幸福戦争

薪槻暁

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3、ヒトとヒトとの戦い

3、テンプル騎士団

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 君は自分、自らの居場所に違和感や意義を見いだせていないかと考えることはないだろうか。







 母国で生まれ、育ち、生きる。そんな基本的な機械的事象にそうではないと異論を呈するのは簡単なことだとは言えない。元から、つまり生きる以前から決められた半契約的な事柄によって束縛されている僕たち、人間とは己の外的な身体は制限出来ようとも、内的な変化は避けられようがないのである。例えば物心だ。生まれる時期は曖昧であるのに、「大人」とカテゴリ化するグループに属している時にはすでに持っている。それは周知の事実であり、変えようとは誰も思おうとはしない。それこそが半ば、束縛された生きとし生ける者の宿命であると諦めているのだ。





 そんな講義を幾つか耳にした僕は、後残りが酷いようで頭の中で先の言葉が反芻している。



 まさに講義を聴いている瞬間にはあまり印象深くないとは思っても、段々とその言葉を重ねるうちに重要かつ明瞭な事柄であると理解してくるのはよくあることだ。



 五感で感じるものではないそれは、内から徐々に僕の頭を侵食するかの如く膨らんでいく。



 それこそが数少ないアカデミーにおいてアンドロイドでも代用できない職を手にした主なる理由であるのだと知ったのは彼と出会って会話をするまで分からなかった。



 彼、琴塚徳留はそんな人間的な事象を固めに固めたような人物としか見えなかったのである。



 僕は前回の作戦から主な戦線を離れ出来得る限りの情報収集に専念していた。それは単に戦場を恐れたために逃避した結果論ではなくこの国こそが主な戦場であるからだった。この国に対して珍しく反抗するテロ組織に入ったわけでもないが、心の内で考えてしまっていては彼らとは基本的な要素として挙げれば同類なのかもしれない。



 けれど、それに対して非を唱えるように僕には「作戦命令」という僕からではない、上からの命令で動いている名義があるからこそこうやって活動している。



 報道関係からは縁を断ち切っている人物、琴塚と顔を合わせるには連絡手段を要しないのは鉄則であった。ちなみに彼の方はアカデミーに限りなくゼロに近い存在で属し、国内唯一の哲学論を展開している。技術や論理を専攻するいわゆる理系と呼ばれる部類を除き、学問という名のそれはもうすでに荒廃と化した。にもかかわらず、未だに机上で脳に詰めていく作業を行う学生は少ないながらも消滅するには至らない。これもパイオニアでもある琴塚の影響であると世間では言われているが当の本人に自覚があるのかはわからない。しかし、彼は人間を客観視する唯一の「ヒト」でありこの国には必要不可欠な存在であることは本人にも薄々実感しているらしかった。





 重要視される人の数が減少傾向にあるのはそうと理解している人間が少ないからである。目の前で起こる事象に過敏に反応し恐怖を煽られてしまうのは、そもそも僕たち人間が最低限な知識を得ていないためであるということをこんなに長い歳月が経った今でも理解していないのは愚者としか言いようがない。そう語って彼なりの独自の講義を進めていく展開には魅せられたものだった。







 このドアの向こうにこの思考の原因となった人物がいるとなると少しばかり不安に駆られるがそれでも興味の方が勝った。



 木製で丸型のドアノブを握り開くと、そこには小さすぎる部屋に配置されたらしい棚の中で溢れんばかりの本達が悲鳴を上げているようだった。一方で自分の居所を手放した本達は床に乱雑に横になっている。





 僕は自分の背を丸め、おびただしい数の本の中心で椅子に座る彼に会釈した。





「こんにちは、琴塚さん。この度はお忙しいところ押しかけてしまい申し訳ありません」





 彼は怪訝そうな目ではないようで、穏やかにこちらに話しかけてきた。





「いえいえ、それはお気になさらずどうかゆっくりしてください」





 皺が寄った瞼と口周り、彼は御年80を迎え21世紀初頭を過ごした貴重な人間である。前世紀の日本国は超高齢化社会と呼ばれるほど年老いた人々が人口の殆どを占めていた。解決策も見えず、ひたすらに子供を増やす児童計画を遂行しても財を無駄に浪費した当時の国家政治家は国民から追放される運命をたどった。



 その中で台頭し現れたアンドロイド、いわゆるマザーは国財年齢分与を行った。それはつまり文字通り国の財の数パーセントを年齢分付与し、ゆえに高齢者は裕福層を独占することになった。





 それだけで済めばよかったのだが、彼はその余った金で海外旅行を勧めたのだ。お彼岸旅行と称して全国にかけて海外を訪れるように奨励しその旅費を国が負担した、というわけである。





 もちろん、なんの躊躇もなく行った人、疑問に思いながらも我が最愛の子供に勧められて行った人などが大方を占め、殆どの高齢者と呼ばれる人々は国外に出ていった。







 一週間、ちょうど母国が恋しくなる頃だろうか、その時期から帰国の準備に取り掛かろうした時。





 『貿易鎖国計画』





 テレビなど、多くの媒体で多国に渡って報道された。





 鎖国、その名の通り国を閉じ帰国を不可能にする言葉、計画。一方的に打ち出した経済計画は他国の政治家に困惑の念を匂わせたのだが、その当事国、日本という国は自国の住民には一切話そうとはしなかった。





 帰国して来ないと不思議に思った親戚などの関係者にはメール、電話、ファックスなどで海外在住証明の文通を行い全てを隠蔽したのだ。





 すでにそこから僕たち日本国の住民は犠牲を伴った「幸福」を味わって来ているということのようだった。



 だからこそ、彼のような長年母国を共にしている人間は貴重な逸材だと理解され始めたのはここ最近のこと。





 僕はどこか深い傷を抉られるかもしれないという恐怖を持ちながら話を始めることにし、面と向かうように彼の目の前の椅子に背を預けた。





「では、始めようかね。そこに座りたまえ」



「はい、では……」





 僕が来校した本来の目的を口にしようとしたとき、彼は右手で僕を制し止めてみせた。





「いや、待ってくれ。一つ伺ってもよろしいかな?」





 急な質問だったので僕は戸惑いながらも頷くと彼は続けた。





「君はここに来た時、どう感じたかい?」





 ここ、アカデミーは昔ながらの大学制度を用いている唯一の場。中央にある黒板に書かれることを黙々と自分のノートに模写し、質問するものはいない。ただ書いて覚えるだけ、そんな古式を採っている珍しい場所である。





「僕は正直言わせていただくと、意味が無いのでは、と思いました」





 いそいそと己の筆を動かす彼らは無駄な努力なのでないかと感じたほど。





「そうか」





 彼は何度も見かけた顔に飽き飽きした表情をとったけれど、僕がそうではないと言いかけた瞬間に彼は再度こちらを見て形相が変わった気がした。





「しかし、意味はあるんだと改心させられました」



「建物の配置から案内図。スケールは関係なくここにあるものには隠れて見えるものがあります」



「それは何かな?」



「人間味です」





 彼はひとつ溜息を漏らし窓の外の常緑樹を眺めた。





「うん。良く分かってくれた、それでこそここに来た意味があるものだよ」





 ようやく彼は心の底から僕を迎い入れてくれるようだった。過去を嗜めるように彼は回想していたらしい。





「今ではもう衰退した学問のはずが、未だに学ぼうとする若者は絶えん」



「私としては嬉しいことこの上ないが、やはり耐え難くなるのだよ。私の責任なのだとね」



「先生が悪く思うことはないですよ。それは僕たちの責任なのですから」



「君はそう思うがね、君は君だ、私ではない。私は私自身の為にこの現実が現れてしまってるのだからね」



「哲学ですね」



「私が教えている学問、生きている理由を追い求めようとするのは変人なのだろうがね」





 アカデミー、技術機構と連携している研究所を含めると時間が経たずに残されたこの場所を除けば周りには科学技術を先駆する者しかいない。それは価値が目に見えているからだ。



 それだけ文学や哲学といった人間を象徴するような学びは消滅の危機にあるのだ。





「けれどね、この地の名前『アカデミー』の由来を知っているかい?」





 作戦内容かそれに近い情報しか頭に入れないために僕は答えられなかった。





「すみません……覚えていないです。教育か何かが由来なのでしょうか?」



「まあそれも仕方がないことだよ、覚えることはその右手の小さな器具にさせればいいからね。……けど面白いことに君の推論は大方正しい」



「いいかい?その昔、とある人物が学問を主として集う場所を創り出したんだ。私たちのようにこの世がどうなっているのか知ろうとね」



「その場所の地名こそがアカデミーの由来、ギリシャ語のアカデメイアから来ているんだ」



「その頃はね、哲学だって数学や天文学と同等の立ち位置だったんだけど。今はそうは行かないみたいだね」





 いわゆる、社会から切り離された学問。必要性が感じられないと一方的に決めつけられたもの。



 彼は絶滅寸前に立たされた防衛隊の一人のようだった。





「この国で影を薄くした概念、それは人間らしさですね。先生」





 僕は幾つもの戦場に駆け巡りながらその国と母国を対比させた答えを出した。認めたくないけど認めざる他ないという運命に僕は多種多様な悲しみを何度も味わった。





 彼はこれ以上にないほどの苦笑いを浮かべ僕の眼差しを改めて見つめる。





「君もよく分かっているね。ああその通りだとも私たちは失ってはならないものをあえて捨てに行った。目前の安寧のためにね。彼ら、上層部の者は理解していないこともあってか捨てることの問題性さえ検討しなかった。確かに私たちが自らの手で世界を動かさなかった罪とも言えるがね」



「だがこれとそれとの話は別だ。すべての実権を握ることとはイコールではないんだよ。まさに拡大解釈による問題の具現化ということだ」





 政権をアンドロイドに渡したことによって僕たちが持っていたもの、「人間性」を知らないうちに捨てささせたことは到底許されるべきではない。





 しかし、それさえも声に出して発言が出来ないのは己の自己防衛本能がそうさせないから。





 生きるために、子孫を残すために繁殖するのと同じように。





 僕たちは定められた運命から逃れられないと何度も想起させる。







「そう、言いたいけど言えない。自分の立ち位置が危うくなるから何も言えない、見て見ぬふりをするだけ。まるで小学生のいざこざと同レベルだ」



「皮肉といえば皮肉だけどね、はっきり言わせてもらうとこれじゃ他の動物と何ら変わらないんだよ」





 生きるために物事を合理的に進めるだけで、そこには感性などという不安定要素は剥ぎ取られている。そんな者は機械と同じだとしか言いようがないと僕も応える。





「そうだね、もはや生物ではないとするか……面白い考え方だ」





 彼は上半身を小刻みに揺らし、さぞ興に入り浸っているかのような笑みを浮かべる。





「そうだ、例えばの話だ」





 思い出したように彼は語り始めた。





「哲学とは君はどんな学問だと思うかい?」







 僕は彼の思惑に静かながら気づくと同時に脳裏に置かれていたある印象を口に出した。





「僕は、人間的だと思います」



「なぜここで生まれて生きているのか、ここにいて当たり前と感じるんじゃないと考える。決して見つからないと断定された問いと分かっていても、あがき続ける。そんな学問だと」



