悪役令嬢は腐女子である

神泉灯

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131・観覧車

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 撮影は終わり、水原さんにお礼を言われる。
「ありがとうございます。おかげさまでイベントも盛り上がって、雑誌の特集も上手くいきそうです」
「いいえ、こちらこそ。素敵な写真をいただいてしまって」
 プロのカメラマンによる二人の記念撮影写真を貰ったのだ。
 今回のデートの記念品になるだろう。
「これ、大切にしますわ。写真立てに入れて、部屋に飾っておきますわ」
「そうですか、そこまで喜んで貰えると、私たちとしても嬉しいです」
 水原さんがぺこりと頭を下げると、
「では、私たちはこれで」
 俺も挨拶する。
「はい、色々お世話になりました」


 そして俺達はその場を離れた。
 しばらくしてセルニアは、
「面白かったですね、イベント」
「とても新鮮で、楽しい経験でした。思い切って参加して良かったです」
「ああ、本当にそうだ」
 なんだかんだで楽しい時間だった。
 新しい体験はできたし、写真も貰えた。
 セルニアは撮影の後は、ファッションチェックやアンケートでちょっと大変だったみたいだが。
 時間は四時三十分を過ぎた。
 夕日が辺りを照らしている。
「次のアトラクションで終わりだな。あんまり遅くなると、みんなが心配するだろ」
 セルニアを夜遅くまで連れ歩いたら、お父さんからなにを言われるか。
 さて、最後になにに乗るか。
 それは もう決まっている。
 デートの最後は観覧車が定番だ。
 本にもそう書いてある。
 ふっ、今までの勉強が役に立つときだぜ。
 また誰かマニュアル人間って言った気がする。


 俺はセルニアに告げる。
「観覧車で良いか」
 セルニアはすぐに答えた。
「はい、観覧車ですわね」


 俺達は観覧車に乗った。
「きれいですわ」
 セルニアは眼下の景色を見下ろしながら感動の声を上げた。
「想像以上ですわね。思っていたよりもずっと素敵ですわ。この高さだと、海まで見えますのね」
 セルニアの言うとおり、観覧車から見える夕日は絶景だった。
 街と自然が全て茜色に染められている。
 幻想的とも言えるその光景は、本来ならば目が釘付けになる。
 しかし、俺は夕焼けよりも気になり、意識してしまうことがあった。
「見てください。先ほど撮影した場所が見えますわよ」
「ああ、そうだな」
「ここから見るととても小さいですわ。先ほどはあんなに広く感じたのに」
 一メートルほどの距離で、窓に張り付いているセルニアの姿だった。
 別にセルニアが特別なことをしているわけじゃない。
 ただ、現状は観覧車の中。
 ある意味 密室。
 目の前にはムードたっぷりの夕焼け。
 キスするには絶好のシチュエーション。
 意識しない方が無理。
「あら? どうされました?」
 しかしセルニアの方は意識していないらしい。
「い、いや」
 どうやら今のセルニアは、アミューズメントパーク、つまり遊園地に来たことによって、多少 精神年齢が退行、つまり子供のような気分になっているようだ。
 これはセルニアのほうからアプローチを仕掛けてくることはない。
 ならば、こちらから行くのみ。
 しかし、俺は、
「いやぁー、ホント。なんでもないんですよ。ハハハ……」
 へたれてしまった。
 しくしく。
 情けない。


