23 / 36
インキュバス風甘やかし看病2
しおりを挟む
蝉がうるさく鳴いている。
体が火照り、意識はどろりと混濁している。呼気は荒く、まるで死に近づいている者のようだ。
私は畳に敷いた薄い布団に寝かされて、扇風機の風を感じていた。枕元にあるグラスの中身は、一体いつの水なのだろう。
――そう、私は風邪をひいたのだ。
見上げた天井は古い木で覆われていて、木目がやけにはっきりと見える。横に目をやると、妙にきしむ廊下に繋がっている黄ばんだ障子が目に入った。家人は高熱を出した私にも無関心らしく、食事を取った記憶を思い返すとそれは一昨日まで遡ることになる。
苦しい……このまま死ぬのかな。
ふつうなら夏風邪くらいで死なないだろう。だけどこうやって家人に放置されている私では、それはわからない。なんとか台所まで這って行き、食料の調達をしないと。
カラリ、と障子が乾いた音を立てた。そちらに目を向けると――
二人の骨に皮を貼り付けたような老人が、黄色く濁った目で私を見つめていた。
その目に宿るのは、憎しみの感情だ。もうすっかり向けられることに慣れてしまったその感情を、二人は今日も私に向けている。
『……お前は、いらん子やけんねぇ』
『……生まれんかったら、よかったとにね』
これは、誰だっけ。老人たちの顔には見覚えがあるのに、なぜだか上手く思い出せない。私は懸命に記憶を辿って、やっとその糸を手繰り寄せた。
ああ……二人は。大学生の頃に亡くなった、祖父と祖母か。
『あの子が置いていったから、仕方なく育てとるんよ』
わかってる。わかってるよ、おばあちゃん。
『生きてるだけで、ありがたいと思わんとね』
うん。それも知ってるよ、おじいちゃん。
なにかが欲しいなんて言わないよ。だってこうして、生かしてもらってる。
生きているだけでじゅうぶんだから、それ以上の迷惑はかけないよ。
高校を出たら、ちゃんと家を出るから。大学の学費だって自分でどうにかする。
そのあとはちゃんと働いて、もう二度と貴方達や■■■■に会ったりしないから。
だから、だから……
『このまま死んでも、よかやろう』
――そんなこと、言わないで。
「――琴子!」
誰かに呼ばれて、私は目を覚ました。
体はぐっしょりと濡れていて、まるで水を被ったようだ。周囲を見回すとそこは饐えた香りのする田舎の家ではなく、安心できる我が家……白い壁紙のワンルームだった。
あれは、高校生の頃の記憶だ。住まわせてもらっていた祖父の家で、風邪をひいた時の……
「琴子、大丈夫? 起こしたら悪いと思ったんだけど、うなされてたから……」
声の方へ視線を向ける。するとエルゥが申し訳ないという表情でこちらを見ていた。
「エルゥ……」
すっかり指先が冷たくなった手を彼へと伸ばす。すると大きな手がそれをぎゅっと握った。
エルゥに手を握られていると、冷えた心に再び血が巡る。私は数度深呼吸をして、息を整えた。
握られた手が心地良い。
……エルゥの体温は、安心できる。
「怖い夢でも見た?」
「……うん」
「僕にできること、ある?」
「……一緒に、寝て」
私はつい、そんなことを口にしていた。
エルゥが一緒に寝てくれれば、怖い夢はもう見ないような気がしたから。
「添い寝? 人間の方と、もふもふの方どっちがいい?」
「もふもふは暑いから……人間で」
夏のこの時期に、天然の山羊毛との添い寝は辛そうだ。しかも山羊毛と言えど裸だし。もふもふなんて言葉にはだまされないぞ。もふもふは裸だ。
エルゥはにこりと笑うと、そっと私の手を放す。彼は立ち上がるとジャージのズボンをきっちりと履いてから、人間の下半身になった。
「じゃ、失礼するね」
するりとエルゥがベッドに入ってくる。そして、しなやかな腕がこちらに伸びて私の体を包み込んだ。大きな手が背中を優しく撫で、時々子供にするようにポンポンと叩く。
固い胸に頬を擦り寄せると、ふっと彼が笑う気配がして頭を優しく撫でられた。
……温かい。なにかが、満たされる気がする。
「……悪い夢は、ぜんぶ僕が食べてあげるから。ゆっくり寝てね、可愛い琴子」
耳元で囁かれる声は、驚くくらいに甘い。
幼子にされるようにあやされるのは、とても心地良くて蕩けそうになる。
――■■■■。
その言葉を思わず口にしようとして、私がぎゅっと唇を噛んだ。これは■なんかじゃなく、悪魔だ。そして私にとっては、目の前の悪魔よりも■の方がよほど悪魔のような存在だった。
そして私は悪魔の腕に抱かれ……今度は夢も見ない深い眠りについたのだった。
体が火照り、意識はどろりと混濁している。呼気は荒く、まるで死に近づいている者のようだ。
私は畳に敷いた薄い布団に寝かされて、扇風機の風を感じていた。枕元にあるグラスの中身は、一体いつの水なのだろう。
――そう、私は風邪をひいたのだ。
見上げた天井は古い木で覆われていて、木目がやけにはっきりと見える。横に目をやると、妙にきしむ廊下に繋がっている黄ばんだ障子が目に入った。家人は高熱を出した私にも無関心らしく、食事を取った記憶を思い返すとそれは一昨日まで遡ることになる。
苦しい……このまま死ぬのかな。
ふつうなら夏風邪くらいで死なないだろう。だけどこうやって家人に放置されている私では、それはわからない。なんとか台所まで這って行き、食料の調達をしないと。
カラリ、と障子が乾いた音を立てた。そちらに目を向けると――
二人の骨に皮を貼り付けたような老人が、黄色く濁った目で私を見つめていた。
その目に宿るのは、憎しみの感情だ。もうすっかり向けられることに慣れてしまったその感情を、二人は今日も私に向けている。
『……お前は、いらん子やけんねぇ』
『……生まれんかったら、よかったとにね』