「ふふ……ははははっ」





 突如、笑い声が部屋中に響き渡り、僕は部屋の空気の変化に驚かされてしまった。





「な、なんでしょうか?」



「いやいや、今時若者の口からそんな言葉が吐き出されるとは……長く生きてみるものだね」



「私もね、全く同意見だよ。人間にしか描けない概念を創り出す、生み出していく。それがこの学問の境地に等しいんだよ」



「人が苦悩し、煩悩させてしまう原因とは脳内に位置する。感情とも同時並行して働き、悲しい、嬉しいなどのモーションを生み出しているんだ」



「君が誰かを愛したいという気持ちだってそうさ。この人と生きていきたいという愛情は決して規定された運命から生まれたものではない」





「それは?」





 僕は彼の言葉の真意に理解が及ばなかったので聞き返してしまったのだが、彼は少し間をとり分かりやすく説明してくれた。





「君は異性が目前に迫ったら誰でも愛してしまうのかね?」





 自ら愛する人物を選ぶ選択性、それは生まれる前から決まっているのではないということ。



 僕はひとりでに納得した表情を醸し出していまったので彼は続けた。





「そういうことだよ。君の周りに身近に存在しているんだよ、哲学というのは」





 僕は彼が言いそうな言葉が頭に現れてきたので先に口にした。





「人間らしさもですね」





 彼は一度僕の眼差しを自ら受け取り、そして頷いた。







「で。要件は何だい?まさかここまで来てもらってこうやって談笑するだけが目的ではないだろうね」





 謎の刺客ーー僕と境地に立たされたパイオニアーー琴塚は二人対峙するように木製の椅子に座る。





 厳格でも穏やかでもない雰囲気に覆われた部屋の中で僕は静かに呟く。





「テンプル騎士団についてお伺いしたいことがあります」





 彼は漸く事の顛末とやらに気付いたらしくひとつ溜息を作った。





「そうか、君は軍部の一員というわけかね。どうりで話が通じ合えると感じるわけだ」





 アカデミーに属している彼には若者にこの世の現実と解脱を教えるためだけにこの場に居残り続けているわけではない。彼は一人でにある研究を進め、それは国内では極秘裏に行われた。





「その顔じゃ、私の研究については知っているな。まさかそちらから寄ってくるとはこれまた驚いたことだよ」





 僕は頭の片隅に置かれた事実を語った。それはあまりにも楽観的過ぎて嫌気が差すほどで。





「はい。上からの命令で先生のところに伺えばこの問題も解決するだろうということでして」





 何とも雑然とした答えなのか、今となっては了承してしまった過去の僕が恥ずかしく仕方がない。





「そんな魂胆だろうとは薄々感じてたさ。何せ私に客人としてふるまう人物はこれまた世の政治家ばっかりだからね」





「むしろ君がそうではないかと勘づいてしまった時には失礼かと思ったが」





 僕はこの時だけは僕自身の立場が無くなれば良いと感じた。





「まっ、いいさいいさ。君が悪いわけではないんだ、何も自分を卑下するまでもない。では余談はここまでにして本題に入るとしようか」





 彼は乱雑に置かれた紙の断片を摘まみ上げて僕に見せた。





「恐らくこのことかね。もし君が知っていなかったら申し訳ないが……」





 彼が差し出した紙片を受け取るとそこには論文らしき文字の羅列に加え、一枚の写真が載っていた。



 それは忘れたくても忘れられない、黒色に纏われた集団が写っていた。





「そうです。片腕に紋様らしきものが刺繍されているローブ。まさにテンプル騎士団に違いありません」





 彼は物語を読み聴かせるような口調で話し始めた。





「おそらく君の記憶の既知な事実とそうでない事実。両方が書かれていることだが……一応言っておくとしよう」



「彼ら、テンプル騎士団は国際的テログループだ。名前の通り英国がその発祥地でね、メンバーは軍部でもなければ政治家でもないただの一般市民なんだ。それが故郷を遠く離れた地でも荒野と化けさせる世界の道化師に成り果ててしまったんだ」



「初めからテロ行為を?」





 彼は僕の問いに一度唸らせたらしいのだが、





「それがね……私の研究課題の一部でもあるのだけれど少しもヒントが見えそうにないんだよ」



「何というか、データ自体が丸々何物かによって消されているという感じかね」





 彼はわざとその答えを僕の前ではぐらかすような口調だった。



 だから、僕から応えることにした。彼の意向とやらを。





「国内上層部の為ですね」





 彼は一瞬表情を強張らせたのだが、緩やかにその筋肉を戻していく。





「その発言は良いのかね。聞き取り方次第で君の立ち位置が危うくなるかもしれないよ」





 僕は平然と装うつもりなど一切なく、そのまま頷いた。それは余裕があるということではないが緊張しておかしな答えを出したわけでもなかった。





「お気になさらないでください。国と軍が繋がっている以上それは避けようがない事実ですので僕が責任をとるのは当たり前な話ですよ」





 彼は一度呆気ない顔だったのだが、僕の目を見て察しがついたのか再び話を続ける。





「消されていることに関しては仕方がない圧力なのだがね。しかしだ、そこに重要な事柄が隠されているのは言うまでもないね」



「消すということは何らかの因果関係があるということだよ。関係がなかったのならばわざわざ手を加えるまでもない話なのは分かるね?」





 僕は一度彼の言葉に翻弄されながらも彼のその真意の理解に努めた。





「ということは?」



「彼らと上層部は裏で繋がっているのかもしれない。逆に考えれば何かがあるってことだよ」





 彼が長年、テログループを追求した一種の回答、それは辿り着くには程遠いように感じられる道だった。







 マザーからの臨時調査命令により僕はアカデミーまで足を運んだのだ。



 彼らは自分に関わりがあるということを知らないほど情報収集に関して抜け目などあるはずがない。ゆえに故意で僕に調査をさせたのは考えるまでもなくすぐに気が付いたのだが。



 むしろその点しか思い浮かばない僕はこれから何処へと向かえば良いのかと、長く試行錯誤するしかない。



 国外の状況と戦況を把握し、これから敵対するかもしれない者の情報を得ていくような在り来たりな方法ではない。敢えて国内組織の全容からこの問題を対処しなければならないという現実こそが逆に笑えてきてしまう。





 簡単に言えば八方塞がりだ。





 さて、どうすれば良いのだろうか……





「うおーい、生きてるかーー?」





 遠方からメガホンを使ってやっとのことで届いたような擦れた声、に聞こえたのは僕の耳が問題だったのだろう。





 脳内で問題提起、論理対策を何度もサイクルしているうちに僕の気はいつからかどこかに消えたように見えたらしい。焦点が合っていなかった目を丸テーブルの向こうに座る一人の男に再び合わせた。





 目の前で僕を病人のように見ている男の名はジョン・ケリー、貴重な友人の一人だった。





 僕は国内でテログループの調査を続けていた一方、少なくとも他人と過ごしてきた人物の中で最も多い彼ーーケリーは国外で同じ行動をしていた。





「ったくぼおっとどこを見ているのかと思えば考え事をしていただあ。まさか俺が帰国するまでずっとそんな状況だったんじゃないだろうな」



「そんなわけあるかい。君だって予想よりも早帰りじゃないか。作戦が順調に進んでいないんじゃないかい?」



「違うわい。これも作戦の内だ」



「というか言っていなかったな。俺の作戦内容については」





 そういえばとほんの一週間前の会話を思い出す。それはいつもと何ら変わらない日常的な風景。ということはつまり今僕らが話し合っている場所、メインストリートの中心部ちょうどに位置するよくあるカフェテリアのことだった。





「疲れたな、まさか一つの作戦でここまで大規模というか簡単に済む内容じゃなくて驚かされたぜ」





 そう、この日ーー彼と僕とでパーティーを一時的に解散する前夜のこと。僕らは前作戦、すなわち中華人民国潜伏捜査について語り合い、そしていつもの思考結果を互いに出し合う機会の日だった。





「もともと作戦を遂行するメンバーが僕らしかいなかった時からそんな感じは薄々感じたんだけどね」





 僕は含みのある笑みをその顔に浮かばせる。対する彼はというと、





「本当か?緊急脱出の時はあんなおっかないような表情を作っていたっていうのによ」





 苦笑いを返され、僕は戸惑いを作る余裕もないほど焦りに焦っていた。





「ま、まあ。あんなことはそうはないしね。訓練ではやってたけど実演はしたことはなかったからさ」



「まーたそんなこと言ってよ。今度はたかが人ひとりのために身を投げだすときた」



「だから何だって言うのさ?」





 僕は唾を一度飲み込んでから彼の次に発せられる言葉を受け入れる準備を整えた。





「この頃感情的になりすぎじゃないか?」





 作戦途中や遂行後でも何度も考え続けた僕の行い、まさにそれそのものだった。





「いくら他人を救いたいって祈願してもさ、それは当の本人が生きていなかったらその願いは叶いっこないってのはお前が一番分かっているだろう。死んだら元も子もないって話だよ」



「確かにそうだね。感情に身を任せればいつか僕の身が壊れるってことは僕自身が分かっているよ。けど、目の前で命の灯が消える瞬間に何もしないってのはそれもそれで辛いんだよね」





 彼は黙認を試みたようだが、再度僕に問い始めた。





「ああ、お前が誰かを救いたい衝動に駆られるのはよく分かるさ。なんたって俺だってこの仕事を伊達にやってるわけじゃあないからな」



「だがな、やっぱり今のお前にはもう一度言っておかなきゃならない」



「いいか、あまり感情的になりすぎるな。お前の自尊心がそいつに奪われたらそれは、最期だ」





 僕が彼の助言を固唾を飲んで聞き入っていたのはどうやら一瞬のようで、



 時計の針が17:00を経過したことを知らせると同時に僕らの右手デバイスに連絡受信が入った。





「どうやらまた招集らしいぜ。なんだか毎度毎度忙しいこったな」





 データ受信欄をクリックし、掌に視覚的にも傍受されないような保護フィルターをかけながら情報を確認する。



 僕は彼よりも先に作戦リストを読み上げ彼にもその内容を伝える。





「ん?珍しいな僕はウチで調査だってよ。内容は……うん、前会った人たちみたいだね」





 あくまでも僕たちが会話を進めているこの場には周りに民間人がいることを忘れてはならない。だからこそ「ウチ」は僕たちの国、すなわち日本で行う作戦という意味で「前会った人たち」というのはその名の通り僕たちしか知り得ない人々の存在、「テンプル騎士団」を指す。





「あ?俺は場所も内容も全くと言っていいほどお前と違うぞ」





 僕と彼の作戦に差異が生まれることはそうはなかった。これは偶然の出来事ではなく長年共に過ごすパートナーは戦力や作戦速度の面から観ても段違いに異なるというとある学者による一説のためだった。



