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am03:40~

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   am03:40

 どうやら医者は嘘を見抜いたらしい。
 初めから期待していなかったが、どちらにせよ予定行動に変わりはない。
 現在時刻を確認する。
 稲垣救急病院から秦港までの時間は、主要道を使い直線的に動けば約一時間。
 休息できる時間は、追跡者や警察のことを考えれば、一時間。
 いや、三十分程度か。
 その時間が過ぎれば少年の様態がどうであろうと行動を起こさなければならない。
 夢でも見ているのか、少年が微かに呻いた。


   am03:41

 予知は夢を見ることに似ていた。
 まどろみに見る曖昧な映像と音は、しかしその時には意味がわからず、ほとんどの場合終わってから理解する。
 だが明確に判断できる未来は、同時に絶望をもたらす。
 春日歩が未来の断片を知ることになってしまったのがいつの頃か、少年はもう憶えていない。
 気が付けば、未来の断片を見ることは日常の一部となっていた。
 ただ、自分の未来だけは知ることは一度としてなかった。
 だが知ることがなくて良いと考えている。
 知れば絶望する。
 なぜなら、予知した未来を変えることはできない。
 養護施設にまだ一人でいた頃、未来を知ってしまうということが他人に嫌悪感を与えるのだと気付いた彼は、すぐに秘密の概念を理解した。
 それでも勘の良い子供にはわかってしまい、幼い悪意を隠さない者は虐めの理由にした。
 同時に同じように幼い善意を持つ子供からは友達として受け入れられてきたが、面倒を見ていた保母の未来を知ったことで、それも終わる。
 大好きだった保母の未来。
 近日彼女に死が訪れるという予知は、少年を未来を変えるという行動に駆り立てた。
 自らの力を打ち明け、死を回避するには些細なことで十分なのだと、保母の行動の一つを止めようとした。
 保母は最初その言葉を信じなかった。
 虚言を弄して人をからかう子供を叱り、やがてその必死な態度に子供なりの誠意なのだと納得し、だが一番信じて欲しかったことは幼い少年の空想だと判断し、その場限りの守る気のない約束をした。
 結果、保母は予知どおり死亡した。
 死ぬ間際、彼女は少年の力を信じたのだろうか。
 それから周囲の人間の目は変わった。
 異能力者への憧憬。
 未知の能力を保有する者に対する恐怖。
 未来を先んじる好奇心。
 未来を告げられる恐怖。
 力を知った人間の一部は、その力を利用しようと考えた。
 だが未来を知って幸福を掴めた者は誰もいない。
 保母の時と同じように、結果を変えることがなぜかできないのだ。
 未来を知っても、それを変えることができなければ、自らにとって都合の良い未来を創ることができない。
 単純で最も基底にある事実が、いかなる理由か不可能だった。
 時には未来を知っていたための行動が、その未来を決定付けていることさえあった。
 なぜ未来を変えることが不可能なのか、その明確な理由は断定できない。だが一つの仮説を上げるならば、予知というのは未来を知るというよりも、起きていることを見ている、あるいは見た時点でそれは過去になるからではないか。
 結果が遅れて現れるが、それは過去だ。
 そして過去は変えられない。
 少年が考えた理論は筋が通っていなかったが、しかし事実として予知は変えられなかった。
 あるいは未来そのものがすでに決定付けられているのか。
 周囲の人たちが未来を変えることができないという事実を理解した時には、少年は化け物(フリーク)として扱われていた。
 かつて友達と称していた子もおぞましいものを見る眼を向け、そして一月と経たず他の施設に追いやられ、しかしそこでも噂が立ち、同じ施設に在住できた期間は半年としてなかった。
 そんな中で同じように施設を転々としていた少女と出会う。
 彼女は人の心を知ることができた。
 人の知られたくない心の奥底が見えてしまった。
 そして同じようにその力を利用され、最後には拒絶された。
 出会った時には少女は他人の悪意に傷つけられ言葉を失っていたが、けれどとても優しい心をしていた。
 自分の心の全てを少女は見せてくれたから、少女のことはなんでも知っている。
 だから少年は自分の心も全て見せた。
 普通の人間なら何十年かけて築き上げる関係が、ほんの数日で二人の間に成立していた。
 それからずっと離れずに一緒にいた。
 研究所に引き取られるまでは。
 研究所での地獄の日々。
 だが少女がいてくれればどんなことにも耐えられた。
 いつか外の世界に出られると信じて。
 予知しなくとも、それだけは信じられたのだ。
 定期的な薬物投与の苦痛で、昔の記憶が薄れていっても、時には自分の名前さえ忘れてしまいそうになっても、けして少女のことを忘れたりはしなかった。
 いつしか研究所内で出会うことさえなくなっても、心のどこかで少女がその力で繋いでいるのがわかった。
 時折訪れる死の誘惑も、少女がいてくれたからこそ拒絶できたのだ。
 少女がいてくれる限り、自分は生きていける。
 だから少女を守ろうと誓ったのだ。
 どんなことがあっても、どんなことをしようとも。


   am03:52

 病院の夜間対応の受付で、担当の女性は、黒いスーツの男に、ショッピングモールLシックの火災に関係する患者が運ばれてこなかったか、礼儀正しく訊ねられた。
 寝不足気味の受付は、先程担当医師からの通達事項を五秒かけて、ぼんやりする記憶から掘り出した。
「ああ、警察の方ですね?」
 私服警官、刑事なのだろう。
 高そうなスーツは随分くたびれているが、たぶん今の自分も同じような状態のはずだ。
 夜勤という同じ境遇の親近感からか、彼女は妙に親しげな笑みを浮かべている。
「……ええ、そうです」
 返答に一瞬の逡巡があったのに、睡眠を欲してやまない受付の脳は気がつかなかった。
「少々お待ちください。そちらのロビーで」
 そう伝えて彼女は内通電話で医者に連絡を取る。


