魔王殿

神泉灯

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9・戦いの始まり

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 古城への道はほぼ直線だったが、距離が半分に近づいた所で、T字路に差し掛かった。
 右手には巨大なクレーターが道を抉っていた。
 周りの建物も、余波で破壊されている。
「大きいな。どれくらい前のものだ」
 聖騎士は敢えて尋ねた。
 普通に考えれば三百年前のものでしかないのだが、魔王殿の奇妙な状況が別の可能性もあるのではないかという気にさせるのだ。
 しかし魔術師は判断不能の意で首を振る。
 魔王殿に入ってから気がついたのだが、この中には生命の存在が一切確認できない。
 よってクレーター内部に雑草が生えることも、苔むすこともなく、それらに基づいた測定ができない。
 風雨の浸食の度合いを計測するのも、天候が固定されているため不可能だ。
 それでも百年単位で計る必要があるということぐらいは分かるが。
「「「!」」」
 突然周囲の空気が変化し、色彩が反転した。
 それは一瞬の出来事ですぐに元に戻るが、しかし今自分たちの置かれている状況が、数秒前とは完全に違うのを三人は認識していた。
 結界が張られた。
 如何なる種類の効果を及ぼすのか不明だが、半径百メートルに亘って円形に展開されている。
「はっ、来やがったな!」
 猛獣の唸り声に似た声質と共に、ゴードは大剣を背中から外した。さ
 て、どこから来る?
 不意にクレーター内部でなにかが動いた。
「ん?」
 クレーター中心部の土が盛り上がり、乾燥した土砂は自重を支えることが一時もできないようで、見る間に崩れていく。
 その頭頂部から不意に黒い物体が無数飛び出してきた。
 虫だ。
 体長30㎝近くはある褐色の虫の群れが夥しく溢れ、クレーターを瞬く間に埋め尽くし、傾斜を上がり始めた。
 その姿は生命力の強靭さにおいては最強と畏怖される、とある虫に酷似していた。
「く、黒いアクマ」
 顔面の筋肉がこれ以上もなく引きつったサリシュタールは、次の瞬間には予告もなしに莫大な熱量をクレーターに向けて放出した。
 家庭内でよく出没し混乱に陥れるこの虫が、彼女は大嫌いだった。
 恐怖していると言って良い。
 好きな人間などいやしないだろうが。
 サリシュタールが熾した火のない高熱は、しかし彼女の言う黒いアクマを一瞬で焼き尽くし、熱で虫の体組織が発火し、クレーター内部で炎が巻き上がった。
「おわぁ!」
「ぬう!」
 熱風に煽られて、男二人は顔を背ける。
「サリ! いきなりやるな!」
 ゴードの苦情に、サリシュタールは自分の絶対的正しさを主張する。
「黒いアクマは焼き殺すのが一番手っ取り早いのよ! 殺虫剤は効き難いし!」
「そういうことじゃなくて……」
「ゴード! 後ろ!」
 なおも言い募ろうとするのを遮って、警告の声を発した。
 振り向けば、すぐ背後で蛮族の毛皮を纏った身の丈三メートル近くはある一つ目の巨人が巨体に見合った巨大な鉈を振り下ろす瞬間だった。
 体の捻りで瞬発力を最大限に発し、一眼巨人の股座を滑り抜けて、鉈の一撃を回避した。
 立ち上がりざま大剣を、一眼巨人が振り向く前に背後に突き刺す。
 強靭な筋肉を突き破り、そのまま上段へ切り上げる。
 腰から右肩まで切断され苦痛に雄叫びを上げる一眼巨人を、力任せに蹴り押して、炎が巻き上がるクレーターに突き落とした。
「こいつ、いつの間に近づいたんだ!?」
 あれだけの巨体なのに、サリシュタールの警告まで全く気が付かなかった。
「周りを見ろ!」
 アルディアスの声に二人は驚愕する。
 壁に長い舌を突き出した猿忍者が十数匹張り付いていた。
 反対側の道を、人の顔をした巨大な蜘蛛の群れが埋め尽くしていた。
 人蜘蛛の中心に、蜘蛛のように長い手足を手首手足の箇所で切断し、左右を接合した奇妙な木乃伊が、一際巨大な蜘蛛の上に鎮座している。
 自分たちが来た道から黒い甲冑を装備した騎士が悠然と登場した。
 重厚な鎧を纏っているにもかかわらず、金属音が全く鳴らず、亡霊の騎士のような印象を受ける。
 その斜め頭上に、針金細工の羽を広げた、白装束の天使のような姿の女性が浮遊していた。
 重力を遮断しているのか、白装束が風もないのに漂っているのは、どこか幻想的だったが、その周囲にいる異形が、彼女の幻惑性を台無しにしていた。
 屋根の上で、二足歩行の爬虫類が列を成して弓矢を構えていた。
 空に修験者の正装を纏った三体の鴉天狗が旋回していた。
 それらと一緒に巨大な羽毛のない怪鳥が十数飛んでいる。
 クレーターから雄叫びを上げて巨人が飛び、着地した衝撃で大地が震撼する。
 火傷の後もなく、切られた箇所も再生している。
 さらにクレーターから湧き出る夥しい数の虫が、焼け死んだ死骸の下から這い出てきた。
 それは地上に這い上がると見る見る膨れ上がり変形し、一メートル近くに巨大化する。
 周囲は魔物に包囲されていた。
 今まで姿を現さなかった魔物が、なぜ今になって突然出現したのか、湧き上がる当然の疑問を、今の三人は考える余裕がなかった。
「なんて数だ」
 ゴードの呻き声は、慄いているというより、寧ろ楽しげな声だった。
 魔物が一匹も出て来ないよりは、今の状況のほうが自然で納得できるからかもしれない。
 生来の好戦的欲求によるものなのかもしれない。
「黒いアクマがまだ出てくるわ。しかも大きくなってるし」
 隣で泣きそうな表情をクレーターに向けたサリシュタールは呟く。
 普段は嫣然とした中に妖艶さを含み、けして物事に動じない彼女だが、誰もが嫌う虫を前にした時のみ、一般的な女性の反応を見せる。
 その様子が妙に可愛らしくもある。
「余裕だな」
 ゴードが感心しているのか、からかっているのか、その言葉にサリシュタールは抗議した。
「余裕なんてないわよ! ゴード、場所代わって! 蜘蛛は平気だから」
「俺がゴキブリ相手か? おまえほどじゃないけど、気分的に嫌なんだが」
「良いから早く場所を変わりなさい!」
 有無も言わせず戦闘配置を変更した。
「では、私はあの黒い騎士と天使を相手にする」
 アルディアスは腰に佩いた剣を抜くと、黒い騎士も同調するように抜剣する。
 そして人の言葉を口にした。
「白い騎士よ、名乗れ」
 直感だが、この場で最も手強い魔物は、この黒い騎士だと三人は感じた。
 そして生来の魔物ではなく、魂を売り渡したことによって魔物に変貌した者だとも。
 時折、このような人間がいる。
 その殆どは魔物になったとき正気を失い、下等な魔物として上級の魔物、魔人に使役される結果となる。
 だが彼は、強靭な精神力で己の意思を留めているようだ。
「イグラード王国聖騎士、アルディアス・アルブレット・グレイダー」
 剣を眼前に構え一振りする。
 剣術試合の礼式。
 黒い騎士も同じ礼式を取った。
「魔将軍、スナフコフ・ガーランド」
 そしてアルディアスとスナフコフは剣を構えた。
 サリシュタールは杖に魔力を集中させた。
 ゴードは大剣を肩に担ぎ、腰を落とし瞬発力を貯めた。
 魔物どもも緊張を孕んでか静粛としていた。
 一陣の乾いた風が、砂埃を舞い上がらせた。
 GUoOOOO!
 なにがきっかけだったのか、一つ目の巨人が咆哮し突進した。
 それが合図となり、戦いが始まった。


