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第五巻 第五章 大御所時代
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〇蝦夷地に接近するロシア船
N「十九世紀はじめ、ロシア船はたびたび蝦夷地に接近し、幕府は危機感を強めていた」
〇蝦夷地・海岸線
伊能忠敬(五十五歳)が、神保玄二郎(忠敬次男・十五歳)、弟子二人、、五人の人足、馬一頭を率いて海岸線を歩いている。
忠敬「(自分の歩数を数える)千二百五十七,千二百五十八、千二百五十九……!」
N「寛政十二(一八〇〇)年、伊能忠敬は幕府の命を受け、蝦夷地の測量に取りかかる」
玄二郎と内弟子たちも同じように歩測している。
玄二郎「千二百五十七、千二百五十八,千二百五十九……!」
N「あらかじめ一歩が七十センチになる訓練を積んだ複数の人間が、同じ場所を歩いて歩数の平均を求める。当時、長距離を測量する方法はこれしかなかった」
〇高橋至時邸の一室(回想)
伊能忠敬(五十三歳)と高橋至時(幕府天文方・三十四歳)が『寛政暦』を挟んで対話している。
忠敬「ついにやりましたな。これで日本でも正しい暦が……!」
至時「(暗い顔で)……いや、まだまだだ。正確な暦のためには、子午線弧長(緯度一度の地球表面の距離)を割り出さねばならぬ」
忠敬「私の自宅と先生のお宅は、ちょうど緯度にして一分離れております。この間の距離を測量すれば……」
至時「その程度の距離では、誤差が大きく出すぎる。正確な値を出すには……そう、江戸から蝦夷地くらいまでの距離を測量する必要があるだろう」
N「至時は蝦夷地の地図を作る計画を幕府に願い出た。ロシアとの間に緊張を抱えていた幕府は これを受理。至時の推薦により忠敬が測量を行うことになったのである」
〇蝦夷地・海岸線
歩測を続ける一行の頭上に、雪が降り始める。
N「忠敬は日本各地の測量を続け、第四次測量によって、ついに緯度一度の子午線弧長を二十八.二里と割り出した。これは現在の数値、約百十一キロとほぼ等しい」
〇忠敬の日本地図
N「忠敬は十七年間、十回にわたって日本全国を測量、当時としては画期的な精度の日本地図を完成させたのである」
〇徳川家斉(十一代将軍・四十五歳)と水野忠成(老中首座・五十五歳)
N「松平定信の失脚後も、老中・松平信明らによって緊縮・倹約路線の政策が続いたが、文化十四(一八一七)年に信明が死去して水野忠成が老中首座になると、反動的に放漫財政の時代になる」
〇鳴滝塾
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(医師、三十歳)が、高野長英(蘭学者・二十二歳)、伊東玄朴(医師、二十五歳)らを指導している。
N「蘭学に対する統制もゆるみ、シーボルトは出島の外に鳴滝塾を設け、高野長英らに医学や自然科学を指導した」
〇長崎・浜辺
沖合で座礁しているオランダ船。荷物が浜辺に流れ着き、役人がそれらを検証している。
役人「やっ! ……これは!」
荷物の中に、伊能忠敬の日本地図がある。
N「しかしシーボルトは、禁制の日本地図を国外に持ち出そうとした罪を問われ、国外追放となった」
〇百姓一揆
N「天保四(一八三三)年から天保八(一八三七)年にかけて、日本の各地で飢饉が頻発。百姓一揆も頻発した」
〇大坂・大塩平八郎邸・書庫
ずらりと並んだ貴重な書籍に目を丸くしている本屋。
本屋「本当に全部、お売りになるんで?」
大塩平八郎(元与力・四十四歳)、腕組みをして目を閉じ、
平八郎「大坂では毎日、百五十人からの貧民が餓死しておる。奉行所に何度申し上げても、何の対策も打たれない。わしにできるのは、このくらいのことしかない……」
ぐっと握りしめた手の爪が二の腕に食い込み、血がにじむ。
〇大坂近くの農村
百姓たちが集まって噂話をしている。
百姓「近々大坂で騒ぎが起こるそうな」
百姓「天満(大坂の地名)で火の手が上がったら、駆けつけて豪商の蔵を襲えと」
馬に乗った役人が近づいてきて、あわててぱっと散る百姓たち。
N「平八郎は慎重に決起の準備を進めたが、密告者が出たため天保八(一八三七)年二月十九日、自邸に火をかけ決起した」
