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獅子の麗人は鼠の従者に翻弄される

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 その後は業務で忙しいアウレールとは顔を合わせることもなく、夜になった。
 長椅子に座り、少し頼りないランプの明かりで本を読んでいると……扉が軽く叩かれた。

「アウレールです。エーファ様、こんな遅くに申し訳ありません」

 こんな時間に彼が用があるなどめずらしい。
 昼間のことで謝罪にでもしに来たのだろうか。そんな気を使わなくともと、私は苦笑してしまう。むしろ配慮が欠けていたのは、こちらの方なのに。

「入っていいぞ」
「……失礼します」

 小さな音を立てて扉が開き、そこには昼間よりもラフな服装のアウレールが立っていた。
 彼が着ているのはフットマン用の金釦が多く付けられた華美なお仕着せではなく、トラウザーズと白いシャツという服装だ。シンプルな服装も彼にはよく似合うな。シャツの袖の長さが余ってしまうのか、まくって数度折ってから着ているのを見ると自然に頬がゆるんでしまう。

「昼間の謝罪ならしなくていいぞ。無理なことを言ってしまったと反省しているんだ」

 本を閉じてそう言うと、彼はふるふると頭を振る。
 そして長い尻尾を緊張からかピンを立てながら、おそるおそるという様子でこちらに近づいて来た。

「エーファ様。その……」
「ん?」

 なにか言いたげなアウレールに先を促すように頷いて見せると、彼は小さく喉を鳴らした後に唇を開いた。

「昼間は、その。お美しい貴女の側に立てる自信がなくて、怖気づいてしまっただけなんです。パートナーが嫌だったわけでは決して……」

 アウレールの言葉に、私は瞳を数度瞬かせる。そして……傷口をぐりぐりと火箸でいじられたような、胸が焼け付くような嫌な気持ちになった。
 自分の見た目が醜いとは思わない。私が獅子族の『男』であれば、美男だとさぞかしもてはやされただろう。
 しかしパーティーに連れ立つ『女』としては、落第点だ。
 どんな男も自分よりも雄々しい女を連れて歩きたいとは思わないからな。
 ――そんな私が『美しい』?
 アウレールはわざわざ、こんな嫌味を言いに来たのか?
 喉を唸り声で震わせながら、不機嫌な様子で獅子の耳をぱたぱたとさせる私を目にして、彼は涙目になる。そして体を震わせながら、大きな耳を思い切り下げた。

「お前は、そんな嫌味な男だったか?」
「ほ、本当に。お美しいと思っております!」
「もう寝るから下がれ」
「エーファ様!」

 鼻を鳴らす私に、アウレールはめずらしく食い下がってくる。
 主人のご機嫌をそこまでして取りたいのだろうか。
 その時、私は……少しばかり意地悪な悪戯を思いついてしまった。

「……ならば、私に触れられるか? 今までどんな男も欲しがらなかった、この体に」

 そう囁きながら色気のない薄い夜着をめくり上げると、男のように引き締まった足と、割れた腹が姿を現す。
 ……我ながら、色気がないものだ。ふつうの女性なら誰しも持っている柔肉は、無駄に大きな胸くらいにしか付いていない。
 こんな男女に迫られたら、可愛い鼠は泣きながら逃げてしまうだろう。明日になったら『からかって悪かった』と詫びを言わないとな。
 そんなことを考えていると……剣だこと傷だらけの手を、小さな手に握られた。
 手の持ち主に目を向けると、真剣な表情のアウレールが……こちらを見つめていた。

「エーファ様。触れても、よいのですか?」

 訊ねる声音にからかうような色はない。
 その様子に……私は少なからず動揺した。

「触れられるものなら――ッ!」

 言葉が終わる前に、唇を柔らかな唇で塞がれた。
 美しい唇は感触まで嫋やかなのかと感心しているうちに、それは何度も繰り返される。
 ……生まれてはじめての口づけだ。
 それをこんな……私の『理想』が詰め込まれた美しい男にされているなんて。
 私は夢でも見ているのだろうか。

「エーファ様。……寝台へ参りましょうか」

 ちゅっと音を立てながら唇を離すと、アウレールはうっとりとした表情でそう言った。
 その言葉に頬が熱く熱せられる。
 待ってくれ。今から私はこの愛らしい生き物に……本当に、だ、抱かれるのか!?

「待て、アウレール! 本気で私なんかを抱くつもりなのか!?」
「……エーファ様はご自分を卑下しすぎなのです。お美しい貴女を、僕は抱きたいです」

 そう言って頬を膨らませるアウレールこそ、可憐な少女のように美しくて愛らしい。
 そのかんばせにうっとりと見入りそうになってしまい、私は慌てて頭を振った。

「お世辞はいい。それにお前の見目なら同族の女を、いや。他の種族の女だって選び放題だろう!」
「お世辞ではありません。それに触れろと言ったのは、エーファ様ですのに」

 アウレールは悲しそうに眉を下げる。
 その罪悪感を刺激する表情を見て、私は言葉を詰まらせた。
 たしかに誘ったのは私だが、まさかアウレールが乗ってくるとは思わなかったのだ。
 彼は私の手を取ると、凶器のような爪に、逞しい指にと恭しく口づけをする。唇が触れた部分からはぞくりと熱が這い上がり、それは体を熱くしていく。

 ……怖い。

 数々の武芸者と剣を合わせ、勝利してきた私なのに。
 国境を犯す不届き者たちを、数え切れないくらいに斬り伏せてきた私なのに。
 目の前の、一回り年下の小さな男が恐ろしい。
 彼の唇が心地いいと感じることや、自分の内側に灯る熱が怖くて仕方ない。
 アウレールの力は弱い。突き飛ばせば、終わる話だ。
 だけどそれをすることも……なぜか怖かった。

「アウレール……怖いんだ」

 唇から、そんな言葉が零れる。それを聞いたアウレールは黒い瞳を大きく瞠った。

「なにが怖いのです?」
「わ、わからない……」

 情けなくも小さく震えていた手の甲に、アウレールが口づけをする。彼はそのまま、手に頬ずりをした。柔らかな頬は優しげな感触で、私はそれをつい撫でてしまう。するとアウレールは気持ち良さそうな笑みを浮かべた。
 心臓がぎゅうぎゅうと締め付けられる。
 ……これは、なんなんだ。

「エーファ様。僕はこんな見目ですが一人前の男です。煽るようなことは……あまりしないでください」

 アウレールはそう言うと、熱の篭もった視線をこちらに向ける。
 黒いまつげが頬に影を落とし、口の端に浮かべた笑みはどこか皮肉げだ。その表情はいつになく大人びている。
『こんな見目』とアウレールは口にした。こんなに美しい彼でも、自分の見た目に思うところがあるのだろうか。

「アウレール、その……」
「エーファ様、今夜はこれで止めてあげます。……お茶をお持ちしますね」

 そう言って彼は額に一つ口づけを落とすと、にこりと笑って部屋を出て行った。
 口づけされた額が、じりじりと熱を訴える。

「今夜『は』?」

 アウレールの言葉を繰り返し、私は赤面した。
 また次が……あるというのか?

「……どういう、ことなんだ」

 長椅子の肘掛けに身を預けながら、私は小さくつぶやいた。
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