた、王宮にいた時とはうって代わり、口には無精髭を生やして長い髪を無造作に結んでいた。

「一国が消えたとしても国民の営みは変わらず進み続けるから、当然と言えば当然だろう。むしろ新領主が出来た事で十分に目が行き届くようなるだろうから、良い変化なのかもしれない」

 オーティスは何食わぬ顔で串焼きに手を出したウィノラを盗み見た。

「私達がなんと呼ばれているか知っているか?」
「何よ突然。姉弟でしょう? 仲の良い姉弟?」
「実は家族だって思われているんだよ。ウィノラと私が夫婦でエデルが息子だそうだ。駆け落ちをして若くして子を産んだんだろうって思われているらしいぞ」
「だ、誰がそんな事を言ったのよ!」
「宿の店主。だから苦労しているんだろ?って良くしてくれているじゃないか。小さな町だから娯楽もないだろうし、どうせすぐに離れるんだから好きなように言わせておく事にしたんだ」
「だからって、実の姉弟が夫婦だなんて! しかも私こんな大きな息子がいるなんて思われているの?」
「それ僕も聞かれた。待っている時にお父さん達遅いねって。お兄ちゃんとお姉ちゃんだよって言ったら、飴をくれたよ」

 もう訂正する気も失せたウィノラが香辛料の効いたスープを口に運んでいると、隣の部屋の扉が開くのが聞こえた。すぐに静かになりその後は一切音が聞こえて来ない。オーティスはふと食事をしていた手を止め、ぽつりと呟いた。

「あの店にいたのライナー卿だったな」
「ブッ、ゴホッ!」
「ああ、汚いなもう。そんな風に分かりやすく咽る人は初めて見たよ」
「あなた姉弟だと分かった途端、結構冷たいわよね」
「そんな事よりこのままだとさすがにライナー卿が不憫だよ」
「話すって何を話すの。別に私達は何の関係もないのに」
「そんなに冷たい事言って、ウィノラは結構薄情だな。ライナー卿はあれだけ手を貸してくれたじゃないか」

 確かにライナーに助けられた事が思い返しただけでも多々ある。だからこそ、もう会わない方がライナーの為だと思えた。

「ライナー卿と共に生きる気がないとしても、ちゃんと言ってやらないと可哀想だろう?」
「あなたは何か勘違いをしているわ。私達はそんなんじゃないんだってば。きっとあの後すぐに姿を消したから心配してくれているだけよ。それに、ライナー様には婚約者候補の方がいるし」
「わだかまりの原因は結局それか。おそらくだけど、きっとその話は流れていると思うよ。現皇帝陛下はライナー卿のご結婚には関与されないだろうし、何よりライナー卿が乗り気でないのは明白だろう? それよりただの心配で何ヶ月も帝国を空けるかな? ライナー卿は公爵家の跡取りという大きな責務があるのに、今や魔女達を支配する“真の統治者”でもあるんだ。そうしたのは一体誰だったかな」
「もう意地悪は止めてよ! 会って何を話すっていうの? 私は娼館の娘でライナー様は公爵家を継ぐお方なのよ! どうにもならないじゃない」

 一気に話すと、オーティスは持っていたパンを静かに置いた。

「それって結局の所、言い訳なんじゃないか? 現にライナー卿はウィノラを探しているんだ。それに答えるのが義理ってものだろ?」
「アディ達の所在が分からないのにライナー様にお会いする事は出来ないわ。……それなら手紙を残していく。宿のおじさんに預けていけばいいわよね」
「この町の宿はここしかないし、もしかして隣の部屋がライナー卿という事もありえるよ」
「いくらなんでも、それならもう鉢合わせしていてもおかしくないじゃない」
「念の為に明日町を出ようか。向こうが先にいなくなる可能性もなくはないけれど、早いに越した事はないだろう。いいなウィノラ」
「もちろん。明日出発しましょう」
「また旅するの?」
「そうよ、アディ達を見つけるまでは帰らないわ」