〇大坂・市街地
豪商の蔵が並ぶ北船場に、完全武装の平八郎たち数十名が「救民」の旗を掲げて進撃してくる。
平八郎「放て!」
大塩軍の大砲が火を噴き、豪商の蔵が崩れて、火の手が上がる。
平八郎「みな立ち上がれ! 世直しじゃ!」
崩れた蔵から飛び出した米俵に貧民たちが群がり、そのまま大塩軍に合流していく。
N「平八郎の一団は、貧民や近郷の農民を加え、一時は三百人を越えたが」
〇大坂・市街地
奉行所の部隊が大塩軍を待ち構える。馬止めの柵の後ろに、大勢の鉄砲隊が構えている。
指揮官「放て!」
一斉射撃を受けると、大塩軍はばたばたと倒れ、大混乱に陥る。
指揮官「ようし、蹴散らせ!」
騎馬の与力たちが突入し、潰走する大塩軍。
N「本腰を入れた奉行所の敵ではなく、反乱は半日で鎮圧された」
〇砲台を築く水戸藩士
N「天保年間には、やはり財政難に陥った多くの藩が、藩政改革に着手した。水戸斉昭は水戸藩の財政を立て直すと共に、海防に力を入れた」
〇江戸・薩摩藩邸
調所広郷(薩摩藩家老・中年)が、大勢の商人たちを前にしている。
N「薩摩藩では」
広郷「諸君らから借り入れした島津の借入金は、元利積もり積もって五百万両。これを返済するよい知恵があれば、お聞かせ願いたい」
沈黙する商人たち。
広郷「意見はないようでござるな。ならば拙者の意見を申し聞かす」
広郷「(大声で)これより先、一切の利息は受け付けぬ! そして五百万両は、二百五十年の年賦で返済するものとする!」
商人「(しぼり出すように)そ、そんな……!」
広郷「ならば薩摩に乗り込んでご自分でお取り立てになるか? 今の薩摩には、イモと豚と焼酎しかごわはん」
沈黙する商人たち。
N「薩摩藩は借金を事実上棒引きにした上で、琉球経由の密貿易で財政を立て直し、幕末の活躍の基礎を作る」
〇萩・長州藩屋敷
村田清風(長州藩家老・中年)が大勢の商人たちを前にしている。
清風「ロウなどの専売制をあらため、商人の参入を許す。さらに希望する商人には資金を貸し与えた上、金貸しを許可する」
N「長州藩では村田清風が積極財政による改革を行い、幕末に向けて力をつけた」
N「十九世紀はじめ、ロシア船はたびたび蝦夷地に接近し、幕府は危機感を強めていた」
〇蝦夷地・海岸線
伊能忠敬(五十五歳)が、神保玄二郎(忠敬次男・十五歳)、弟子二人、、五人の人足、馬一頭を率いて海岸線を歩いている。
忠敬「(自分の歩数を数える)千二百五十七,千二百五十八、千二百五十九……!」
N「寛政十二(一八〇〇)年、伊能忠敬は幕府の命を受け、蝦夷地の測量に取りかかる」
玄二郎と内弟子たちも同じように歩測している。
玄二郎「千二百五十七、千二百五十八,千二百五十九……!」
N「あらかじめ一歩が七十センチになる訓練を積んだ複数の人間が、同じ場所を歩いて歩数の平均を求める。当時、長距離を測量する方法はこれしかなかった」
〇高橋至時邸の一室(回想)
伊能忠敬(五十三歳)と高橋至時(幕府天文方・三十四歳)が『寛政暦』を挟んで対話している。
忠敬「ついにやりましたな。これで日本でも正しい暦が……!」
至時「(暗い顔で)……いや、まだまだだ。正確な暦のためには、子午線弧長(緯度一度の地球表面の距離)を割り出さねばならぬ」
忠敬「私の自宅と先生のお宅は、ちょうど緯度にして一分離れております。この間の距離を測量すれば……」
至時「その程度の距離では、誤差が大きく出すぎる。正確な値を出すには……そう、江戸から蝦夷地くらいまでの距離を測量する必要があるだろう」
N「至時は蝦夷地の地図を作る計画を幕府に願い出た。ロシアとの間に緊張を抱えていた幕府は これを受理。至時の推薦により忠敬が測量を行うことになったのである」
〇蝦夷地・海岸線
歩測を続ける一行の頭上に、雪が降り始める。
N「忠敬は日本各地の測量を続け、第四次測量によって、ついに緯度一度の子午線弧長を二十八.二里と割り出した。これは現在の数値、約百十一キロとほぼ等しい」
〇忠敬の日本地図
N「忠敬は十七年間、十回にわたって日本全国を測量、当時としては画期的な精度の日本地図を完成させたのである」