これは、誰だっけ。老人たちの顔には見覚えがあるのに、なぜだか上手く思い出せない。私は懸命に記憶を辿って、やっとその糸を手繰り寄せた。
ああ……二人は。大学生の頃に亡くなった、祖父と祖母か。
『あの子が置いていったから、仕方なく育てとるんよ』
わかってる。わかってるよ、おばあちゃん。
『生きてるだけで、ありがたいと思わんとね』
うん。それも知ってるよ、おじいちゃん。
なにかが欲しいなんて言わないよ。だってこうして、生かしてもらってる。
生きているだけでじゅうぶんだから、それ以上の迷惑はかけないよ。
高校を出たら、ちゃんと家を出るから。大学の学費だって自分でどうにかする。
そのあとはちゃんと働いて、もう二度と貴方達や■■■■に会ったりしないから。
だから、だから……
『このまま死んでも、よかやろう』
――そんなこと、言わないで。
「――琴子!」
誰かに呼ばれて、私は目を覚ました。
体はぐっしょりと濡れていて、まるで水を被ったようだ。周囲を見回すとそこは饐えた香りのする田舎の家ではなく、安心できる我が家……白い壁紙のワンルームだった。
あれは、高校生の頃の記憶だ。住まわせてもらっていた祖父の家で、風邪をひいた時の……
「琴子、大丈夫? 起こしたら悪いと思ったんだけど、うなされてたから……」
声の方へ視線を向ける。するとエルゥが申し訳ないという表情でこちらを見ていた。
「エルゥ……」
すっかり指先が冷たくなった手を彼へと伸ばす。すると大きな手がそれをぎゅっと握った。
エルゥに手を握られていると、冷えた心に再び血が巡る。私は数度深呼吸をして、息を整えた。
握られた手が心地良い。
……エルゥの体温は、安心できる。
「怖い夢でも見た?」
「……うん」
「僕にできること、ある?」
「……一緒に、寝て」
私はつい、そんなことを口にしていた。
エルゥが一緒に寝てくれれば、怖い夢はもう見ないような気がしたから。
「添い寝? 人間の方と、もふもふの方どっちがいい?」
「もふもふは暑いから……人間で」
夏のこの時期に、天然の山羊毛との添い寝は辛そうだ。しかも山羊毛と言えど裸だし。もふもふなんて言葉にはだまされないぞ。もふもふは裸だ。
エルゥはにこりと笑うと、そっと私の手を放す。彼は立ち上がるとジャージのズボンをきっちりと履いてから、人間の下半身になった。
「じゃ、失礼するね」
するりとエルゥがベッドに入ってくる。そして、しなやかな腕がこちらに伸びて私の体を包み込んだ。大きな手が背中を優しく撫で、時々子供にするようにポンポンと叩く。
固い胸に頬を擦り寄せると、ふっと彼が笑う気配がして頭を優しく撫でられた。
……温かい。なにかが、満たされる気がする。
「……悪い夢は、ぜんぶ僕が食べてあげるから。ゆっくり寝てね、可愛い琴子」
耳元で囁かれる声は、驚くくらいに甘い。
幼子にされるようにあやされるのは、とても心地良くて蕩けそうになる。
――■■■■。
その言葉を思わず口にしようとして、私がぎゅっと唇を噛んだ。これは■なんかじゃなく、悪魔だ。そして私にとっては、目の前の悪魔よりも■の方がよほど悪魔のような存在だった。
そして私は悪魔の腕に抱かれ……今度は夢も見ない深い眠りについたのだった。
0
お気に入りに追加
376
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
毒小町、宮中にめぐり逢ふ
鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。
生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。
しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。
彩鬼万華鏡奇譚 天の足夜のきせきがたり
響 蒼華
キャラ文芸
元は令嬢だったあやめは、現在、女中としてある作家の家で働いていた。
紡ぐ文章は美しく、されど生活能力皆無な締め切り破りの問題児である玄鳥。
手のかかる雇い主の元の面倒見ながら忙しく過ごす日々、ある時あやめは一つの万華鏡を見つける。
持ち主を失ってから色を無くした、何も映さない万華鏡。
その日から、月の美しい夜に玄鳥は物語をあやめに聞かせるようになる。
彩の名を持つ鬼と人との不思議な恋物語、それが語られる度に万華鏡は色を取り戻していき……。
過去と現在とが触れあい絡めとりながら、全ては一つへと収束していく――。
※時代設定的に、現代では女性蔑視や差別など不適切とされる表現等がありますが、差別や偏見を肯定する意図はありません。
イラスト:Suico 様
溺愛彼氏は消防士!?
すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。
「別れよう。」
その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。
飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。
「男ならキスの先をは期待させないとな。」
「俺とこの先・・・してみない?」
「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」
私の身は持つの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。
※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる