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御曹司とオタクと婚姻届

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「気がつけば、すっかり夢中になってたよねぇ」

 栗生さんはうっとりと瞳を細める。夢見るような表情を浮かべた顔は美しいけれど、どこか怖気を感じてしまう。

「つまり……毛色が違うから、気になってるだけって話ですよね? それでよく知らない女と結婚したいとか、意味分かんないです。止めた方がいいですよ」

 私は不快感を隠さずに、顔を思い切り顰めながら言った。
『おもしれー女』は漫画の中だからこそ、『面白い』で済むのだ。実際に付き合ったり結婚したりすると、粗ばかり見えてすぐに嫌になるだろう。
 こういう男が最終的に選ぶのは、完全無欠の美人秘書とか女子アナウンサーとかに違いない。……これは偏見だけれど。

「手厳しいね」
「他人の一時の気の迷いで、人生を棒に振りたくないので」

 御曹司様の不興を買うと、会社に居づらくなるかもしれない。だけど、その時は転職でもすればいい。
 別に今の職に未練があるわけではないのだ。オタ活をするのにじゅうぶんな給与さえあれば、私は満足なのだから。
 前菜を食べ終わると、静々とスープが運ばれてくる。そら豆と豆乳の冷製スープ……らしい。薄緑色のスープは見るからに滑らかで美味しそうだ。

「うまっ……」

 口に入れるとざらりとした感触が一切なく、濃厚なスープが口中でまろやかに広がる。
 こんな無駄話を切り上げて家に帰ろうかとも思ったのだけれど、料理が美味しくてなかなか立ち上がれない。これもこの男の策略なんだろうか。

「この結婚は、君にとって悪い話ではないと思うのだけど」

 拒絶をしても拒絶をしても、栗生さんは余裕の表情だ。
 今まで振られたことがないのだろう御曹司は、今回もなんとかなると思っているのだろうか。
 ……絶対に振ってやる。吠え面をかかせてやる。

「悪い話ではない、ですか?」
「……君のことを少し調べさせてもらったのだけれど」

 ――カチャン。
 私は思わず、スプーンを落としてしまった。
 調べた? 私のことを? どこまで??
 さっきまで『吠え面をかかせる』なんて思っていた私の顔こそ、今『吠え面』になってるのだろう。
 だってそんなに気持ちの悪いことをされているなんて、思ってもみなかったから!

「ほら、結婚相手の素行調査って大事でしょう?」

 にこり、といい笑顔を浮かべながら栗生さんは言う。
 お金持ちの結婚相手は瑕疵がないか事前の素行調査がされることがある……なんて話はたしかに聞いたことがある。
 だけどそれは互いに『同意』の、恋人関係が前提の話だ。
 これはただの……ストーカー行為じゃないか!

「失礼します!」

 メインの料理がなんなのか気になったけれど、私は椅子から立ち上がった。そしてバッグを手にすると、店の入り口へと向かおうとする。
 明日、辞表を出そう。そして北海道にでも行って、就職活動をするのだ。

「……ブラックカードでソシャゲの課金し放題。漫画も同人誌も好きなだけ買うといい。いくら使っても、怒らないよ?」

 耳を、信じられない言葉が打った。
 ……オタ活のことまで、知られてる……!!
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