 するとエデルはご飯を食べていた手を止めた。

「そのアディはウィノラの家族だよね? それじゃあ僕達は?」
「もちろん家族よ」
「それなら、お母様は?」

 その瞬間、オーティスも手を止めた。

「エデルはリナ様……お母様に会いたいわよね?」

 しかし頷きはしない。きっとそう言ってはいけないと思っているかのように。

「良いのよ、別に本当の事を言っても私もオーティスも怒ったりしないわ」
「本当は会いたい」

 聞き分けが良くて忘れてしまうが、エデルはまだ幼い子供なのだ。

「もう少ししたらお母様に会えるわよ。だから後少しだけ付き合ってくれる?」
「うん、いいよ。アディを見つけようね」

 その時、扉が叩かれた。とっさにエデルと共に棚の後ろに隠れ、オーティスが合図をするように扉の前に行った。

「はい?」

 念の為に声は少し低めにしていた。

「すみません夜分に。実は買い過ぎてしまった物がありまして召し上がって頂ければと思ったのですが」
「ああ、すみません。食事は済ませてしまったんですよ」
「そうでしたか。店主にお若い家族がいると聞いたものですからお分けしようと思ったんですが、分りました」
「わざわざありがとうございました」

 オーティスが扉から離れようとした時だった。

「あの、一つだけ見てもらいたい物があるんですが扉を開けてもらえませんか?」

 ウィノラが首を激しく振った。

「すみませんが息子がもう眠ってしまっているので静かに過ごしたいんです」
「そうでしたか。それはすみませんでした」

 離れていく音が再び隣の部屋に消えていく。オーティスは汗を拭うようにしてウィノラ達の元に来た。

「息子って言っちゃってるじゃない」
「……確かに」
「これで私達は若い駆け落ちした夫婦ね」

 呆れながら笑うと、早めに部屋の電気を消した。

 明け方前、念には念をとウィノラ達は夜明け前に出発する事にした。宿のカウンターには手紙と多めの硬貨を入れ、薄暗くてまだ肌寒い外に出た。エデルはまだオーティスの腕の中で眠っている。荷物はウィノラが持ち厩番に金を渡した時だった。

「またそうやって俺から逃げるのか」

 とっさに振り向くと、そこにはライナーが立っていた。

「どうして……」
「どうして? 俺がオーティス殿下の声に気が付かないとでも? 宿屋の店主に見せた写し絵が隣の部屋の奥さんに似ていると言われた時は気が狂いそうだったよ」

 ライナーが一歩前に出てくる。そしてウィノラは一歩後ろに下がった。

「魔女の力が残っていれば俺の気配を感じただろうにな」

 “真の統治者”は魔女の支配者。しかし力をライナーに明け渡してしまったウィノラとエデルはもう魔女ではなく、もちろんフェッチも見る事も顕現する事も出来なくなっていた。

「あなたにそんな力を渡してしまって、本当にごめんなさい」
「そんな事を聞く為に探していた訳じゃない! ウィノラ、俺は……」

 その間にオーティスが立つ。ライナーは苛立ちを隠さずにオーティスを睨み付けた。

「何の真似です?」
「何の真似も何も僕達は家族なので嫌がっているウィノラを放っておく事は出来ないよ。卿がなぜウィノラを探していたのかは知らないが、このまま我々を行かせてほしい」
「……ウィノラ、行かないで欲しい。いや、何か目的があるなら俺も付き合おう。だからこんな風に二度と消えないで欲しいんだ」

 切羽詰まった声に聞こえてしまうのはなぜだろう。オーティスに庇われながら、それでもライナーの顔が見たいと思ってしまった。

「それはリナ様の為ですか? ライナー様はリナ様を大事に思われているそうですね」
「確かにリナ様は大切なお方だ。でもそれとこれは関係ないんだ」
「リナ様がお好きだから娘の私にこだわるのではありませんか?」
「違う! リナ様は幼い頃は母のように感じた事もあったお方だ。確かにリナ様のお子だから君が生まれる前に妻に欲しいと申し出た。でも今はそれだけじゃない! ウィノラが第四皇女だと分かる前から、俺は……君に惹かれていたように思う」
「私は家族を見つけるまで戻る気はありません。何年掛かろうとも」
「ウィノラの気持ちは分かった。それでも家族を見つける手伝いはさせて欲しい。俺は君達から貰った力で、魔女の存在を感じるようになってしまったからきっと見つける事も出来るだろ」
「ですが公爵家はどうされるのですか」
「まだまだ父は現役だよ」
「ですが公爵様のご心労が重なってしまいます」
「それじゃあ一緒に帰ってくれるか?」
「それは、出来ません……」
「それなら早く帰れるように手伝わせてくれ」

 頷くと、満足そうな表情は見なくても分かる。隣りでオーティスから呆れたような小さな溜め息が聞こえてきた。
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