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王子と令嬢は穏やかに微笑む

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「フィリップ様、大丈夫ですの……!?」

 ビアンカが俺の頬を撫でながら涙を零す。あの後義兄に『訓練』を付けられ、俺の体は傷と痣まみれだ。なので自室へと戻り、手当をしていた。
 ……修練の差や五歳差から生じる体格差もあるのだが。彼は本当に容赦をしなかった。
 それでもこの程度の軽傷で済んでいるのだから。……容赦はしなくても、ちゃんと手加減はされていた。そんなところなのだろう。
 大きい傷を治すのは魔力の消費が激しいので、小さな傷や痣だけ光魔法を使って治癒していく。そして残りの大きい傷に自身で包帯を巻きながら、俺はビアンカに微笑んでみせた。するとビアンカは大きな瞳からまたぽろりと綺麗な涙を零した。

「泣くなビアンカ。これくらいで義兄上の溜飲が下がるのなら、安いものだ」

 ……まだ全然下がっていない気もするが。今後もたびたびこういうことがありそうだな。一方的にやられるだけなのは悔しいので、俺ももっと剣技を磨こう。

「……フィリップ様……」

 ビアンカは涙声で俺の名を呼びながら、その身を寄せた。華奢な体を優しく抱きしめ、その小さな背中を撫でる。彼女はしばらくうっとりとして撫でられていたが、なにかを覚悟したようにキッと鋭い表情をこちらに向けた。

「お兄様は酷すぎます! フィリップ様を傷つけたお兄様なんて大嫌いですって、百回くらい言っておきますから!」
「……それは、止めてやってくれ」

 ビアンカにあれだけの愛情を寄せているアルフォンス殿だ。そんなことを言われたら悲しみで自死しかねない。国内の有能な人材の一人が妹に嫌われて自死、なんて。そんな喪失はやるせなさすぎる。

「どうして、フィリップ様……!」
「こんなに可愛い妻を家族から奪ったのだから、義兄上が怒るのも無理はないだろう? だからいいんだ」

 アルフォンス殿が苦虫を噛み潰した顔になりそうなことを言いつつ、俺はビアンカの頬に口づけた。

「可愛い、妻……」

 ビアンカは頬を染めてほうっと小さく息を吐く。その様子が愛らしすぎて我慢ができず、俺は何度も柔らかな頬に口づけたり、食んだりした。彼女はくすぐったそうに笑いながら俺のされるままになっていたが、さすがに十分以上続けると白く小さな手で顔を押しのけられてしまった。
 ……もう少し、口づけたかったな。

「も、もう! フィリップ様! そんなにいっぱいされたら……その」

 湖面の色の瞳を潤ませ、頬を赤らめながら可愛い妻がもじもじとする。

「どうした? ビアンカ」
「……したくなっちゃうから、ダメです」

 小さな声で恥ずかしそうに言うビアンカが愛らしすぎる。しかし午後、俺たちは出かける予定なのだ。

「ビアンカ、午後は君の要望で買い物に行くんだぞ?」
「……わかってますわ……でも……」

 ビアンカは囁きながらそっと顔を近づけ、美しい唇で俺の耳朶を優しく食んだ。

「す、少しだけでも。ダメ、ですか?」

 彼女はそのあどけない顔に似合わぬ色香を漂わせながら、俺に身をすり寄せる。肩口が開いたドレスから見える白い肌がほんのりと薄い紅に染まり、ビアンカの羞恥と欲情を伝えてきた。

 ……ダメでは、まったくないな。

「……一時間だけ。戯れるか」
「ありがとうございます、フィリップ様!」

 彼女が、嬉しそうに笑いながら俺に飛びついてくる。愛おしい人の積極的な様子に、俺の頬も思わず緩んでしまった。

 そして俺たちは、もう少し、もう少しと睦み合って。
 ……結局その日の外出は流れてしまった。


 ☆★☆


「フィリップ様! なんなの、あの手紙。三日も学園に来ないし!」

 翌日ビアンカと学園へ戻ると、ノエルが呆れたような顔で話しかけてきた。そういえば俺は、彼に『ビアンカが可愛い』と一言だけ書いた手紙を早馬で送ったんだったな。
 ちなみにビアンカとはしっかり手を繋いでおり、指も絡め合っている。それを見たノエルは嫌そうな顔をした後に、大きな溜め息をついた。

「……そういえばご結婚されたんでしたね。仲がいいことで」
「ああ、妻とはとても仲がいいんだ。これからたくさん自慢させてくれ」
「嫌ですよ! なんで四六時中フィリップ様の惚気を聞かなければならないんですか。いっそ振られてしまえばよかったのに」

 ノエルはいつでも不敬だな。……今日の俺はとても機嫌がいいからそんなことはまったく気にならないが。

「フィリップ様を振ったりなんてしませんわよ? ノエル様」

 ビアンカが嬉しそうに言いながらすりすりと俺の腕に頬を寄せる。……君が婚約破棄を言い出したことは、ひとまず横に置いておこうか。

「……ビアンカ嬢まで色ボケて……」

 ノエルは大きく溜め息をついて、長ったらしい緑色の髪をかき上げた。いつも思うがその邪魔になる前髪、切ればいいのにな。

「まぁいいか。フィリップ様が幸せそうだし。よかったね、上手くいって」

 ノエルはそう言って笑うと俺の肩をポンと叩く。そしてへらりとした笑顔を浮かべ、手を振りながら去って行った。

「今まであまり交流がありませんでしたけど。……ノエル様って、いい方ですのね」
「ノエルはいいやつだ。だから俺の親友なんだ」

 これからはビアンカにも、ノエルにも。互いのいいところを知って欲しい。俺が好ましく思っている者同士が仲がいいのは嬉しいからな。

「……わたくしもお友達が欲しいです。性格が悪くて、今までいませんでしたし」
「取り巻きはいたじゃないか」
「あの方々はお友達じゃありませんの」

 拗ねたように言うビアンカの髪を優しく撫でて俺は微笑んだ。

「ビアンカと気が合いそうな誰かを、俺が紹介しよう」
「ほ、本当ですの?」

 彼女は嬉しそうに笑う。この笑顔を見るためなら俺はなんだってしてやりたい。

「……君の喜ぶことは、困った願いでなければ全部叶えてやりたい。なんでも言ってくれ、ビアンカ」
「ふふ。じゃあ後でカフェテリアに行きましょう?」

 ささやかな願いを口にして、妻は握った手をさらに強く握り……。
 幸せそうに笑ったのだった。
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