 だからこそ、彼と作戦はおろか場所までもが異なっていたのは驚くべきというよりも何かの間違いなどではないかと不思議に感じた。





「本当だ、僕はウチだけど君はソトみたいだね。ん?でも作戦の内容には違いはないんじゃないか?」



「手段が違えば作戦内容もおのずと変化するのは当たり前だろう」





 僕はひとつ安心感を覚えながらも咄嗟に冷静になることを思いだし、ある疑問を浮かばせた。





「なぜこの場所なんだ?」





 彼が調査と称して訪れた地、それは自然が永久に居座るアフリカ大陸だった。













「んで、なんでこんなに早く帰ってこれたの?」





 店長が勧める至高の傑作品とも呼ばれるローストコーヒーがテーブルに届いた時、僕はまた彼に作戦の現状を問い詰めていた。





「だから言わなかったか?俺は場所はアフリカで期間は一日足らずして帰ってくるってよ」



「どういうことだい?」





 何もせずただ時間だけを過ごしていたのかと予想立ててしまった僕は軽い苛立ちを覚えたのだが、それもすぐに収まった。





「だから、作戦内容は「調査」だろ?わざわざ現地に降り立って荒らしたりしないんだよ」



「俺は上空のコックピットの窓から地上の様子を覗いただけなのさ。けどそれだけじゃないぞ、帰ってきてからも情報収集を続けた」





 そこまで早く帰国するのならなぜ伝えてくれないのかと少しばかり恨みがましいような気持に駆られたが、今となってはどうでもいいことだった。



 なにせ、





「ってことで、再びパーティー結成ってことだ。よろしくな相棒!」





 彼は変わらない無邪気なのかよく分からない笑顔で声を挙げる。対する僕はというと注文したローストコーヒーを口に含んでただ頷くのみ。





 なんだか、今まで苦悩していたのが一気に吹っ飛んだ気がした。



 心の蟠りが居座り続けていることを知らずに……









 早速作戦に取り掛かろう。しかし裸のまま戦に出陣というわけにはいかない。地上作戦を遂行せずに上空からの監視だけで帰国した彼を挙げるとおり、相手国の領土内に侵入する場合は領空よりも格段難易度は跳ね上がるのだ。遂行速度や正確さなどは二の次で(もちろん重要なのだが)、作戦で最も重要視されるのは情報量である。





「なら意見交換といこうか。ここまでの一週間の成果、見せ合おう」





 漫然と言い放つ彼は大きくかつ自信たっぷりの表情だった。それはさっきまで罵倒していた僕に見返すかのような口ぶりでもあったので、さも自分の成果の方が大きいなどという過信さえも含んでいたような気がした。





「よおーし、俺が先に報告させてもらうぜ」





 ほら。やっぱりそうだ。





「地上は一面緑だった。以上」





「……は?」





 無造作にも答えた彼の少なすぎる言葉に圧倒された僕は、無意識に声を出してしまった。





「だーから。森と草しかなかったんだよ。上空からじゃそれぐらいしかみえなかった」



「とはいっても彼らの住処なんだよね。だったら何かしらの建造物とかの配置とか覚えてないの?」





 彼は右手で後頭部を掻き、申し訳なさそうな雰囲気は一切醸し出さないような口調で言った。





「それさえも見つからなかったんだよ。住宅街も舗装された道すらもなかった、あれじゃ人が住める場所なんてもんとは程遠いぜ」





 マザーからの情報管理は徹底化され抜け目も見落としが無いくらいにそれはチェックされている。今回の件だってアフリカに彼らが潜伏しているという前提で作戦は行われたのに視認が出来なかった。



 つまりそれはマザーへの信頼に欠けるというケースを除けば、作戦は失敗なのではなく必然的なことだったと考えれば良いのだろう。僕はそう彼に告げるとまるで何を言いたげそうなのか理解が追いつかない様子で問いた。





「?どういうこった?」





 確実ではないけれどどこととなくあふれ出てくる自信に身を任せながら僕はあるひとつの仮説を提唱するに至った。





「視認できないんじゃなくて、視認しづらかったってことだよ」



「君は上空からのデータは目だけでしか取っていないの?生体反応とか動的システムとかは解き明かした?」



「ああ、それならデータサンプルは回収したぜ、けどなあまりにも誰もいないような雰囲気だったから計器の故障かと思っていたが……どうやら違うみたいだな」





 僕の予想にようやく察しがついたのか、彼は僕の真意を念頭に入れた体で話を進める。





「そう。おそらくそのデータは本物だと思うよ」





 戦地へ赴いた長年の直感がそう言わせている気もしたのだけれど、そう考えずに自ら導き出しこじ開けた答えとして感じ無くてはならないような気がした。それは後先考えずにひたすら前に突き進むような猪突猛進のような行いではないのだけど、それでも一種の責務というか義務めいたものが付いていたからなのだろう。



 だから僕は僕なりの事実とは異なるかもしれない考察を述べた。





「たぶんの話、彼らは僕らを試しているんじゃないかな。この場でこのまま作戦を進めるのか、進めないのか」





 僕たちの思考に勝手に横槍を入れてくるテロ組織とは、ただ壊すだけが目的の者たちよりも相手にしやすい。ただ厄介なことに大抵のそういった連中は相手にしやすいほど相手は強いというのは鉄則。何の目的もなしにひたすら壊滅を望む蛮族よりも意志や希望を持って立ち向かう方がよほど面倒。前者は僕たちの行いに正当性が有利とされるのは目に見える話だが、後者は両者どちらも意見が拮抗するのだ。どちらの正義が一方よりも正当なものなのか、その決め方は今も論争されている議題だが、きっとその答えが出されることはないのだろうと僕は幾度となくそう感じてきた。





「僕たちのもたらす答えをたぶん、彼らは求めているんだよ」



「ヒトかアンドロイドか。人間的か合理的か。究極的な話だけどね、二つとも溶け合って新しい概念を生み出すなんてうまい話、現実は認めてくれないんだよ」





 自暴自棄になるような口ぶりと仕草。僕の投げるような言葉に彼は少しも動揺することもなかった。





「んで、お前の調査結果兼考察結果はどうだったんだよ?まさか俺にはしつこく問い詰めたのに自分自身は何も考えていないってことはあるまいな」





 彼が故国を離れている最中には文献や書物、インタビュアーなどあらゆる情報収集法で「テンプル騎士団」という名がつく物的証拠を洗いざらい調べつくしたつもりである。結果が共についてくるとは限らないが……





「マザーと関りがあることを掴んだ」



「……それは一体何だ?」





「分からない」



「それ以外は?」





「特に進展なし」





 沈黙、疑問、これまた沈黙。重い空気というよりかは変な生ぬるい淀んだ空気が流れた。



 しかし、それは間をとる隙も与えることなくすぐに壊された。





「んなんだとお!興味をそそらされるような話題が出てきてもすぐに打ち止め、挙句の果てにはそれしか分かったことがないときた。俺よりも酷い出来なんじゃないか?」



「そんなこと言っても仕方ないじゃないか。すでに情報規制されている国内で調査なんて無謀すぎるにほどがあるし……」



「その少ない情報の中で探すのがお前の仕事だろう!」





 確かに僕は途中から諦めに走っていたのは彼にも薄々気付いているだろうが、あえて口にはしない。





「ま、まあいい。で、それは当の本人には言ったのか?」



「まだ言ってないよ。でも……」





 彼は僕の続く言葉に期待するように身を下げて顔を眺めた。





「作戦が終わったらでいいかなってさ」





 僕と彼は同じ土俵で盤上一致したように思いを馳せ、ともに口裏を合わせる。





「その時は本当の作戦遂行完了だな」



「それが最後の作戦だね」





 言い方はそれぞれ違うけど、意味は変わらない。まるでパートナーそのもののようで別に嫌な気などするはずもなくむしろ気分は高揚していた。









 そこは遠き海原の彼方、かつて新大陸とも故郷とも呼ばれた足元が不安定な空間。他大陸と比較するとこの場所だけが元より培ってきた肥しの土地をそのまま残している。残留され、置いて行かれた土地、僕たちの生誕地がここまで発展しなかったのは環境的な要因も含むとされるが、なんて皮肉なのだろう。





 色鮮やかで艶やかな雨滴が日光を反射し森の緑しかない色彩をカラフルに仕立て上げる。





「なあ、俺の言った通りだろ?」





 僕の後部座席から間抜けた声が聞こえてきた。





「そうだね」





 彼の言う真実に耳を疑ったことを後悔したわけではないが、驚き唖然と無神経に口が開くこともなかった。





「森、草原、湿原、そして川。どこを見渡しても一面自然の山だぜ、これのどこが文明発達しているって主張できんだよ」





 どこか投げやりな彼の態度と口ぶりに同感せざるを得ないほど。



 自然保護と称してサバンナの一部や森林に建造物を増築するのは禁止されていた。だがそれも昔の話、僕らの貿易情勢が狂い始めた頃からその効力はなさないものとなっていたのだ。





「どういうことだろう?」





 そう、僕はそんな軽い一言しか口からは出ないことは知っていた。胸の奥底にはこんなにも溜まりに溜まった靄が沈殿しているというのに。



 僕は目下の状況を詳細に確かめるためにコックピッドのダイヤルを右に回し窓の解像度、倍率を上げる。





「おいおい!ここは世に言う動物園ってやつか」





 鮮やかにそして子供のように声を上げる後部に搭乗するこの男。確かにこんな生生しい場景を見させられれば誰だって高揚するのかもしれない。案の定、無言のまま舵を握る僕だって沈黙を取り続けるも心の代わりは浮足立っているはず。とは言っても彼は一度来訪しているのではないかという些細な疑念も同時に生じた。





「肉食、草食、雑食。これがまさにバイオームだな!」





 生物多様性、それは絶滅する種が増加する傾向を持つ世界ではなくある個体が失えばある個体が生きる。そしてまたその個体も別の個体によって失われる。消滅して何も残らないのではなく何か一部分が引っ掛かりそれが別の個体で生き続ける。生物の種が消え去るのではなく生物のとある個体が居なくなるということ。ただ辻褄合わせをその時、または別の時とまるで仕事の案件のように対処するものと同じ。





 そこに誰かの仕事を全て一任させて逃避する者が現れればバランスが崩れ、絶滅種が現れるという簡単な話。結局はバランスの問題だということだ。





「僕らが現界しなかったらこんな平和だったのかな」



「ああ、この状況が過去から今まで残り続けただろうさ、本当の地球環境、自然がそのまま保護されるまでもなく。いやそもそも俺たちがいねえんだから「保護」なんて人間めいたことなんて手間もかける必要はないんだったな」



「だが、平和なのか?俺たちが定義した言葉をあんな知能も俺たちに敵いそうにない生物に押し付けて、それでいいのか。俺はNOだな。あいつらはあいつらなりに他種からの攻撃から身を守るのに精一杯だろうさ。だからよ、もう一度言わせてもらうと……平和じゃない」





 人間が中心だと考える古典的な世界観、死んだとされているがそれは確かなものではない。変わりたいと願う中で今も昔も結局は変わることはないのがヒト。それが彼の最後の短めの沈黙に現れたような気がした。 





「なら僕たちの平和はなんだろうね。戦いや争うことのないことが平和?なら見えない脅威は平和と呼べるのかな、かつての冷戦だってそう、事実戦争という戦争は行わなくてもそこには相手国から攻められる可能性が付き纏う」