〇徳川家斉(十一代将軍・四十五歳)と水野忠成(老中首座・五十五歳)
N「松平定信の失脚後も、老中・松平信明らによって緊縮・倹約路線の政策が続いたが、文化十四(一八一七)年に信明が死去して水野忠成が老中首座になると、反動的に放漫財政の時代になる」
〇鳴滝塾
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(医師、三十歳)が、高野長英(蘭学者・二十二歳)、伊東玄朴(医師、二十五歳)らを指導している。
N「蘭学に対する統制もゆるみ、シーボルトは出島の外に鳴滝塾を設け、高野長英らに医学や自然科学を指導した」
〇長崎・浜辺
沖合で座礁しているオランダ船。荷物が浜辺に流れ着き、役人がそれらを検証している。
役人「やっ! ……これは!」
荷物の中に、伊能忠敬の日本地図がある。
N「しかしシーボルトは、禁制の日本地図を国外に持ち出そうとした罪を問われ、国外追放となった」
〇百姓一揆
N「天保四(一八三三)年から天保八(一八三七)年にかけて、日本の各地で飢饉が頻発。百姓一揆も頻発した」
〇大坂・大塩平八郎邸・書庫
ずらりと並んだ貴重な書籍に目を丸くしている本屋。
本屋「本当に全部、お売りになるんで?」
大塩平八郎(元与力・四十四歳)、腕組みをして目を閉じ、
平八郎「大坂では毎日、百五十人からの貧民が餓死しておる。奉行所に何度申し上げても、何の対策も打たれない。わしにできるのは、このくらいのことしかない……」
ぐっと握りしめた手の爪が二の腕に食い込み、血がにじむ。
〇大坂近くの農村
百姓たちが集まって噂話をしている。
百姓「近々大坂で騒ぎが起こるそうな」
百姓「天満(大坂の地名)で火の手が上がったら、駆けつけて豪商の蔵を襲えと」
馬に乗った役人が近づいてきて、あわててぱっと散る百姓たち。
N「平八郎は慎重に決起の準備を進めたが、密告者が出たため天保八(一八三七)年二月十九日、自邸に火をかけ決起した」
〇大坂・市街地
豪商の蔵が並ぶ北船場に、完全武装の平八郎たち数十名が「救民」の旗を掲げて進撃してくる。
平八郎「放て!」
大塩軍の大砲が火を噴き、豪商の蔵が崩れて、火の手が上がる。
平八郎「みな立ち上がれ! 世直しじゃ!」
崩れた蔵から飛び出した米俵に貧民たちが群がり、そのまま大塩軍に合流していく。
N「平八郎の一団は、貧民や近郷の農民を加え、一時は三百人を越えたが」
〇大坂・市街地
奉行所の部隊が大塩軍を待ち構える。馬止めの柵の後ろに、大勢の鉄砲隊が構えている。
指揮官「放て!」
一斉射撃を受けると、大塩軍はばたばたと倒れ、大混乱に陥る。
指揮官「ようし、蹴散らせ!」
騎馬の与力たちが突入し、潰走する大塩軍。
N「本腰を入れた奉行所の敵ではなく、反乱は半日で鎮圧された」
〇砲台を築く水戸藩士
N「天保年間には、やはり財政難に陥った多くの藩が、藩政改革に着手した。水戸斉昭は水戸藩の財政を立て直すと共に、海防に力を入れた」
〇江戸・薩摩藩邸
調所広郷(薩摩藩家老・中年)が、大勢の商人たちを前にしている。
N「薩摩藩では」
広郷「諸君らから借り入れした島津の借入金は、元利積もり積もって五百万両。これを返済するよい知恵があれば、お聞かせ願いたい」
沈黙する商人たち。
広郷「意見はないようでござるな。ならば拙者の意見を申し聞かす」
広郷「(大声で)これより先、一切の利息は受け付けぬ! そして五百万両は、二百五十年の年賦で返済するものとする!」
商人「(しぼり出すように)そ、そんな……!」
広郷「ならば薩摩に乗り込んでご自分でお取り立てになるか? 今の薩摩には、イモと豚と焼酎しかごわはん」
沈黙する商人たち。
N「薩摩藩は借金を事実上棒引きにした上で、琉球経由の密貿易で財政を立て直し、幕末の活躍の基礎を作る」
〇萩・長州藩屋敷
村田清風(長州藩家老・中年)が大勢の商人たちを前にしている。
清風「ロウなどの専売制をあらため、商人の参入を許す。さらに希望する商人には資金を貸し与えた上、金貸しを許可する」
N「長州藩では村田清風が積極財政による改革を行い、幕末に向けて力をつけた」
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