 紳士は異変を察知し、懐中時計を操作する。
 懐中時計は魔王殿を探知し判明した情報を空中に投影表示した。
 魔王殿全域に結界が張られた。
 内部に特殊領域を形成し、魔王殿内外の時空に断裂を生じさせている。
 通常の方法で魔王殿を出入りが不可能になった。
 なんらかの処置を行わなければ、時空の狭間に引っかかってしまう可能性さえある。
 そして魔王殿の南端に、半径百メートルの結界が張られた。
 その中に先ほどまで姿を見せなかった魔物が、集中して大量出現している。
 その出現形式から推測して空間転移を行っているようだ。
「隠れていたわけではないのか?」
 予想が外れてしまったかのように、魔物が古城の外に出現し始めた。
 そして内と外に二つの特殊結界。
 自分を閉じ込めておくにしてはお粗末な対処法だ。
 ましてや自分は例えどんな危機に陥ろうとも、脱出する気などない。
 始め彼は意図が理解できなかったが、夥しい数の中に重なって、別の力の存在を確認した。
 その力は、始めは小さく、だが強大に変化していく。
 どうやら抑制していた力を解放しているようだ。
「待てよ。彼らと私を……そうか!」
 魔物の考えを悟った紳士は、全速力でその場へ向かった。
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