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第三話『カステラ』

若旦那たちのカステラ勝負・一

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 障子の隙間から忍び寄る、冬の寒々とした空気におみつはぶるりと身を震わせた。火鉢の元へ行き、種火の上に炭を乗せる。そして熱を発する炭の上で、かじかむ手を何度も擦り合わせた。

(すっかり冬になったねぇ……)

 師走も近づき寒さは日に日に増している。おみつは冬は得意ではない。松五郎には『そんだけ立派な綿入れをいつも着てるんだから寒くないだろうに』と意地悪な揶揄をされたりもするが、いくらふくよかでも寒いものは寒いのだ。
 昨日は大店の旦那たち数人が八卦見をと押しかけてきたので、その相手でおみつは疲れていた。なので今日は店のことは休むようにと両親に言われて、自分の部屋でのんびりとしているわけである。

「お嬢さん、お茶をお持ちしました」

 湯気の立つ茶を持って、少し頼りない足取りでおたまが部屋へとやって来る。おみつは礼を言っておたまから茶を受け取ると、一口飲んでほうっと息を吐いた。吐いた息は空気とぶつかり白く濁って流れていく。少し開いた障子から庭を見ると、庭の草木の一部は枯れ葉の色になっていた。

「すっかり冬ねぇ、おたま」
「そうですね、お嬢さん。寒うございます」

 おたまはそう言うとぶるりと大きく体を震わせた。おたまの柄が少し掠れた冬の着物はお世辞にも生地が厚いとは言えず、丈も少し足りないように見える。着物は高価なものなので、なかなか新調する機会がないのだろう。

「おたま、私の小さい頃の着物をあげようか。およしとお分けよ」
「そんなお嬢さん。恐れ多いです」

 おたまは大きく目を瞠った後に、ぷるぷると頭を振った。およしというのはおたまと同い年の女中である。おたまがまだ子供らしいところの残るぽんわりとした娘であるのに対して、およしはいかにも江戸娘という口が達者でチャキチャキとした娘だ。性格はまったく違うのに、年が同じなこともあり二人の仲はとてもいい。

「いいからいいから。どうせ何年も着てないものだし、おとっつぁんもおっかさんもあげたって怒らないから。ほら、こっちへおいで」

 おみつは押入れを開くと、何年も開けていなかった行李を引きずり出した。そしてその蓋をぱかりと開ける。すると樟脳の香りが濃く周囲に立ち昇った。
 行李の中にはおみつが子供時代に着ていた着物がそのまま仕舞われている。おみつは懐かしさに思いを馳せながら、おたまは興味津々といった様子でその中を覗き込んだ。

「ほら、少し丈が長いけど。よく似合うわよ、おたま」

 赤い着物を小さな体に当ててやりながら言うと、おたまの頬が淡い紅に染まった。

「こんな上等なもの、本当に?」
「ふだん使いで遠慮なく着てちょうだい」

 おたまは赤い着物を手に持って、自身で体に当てながらくるくると回る。その愛らしい様子に、おみつは頬をゆるめた。

「あーっ、帰ってこないと思ったら! なにをしてるの、おたま」

 ひょこりと顔を出したのはおよしだった。痩せぎすで背の高い少女は細い目をつり上げながら、おたまの方へとやって来る。それを見て、おたまは気まずそうな笑みを浮かべた。

「おたまとおよしで私の小さい頃の着物を分けてって話をしてたのよ。何枚かあるから二人で平等に分けなさいな」
「本当ですか、お嬢さん! 嬉しいです!」

 おたまのような遠慮がちな様子は一切なく、およしはてらいもなくぱっと顔を明るくした。

「虫食い穴がないか確認してから、あったら繕って渡すから。今日のお勤めが終わったら二人とも取りに来て」
「はい、お嬢さん!」
「あ、ありがとうございます。お嬢さん」

 二人はそれぞれ嬉しそうに、明るい屈託のない笑みと、遠慮がちな笑みを浮かべる。その違った愛らしさに、おみつは相好を崩した。二人はおみつにとって、妹のように思える存在なのだ。

「そうだ、お嬢さん。たぶん八卦見のだと思うんですけど、お嬢さんにお客さんです」

 おたまの背中を押しながら仕事へ戻ろうとしていたおよしが、ぱっとおみつを振り返ってそう言った。

「まぁ、どなたなの?」
「呉服問屋、長崎屋の若旦那です」
「まぁまぁ、そうなのねぇ。では客間にお通しして。それとお茶の準備もお願いね」
「はぁい!」

 元気な声で返事をして、およしはおたまを引っ張りながら廊下を駆けて行った。元気がいいのはいいけれど、女中頭に見つかったら大目玉だろう。おみつは着物を畳んで行李にまた仕舞うと、客間へと向かった。
 客間で待つことしばし。およしのものらしい元気な足音と一緒に、静々とした足音が近づいてきた。

(長崎屋さんの若旦那と会うのは久しぶりねぇ)

 近づいてくる足音に耳をそばだてながらおみつはそんなことを考えた。
 大伝馬町一丁目にある長崎屋の若旦那、佐一は新しいもの好きの洒落者だ。ふだんは落ち着いた雰囲気の青年なのだが、興味のあることとなると目をきらきらとさせて、まるで少年のように落ち着かなくなる。
 おみつのところに最初に佐一が訪れたのも、その『新しいもの好き』が理由だった。

『大伝馬町で評判の八卦見娘。そんな面白いものを見ないわけにはいかないだろう』

 そんな理由でぽんと一両を払ってしまうのだから、大店の若旦那というものは恐ろしい。その日、佐一の土産で見えた卦は『四日後に長崎屋の番頭が酔っ払って足を滑らし、庭の池に落ちる』というものだった。佐一はその結果にご満悦となり。それから時々、三好屋に顔を出すようになったのだ。

「やぁ、久しぶりだね」

 およしに先導をされてやって来た佐一は、なぜかとてもご機嫌で『面白いもの』を見つけた時の顔をしていた。おみつは思わず首をかしげてしまう。

「お久しぶりです、佐一さん。お元気でしたか?」
「うん、元気だよ。とても元気だ」

 挨拶を交わしながら佐一はおみつの前に腰掛けた。佐一はつり上がった狐目の、涼やかな顔立ちの青年だ。一太ほどではないにしても、佐一もなかなかの色男である。

「今日のご用事は、八卦見でございますよね?」
「いやいや、今日は違うんだよ。すまないねぇ、ちゃんと用件を伝えてなくて」

 ますます首をかしげるおみつに、佐一はからからと楽しそうに笑いながら言った。
 案内のおよしと入れ替わるように、おたまが茶を持って客間へとやってくる。おたまはおみつと佐一の前に茶を置くと、一礼をして部屋を出ようとした。

「実はカステラの焼き窯と型を手に入れてね。焼き立てのカステラをおみっちゃんは食べたくないかい?」
「「カステラッ!?」」

 佐一の言葉を聞いて声を上げたのは、おみつではなく、およしとおたまだった。およしは客間を出て行ったはずなのだが、『カステラ』という単語を聞いて飛んで戻ってきたらしい。

「これ、二人とも。はしたないわよ」
「ごめんなさーい」
「ごめんなさい、お嬢さん……!」

 おみつが軽く叱ると、およしはぺろっと舌を出して謝り、おたまはぺこぺことコメツキバッタのように何度も頭を下げた。

「いいんだ、いいんだ。たくさん焼こうと思ってるからね。よければ女中さんたちもおいでなさいな」

 そう言って佐一はまた、からからと快活に笑った。
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