「しかも自分たちの国で行わずに関係ない国を巻き込んで戦争なんて、以ての外だよ」





 胸や心に積み重なった思いに穴が開いたようで、次から次へと零れていく。抑えきれない涙のように溢れかえったものは僕の体から染み出し、それは言葉として具現化していく。





ーー自分だけで生きていけるなんてことはエゴイズムそのものだーー





 誰かが僕に対して刻んだ文句がふと脳裏によぎる。



 生きるということは誰かの上に立つということ、弱肉強食の階級社会のようで動物たちと何ら変わりようが無いのだと内心心がける。



 後方に座る男から何も言葉を掛けて来ないのはせめてもの僕に対する最低限の心がけというものだろう。僕は彼には本当に敬服するしかなかった。





「このまま上から傍観していても何も始まらないね」





 作戦内容ではこのまま遂行完了としてはならない。何せ『新たな情報の獲得』だ。





「しかも運よく周りに誰もいないときた」





 僕と彼とで難しながらに目配りをして意見を協調させたあとに出された結論は、





『地上に降りたとう』





 僕たちが発すると同時にコンソールポッドをエマージェンシーモードに移行させる。ポッド内は赤く点滅しここから脱出しなくてはならないような心境に至らせる。



 緑をメインに色鮮やかに光る自然の中へと沈没していく船のような感覚。





 おそらく、外からは黒色の卵が落下するような禍々しい絵面なのだろうけど。



















 午前0時、闇夜に光を灯した簡易型のテントの中でとある密会が開かれる。草木、その他の動物群のほとんどは寝静まる中で僕たちが住むこの住居簡易型テントには光がジャングルへと漏洩しないための光遮断専用スプレーを噴射してある。ゆえに夜行性の捕食者のサーチエリアに属さないようなある意味必然性が保たれている。



 一言、僕と対をなす男の口から現実を突きつけられる言葉を出した。





「何も見つからないな」



「うん」





 この人工と呼ぶものが限りなく消された土地で二匹の獣が呼応するように語り合いが始まる。





「ヒトの集団的営み、コロニーが見つからん。集落を発見することがこうも難関な問題だとは思ってもみなかったぜ」



「僕ら以外のは簡単に見つかるのにね」



「ホンっとそうだよな!やっと足場が固められた道が見つかったと思いきや、これがただの獣道ときた。変な冗談、やめてくれよ」





 上陸からおよそ一週間は経っただろうか、僕らは二人のみのグループでこの母国から離れた地、アフリカ大陸で過ごしていた。食糧には困らないのは不幸中の幸いだったが、作戦自体にイレギュラーな事態が起こってしまうと精神的なダメージが増えてしまう。過去の軍隊はそのようなケースが頻繁に起こったために僕らよりもそれらの対応は素晴らしい。その代償として人間性を剥奪されてしまうが。





「まあね。けど僕らが特別なだけで動物と呼ばれる僕たち以外の生物にとってその道こそが整備された道なんだけどね」



「僕たちが勝手に定義をすり替えているだけ」





 彼、ケリーは顎に手を伸ばし少しばかり考えたのちに応えた。





「そりゃあ定義の問題だな。知恵を身に付けたヒトとそうでない生きもん、どちらの感覚が正しいのかは俺たちゃにはわからん」





 禁断の実をその手に乗せた者には贖罪という名の罰が与えられる。けどそれが基になって善者なのか愚者なのか判断の材料にはいささか足りない。





「って、いつからそんな哲学的な内容になってんだよ。俺が言いたいのはいつまでこんなちんたらした生活を過ごさなきゃならねーんだって話だ」



「まさか、移ったんじゃないだろうな。お前と話した奴とよ」





 僕は人間という者の不合理を何度も何度も思い返し問い返す。それは昔から変わらない一種の慣例みたいなものだったけれど彼、琴塚と話した時から知らぬ間にその頻度も多くなってきた気がした。





ーー僕は果たしてこの生き方でいいんだろうかーー





 それはきっと誰かに聞くべきであるはずの問いに気付いた時にはもう遅かった。





















「なああ、起きたか?」





 不甲斐なく意味もなしに伸びた間抜けな声。目覚めが悪いその声音に起こされた僕はというとやはり気持ち良い目覚めとはほど遠いようだった。





「起きてるよ」





 瞼を擦りながら声が発せられたテントの外へと身を投げ出す。開けた森に差す朝日の直射日光が寝起きのせいもあってか眩しく、視界が一瞬真っ白になる。





「なんだか御伽噺おとぎばなしに出てくるような朝の出迎えだね」





 僕よりも早くに準備が整った彼、





「呑気なこと言ってんなよ。もうすぐここを出るぞ」





 簡単に言えば防具と呼ばれる情報バイタリティー素材を使用したボディアーマーを装着する。右腕に身体モニター、左腕には外部環境データ。それら対象の部位にモーションを与えると空間にそれらの情報が視覚的に展開されるのだ。



 早速、その中の技術の一部分を使用した彼は面白そうに話し始めた。





「昨日の夜によ、この土地の土壌形成がどうなってるか調べたんだよ。経済的な利益がここにあるかどうかとマザーからの伝達があってさ」



「んでちょうど今さっきその探査が終わったようでよ。小型マイクロ機から情報が受信されたんだよ」





 彼は左手の人差し指と中指だけを伸ばし、そして再び握る。たったそれだけで空中に文字と周辺の地図が同時に投影された。





「これがその結果だ」





 そこには何の変哲もないただアフリカ大陸をそのまま見下ろした地図。希少金属が含むとされる土地のマーキングがされていないことにはこの時代に生まれたこともあって不思議には思えなかった。





「どこか、変なところでも?」





 彼は本当に?と言わんばかりの表情を顔に浮かべそして言い放った。





「全てがその変なところだと気付かないのか?」



「こいつを見てくれ」





 突如展開される新しい地図、いやそれはさっきまで見ていた同等の、同一地の地図でただ一点見方を変えたのが異なっていた。





「この空白の連続はなんだ?そしてなぜまた地盤が続くんだ?」





 空中に示されたのは横からこの地を覗いたもので、地下2kmを超えた辺りで巨大な空間が形成されまた再び土壌がひたすら下に続いていく。



 それはいわゆる地下空間という類のもののようだった。











 地球空洞説という言葉をご存じだろうか。僕たちが生きるこの地球という星において表面上で生活するのが私たちではないということである。中身が金属などで詰まった球体ではなくところどころに空間が形成されその場所に私たちが存在している、簡単に話せばそんな説だ。





 しかし万有引力の法則が発見されて以来、それは衰退したも同然だった。それこそ御伽噺というか空想科学的なものだと。





 そう、当たり前と思っていたことがこんなにも簡単にひっくり返されてしまうとこんな感情に至る。





 「あり得ない」と。





 けど、この光景を見ればそんな理論的な構想も崩れてしまうのだろう。天井には光り輝く太陽、地上には赤橙色の日光によって照らされたヴェネチア風の屋根とテラスが都市の大部分を占めている。いわゆる水の都を現界させたようなそんな風景だ。



 都市の奥には青い海原、遠くまで見渡してもそこには青一色の平野しかないことには意外というか、こんな世界が未だに存在しているのかと呆気に取られる他なかった。





 地上においてもここまで明るく、陽気に生きている人間は見たことはなかった。もちろん、僕らを除いたうえではあるが。生きていこうと決死の覚悟で生きようとする気力が感じられない、かといって労働されるがままに生かされるような家畜に成り下がっているわけでもない。前を向いて、そして無理もせず自分が生きたいように生きる世界。





「おう。なんだお前はあんまここじゃ見ない顔だな」



「旅行の真っ最中かしら」



「へいへいっ、ここに寄っていかないかい。今なら……」





 通りの真ん中を歩く僕たち二人に投げかける言葉は招待状と等しいもので僕たちは会釈しながらそれらを受け流す。ある時は食料品、衣料品、またあるときは特殊な雑貨屋。この通りに集った皆々は己の持参物である商品を並べている。



 イタリアの世界に迷い込んだ僕らは運がいいのか悪いのか知らないが、とあるバザーの群れに溶け込んでいた。













 それは、今から数時間前のこと。





 「地下に空洞がある、それはつまり地下に住居を建設出来るスペースがあるってこと?」





 草木が茂るジャングルの中で特に茂った場所……ではなく逆にあまり雑草が蔓延はびこっていない光が差す場所のベースキャンプで今後の動きについて確認していた。





「そうかもな。さすがにこれだけ空間があるとなるとその可能性も高くなる」



「だが……」





 彼が瞬時に答えを出さずにためらってしまうのは勘の鈍い僕だって理解出来る。これまでの得てきた知識、常識というものに即しないのだ。つまりは「非論理的」だということ。



 けど、これまでの教訓が生きたのか、そんな大層なことは知らないけれど僕の胸の内側からはそれを反したい気持ちの方が強かった。





「うん。こんなの『あり得ない』ってことは僕だって分かる。でも行ってみなきゃ分からないのも一つの方法だよ。だから論より証拠だ、僕らの目でそれが本当か確かめてみようよ」





 口から流暢に流れ出る言葉には僕らしく、僕らしくもないものが混ざっていたけれど今はそれに従うことにした。



 少し経ってケリーは意外そうで納得した表情でもある入り混じった目で僕を見つめ直し、





「お前が言うならそうするか、分かったよ。お前に一票入れてやる。当たるか、当たらないかはまた別としてな」





 そうして潜り込んだつもりだったのだが……





 こんな場景に遭遇してしまったら誰だって自分の脳を疑いたくなるのではないか。



 商いを露店で、しかも商品を裸のまま外に放っている。皆が相応に中央を通り抜ける客に対して呼びかけ、興味を湧かせた人は立ち止まり、そうで無い人間は素通りしていく。街全体が活発に動き出し、異端のように思われる僕たちがこうやって平然と歩いているのはこの投影技術のおかげなのだろう。



 しかしだ、ここに僕たちが紛れていることも然りだが何よりどうやってこの場所へと到達できたのかは相当な疑問になるだろうと思う。地下2kmも深度があるこの場所に潜るなんてことは近現代技術を持ってしても不可能に近い。



 簡単に話せばこうだ、「招待された」の一言に限る。



 誘われたというか、向こう側からの刺客が運悪くも来訪したのだ。





『こんーーーーにちは』





 という不可解極まりない音声はAIやいわゆるロボット特有の調子でなく、ヒトが喉を用いて発する声のような気もしなかった。とにかく聞いたことのない人種、ヒトじゃないかと勝手に思い込んだのだが。



