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令嬢はヒロインと対峙する(ビアンカ視点)

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「ビアンカ様、お話があるんですけど」

 教室で寮へ帰る準備をしている時……わたくしはシュミナ・パピヨンに声をかけられた。
 彼女が声をかけてくるなんて、どうしたのだろう。なんだか嫌な予感しかないのだけれど……。
 シュミナは大きな瞳をキラキラと輝かせながら無害ですよ、という表情をしているけれど……瞳の奥底に揺らめくのは明らかな憎悪だ。それはわたくしの背中をぞわりと粟立たせた。
 明日はフィリップ王子に薔薇園へ誘われている日なのに。浮き立った気持ちに水を差された気分になってしまう。
 だけど考えてみたらわたくしは彼女にいじめのことを謝っていないのよね。これは謝るいい機会かもしれないわ。
 小さく頷いて席を立つったわたくしを、シュミナはぐいぐいと手を引きどこかへ連れて行こうとする。それに恐怖を感じながらもわたくしは彼女に連れて行かれるままとなっていた。

「ねぇ、ビアンカ様」

 あまり使う人がいない階段の踊り場に着くと彼女はようやく手を離し、くるりと芝居がかった動作で振り向いた。

「フィリップ王子になにかしました? 彼、最近なぜか私に冷たくなってしまって」

 うるり、と瞳を潤ませながら彼女が言う。
 なにかしたかと言われても、特になにもしていない。フィリップ王子の態度の急変に驚いているのはこちらもだ。
 ……わたくしにとっては、とても嬉しい変化ではあるのだけれど。
 まだ戸惑ってはいるけれど。彼に『愛している』と言われる日々はくすぐったくて幸せだ。

「別に、なにもしていませんわよ」

 わたくしがそう言うとシュミナはすっと目を細めた。その表情からは明るさが消え、底冷えするような冷たさが代わりに浮かび上がる。

「――どうせアンタも転生者なんでしょ。前世知識でフィリップ王子のイベントを途中から乗っ取ったわけ? ふざけないでよ、卑怯な真似しないでくれるかなぁ! 私、攻略を楽しみにしてたのに!」

 シュミナの可愛らしい口が罵声を吐き、わたくしは呆気に取られた。シュミナも『転生者』……そんな事実よりもこの豹変が恐ろしかった。

「……卑怯な真似なんてしてませんわ」
「嘘つかないで!!」

 彼女の足が上がりわたくしの体をしたたかに蹴りつけた。突然行われた暴力行為に上手く対応できず体が……背後の階段の方へ傾いでしまう。

「――っ……!」

 咄嗟に手すりを掴みなんとか転落は免れる。
 階段にへたり込んだまま見上げたシュミナの顔は……楽しそうに笑っていた。

「ざーんねん、落ちなかったかぁ」
「貴女、なんてことを……!」
「ごめんなさいね? 足が滑ったみたい。……誰かに言ってもいいけどぼっちのアンタの言う事なんて誰も信じないでしょうね」

 ケラケラとゲームのヒロインの顔で笑う彼女のことが怖くて仕方ない。体の震えが止まらなくて、涙がせり上がりそうになるのをわたくしは必死で堪えた。

「……早くフィリップ王子から手を引いて? 私、彼に処女まで捧げたの。もしかすると子供もできてるかもしれないしさ」

 ――彼女の言葉に、頭を強く殴られたような衝撃を受ける。
 フィリップ王子が……彼女を抱いた?

「……嘘よ……」
「嘘じゃないわ。私は可愛いヒロインだからフィリップ王子が我慢できなくなっても仕方ないわよね」

 シュミナとフィリップ王子が微笑み合っていた光景を思い出す。
 そしてわたくしに『愛している』と言ってくれる最近の彼を。

「あんたはしょせん悪役令嬢なの、世界に愛されていて勝つのは私。どうせ捨てられる運命なんだから、傷が浅いうちに諦めた方がいいと思うよ?」

 シュミナはぐっとこちらに顔を近づけ……楽しそうに、醜い笑みを浮かべた。
 フィリップ王子のことを諦め婚約者の座から身を引く。それはわたくしも考えていたことだ。
 だけど……。
 浅ましいわたくしは『愛している』と言ってくれる今のフィリップ王子の気持ちを、信じたいと思ってしまうのだ。

「貴女こそ、身を引いてくださいませ」

 シュミナのことを睨みつけると彼女は小馬鹿にするように笑った。

「――精々あがけば? 悪役令嬢」

 そう言ってシュミナは、軽やかに去って行く。
 わたくしは震える重い体を両手で抱きしめた。我慢ができなかった涙が頬を濡らしていく。

「愛してくださっていると。信じていいのよね、フィリップ様……」

 しゃがみ込んだまま嗚咽を上げ、流れる涙を時々手で拭う。
 フィリップ王子を信じたいのに、積み重なった片想いの六年間が心からは信じさせてくれない。それが悲しくて仕方なかった。

『私、彼に処女まで捧げたの』

 シュミナの言葉が脳裏に蘇る。
 ――愛されているという証をわたくしも彼からいただけないだろうか。
 彼との体の繋がりができれば少しだけ……安心できるような気がするのだ。

「大丈夫ですか、お嬢様」

 声をかけられ見上げるとマクシミリアンが立っていた。
 相変わらずの無表情で彼がなにを考えているかはよくわからない。わたくしは彼から差し出された手を取ると、立ち上がり制服についていた埃を払った。

「王子のことで、泣いていらしたのですか?」
「内緒よ、マクシミリアン」

 笑ってみせると頬を流れる涙を手袋が嵌められた手でそっと拭われた。

「……フィリップ王子じゃなくても、いいのではないですか」
「マクシミリアン……?」

 マクシミリアンは心配してくれているのだろうか。
 その昏い色の黒曜石の瞳から、彼の感情を読み取ることはできない。
 彼の問いを反芻する……そしてわたくしはゆっくりと首を横に振った。

 六年間、振り向いてくれなかった人。
 一度は別の女性に心を奪われた人。
 ――お別れしようと決意したわたくしに『愛している』と囁いて気持ちをかき乱した悪い人。

 ずっとずっと、好きで。今も大好きな人。

「どうしてかしらね。フィリップ様じゃなきゃダメみたいなの。わたくし、彼を愛しているわ」

 わたくしがそう言うと、彼は少し苦い顔をした後に……『そうですか』と小さく呟いた。
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