「あら、その唇」
 セルニアが半歩身を乗り出してきた。
 こ、これは!
 突如としてセルニアがその気になったのか!?
「唇が割れて血が出ていますわね」
「え?」
 セルニアに指摘されて、俺は指で確かめてみると、ホントに血が少し出ていた。
 冬の乾燥した空気のせいで、割れたのだろう。
「ああ、大丈夫だ。ティッシュでも当てておけば問題ないだろ」
「ダメですわ。ちゃんと手当てしないと。唇はとてもデリケートな場所ですから、手荒に扱ってはいけませんわ」
 セルニアはポーチからリップクリームを取り出した。
「さあ、少しの間、動かないでくださいませ」
 リップのキャップを外すと、俺の唇へと伸ばしてきた。
「ちょ、セルニア」
「動いてはダメですわ。はみ出てしまいます」
「い、いや、そうじゃなくて」
 セルニアのポーチから出てきたと言うことは、セルニアの所持しているリップクリームであると言うことであり、つまりセルニアの唇に使用されたと言うことであり、つまりこれは間接キスということであって。
 ぬりぬり。
 俺の言葉を待たずにセルニアは塗り始めた。
 おおおぉぉ……
 なんとも言えない甘酸っぱい気持ちが心の中に満ちていく。
 青春の一ページと言った感じの冬だけどまさに青い春。
 そんな夢見心地なき分に浸っていたときのことだった。
 ぐらり。
 不意に観覧車が少しだけ揺れた。
「おっ」
「あっ」
 たぶん突風が吹いたのだろう。
 その揺れは普通に座っていればなにも問題はない、大したことのないレベルなのだろうが、しかしセルニアは俺の唇にリップを塗っていて、前のめりになっていた。
「きゃあっ」
 小さな悲鳴と共に上体をよろめかせ、そのまま座っていた俺の上に覆い被さるようにして、倒れ込んできた。
「お……」
「あ……」
 結果、俺の腰の上にセルニアが座り込んで、そのまま腕が首元に回っているような感じ。
 腰に太ももが押しつけられ、フローラルな香りがする髪が頬に少し流れかかってくる。
 セルニアは顔が真っ赤になる。
「も、申し訳ありません」
「あ、い、いや。大丈夫」
「すぐにどきますわ」
 セルニアは慌てて立ち上がろうとしたが、狭い観覧車でもつれ合うようにして倒れ込んでいるため上手くいかない。
「セルニア、そんなに慌てなくても大丈夫だから」
「ええ、そうですわね」
 と、そこで俺達は目が合った。
 俺達は密着状態。
 そして顔は至近距離。
 瞳も至近距離。
 唇も至近距離。
「「……」」
 俺達は顔を赤くして沈黙してしまった。
 場所はそろそろ暗くなり始めた密室の観覧車。
 対面カップル座りになっている俺とセルニア。
 観覧車の位置はちょうど頂上部分で、あと数分は地上に降りることはない。
 そして邪魔者はいない。
 今までのように、デバガメしてくる輩は絶対に出てこない。
 こ、これはとてつもないチャンスではないのか?
 いや!
 それ以外ありえない!!
 そうだ、やらねばならぬ。
 なさねばならぬ。
 ここでなにもしなかったら、男が廃る。
 いざ進むのは青春の道。


 俺はセルニアの頬に手を添えた。
 セルニアは瞳を潤ませると、顔を上向けて少し近づけ、そっと瞳を閉じた。
 あと十センチ。
 あと五センチ。
 あと一センチ。
 いよいよだ。
 いよいよ俺は、セルニアとキスをする。


 ジャジャジャジャーン! ジャジャジャジャーン!
 突然俺の電話が鳴った。
 ベートベーン作曲、運命。
「……あの、お電話がなっていますわよ」
 セルニアは目を開けてそう言ってきた。
「……そうだな」
 ゴール寸前で目の前のニンジンを没収された馬のような気分でスマホを取り出した。
 そして なんとなくスピーカーにした。
 鈴を転がすような可愛らしい声が聞こえてくる。
「お兄さま、お姉さまと上手くやっていますか? 時間的にはもう観覧車だと思いますが、私が送ったアドバイス通りキスとかしちゃいましたか。やん、恥ずかしいです」
「……」
 俺達が沈黙していると湖瑠璃ちゃんは続けて、
「おや、その無反応。していないのですか? 不発ですか? 誤爆ですか? ヘタレですね。甲斐性無しですよ。
 お姉さま、ちゃんと目を瞑って顔を近付けてきませんでしたか?」
「それは、なんというかだな……っていうか、ちょっと待って。なんでそのこと知ってるの?」
「それはもちろん、湖瑠璃がアドバイスしたからに決まっているではありませんか。
 観覧車に乗ったら、目をつむって顔を近づけると良いですよと」
 俺はセルニアを見ると、セルニアは顔を真っ赤にして俯いていた。
 湖瑠璃ちゃんは続けて、
「それで、どうでした? 実は上手くいっていたとかですか?」
「いやー、それはー、なんというかー……ハハハ……」


 そのあと、湖瑠璃ちゃんとよく記憶に残らない会話をして電話を切った。


「あー、セルニア、なんというか、その……」
「い、いえ、これはなんというか、その……」
 お互いなんとも言えない表情。
 もうキスをする雰囲気ではない。
「とりあえず、元の席に戻ろう」
「そうですわね」


 ひゅるりー。
 北風が吹くー。


 観覧車から降りて俺はフォローする。
「セルニア、今日は楽しかったよ。最後はちょっとアレだったけど、でも一生の思い出に残るデートだった」
「はい、わたくしも楽しかったですわ。あなたを誘って本当に良かった」
「また機会があれば、遊びに来よう」
「ええ、機会があれば、ぜひ」


 こうして俺達の遊園地デートは、ちょっとしたオチが付いて終わった。
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