 そんな僕の予見なんて気にするわけがないと主張するようにその声の主は挨拶を続けた。





『あれええ、聞こえないいのかあ。変だよねえ、そんなことあるはずないのにい』





 無視することも出来たのだが、これ以上辺りを騒がしくさせてもそれはそれで面倒なので、返答した。





「聞こえてる」





 今度は甲高い声で返ってきた。





『おおおー。やはり間違ってはいなかったかあ。たまに誤作動しちゃうこともあるからねえ』



『君たちは……ん、ああそういうわけかあ。ほうほうならーーウエルカムにする以外ないよ』





 いちいち間延びする音声の主には口出ししたいが、それよりも彼の言葉の方が一足先のようだ。





『イイねっ、イイよっ、勿論だともっ、さあ入り給え。キミも、いやキミたちも私たちとはすでに同胞の仲だ』





 僕とケリーは目線の位置のみでやり取りを一瞬で行う。





「分かったよ。で、どうすればいいんです?」



『方法?っそんなものはなあいよ。だって君の前にもう存在しているのだからねえ』





 僕は辺りを見渡しそれらしきもの、つまりは地下へと繋がる手掛かりを探すのだが、目に入るのは草木に落ちた雨滴や日光ばかり。





「何もないが」





 声を発している向こう側で溜息が聞こえた。どうやら呆れ返っているようだ。





『んーー、これだから君たちはっ。人間が主体的なんて傲慢な考えにすぐに走るんだよおねえ』





 かといって僕たちに興味が無くなったわけでもないらしい、それは僕の個人的主観だとしても当たっているような気がする。





『ほらっ、そのすぐ側にあるツタを引っ張ってみて』





 テントの傍ら、三角屋根の角にだらしなくぶら下がっているツタ。それは先日から存在していたのかは定かではないが、おそらく無かったのだろう。僕は恐る恐るそれに手を触れると人工物と自然な営みが施された両方の要素が僕の掌から体へと伝わった。





『ほうら、そこに入口が出来ただろおう?』





 僕はそこで一つ目の呆気に取られてしまうことになる。



 ツタを引っ張ったそのすぐ後にテントの真横の地面に大穴が開き、そこには。





『あれええ、出来てないのかなああ』





 まるで僕を天から見下ろし僕自身の心の内を知り尽くしたような口調が余韻として頭に響き残る中。



 僕は目の前に現れた大穴の中の階段を見つめたままだった。













 一段、また一段と段を踏むごとに足音が響き渡る。大理石で造られたのだろうか、ここが地面の下であることを忘れてしまうほどの明るさを保つ壁。





「これじゃあ、あいつの思う壺じゃねえのか?」





 飾りっ気がなく淡々としている彼の口から出てくる言葉は僕を安堵に包み込む。





「うーん、それもあるんだけどね……何というか確率の問題というか選択の問題というか」





 無言のまま聞いているところ彼自身も苦悩しているのだろう。





「ただあの言葉を信じないよりも信じたほうが結果として高利益なんじゃないかってね」





 螺旋のように続く階段の先は視界には映らず、降りてみないと分からない。無限にひたすら続くこの迷宮には出口が無いように思われる。先へ、そのまた先へと降りる度に足元を見なくてはならない。まるでうつむきながら独り歩く孤独な少年のように。





『んーー、どこまで来たのかなあって見ればもうそこだったかあ』





 5分かけて螺旋を降り切った僕を待ち構えていたのは入っても40人しか収まり切れないような小部屋だった。まるで「教室」と似ている。



 けどさっきまでの大理石の壁とは違い、木製の壁とシックの壁紙によって包装された屋敷の一室のよう。仄かに灯る篝火かがりびの赤橙色が自然に夕焼けを呼び起こす。





『ああ、再来のデイトがこうもいとも簡単に迫るとはねえ……んんんんんん、なんと羨望っ、奇天烈っ、饗宴に至ることかっ』





 奇怪な声の音と共にその屋敷の主は現れると思いきや、そうではないらしい。





『はああ、君たちは私たちと同じ民なのになぜこうも高揚させるのだろうねええ』







 いや、そんなの僕だって分かるか。







『とまあ、とにもかくにもっ、この場にいらしてくれたんだからねえ。扉を開かないわけにはいかないよねえ』





 部屋には墨汁を垂らしたように黒一色の絨毯が敷かれ、真っ赤に彩られたレッドカーペットが部屋の中心部へと続きそこには机上に腕時計が置かれている。





『ではではっ、お近づきの印ということで私からプレゼントなるものをご用意しましたあ。机の上に置いてありますのでどうぞお受け取り下さいっ』





 二つある腕時計がその品なのだろう。時計を支える台座も置いているのが高価な一品だと強調させている。



 僕は今まで無言で追ってくれた相棒の思惑を探ろうと振り向いたのだが、そんな些細な心配事はむしろ余計なお世話のようだった。





「ここまで来たんだ。戻りたいなんて無粋なことは言わせないぜ」





 無邪気のようだけど子供のように見えない、そんな一部大人のような彼の笑顔に僕はもう一度励まされる。





『おお、帰ってしまうかと私わたくし冷や汗をかいていましたが、、、いらしてくれるのですかあ、んんなんとまあ有難いことですねえ。感動っ、驚嘆っそして興奮っ。ああなんとこの世界は私を裏切っていないのですかっ』





 叫びにも聞こえる響きに僕は耳を疑いながら、真中の時計に触れる。





「これは……」



「なんじゃこりゃ……」





 同時に漏らす言葉の裏の真意には裏の答えがある。



 僕たちが見つけた時計、それは時計なるものではなかった。まるっきり別の異物で型も形質も異なっていた。



 机に置いてあるもの、それは二本の紐だった。





『さあさあ受け取ってくだされっ、そして騙されたと思ってそれを腕にくくってみようっ』





 仕方なく僕は声の主の言う通りに行動し、相棒もまた渋々それに応じた。



 一度結んでから再び結ぶ、念のため外れないようにきつく縛り付けておくのだ。僕とケリーが同時に結び終わると見計らったように語り始める声が聞こえてきた。





『ややっ、準備は整いましたなあ。腕に紐、そして君たちの……はい、全てが終了ということですねえ』



『少々目を瞑ってくださると嬉しいのですがねえ、平気ですかなあ?』





 僕とケリーは互いに頷き、そして瞼を閉じた。同時に暗闇に放り投げだされた感覚に落とし込まれる、悪寒と恐怖に包まれる自分の意識を消したくなるほどの悪夢。嫌というほど見てきた黒色しか無い瞼の裏側。僕は一つ出来心でその瞼を開けるが何も変化は起きていなかった。何一つ外的環境は変化せずに内側をこうも簡単に移り変わらせる彼らには僕ながらも屈服せざるを得ない。



 好奇心でも恐怖でもないある感情に迫られた僕は瞼を開けようとした時だった。





『開けたらダメだよ』





 一つ聞こえたささやかな注意。それはなんとなく今までの声主とは違っていたような気がする。





「すみませんっ」





 僕は突然の警告に咄嗟に言葉が出てしまったが、彼はそうではなかったようだ。





「どうした?」





 聞き覚えのある声は落ち着くようにも感じるけれど、今はその逆で心配の念の方が僕の胸を締め付けていた。それは誰か僕の大切な人を失うような悲哀な声でもないはずなのに。



 意外そうでも誰かがそれを当たり前だと、正論なのだと発言し主張すればその人の言葉に信用性が持たされるそんな風に。



 だから彼の言葉を聞いた時それを信じて良いのだろうかと悩んだのだけれど時間も限られていた。





『到着うーー。君たちの第二のワールド、新世界の具現化、神聖化。時から外された都だよおお』





 眼前に広げられた光景は水の都。またの名は時空の歪みと狭間から抜け出した理想郷。







 僕たちを招待し誘った主はそのまま僕たちの問いに答える。







『ここは架空の神話。心象の証、心の原点を結ぶ源のような場所。ロストシティだよっ』

















 人間が五感を感じるとき、僕たちは目、耳、口、鼻を用いている。目は視覚、耳は聴覚、口は味覚、鼻は嗅覚。それぞれ器官ごとに役割が振り分けられるというのに五番目の感覚だけがイレギュラーな立ち位置に立っている。「触覚」、肌が外気に触れることによって感じるそれは不確かな情報なのにおびただしい量で僕を迫ってくる。



 今僕に降り積もる恐怖はたぶん、そんな感覚なんだろう。







 視界を開けると眼前に海洋、下部には栄える市場。海へと続く道はどれも坂なのは判別できるが、肝心の道が見えないほど店の看板やら何やらで埋め尽くされている。





「どこだこりゃあ、俺はこんなとこに来た覚えはないぞ」





 僕たちはおそらく高台から見下ろしているのだろう。空高い場所で散歩しているような感覚。



 屋敷の一室から打って変わって高層マンションの一室へと変貌する。何の変哲もない壁が窓ガラスに様変わりしているのだ。





『ここがロストシティだよお』





 いつの間にか雲と同じ高さにあった僕たちの居場所は街の建造物の高さと並行していた。





『君たちは巨大なエレベーターってやつに乗車したってわけだよっ』



「ここはいわゆる地下空洞ってのか?」





 彼、ケリーは思わず僕しかいない部屋で言葉を漏らす。傍から見れば独りごとのように見えるけれど、今のは別の意味なんだと察した。





『そーーうだともっ!どうだい?薄汚く陰湿な世界だと思ったかあい?』





 僕を蚊帳の外に彼らは会話を始めた。





「ああ。灯も希望もなく犯罪行為がのさばる街かと予想してたぜ、俺が生きていた故郷みたいなんじゃねえかなってな。だが……」



「人間が想像できることは、人間が必ず実現できるってか。なんともまあ桃源郷じみてんのな。俺は少なくともここまでとは想像できなかったぜ、」



『歓喜、幸喜、良喜っ……なんと喜びに溢れた言葉だねえ。君たちをここに連れてきて良かったよお』



「本当だな、明るすぎるくらいの町並みの風貌だ。どこもかしくも活気があるようだぜ」



『そうだろおう……』



「ああ、反吐が出るくらいにな。偽りの幸福にすがるなんてこと、どっかの誰かが言ってたのを嫌でも思い出してしまうくらいにな」





 反響音が聞こえなくなった部屋がたたずむ。どうやら声の主は彼の捨て台詞を咀嚼しているかのようだ。





 数秒の沈黙が続いたあと、再び声が聞こえた。





『……君の言い分は理解できるねえ。ヒトが幸せだと感じるのは他人それぞれ個人の主観だからね、ちょうど趣味、趣向がばらばらに分裂しているように』



『しかしだあねえ。議論より行動してみてその考えを定着させて欲しいんだよお。事件は会議室で起こっているんじゃあないんだよ』





 僕たちの背後で物音がしたのだがどうやら降りてきた階段が消失したらしく代わりに両扉が備わっていた。





『ほーーらあ、ここから私たちの世界への一歩だよお』





 緩やかに開くその大扉に目をやると、一気に新鮮な空気が流れてくる。それは本物の空気ではないはずなのにそう感じる、僕はある意味嗅覚が麻痺していたのかと誤認してしまうほどの再現度だと思った。





「そういやこの紐は一体何に使うつもりなんだっ?」





 彼は扉が開く音に負けじと声を荒げたが、声の主はそんな疲れるようなことをするまでもなく冷静にかつ高揚したような口ぶりだった。





『それはねえ……君たちが君たちでいるためだよっ。外部から来た人間なんだってあ・か・し』



「こんな引っ張ったら切れそうなやわな糸がか?」





 威勢がいいように、または自慢するように言い放った。





『ふふふん……よーーく見ててえ』





 声が途切れた数秒後、僕たちの前に文字や地図が空中に投影された。それは普段僕らが使用するコンテンツの一種だった、いやそれすら低レベルの技術に見えてしまうほど緻密に計算され設計されていた。





『見たことあるでしょう。まあ当たり前だよねええ。だって君たちが私たちの世界の技術を勝手に盗んだんだからねえ。卑怯、卑屈、非行なことだねえ』





 僕たちが盗んだ……?