   am04:00

 ロビーのソファに腰掛けた仲峰司は、深く嘆息する。
 座った途端疲れが押し寄せてきた。考えてみれば、普段ならもう寝ている時間を、探索と戦闘に費やしているのだ、相当疲労が蓄積されているはずだ。
 医師がくるまで少し休んだ方がいいだろう。
 それに余計な騒ぎを起こして、面倒な手間を増やすべきではない。
 時間が流れるのを早く感じる。
 それなのに、時折酷く遅く感じる。
 時間はそろそろ早朝に指しかかろうとしている。
 だが救急病院だけあって周囲には自分以外の人間が数人見られる。
 一人で落ち着きなく雑誌を読んで時間を潰している若者。
 家族全員揃っているのか、ソファを二列占拠し、そのうち一つは年端の行かない子供の臨時ベッドになっている。
 片隅では夫婦なのか比較的若い男女が、お互いの不安を和らげようと寄り添っている。
 眠っていた幼い少年が眼を覚ましたのか、寝惚けた声で母親に尋ねた。
「ねえ、お姉ちゃんは?」
 母親は少し泣きそうな表情を浮かべ、しかし毅然と答えた。
「まだ用事が済んでないわ。すぐに終わるから、それまで寝んねして待っていようね」
「うん」
 少年は母の言葉を素直に信じて、安穏な夢の世界に再び入り込んだ。
 彼は本当になにも気付いていないのだろうか、静謐の中に緊迫した空気が張り詰めていることに。
 だがそれは、外観は金埼研究所と変わらないように思えるが、そこに人間らしい感情が満ちている証だった。
 人の死を厭う心。
 人の命を思いやる心。
 十分ほどして初老ほどの医師が受付前に現れた。受付と二三言葉を交わし、仲峰司のいるロビーへ来る。
「お一人ですか?」
「後からもう何人か到着します。先ず私が様子を見ます」
 意外そうに訊ねる医師に返した仲峰司の答えは、少し虚言が混じっていた。
 やってくるのは警察ではなく、研究所の人間だ。
 だが医師は納得したようだ。
「そうですか。では、こちらへ。彼らは207治療室に居ります」
 医師の先行で案内される仲峰司は尋ねてみる。
「今夜は街の至る所でガス爆発かなにかが起きたようですが、こちらでなにか影響はありましたか。緊急患者が増えたとか」
「ええ、マンションの火災で煙を吸い込んで倒れたというのが二人、火傷が三人運び込まれたくらいです。幸い全員命に別状はありません。しかし騒ぎの割には比較的少ないほうです。もっともこれからまた運ばれてくるかもしれませんが」
 淡々と答える医師の内容が、真実被害が少ないのか、それとも救急病院の尺度での話しなのか、判断はつかなかった。
「そうですか」
 エレベーターで二階に上がり、右正面の受付で医師が看護士と短い会話を交わし、改めて治療室へ向かった。
 精悍で逞しい体躯の看護士は、喧騒が起こる可能性に警戒心を高めたようだ。
 彼の姿にこの世からいなくなった警備主任を思い出したが、彼とあの看護士には、人命と人権の価値観に断絶に等しい隔たりがあるだろう。
「ここです」
 医師に言われて、治療室に到着したのに気がついた。
 どうも病院に入ってから考え事が多くなっている。
 気を取り直して医師に指示を出す。
「では、もう結構です。あなたは仕事に戻ってください」
「いえ、私の患者です。離れるわけにはいきません」
 静かに小声で、しかし決然とした意思を秘めた言葉に、仲峰司は内心困却する。
 これから起こるのは殺し合いなのだ。
 付近にいれば巻き込んでしまい、なによりその現場を目撃すれば、この医師を始末しなければならない。
 仲峰司は扉から少し離れて、医師に小声で説明する。
「いいですか、もし中にいる男が、なにかの拍子に暴れだしたりしますと、その、あなたに危険が及ぶかもしれません。ですので、警察といいますか、専門家である私に任せてください」
 医師は少し考えた。
「では、廊下で待っています。なにかあればすぐに人が呼べるように」
 益々事態が悪くなる。
 消さなければならない人間が増えるだけだ。
 少し時間はかかるが、バンが到着するのを待ったほうが良さそうだ。
 美鶴を直接戦闘に巻き込みたくないのだが。
 次の説得を仲峰司が考案していると、医師に廊下の向こうから看護婦が声をかけてきた。
「あら、先生。どうされました?」
「ああ、君か。いや、ここの患者に用があってね。診察結果の説明だよ」
 医師は治療室の中に声が聞こえた可能性に慄然としたようだが、できうる限り冷静に対応し、警察が来ていることを覚られないように言葉を選ぶ。
 だが、看護婦は不思議そうな表情をする。
「診察結果って、もう伝えたのでは? 病室に移されたのでしょう?」
「いや、私はまだ伝えていないが」
 今度は医師のほうが不思議そうな顔をした。
「あら、だって先程、新しくこられた先生が病室へ運ばれて行きましたよ」
「新しい先生とは誰のことだね? 新しく入ってきた者はいないはずだが」
 仲峰司は強張った顔で、即座に治療室のドアを開けた。
 誰もいなかった。
「その男はどこへ行きました?!」
 詰め寄られた看護婦は、戸惑い少し怯えながら答える。
「あ、あの、向かいのエレベーターへ」
 この病院にはエレベーターが二箇所設置されている。
 看護婦が示した方向は、自分たちが使用した場所の反対だ。
 仲峰司は聞くが否や走り始めた。
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