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花屋のうさぎは危機に遭う2
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――君が君の形を失っていたら。
その言葉に恐怖をかき立てられ、その場から正しく脱兎のごとく逃げたくなる。けれどそれはシエル様の手によって阻害され、僕はその場に縫い留められたようになってしまった。
首筋に舌が這い、首輪の上から牙を何度も立てられる。
「ひ……やっ」
「どうやってオメガから『香水』を作るか、教えてあげようか」
囁きながら、シエル様は楽しそうに低く笑う。
聞きたくない。それはきっと、楽しいものではないだろうから。
そう思うのに、赤狼の唇は喋ることをやめない。
「君たちオメガがね。発情期の時以上にフェロモンを発する瞬間があると……『ある時』に僕は気づいたんだ」
僕の長い耳を美しい唇が食む。背筋が甘く震え、崩れ落ちそうになる身を僕は必死に支えた。
「それは命の危機に瀕した時だ。きっと快楽で痛みを和らげようと、強い防衛本能が働くのだろうな」
「――ッ!」
――殺されるんだ。
そう感じた瞬間、ぞわりと体中が熱くなる。
牙が耳に柔らかく立てられ、その手加減された力でも僕の脆弱な皮膚は傷ついて淡く血が滲む。その血を赤狼は美味しそうに啜った。
「数日かけてじっくりと死の恐怖を与えれば、オメガの血は信じられないくらいの濃度のフェロモンを含むんだ。その血からフェロモンを抽出しさらに調香したものが、『香水』の正体だよ。君の血も……すでに淡い香りを発しているね」
すんと匂いを嗅がれ、満足そうに頷かれる。僕の体は主人に断りなしに『準備』をはじめているらしい。
「リオネル・ハルミニアはどれだけ魅力的な者にも靡くことがなかった。君はあの男を誘うことができる唯一の香水になるんだ。きっと高位貴族にとんでもない金額で、飛ぶように売れるだろうね。清廉潔白なあの男の子種があちこちに撒き散らされるなんて――楽しいと思わないか? これが君を招いた理由だよ」
「そんなの、嫌です……っ!」
――そんなことになればリオネル様が絶対に苦しむ。
驚くくらいに真面目で善良なあの人が、誰かとの間に生じた『責任』を無視できるはずがない。
力を振り絞ってシエル様の腕から逃れた僕は、床に転がり落ちてしまう。鼻の頭をいささか擦り剥き、痛みに顔をしかめながら立ち上がる僕を、赤狼は楽しそうに見つめていた。
「逃げるのか。友人たちがどうなってもいいの?」
「さ、探して逃します。そして僕も逃げますから」
「ふぅん、やってみるといいよ。百を数えてから追いかけてあげようか」
舌舐めずりながら耳を動かすその様子は獲物を追い詰める狩人だ。
彼が僕を甘く見ているのがありがたい。この油断に乗じて、もっと時間を稼がないと。
「うさぎの逃げ足を舐めないでください!」
叫んで、部屋を飛び出す。
『数日かけてじっくりと死の恐怖を与えれば』とシエル様は言った。上質な香水にするために――僕はすぐには殺されないだろう。五体が無事ではないだろうけれど。ひとまずは、命の保証がないロランとリーディさんを優先しないと。
今までの人生にないくらいに、足を早く動かす。
そうしながら、耳と鼻をひくりと動かして僕はロランとリーディさんの気配や匂いを探した。
その言葉に恐怖をかき立てられ、その場から正しく脱兎のごとく逃げたくなる。けれどそれはシエル様の手によって阻害され、僕はその場に縫い留められたようになってしまった。
首筋に舌が這い、首輪の上から牙を何度も立てられる。
「ひ……やっ」
「どうやってオメガから『香水』を作るか、教えてあげようか」
囁きながら、シエル様は楽しそうに低く笑う。
聞きたくない。それはきっと、楽しいものではないだろうから。
そう思うのに、赤狼の唇は喋ることをやめない。
「君たちオメガがね。発情期の時以上にフェロモンを発する瞬間があると……『ある時』に僕は気づいたんだ」
僕の長い耳を美しい唇が食む。背筋が甘く震え、崩れ落ちそうになる身を僕は必死に支えた。
「それは命の危機に瀕した時だ。きっと快楽で痛みを和らげようと、強い防衛本能が働くのだろうな」
「――ッ!」
――殺されるんだ。
そう感じた瞬間、ぞわりと体中が熱くなる。
牙が耳に柔らかく立てられ、その手加減された力でも僕の脆弱な皮膚は傷ついて淡く血が滲む。その血を赤狼は美味しそうに啜った。
「数日かけてじっくりと死の恐怖を与えれば、オメガの血は信じられないくらいの濃度のフェロモンを含むんだ。その血からフェロモンを抽出しさらに調香したものが、『香水』の正体だよ。君の血も……すでに淡い香りを発しているね」
すんと匂いを嗅がれ、満足そうに頷かれる。僕の体は主人に断りなしに『準備』をはじめているらしい。
「リオネル・ハルミニアはどれだけ魅力的な者にも靡くことがなかった。君はあの男を誘うことができる唯一の香水になるんだ。きっと高位貴族にとんでもない金額で、飛ぶように売れるだろうね。清廉潔白なあの男の子種があちこちに撒き散らされるなんて――楽しいと思わないか? これが君を招いた理由だよ」
「そんなの、嫌です……っ!」
――そんなことになればリオネル様が絶対に苦しむ。
驚くくらいに真面目で善良なあの人が、誰かとの間に生じた『責任』を無視できるはずがない。
力を振り絞ってシエル様の腕から逃れた僕は、床に転がり落ちてしまう。鼻の頭をいささか擦り剥き、痛みに顔をしかめながら立ち上がる僕を、赤狼は楽しそうに見つめていた。
「逃げるのか。友人たちがどうなってもいいの?」
「さ、探して逃します。そして僕も逃げますから」
「ふぅん、やってみるといいよ。百を数えてから追いかけてあげようか」
舌舐めずりながら耳を動かすその様子は獲物を追い詰める狩人だ。
彼が僕を甘く見ているのがありがたい。この油断に乗じて、もっと時間を稼がないと。
「うさぎの逃げ足を舐めないでください!」
叫んで、部屋を飛び出す。
『数日かけてじっくりと死の恐怖を与えれば』とシエル様は言った。上質な香水にするために――僕はすぐには殺されないだろう。五体が無事ではないだろうけれど。ひとまずは、命の保証がないロランとリーディさんを優先しないと。
今までの人生にないくらいに、足を早く動かす。
そうしながら、耳と鼻をひくりと動かして僕はロランとリーディさんの気配や匂いを探した。
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