『今君たちに私の声が届いているのだってこの技術のおかげなんだよねええ、直接脳内にシグナル伝達を行っているんだよお』





 僕は彼らが一体どんな人物なのかあまり知らない。ただ僕たちと同じ側であるというあまりにも簡単なことしか知らないのだ。だからこそ、僕は必要最低限だと思うことさえも重要すぎる案件だと感じてしまう。





「どういうことだよ!僕が君たちのものを盗んだって?何が何だか分からない……」



『それはいつか分かるよ』





 最後に放たれた言葉は、この世界で泣き叫ぶ我が子を慰めるような慈しみのような憐れみを抱いていた。











 そして現在に至る。





 突然の出来事だったせいなのか、今までの映像が脳内で録画、再生されているようなループ現象に至る。そのうえ一面緑の森だらけの場所の下にここまで活気溢れているとは現実味が無いと言ったらありゃしない。





「ったくよ、辺りを見回してこいって投げ出すのはどうかと思うぜ」





 バザーが催されていた通りの最終地点、ターミナルである中央広場で気休めする僕ら。彼が一つ買い物を済ましてからすぐさま僕のもとへ戻ってきた早々出た言葉である。





「とは言いつつ楽しんでいるじゃないか、ケリー。説得力に欠けるよ」





 彼はその手にぶら下げていた手提げを僕らが座っているベンチの隅に置き、一方の手で美味そうに新鮮なアイスクリーム頬張る。





「いんや、貰ったものは遠慮なく使わせてもらうのが俺の主義なんだけどよ。どうやらこの紐ただものじゃねえかもしれねえぞ」





 そう言いつつ、僕に左手を見せつけた。あと少しのところでコーンから落下しそうになる白い塊。





「あらゆるリソース兼アクセス権とはね」



「ある時は身体や、気候などの様々な情報の、またある時は金銭管理、身分証明の提示。僕らのデバイスが惨めに感じるよ」





 口に頬張ったまま彼は眉間に皺を寄せた。どうやら彼も僕と同じくとある疑念を抱いていたらしい。





「そうだな……俺たちが発明者じゃなく、まさか偽造をしかけた犯罪者呼ばわりとはな」





 今まで信じていたものを信じられなくなって信じるべきか再び考え直さなければならない時、人はこんな境地に至るのか。『何も信じられない』と。それは当たり前のことであると客観的に観れば当たり前のように信じられるのだけれど、そう簡単に物事が運ばないからヒトは過ちを起こしてしまう。そんな他人の脆弱性を語り切ったって事は進まないのに、僕はまたここに戻ってきてしまう。暗い、開けることのない闇夜に独り取り残される。遠海の向こう側には赤熱の炎に埋まっているようだ。





「おいっ、どこ見てんだよ」





 そしてまた世界に引き戻される。どちらが本当の世界なのか僕にはもう識別出来なくなるのではないか、そう思った。





 けれど、彼がパートナーで居る限り僕は永遠と迷い込まずに居られるような安心感があったせいなのか、僕はもう取り返しがつかないことになっていた。





「……ここはどこだ?」





 彼と別行動して間もなく、僕は知らぬ場所に連れ込まれてしまった。

















 アテナイの学堂という絵画をご存知だろうか。ルネサンス期の傑作とされたこの作品は言うまでもなくキリスト教を信仰するような表れのものでなく、過去のあらゆる学者によって成されているものだ。その中でも中央に堂々と立ち尽くし、論争する二人の男が特に目立つ。



 一方は抽象的な事柄を信じ空を指差し、他方は今日自然科学と呼ばれる類の経験論を重視し地上を指差している。彼らは同じ道を辿り、同じ目標を目指し生きていた。ただその方法が異なっていた、それだけの違いのはずなのに。







 どうして意気投合しなかったのだろうか。





「戻れ」





 わずかな息とともに出した言葉が自分のものではないと前の僕だったらそう信じていたかもしれない。





「どういうことだっ」





 僕と共に作戦をこなしプライベートでも過ごしてきたただ一人の存在、ジョン・ケリー。彼は叫ぶように、嘆くように僕を引き留める。





「僕は僕の居場所を見つけた、それだけだよ」





 けれど彼のそんな叫びをあしらう僕。





「君が故郷から日本国を母国だと見出したように、僕もここが僕の存在理由、アイデンティティの形成場所なんだと分かっただけのことだよ」



「お前の居場所はその日本国だろ!現実を見ろよっ」



「現実を見ていないのはどっちだよ!」





 思わず声を荒げてしまった僕は思いの居所を固めたその証なのかもしれない。





「もういい俺は戻る。お前のことはお前が決めるべきだからな」





 あっさりと諦めた彼を驚く間もないまま時が過ぎ去る。





 まるでテレビリモコンの取り合いみたいに些細なことで喧嘩する家族風景のように彼と僕の言葉の投げ合いは始まり、終わった。部屋の静寂が冷徹のような僕を引き合わせて結合しそうになる。







「いいの?」







 ふと彼が立ち去ったこの部屋には僕以外に一人いることを思い出させる。



 僕は無言のまま立ち尽くしその場をやり切る。





 それだけで理解してくれたようだった。

























 僕はなぜここにいるのだろうか。そんな問いにやっとのことで気付いた時にはもう遅かった。





 それは相棒を裏切ってしまう、数時間前のことだった。





 リビングルームのテーブルの椅子に独り座る僕。まさに一般的で善良な市民であるような家族風景が眼球に映し出される。温かさと温もり、柔らかな空気と匂い、昔懐かしい元の居場所のような落ち着きが味わえる部屋。けれどそこには僕しかいない、朝には皆で食事を共に過ごし、夕食には食事は勿論、「団欒」という名の心の拠り所がここには創られていない。まるである現象に対して環境を考慮に入れない、外的にしか再現しない科学者のように。そして彼らはいつもこんな言葉を口にする「心は非科学的だ」と。





「その顔からするとお、『懐かしい』って感情かなあ」





 何度も聞き、飽きた口調が僕の後ろ側から反芻する。



 段々と足音が近づき、僕の目の前で立ち尽くした。





「こーーんにちは。同胞くん」





 声の主――小柄な身をスーツに纏い、首からぶら下げる派手なネクタイが印象的の男。その素顔は目の周りを三角形と丸形の図形で包まれたピエロの仮面を被っているために年齢すら分からない。





「ここはどこだ?」





 僕は自分でも虚言をしていると頭が理解しているはずなのに聞いてしまう。それは知っているけれど知らないという矛盾のためだ。





「んーー。まだ記憶が混同しているんだねええ。まあ仕方のないことだよおねえ君はそれだけ胸の奥に仕舞い込んだってわけだねえ」







 窓の外には人工芝が植えられた庭。ダイニングには何度も開けて仕舞うを繰り返した冷蔵庫や電子レンジ。そういえばダイニングに入る時に言われたことがあったっけ。エプロンを着けながらIH器具で調理する人がすぐそこにいる。けど顔だけが分からない。顔だけがモザイクにかかったように消されている。







 頭の中の記憶が暴れだす。記憶という名の図書館が誰かに荒らされるように整頓されていた本達は地に落ちていく。次々と映写される風景、ある時は少年がドアを出入りして外へと遊んでいるのだろうか、またある時は微笑ましく会話を楽しんでいる、家族なのだろうか。でもそこにはやはりこの部屋が映されている。そして今度は映像に音声が付き始めた。食事の際にかける声掛け、洗濯を勧める誰かの声、外出していたのか帰宅して早々テレビの電源ボタンに手を触れて怒られる誰か。







 温かさに満ち満ちた声はいつの間にか頭の中をいたずらにかき乱す。片耳には大人の声、少年、少女の声が混じる。誰がどの人なのか、未だにモザイクがかかる人物たちが動き回るだけでそれが誰なのか、どの人の声なのかすら分からない。痛みに変化するその波長は僕をさらに苦しませた。







 まるで世界、この世に偽りが無いと言わんばかりの表情の少年がそこにいる。少年は独り座る僕に笑顔を振りまいてきた。





「幸せかい?」





 僕は大人げなくこんな小さな子供に対して逆恨みするように口ぶりで訊いた。





 少年はそんな僕の思惑を考えもせずに、





『しあわせだよっ』





 前歯が見えるほどの満面の笑み。思わず殴りたくなってしまうこの憤慨のベクトルを僕自身に向ける。ヒト特有の自傷行為というやつだ。僕は人間らしく痛みに感動を覚え、固執する。生きているだけで生きる理由も希望もない、僕は途方に暮れる孤児みたいなものだ。





 こんな日常が続けばと非現実な夢を想い続ける。それは愚かなのか、僕の心の奥に塞いだことは適当だったのか。それが最善の策だったのか。





『お兄ちゃんはしあわせじゃないの?』







 無実潔白な少年には素朴のようでちっぽけな事柄のはずなのに、図体だけが大きくなった僕にはそうは見えない。僕の生き方が悪かったのか、人生の選択で判断を怠ってしまったのか。そんなの人間である以上、僕である以上分かろうとしても、理解しようとしても無理な話だ。





「何が正解なんだよ……」





 僕は一人でテーブルに顔を摺合せているうちに再び現実の世界から呼び起こされた。





「君は自分の過去を思い出したことはあるかあい?」





 僕の過去を嘲笑うかのように語尾だけを伸ばす口調は変わらない。いつまで経っても変化を起こさないそれは今の僕にとってはもうどうでもよくなっていた。





「一度もなかった。人生の半分が僕の頭から消えているんだ」



「ふーーん。じゃあ、ここに来て何か思い出したこととかはないのかあい?」





 日本国では見られない古典的な家内風景。それは物心付く前には既に消去された文化だ。消去された?誰に?いつ?僕の記憶を目まぐるしく駆け巡る僕。かつて居た、居たはずの場所は確かにこんな場所だった。けど誰がそこにいたのか、どうやって過ごしたのかが思い出せない。あと一つ、そのピースがはまれば全貌が見えてくる。







「もう、いいよ」





 そんな僕に情けをかけるように頭から包み込んでいく。







 悲嘆しているように、宥めるように、慰めるように。僕の耳の傍らで彼は囁いた。





 生きていても生きる希望が見つからない。でも死ぬ理由にはいささか説得力が足りない。そんな支離滅裂な感情に一つの光が灯されたような気がした。





 僕が顔を上げた先には彼、スーツ姿の男ではなかった。





「おかえり」



「その声は……」





 聞き覚えがあって当たり前の人物。前の僕と少なくとも時の殆どを過ごした唯一の存在。





 あの日、あの場所で生まれ、別れた、





「トレア……」





 漸く靄が消え去り晴天を取り戻したようだった。















 僕は元来孤独だった。



 母は僕を産み落とした代わりにあの世へ移り、父は母が死んだと分かった瞬間に僕を愛すことは無くなった。互いを愛すことには嘘偽りなど毛頭無いと言い切れるほど仲睦まじい夫妻との評判だったらしい。そのためなのか、母が他界したのは生まれてきた僕が原因だと言われた。





