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第一話『大福餅』
八卦見娘はふくふくである・一
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大伝馬町二丁目の木綿問屋街の片隅に葉茶屋三好屋はある。
葉茶屋はその名のとおり茶の小売りをする商いだ。三好屋では各地からの茶を取り寄せており、日本橋の大店で客人に出すような品から、長屋暮らしの独り者が飲むような品まで数多くの銘柄が店先には並んでいた。
主人はニ代目、名は源三郎といい三十半ばにして好々爺という雰囲気を漂わせる人の好さげな男である。しかしその茶の目利きの腕は確かで、源三郎の人が好さそうだと舌なめずりをしながら粗悪品を掴ませようとする輩は、尻尾を巻いて逃げるはめになる。
源三郎の妻はりんといい元は三好屋の奉公人であった。庭からもらった嫁というやつである。今は隠居している先代も奉公人から嫁を取ったので、りんの嫁入りは揉めることなく綺麗にまとまった。りんは歳は三十前半の若い頃は大伝馬町小町と呼ばれた美形で、年を経てからは艶っぽさと色香が増しその美貌は今が花盛りと言ってもいいくらいだ。そんな彼女を一目見ようと三好屋を訪れる助平な客も数多い。そしてりんの上手い口に乗せられて、気がつけば両手いっぱいの茶を買って帰ることになるのである。『狐に化かされたみてぇだったなぁ』というのはとある客の言だ。そして彼はこうも言う。『あれはべっぴんな狐だった』と。
夫婦の手腕のおかげで三好屋は繁盛している。しかしそれ以上に繁盛しているのがもう一つの商売だ。
それは夫婦ではなく、その娘のおみつが商っているものだった。
「おみつ、おみつ。お客だよ」
源三郎の呼びかけにおみつは心地よい微睡みから引き戻された。陽の高いうちから夜着にくるまって昼寝をしているのは、彼女が怠け者だからではない。昨日は遅い時間に『客』が来たので少し疲れていたのだ。
襖をからりと開けて源三郎が顔を出す。そしておみつが夜着にくるまっているのを見ると心配そうに眉を下げた。ただでも人が好さげな源三郎がそんな表情をすると、まるで仏様のような相好になる。おみつはそんな父親の顔がとても好きだった。
「おみつ、大丈夫かい? 具合が悪ぃのなら今日のお客には帰ってもらおうか」
「いいのいいの、おとっつぁん。今支度をするからお客様には少しだけ待ってもらって」
よっこいしょ、と娘らしからぬ声を上げつつおみつは身を起こした。そしてそのふくふくとした手でまた眠たげな眼をこする。さて、今日も頑張らないと。彼女は心の中で気合いを入れた。
おみつは鏡台の前にまたよいこらしょ、と声を上げながら座る。鏡の中に映るのは大きな瞳を眠気を払おうとぱちぱちと瞬かせるふっくらとした肉づきの少女だった。おみつは今年十五である。母親のりんのように大伝馬町小町と呼ばれるような美形ではないけれど、十分に愛らしい顔立ちの父親の源三郎のように人の好さげな人相の少女だ。木綿問屋街の人々はおみつのことを陽だまりのような子だと笑顔で言う。
「今日も私はまぁるいねぇ」
しかしおみつは落ち込んだ顔で鏡の中の自分にぽつりと零す。そしてふくふくとした頬をつるりと片手で撫でた。おみつは周囲の少女と比べて肉づきがかなりいい。それを近所の店で働く少年たちにからかわれることも多い。それは好意の裏返しというやつなのだが、十五歳の少女には裏の意など読めず心にはひっかき傷ばかりが残っていく。
おみつはその優しげな見た目の通り内面もおっとりとしており、おきゃんな江戸娘たちのように『てめぇこそ、そこの川で自分の顔を見てみな!』と威勢よく言い返すこともしないので少年たちもなおさら言葉を募らせてしまうのだろう。
「だけど太るのは仕方ないわよね」
