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第一話『大福餅』
八卦見娘はふくふくである・七
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源三郎の了承を得て、おみつは一太を客間へと案内した。きしきしと音が鳴る廊下を踏みしめ歩きながら、おみつはふと先見で見た藍屋の長くて立派な廊下を思い出す。
(本当に大きなお屋敷だったねぇ、あの廊下は一体どこまで続いているのかしら)
延々と廊下と襖が続いているようだと。そんなあり得ない錯覚を起こしてしまいそうになるくらい、本当に立派な廊下だった。立ち並ぶ襖を開けた先にはきっと、見たこともないような立派な座敷が広がっているのだろう。
そんなことをぼんやりと考えているうちに、目的地である客間にはすぐに到着してしまった。三好屋の廊下は藍屋のように長くはないのだ。客間に一太を案内ししばらくすると、今日は葉茶屋の仕事で忙しい源三郎ではなく、女中のおたまが慣れない手つきで茶を運んできた。おたまは最近三好屋に奉公にきたばかりの、十一歳の若い女中だ。粗忽なところはあるものの、一生懸命に働き、気働きもいい娘である。彼女は一太を一目見るとぽっと頬を赤く染め、茶の礼を言われてはまた頬を染めと、表情をくるくると変えた後に、名残惜しそうに何度も一太の顔を盗み見ながら客間を後にした。そんなおたまの姿を見ながら、ああやっぱり一太さんは罪な人だわ、とおみつは内心一人ごちた。
源三郎が忙しい上にりんも出かけており、今日の一太とおみつは二人きりである。そのことにおみつは僅かな緊張を覚えた。ちらりと伺うように一太を見ると、にこりと優しく微笑まれる。その笑顔を見ておみつはお尻がむず痒いような、落ち着かない気持ちになってしまった。
「さて、話をする前に。これを渡しておこうかね」
一太はそう言うとおみつにそっと風呂敷包みを差し出した。それを見ておみつの瞳はまんまるくなる。
「……今日は商いじゃないんですよね」
「うん、これは藍屋を救ってくれたお礼だよ。おみっちゃんのお陰で大事にならずに済んだから、遠慮をせずに受け取って欲しいのだけれど」
そう言って一太は美貌におっとりとした笑みを浮かべた。おみつは一太から差し出された風呂敷包をじっと見つめる。その中身は四角い箱のようなものらしい。おみつの中で導き出された結論は一つだけだった。
「……羊羹かしら」
自然と漏れたおみつの呟きに一太が思わず吹き出した。そんな一太を見ておみつの顔は真っ赤になる。年頃の娘だというのに、おみつの想像はつい食べ物へと飛んでしまうのだ。
「食べられないから、がっかりするかもしれないね」
一太はそう言うと美しく白い指で、するりと風呂敷を解いていく。ふぁさりと解かれた風呂敷から現れたのは竹皮に包まれた羊羹ではなく、羊羹のように縦に長い美しい白木の箱だった。それがなになのか見当がつかず、おみつは首を捻った。
「開けても、いいですか?」
「うん、開けて中身を見ておくれ。喜んでくれるといいんだけどね」
一太に促されながらおそるおそる白木の箱を開けると、そこに入っていたのは紅い珊瑚玉がついた鼈甲の簪だった。
「まぁ……!」
おみつは思わず感嘆の声を上げる。こんな美しい簪は、見たことがない。紅玉は艶めかしい艶を持ち、鼈甲はとろりと甘やかな色味を湛えている。手に取って翳してみると、紅玉はさらに美しく煌めいた。おみつはそれをキラキラと輝く瞳でしばらく眺めてから、ハッと我に返った。
「こ、こんな高価なものは……」
「もらえない、なんて言わないでおくれよ。蔵が焼けたらそれどころじゃない損が出たんだ。遠慮せずにもらってくれると、私は嬉しいんだけどね」
一太はなんでもない、という風情で言うと涼やかな笑みを浮かべた。
紅玉も、鼈甲も、非常に高価なものだ。二両、三両……? いや、もっと高価なのかもしれない。簪の値段を想像し、おみつの顔は青くなる。こんな高価なもの、落とすのが怖くて着けて歩けやしない。やはり大店の若旦那は生きている世界が違うのだ。こんな高価なものをぽんと小娘に寄越すなんて。
「とても似合うと思うから、気軽に使ってくれると嬉しいな。そしてね。そのまぁるい紅玉がおみっちゃんによく似ていると思ったから、それを選んだんだよ」
一太に言われておみつは簪の先についた紅玉に目を向けた。それは丸く、愛らしく。ぴかぴかと美しく艶めいている。そんな素敵なものに似ていると言われ、おみつの胸には気恥ずかしさと、ほんのりとした温かな気持ちが湧きあがった。
「もらって、くれるね」
「……はい」
念を押すように言われ、おみつは蚊の鳴くような声で返した。こんなもの、着けて歩けやしないけど。大事に大事に、宝物として取っておこう。
「さて、お礼を受け取ってもらったところで……」
一太の言葉におみつは居住まいを正した。お花の件の顛末を……今から聞かねばならないのだ。
「面白い話じゃないからね。聞きたくないと思ったら聞かなくてもいいんだよ」
「いいえ、聞かせてください。見たものから、どのように変わったのか……やはり気になってしまうので」