「お前なんていなければな」





 僕が物心ついた時に嫌というほど聞かされた言葉だった。



 記憶のない罪を擦り付けられたようだった。僕は生まれた時から罪を被らなくてはならない宿命にあるのだと悲嘆し絶望した。





「やーーい。親ごろしーー」





 多人数制度の中で行う教育は嫌いだった。先生が黒板の前で偉そうに話を進める時間は数少ない安楽のひとときでそれが終わるアラームが鳴るということは僕にとって地獄の始まりだった。





「なんでお前なんかが生きてんの?」



「死んで償えよ」





 ヘッドホンで耳を塞いでも聞こえてくるクラスメイトの声はヒトのそれじゃないようでもっと悪魔の使いに似た声だった。何で生きているのか?そんなことを聞かれたって僕に分かるはずもない問いを何度も、そう何度も問い質された。





 だから生きるのが嫌になった僕はいつも屋上に走った。立ち入り禁止の表示を無視し、鍵がかかっていない小窓から体をすり抜けさせて侵入。そして人ひとり分ほどの柵の手すりを掴み我が身を投げようとする。





 頭を少しずつ地上の方へと傾かせ唾を呑み込む。汗が異常なぐらい流れているのが気持ち悪い。





 生身の人間がここから落下したらきっと……と何度も考えるうちに上半身は柵外から飛び込むような姿勢になるのだが、その時僕の頭に過る。





「あなたを生んでよかった」





 それは父の棚を漁っていたときに零れ落ちた音声データだった。母が死ぬ間際に遺したもの。





 僕を恨んでいる父がそれを何度も再生し涙を流している姿を忘れたことは一度もなかった。それはまあ大切そうに胸の内で見守るようにしているという現実を僕自身は信じられなかったけれど。愛の反対は憎悪ではないということが目に見えた瞬間だった。 





 そして、その声を聴くたびに僕の決心は砕かれたのだ。







 浮いている下半身からゆっくりと戻し、地に足を着ける。不思議と生きた心地はしない。この一連の動作を休み時間のうちに時間が余る分だけ繰り返す、そんな日々を送っていた矢先に現れたのだ。





「こんにちは。ささきくん」





 全身の重みをコンクリートに任せて仰向けになる僕を上から覗く少女がそこにいた。つぶらな瞳と短髪の髪型がマッチし幼げな雰囲気を醸し出す彼女。





「何しているの?」





 そうやって僕の行動を聞いてきては腹を抱えて笑うということを毎日のように繰り返し、いつの日か習慣のようになった。





「結局のところさ、君のその消えたいって感情はさ」





 けど、笑うということは決して嘲笑うという意味ではないようだった。





「君がやさしいってことなんじゃないかな」





 小学教育を受けていた恋愛という感情すら理解していない幼き年の僕。



 けれど、漸く僕を理解してくれた他人彼女を守りたい、そんな感情が生まれた瞬間だった。



















 彼女、真崎トレアは僕と同じ年、つまり同学年の立場だった。彼女も幼少期に両親を交通事故で亡くし義母に引き取られた、要は僕と同じ境遇の存在で分かり合うことが出来る唯一の人だった。





「ねえ、君はさ私と似たようなところがあるよね」



「同じ境遇ってこと?」



「ちがう、ちがう。君と私が根源から似てるってことよ」





 僕らは身をかがめ屋上からの眺めにふける。彼女の言葉は小学生のそれとは違和感があって知識が無い僕にとってはその違和感にしか成り得なかった。





「性格、言動、感情の動向とかね。成り立ちが似てるからかな」



「生きてきた境遇とその人の人間性が似通うって話はあまり聞いたことはないけどなーー」





 違和感だけれど、内容を把握するのは難しいけれど、それでも彼女が僕を非難しているようには聞こえなかった。なにせ、





「でも、そうね。そんなの他人の話だし、私たちは私たち。イレギュラーなんてすぐに創れるものね」





 僕を見つめて納得する彼女を見ると変な安心感が芽生えたのだから。





 そんな僕の中に新しい感情が芽吹いた時に更なる風が吹いたのだった。





「ねえっ、いつもここで話しているけどさ。たまには外で会わない?」





 僕よりも年上のような彼女の言動に気負いしないようにと威勢よく返事をした。





「ああ、いいよ」





 外見からでは何も変化なんてないと誇れるけれど、内側の僕はそんな大層なこと出来るはずがなかった。



















 そして当日、集合場所に出向いた僕を待ち構えてたのは絶望という、一言のみだった。



 僕が向かった時刻、僕と彼女の故郷は赤熱の炎に包まれたのだ。運よく隣町が集合場所だったものの、彼女とは連絡手段すら持ちえない僕は安否すら確認出来なかった。



 小学校に戻ればわかるのではないかと考えたのだけれど、その場所さえも燃やされ灰に化したようだった。



 行く当てもなく放浪していた僕は当然食糧を買う財源も底をつき野垂死にする時だった。



 温かみも、温もりも感じない、冷たく冷徹な腕と胸で抱えられた。その時の人物の顔や表情はよく覚えている。





『なんて人間みたいな顔』





 孤独で貧弱で息絶えそうな僕をまるで割れ物に触れるように抱きかかえた彼は、僕のこれからの恩師となるミスター・レンだったのだ。





 その後の僕はというと壁に包まれた完全立法地帯東京において情報を得るばかりだった。



 僕の生まれ故郷はどうなったのか、何人死んだのか、何故火の海と化したのか。



 けれど、得られる答えはいつも「無」で些細なヒントさえも摘まれていた。人生の殆どを削られた僕だったけれどその場所で過ごすうちに自分の人生の塗り替えをしていくようで少しずつ記憶を失っていった。





 そして記憶を取り戻した今、僕はやっとのことで生きる意味を見出せた。





 恩師の背中姿を追うことか? そうじゃない。



 この国を守ることか? それでもない。



 欲求のためか? そうだ。



 何故、欲求などという無粋なものから現れるのか?





 愚かな人間だからこそ、『誰かを守りたい』って感情が生まれるんだよ。













「ねえ、本当に良かったの?」





 暖かな日差しと夕焼けが温和な家族風景をさらに印象深くする。見たことのある家具ばかり置かれて、しかも記憶にある配置と全く同じ。





「ああ、これでいいんだ。これで……」





 でも彼女はというと僕と違ってそこに入ったことも見たこともないはずなのに、不思議と僕と同じ境遇の人間なんじゃないかという思いに駆られた。





「仲間思いなのは心優しいあなたの証明なのかな」





 真崎トレアは年齢と身長は変わったものの、彼女らしさを示すものは何一つ相変わらずそこにはあった。





「ほとんど変わっていないんだね」



「女の子に向かってそれは言っちゃダメってこと知らないのー?」





 僕の目線の先が彼女の頭にぶつかるので下に目線をずらすと目を細めて僕を睨む少女、彼女の姿がある。



 髪型は短髪から長髪へと変え、髪色は茶色から黒色へと移っていた。けどつぶらな瞳に幼げな様子を醸し出すのは全くと言っていいほどあの時と同じだった。





「ごめん、ごめん。ほんの些細なジョークだよ」



「じょおーくじゃないでしょうよ!もうあなただって相変わらず死んだ魚の眼みたいな顔してるじゃないの」



「それは単なる悪口じゃないかっ?」





 僕の突っ込みに彼女は腹を抱えて笑う、結局のところやっぱりあの時から時間は経過していないようなノスタルジーを感じた。





「なあ。何であんな格好してたんだ?」





 僕は彼女に問いかけると同時に机の上に置かれたマスクを指差した。





「何でって、当たり前のことでしょうよ。あなたと私たちじゃ犬猿の仲みたいだし、そのうえ姿なんてさらしたら何されるか分からないでしょう?」



「僕からすれば『作戦』みたいなものなのか……」



「ん?私は私たちがやりたいから行動しているのみよ?」





 彼女はさぞ生きたいように生きている自由奔放で健気な気がした。そしてそんな姿が羨ましいようにも思えた。





「私たちの判断であなたを連れ込んだの。誰からも指図されない、自分の正義に従って実行したの」



「カースト制ではないってこと?」



「そういえばそんな古びた制度あったねえ……そう、みんな平等に過ごすのよ、でも他人に危害を与えるのだけは死んでもやっちゃいけない、禁じ手。あっ、死んだらそもそもそんなの出来ないっけ」





 零れ落ちたような冗談は敢えて僕は拾い取らずにそのままにしたのには訳がある。それは聞いていた話と全く違うことだった。





「危害を与えないってことは、殺すことも駄目なんだよね?」



「……当然よね」



「なら、英国の場合は何だったんだ?」







 彼女の表情は少しも変わらずただ事実を平然と語るのみだった。





「あなたたちの自作自演よ」





 信じられなかった。





「あんなに建物を崩壊させてヒトを虐殺しては、他人のせいにしてね。ほんっと、こちとら迷惑極まりないって話よ」



「っ待って。自作自演?つまり僕たちが勝手に壊して助けたってことか?」



「はーーあ、そうよ。これだから事件を引き起こした当の本人は気付かないってわけねえ」



「っじゃあ、君たちがテンプル騎士団という名前で活動しているテログループってのは何なんだよ?」



「テログループ?ははあ……」





 彼女は溜息を一つ吐いて僕に真実を教えてくれた。





「ねえ、あなたはさ、ニュースとか報道されている情報をそのまま鵜呑みにするわけ?まさかそれでこの場に来たわけじゃないわよね」





 僕はうつむきながら。





「ごめん……」





 まるで自分に非があることを理解した子供のように頷いた。





「でもまあ、考えたらあなたがそう簡単に『はい、そうですか』って納得するはずもないわよね」



「知ってるかな、肩に十字の紋様がある人たちのことなんだけど」





 いくら忘却の彼方へ送りたいと考えても戻ってくる因縁の敵のことだ。





「知ってるも何もそいつらと出会ったからここにいるんだよ」





 何を言っているのかさっぱりという姿で僕に訊いてきた。





「一応言っておくけど私たちの中にはそんな人たちいないわよ」







「『信じられない』って顔ね。まあ仕方のないことよ、私だってあなたの立場だったらそうなると思うもの」





 僕は無言で彼女の言葉を待つことしか出来ないほどに呆気に取られていたというか、人間信じられないようなことが立て続けに起こるとこうなるのかと実感したのだ。「信じない」とすれば行動を起こすのは簡単だけど彼女が僕に虚言を伝えていると思う方が難しい。