そう言っておみつはうんうん、と自分に言い聞かせるように頷いた。そう、彼女にはふくふくとした体形になる『仕方ない』理由があるのだ。
髷が乱れていたり着物が皺になったりはしていない。それを確認するとおみつは鏡台の前から立ち上がる。
大切な、自分の客人に会うために。
「おみつです。失礼してもよいですか?」
「ああ。おみっちゃん! 待っていたよ」
襖の向こうに声をかけると涼やかな男性の声が返ってきた。膝をつき丁寧に襖を開くと、そこには月に数回ここに来る呉服屋藍屋の若旦那、一太の姿があった。源三郎も一太の隣に控えている。
藍屋は日本橋にある由緒正しい大店で一太の父はその四代目である。その端正な美貌には流行りなのだろう、細めに結った髷がよく似合っていた。細い縦縞が上品に入った着物に黒一色の羽織をまとうその姿は、正しく粋な江戸の旦那衆という風情である。
彼はおみつを見ると人好きのする笑みを浮かべた。
歌舞伎役者のような美貌の一太に微笑まれるとおみつの頬は熱くなってしまう。真っ赤なほっぺを隠すように、おみつはぺこりと頭を下げた。
「本日はわざわざ……」
「いいからいいから。おみっちゃんと私の仲じゃないか。改まった挨拶は抜きにしよう」
言葉に甘えおみつは挨拶の口上を途中で切ると客間へ入り、一太の正面に座った。常連である一太相手に口上はたしかに野暮だ。
三好屋の客間は近頃では茶の商談よりも、おみつの商売に使うことの方が多いと近所では噂になっている。三好屋の商売は父母のおかげで繁盛している。だからそんなことはないのだ、とおみつは声を大にして言いたい。けれど実際には彼女自身にもその確信はないのである。
「さて……本題だが」
一太は背筋を伸ばし姿勢を正すとおみつの前にどしりと重そうな風呂敷と袱紗を差し出した。
「……まずは改めさせていただきます」
おみつは袱紗は源三郎にそのまま渡し、風呂敷包みの方を開く。袱紗の中身の確認は不要だ。一太が『見料』をごまかしたことはない。
はらりと開いた風呂敷包みの中身は、おみつのようにふくふくとした大福だった。
葉茶屋はその名のとおり茶の小売りをする商いだ。三好屋では各地からの茶を取り寄せており、日本橋の大店で客人に出すような品から、長屋暮らしの独り者が飲むような品まで数多くの銘柄が店先には並んでいた。
主人はニ代目、名は源三郎といい三十半ばにして好々爺という雰囲気を漂わせる人の好さげな男である。しかしその茶の目利きの腕は確かで、源三郎の人が好さそうだと舌なめずりをしながら粗悪品を掴ませようとする輩は、尻尾を巻いて逃げるはめになる。
源三郎の妻はりんといい元は三好屋の奉公人であった。庭からもらった嫁というやつである。今は隠居している先代も奉公人から嫁を取ったので、りんの嫁入りは揉めることなく綺麗にまとまった。りんは歳は三十前半の若い頃は大伝馬町小町と呼ばれた美形で、年を経てからは艶っぽさと色香が増しその美貌は今が花盛りと言ってもいいくらいだ。そんな彼女を一目見ようと三好屋を訪れる助平な客も数多い。そしてりんの上手い口に乗せられて、気がつけば両手いっぱいの茶を買って帰ることになるのである。『狐に化かされたみてぇだったなぁ』というのはとある客の言だ。そして彼はこうも言う。『あれはべっぴんな狐だった』と。
夫婦の手腕のおかげで三好屋は繁盛している。しかしそれ以上に繁盛しているのがもう一つの商売だ。
それは夫婦ではなく、その娘のおみつが商っているものだった。
「おみつ、おみつ。お客だよ」
源三郎の呼びかけにおみつは心地よい微睡みから引き戻された。陽の高いうちから夜着にくるまって昼寝をしているのは、彼女が怠け者だからではない。昨日は遅い時間に『客』が来たので少し疲れていたのだ。
