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失恋、傷心、そして逃亡

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 如月芽衣、二十八歳。フリーランスのwebライター。
 それが私の『肩書』である。
 少し前までは大手webメディア『e-mono』の所属ライターだったり、結婚間近な彼氏がいたりと、別の『肩書』もあったのだけれど……
 それらはぽろぽろと手から零れて、いつの間にやら消えてしまった。

「さて……」

 元彼と二人で住んでいた……そしてヤツが五つ年下の女と浮気して出て行ったために、しばらく高い家賃を一人で払うハメになった部屋を見渡す。家賃十二万円の二LDKは大小の段ボールにまみれて手狭に感じる。その光景はここに引っ越ししてきた頃のことを少しだけ思い出させた。
 引っ越したばかりの時……段ボールだらけの部屋で、元彼と『結婚しようね』なんて言い合っていた。あの頃は世界は輝いていて、この世には希望しかないと思っていたのにな。
 しかし実際にはこの世には夢も希望もあったものじゃなくて、元彼は若い女に走ったし、一番多く取引をしていたwebメディア『e-mono』からは先月契約の打ち切りを告げられてしまった。これが弱り目に祟り目というやつだろうか。

 ――形あるものは、皆なくなるんだ。

 そんなことを自分を慰めるように言い聞かせる。
 頬を生温い液体が伝っているけど、そんなことは気にしてはいけない。
 今日、私は東京を離れる。
 今まではこの大都会の喧騒が好きだった。だけど一人になってしまってからは、その中で暮らすのが無性に寂しくなってしまったのだ。
 フローリングを床用ワイパーで拭き上げながら引っ越し業者の到着を待つ。その後はオーナーさんに鍵を返して引っ越し完了だ。
 私が越すのは長野県下高井郡、湯田中駅から徒歩で十五分。風光明媚な観光地、湯田中渋温泉郷に近い古民家だ。
 その古民家は一年前に亡くなった祖母がなぜか私を相続人に指定したもので、もらった時には首を傾げたものだけれど……。こうなった今では、もらっていて助かったなと思う。

『芽衣ちゃんは、私に似てるから。この家をあげたいの』

 祖母の遺書にはそんな一言が書いてあった。『似てる』というのはどういうことなんだろう。その意味はよくわからない。だって私と祖母は、ちっとも顔や性格が似ていないのだ。
 無事に引っ越し作業と物件の引き渡しを終えて、小さなボストンバッグを手にして駅へと向かう。
 一回の乗り換えを経て着いた東京駅で北風に吹かれながら北陸新幹線を一人待っていると、心に寂寥感が押し寄せてきた。

 ――さようなら。

 心の中でぽつりとつぶやく。そしてスマートフォンを取り出すと、まだ消していなかった元彼の連絡先をようやく消した。これだけはちゃんと、東京に捨てていきたかったのだ。これでもう二度と連絡をすることもないんだなとしんみりとした気持ちになっていると、新幹線が長い体をホームに滑り込ませた。

 新たな出会いなんてしばらく考えられないし、静かにのんびり過ごして心を休めよう。

 そんなことを私は考えていた。考えていたのだけれど……

 想定外の『新たな出会い』が待っていて、『静かにのんびり』なんてことにはならなかったのだ。
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