気遣うような一太の言葉に、おみつはきっぱりとそう返した。そんなおみつに一太は微笑みを見せ、あの満月の夜の顛末を話し始めた。
(本当に大きなお屋敷だったねぇ、あの廊下は一体どこまで続いているのかしら)
延々と廊下と襖が続いているようだと。そんなあり得ない錯覚を起こしてしまいそうになるくらい、本当に立派な廊下だった。立ち並ぶ襖を開けた先にはきっと、見たこともないような立派な座敷が広がっているのだろう。
そんなことをぼんやりと考えているうちに、目的地である客間にはすぐに到着してしまった。三好屋の廊下は藍屋のように長くはないのだ。客間に一太を案内ししばらくすると、今日は葉茶屋の仕事で忙しい源三郎ではなく、女中のおたまが慣れない手つきで茶を運んできた。おたまは最近三好屋に奉公にきたばかりの、十一歳の若い女中だ。粗忽なところはあるものの、一生懸命に働き、気働きもいい娘である。彼女は一太を一目見るとぽっと頬を赤く染め、茶の礼を言われてはまた頬を染めと、表情をくるくると変えた後に、名残惜しそうに何度も一太の顔を盗み見ながら客間を後にした。そんなおたまの姿を見ながら、ああやっぱり一太さんは罪な人だわ、とおみつは内心一人ごちた。
源三郎が忙しい上にりんも出かけており、今日の一太とおみつは二人きりである。そのことにおみつは僅かな緊張を覚えた。ちらりと伺うように一太を見ると、にこりと優しく微笑まれる。その笑顔を見ておみつはお尻がむず痒いような、落ち着かない気持ちになってしまった。
「さて、話をする前に。これを渡しておこうかね」
一太はそう言うとおみつにそっと風呂敷包みを差し出した。それを見ておみつの瞳はまんまるくなる。
「……今日は商いじゃないんですよね」
「うん、これは藍屋を救ってくれたお礼だよ。おみっちゃんのお陰で大事にならずに済んだから、遠慮をせずに受け取って欲しいのだけれど」
そう言って一太は美貌におっとりとした笑みを浮かべた。おみつは一太から差し出された風呂敷包をじっと見つめる。その中身は四角い箱のようなものらしい。おみつの中で導き出された結論は一つだけだった。
「……羊羹かしら」
自然と漏れたおみつの呟きに一太が思わず吹き出した。そんな一太を見ておみつの顔は真っ赤になる。年頃の娘だというのに、おみつの想像はつい食べ物へと飛んでしまうのだ。
「食べられないから、がっかりするかもしれないね」
一太はそう言うと美しく白い指で、するりと風呂敷を解いていく。ふぁさりと解かれた風呂敷から現れたのは竹皮に包まれた羊羹ではなく、羊羹のように縦に長い美しい白木の箱だった。それがなになのか見当がつかず、おみつは首を捻った。
「開けても、いいですか?」
「うん、開けて中身を見ておくれ。喜んでくれるといいんだけどね」
一太に促されながらおそるおそる白木の箱を開けると、そこに入っていたのは紅い珊瑚玉がついた鼈甲の簪だった。
「まぁ……!」
おみつは思わず感嘆の声を上げる。こんな美しい簪は、見たことがない。紅玉は艶めかしい艶を持ち、鼈甲はとろりと甘やかな色味を湛えている。手に取って翳してみると、紅玉はさらに美しく煌めいた。おみつはそれをキラキラと輝く瞳でしばらく眺めてから、ハッと我に返った。
「こ、こんな高価なものは……」
「もらえない、なんて言わないでおくれよ。蔵が焼けたらそれどころじゃない損が出たんだ。遠慮せずにもらってくれると、私は嬉しいんだけどね」
一太はなんでもない、という風情で言うと涼やかな笑みを浮かべた。
紅玉も、鼈甲も、非常に高価なものだ。二両、三両……? いや、もっと高価なのかもしれない。簪の値段を想像し、おみつの顔は青くなる。こんな高価なもの、落とすのが怖くて着けて歩けやしない。やはり大店の若旦那は生きている世界が違うのだ。こんな高価なものをぽんと小娘に寄越すなんて。
「とても似合うと思うから、気軽に使ってくれると嬉しいな。そしてね。そのまぁるい紅玉がおみっちゃんによく似ていると思ったから、それを選んだんだよ」
一太に言われておみつは簪の先についた紅玉に目を向けた。それは丸く、愛らしく。ぴかぴかと美しく艶めいている。そんな素敵なものに似ていると言われ、おみつの胸には気恥ずかしさと、ほんのりとした温かな気持ちが湧きあがった。
「もらって、くれるね」
「……はい」
念を押すように言われ、おみつは蚊の鳴くような声で返した。こんなもの、着けて歩けやしないけど。大事に大事に、宝物として取っておこう。
「さて、お礼を受け取ってもらったところで……」
一太の言葉におみつは居住まいを正した。お花の件の顛末を……今から聞かねばならないのだ。
「面白い話じゃないからね。聞きたくないと思ったら聞かなくてもいいんだよ」
「いいえ、聞かせてください。見たものから、どのように変わったのか……やはり気になってしまうので」
気遣うような一太の言葉に、おみつはきっぱりとそう返した。そんなおみつに一太は微笑みを見せ、あの満月の夜の顛末を話し始めた。
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