襖をからりと開けて源三郎が顔を出す。そしておみつが夜着にくるまっているのを見ると心配そうに眉を下げた。ただでも人が好さげな源三郎がそんな表情をすると、まるで仏様のような相好になる。おみつはそんな父親の顔がとても好きだった。
「おみつ、大丈夫かい? 具合が悪ぃのなら今日のお客には帰ってもらおうか」
「いいのいいの、おとっつぁん。今支度をするからお客様には少しだけ待ってもらって」
よっこいしょ、と娘らしからぬ声を上げつつおみつは身を起こした。そしてそのふくふくとした手でまた眠たげな眼をこする。さて、今日も頑張らないと。彼女は心の中で気合いを入れた。
おみつは鏡台の前にまたよいこらしょ、と声を上げながら座る。鏡の中に映るのは大きな瞳を眠気を払おうとぱちぱちと瞬かせるふっくらとした肉づきの少女だった。おみつは今年十五である。母親のりんのように大伝馬町小町と呼ばれるような美形ではないけれど、十分に愛らしい顔立ちの父親の源三郎のように人の好さげな人相の少女だ。木綿問屋街の人々はおみつのことを陽だまりのような子だと笑顔で言う。
「今日も私はまぁるいねぇ」
しかしおみつは落ち込んだ顔で鏡の中の自分にぽつりと零す。そしてふくふくとした頬をつるりと片手で撫でた。おみつは周囲の少女と比べて肉づきがかなりいい。それを近所の店で働く少年たちにからかわれることも多い。それは好意の裏返しというやつなのだが、十五歳の少女には裏の意など読めず心にはひっかき傷ばかりが残っていく。
おみつはその優しげな見た目の通り内面もおっとりとしており、おきゃんな江戸娘たちのように『てめぇこそ、そこの川で自分の顔を見てみな!』と威勢よく言い返すこともしないので少年たちもなおさら言葉を募らせてしまうのだろう。
「だけど太るのは仕方ないわよね」
そう言っておみつはうんうん、と自分に言い聞かせるように頷いた。そう、彼女にはふくふくとした体形になる『仕方ない』理由があるのだ。
髷が乱れていたり着物が皺になったりはしていない。それを確認するとおみつは鏡台の前から立ち上がる。
大切な、自分の客人に会うために。
「おみつです。失礼してもよいですか?」
「ああ。おみっちゃん! 待っていたよ」
襖の向こうに声をかけると涼やかな男性の声が返ってきた。膝をつき丁寧に襖を開くと、そこには月に数回ここに来る呉服屋藍屋の若旦那、一太の姿があった。源三郎も一太の隣に控えている。
藍屋は日本橋にある由緒正しい大店で一太の父はその四代目である。その端正な美貌には流行りなのだろう、細めに結った髷がよく似合っていた。細い縦縞が上品に入った着物に黒一色の羽織をまとうその姿は、正しく粋な江戸の旦那衆という風情である。
彼はおみつを見ると人好きのする笑みを浮かべた。
歌舞伎役者のような美貌の一太に微笑まれるとおみつの頬は熱くなってしまう。真っ赤なほっぺを隠すように、おみつはぺこりと頭を下げた。
「本日はわざわざ……」
「いいからいいから。おみっちゃんと私の仲じゃないか。改まった挨拶は抜きにしよう」
言葉に甘えおみつは挨拶の口上を途中で切ると客間へ入り、一太の正面に座った。常連である一太相手に口上はたしかに野暮だ。
三好屋の客間は近頃では茶の商談よりも、おみつの商売に使うことの方が多いと近所では噂になっている。三好屋の商売は父母のおかげで繁盛している。だからそんなことはないのだ、とおみつは声を大にして言いたい。けれど実際には彼女自身にもその確信はないのである。
「さて……本題だが」
一太は背筋を伸ばし姿勢を正すとおみつの前にどしりと重そうな風呂敷と袱紗を差し出した。
「……まずは改めさせていただきます」
おみつは袱紗は源三郎にそのまま渡し、風呂敷包みの方を開く。袱紗の中身の確認は不要だ。一太が『見料』をごまかしたことはない。
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