「私はこちら側に引き取られ、あなたはそちら側に引き取られたって話よ」



「私はね、あの大火災の後に親戚の人に引き取られたの。両親は元々縁が無いようなものだったし、当時の私にとってあまり関係ない話だったのだけれどね」



「んで、私はその人たちと引っ越した先がここだったって魂胆よ。突然の海外旅行なんて私にとって驚天動地だったねーー」



「まさか地上じゃなくて地下に住むなんて思いもしなかっただろうしね」





 誰でも想像できる予想なのに、彼女は自分以外の誰かに打ち明けたかったと言わんばかりの表情である。





「そう!まさにその通りよ!まさかあの伝説の地下空洞があるなんてね。まるで不思議のダンジョンに迷い込んだんだって感じたわよ」



「って、私のことばかり話してるけどさ…」





 そして、彼女はあの時以来の憧憬がこもった眼差しを僕に向けてきた。





「ねっ、あなたの過去を教えてくれない?あの事件が起こって離れ離れになってからどう過ごしたのか。私は知りたいの」



「知ってもいい話じゃないよ」



「いいよ。とにかく知りたいの」





 彼女の眼には光や星が散ったように眩しいほどの熱を帯びていた。僕は言うか言うまいか一度試行錯誤したのだけれど彼女には勝てなかった。





 そう、あれは火の海から助けられた後の話だ。











 都市部へと赴いた後の僕は部屋に閉じこもり外界からの情報をシャットアウトした。当時の僕にとって自分の居場所がそこしか無かったからなのかもしれないが、本を読んでいる時は心のどこかで落ち着けた。幾つも並ぶ活字に目を通し自分の言葉で、頭で想像する世界は心地が良いものだった。目を閉じればそこには僕が目指していた理想郷が現れ暮らしている住民が僕を呼ぶ。僕はゆっくりと歩み始めそのうちに早足となりいつのまにか駆け足となっている。けど、いつになったら向こう側に辿り着けるのか。それもそう足を動かしているのに体が前に進めないのだ。目の前に広がる光景は魅惑的で僕を高揚させたのだけれど一過性に過ぎなかった。





 やがて現実に苛まれた僕は目を覚まし、周りに目を向ける。





 空想で理想でしかない無数に広がった物語の原本は部屋のそこら中に散らかっている。





「僕も主人公になれたらな……」





 閉ざしているカーテンの隅から差す光のみが灯となっている部屋で無精ひげを伸ばし、襤褸布となった半袖シャツの僕。まるで悲劇の世界に巻き込まれたようで口角が上がった。



 己の自嘲を止めようと自己防衛が働いたのか、僕は気を紛らわせるために埃まみれのテレビを起動させる。



 時刻は日が傾き始めた夕方だったような気がする。その時は全国ニュースしか放映していなかった。



 刻一刻と過ぎ去る時の最中に動く世界情勢には殆ど興味が湧かなかった僕は『紛争地区で○○人が死亡』だとか、『テロ組織による大量虐殺』なんて報道は本当にどうでもよかった。自分とは無関係な人々が死のうが僕には何もメリットもデメリットさえも生じ得ない、僕には愛なんてものはそも存在していないようだった。





『15となる長男を残し両親は死亡。その他親戚と思われる人物とも連絡がつきません』





 とある街で、とある時間のことだったらしい。街は火ではなく黒い何かに覆われ建物は倒壊し街そのものが何かによって動かされているような光景だった。



 原因不明の洪水に見舞われ少なくとも街の7割の建造物は倒壊、人口の8割は死亡を確認。



 僕の手は自然と汗を噴き出したように湿り気を増し震えていた。報道側の考慮がされたためか音声は全て消され街並みが波によって失われる瞬間が刻々と映されていたのだけれど僕には耳から音が聞こえるなんてそんな無駄な媒介などしていなかった。生々しいうめき声と「痛い」という叫び声。助けを乞う弱弱しい声が段々と薄れていく街。それは本当の音声ではないのだけれど僕が体験した本当の音声でもあった。





 皮膚が焼け焦げているにも関わらず生き延びてしまった人、燃え盛る炎と煙の中で必死に生き延びようとする人。何の罪もない人々が地獄で罰を受けるような映像。





 僕はそんな阿鼻地獄のような光景を見るたび再び物語に閉じこもるように文字を読むのだけれど、それでも僕の足を掴むように人々が追ってくる。そんな日々を過ごしていた。







 僕の感情が佳境に至った時、よく目にしたのが架空の物語でもあったのだけれど「何かについて語った文章」はその中でも格別なものだった。誰かの考えを批評したり賛成したり自分の考えを産み出す一連の動作は嫌いじゃなかった。自分が生きる意味、他人を殺さない理由、ヒトが生まれた真の由来。そんな半ば哲学的な内容を理解するには難しいこともあったけれど愉しいものだった。長期間考察を続けたのちに得られる自前の結論は僕に生きる理由をもたらした一つの鍵でもあった。





 けど、一つだけ、ただ一つだけ分からないものがあった。





『幸せとは何か』





 こんな陳腐な問いに悩まされ何度も絶望に浸った。





 何を見ても、読んでも、聞いても。返ってくるものは『幸せを得るにはどうすればよいか』などというヒトの欲求の塊みたいなものばかりだったのだ。僕が知りたい概念そのものを答えてくれる情報源はそこにはなく、嫌気がさした僕はとうとう自ら投げ捨ててしまった。





 他人の手で理解が出来ないのなら、僕が僕自身の手で見出せばいいじゃないか。





 そんな基本的なことに漸く気付いた時僕はとある人物のナンバーを発信させ、





「もしもし……」





 弱気で貧弱な声に応じたのは彼。





「もしもし、ああササキか?」



「はい。そちらはレンさんでよろしいでしょうか……?」



「そうだ。何か用か?」





 僕が話したい人物にすぐに連絡がつながり一安心したのもつかの間。





「僕をあなたのもとで働かせてください」 





 「幸福」を探すためのエンジンにガソリンが注ぎ込まれた瞬間だった。



















「で、これからどうするんだい?」





 信用し信頼してきた友を自分からむざむざと裏切る感覚は心地が良いとは口が裂けても言えないので僕は気を持ち直して彼女に今後について促す。





「うーーん、これと言ってやりたいことなんて無いなあ。あっ、あるとしたら世界旅行かな」



「君が見たテンプル騎士団ってのも興味をそそられるんだけど、あいにく血が滴るのは嫌いだかんなーー」





 まるで長休暇の旅行計画を立てるように目の前の女性は語り始める。





「旅行って言ってもまだここにしか来たことがないからなあ。というかここアフリカが始めての観光旅行地なんて物珍しさもたまったもんじゃないね」



「でも地下じゃないか」



「そうよっ!だからアフリカに来たって感じはしないね……あはは……」



「ねえ。あなたってさ職業上ここに来たんでしょ?」





 あまり自慢できるものではないが。





「ならさ他にも違う場所に行ったりしたんでしょ?」



「そうだよ」



「やっぱりっ!!ねえねえ教えてくれない?あなたがこれまでに訪れた街とか、風景とか」





 僕は暗い暗い闇夜の中から鍵を探し始める。それは鍵というより断片的な何かが落ちているものを拾うような気がした。『記憶』という名の何か。





「知って得する話じゃないってことは言っておく、それでも聞きたい?」



「うんっ!」





 目に星を散らせた彼女の微笑ましい姿と表情。これでもう二回目だ。これはこれで僕としては嫌ではないが。



 一つ、また一つと思い出す凄惨で惨殺な記憶。僕の皮膚から吐き出したいほど染み出てくる他人の痛み。





 意味もあるのか分からないまま破壊、殲滅し尽くした地、瓦礫の山と化した街米国。外へ、そのさらに外へと逃げ出した骸がそのまま残り続けた本当の意味での死海が生まれた英国。ヒトの存在意義を否応なしに引き?がされ、安全を模倣した国、中華人民国。





 どれをとっても『幸福』を掴んでいる者などおらず、権力を、財力を経済力を手にした者さえも生きる理由を見いだせないでいた。彼らにも欠点はあった、醜態を晒し人間特有の罪を犯した。けれどきっと本質的な罪を、無期懲役になるほどの悪態を犯したのは彼らではないのだろう。根源的で概念そのものに繋がるその答えは「僕ら」しかありえないだろう。





「ふーーん、まああなたたちが引き金みたいなものだからねえ。それは仕方ないんじゃないの?」



「でもさ、少しは何か見えなかったわけ?引っかかるところというか違和感みたいなものをさ」



「違和感か……」





 海外を渡りその都度ミーティングし報告してきた。それは僕たちの上層部であり……「マザー」だ。そういえばあの時、こんな感情を汲み取っていたっけ。彼が僕たちからすれば本物ではなく偽物だと。





ーーあなたが本当の母親とは思えないーー





 それは僕と彼らにおいて似ているところもあったし違うところも見つけられた時だ。





「そういえば、ヒトの感性とか考え方とは少し違うなって感じたような気がする」



「合理的に事を運ばせるっていうような傲慢さじゃないんだけど、何ていうか他人を見ていないって感じかな」



「それって結局のところ傲慢なんじゃないの」



「いや少し違うんだよね、自分の為に誰かを切り捨てるってことはしなんいんだよ彼らは」





 だからこそ、彼が我が子を自分の子供のように見ずに放っておこうとしたあの態度が違和感だったのだ。





「彼らだって自己中心的な世界を作ろうとはしなかった。低く見ても彼らは世界の中心はヒトだと認識していた」



「なんでそんなこと言えるの?私たちのことを殺そうとした張本人じゃないのよ」





 テンプル騎士団という名を語り虐殺するシステムのように殺す彼らの残虐性からすれば誰だって否定したくなる。けど僕は違う面からも彼らを見てきたことを伝えなければならない。





「そうだけどさ……彼、僕らがどう思って生きているか何度も訊いてきたんだよ。今は幸せか?ってね」



「彼らからすればさ、自国を敵から守るように安全策を練ったり食糧を確保したりってのはつまりは僕らのためにって考えなんだよ」





 目の前の彼女は机の上で頬杖を突きながら静かに聞き入っている。それを良いことに僕は淡々と淡白に持論を展開していった。





「君たちに危害を与えたのも、そのせい……」





 けど彼女は居ても立っても居られなくなったのか、頬杖を突いていた腕を僕の顔面に向けて言い放った。





「それって、あなたたちもグルってことじゃない」



「誰が死のうが、生きようが私には関係ない。どこかで誰かさんが処理して終わる。身勝手なものね」



「でも、これを知っているのは僕だけだよ」



「どういうこと……」



「情報操作だよ。政治の上層部がそもそも僕たちじゃないからどうしようもないんだ」



「あきれた……それで人間、いやヒトへの役目だって言うの?」



「生きるためには各個人に『正義』が必要なんだよ」





 僕の言葉に察した彼女は突然口ごもり口出しすらしなくなってしまった。





「で……あなたはこれからどうしたいの?」



「僕?僕がしたいこと……そんなの何もない」





 考えついた答えがそんなちっぽけなものだったので彼女は肩をすくめて息を漏らした。対する僕も自分の不甲斐なさに腹を立てていた。





「本当に?何かないの?誰かを助けたいとか、そんな大層なものじゃなくてもいいから何かがしたいって思わないの?」





 本当にしたいこと、弱虫の僕が自分で自分の力で成し遂げたいこと。願う夢なのではなく追う夢、希望を持ち走り抜けていきたい現実的な夢。





 それはあの日、あの時誓いを立てたあの決断を実行すること。







 ――この世界に終焉をもたらさん――







 僕は再度の握りこぶしに力を込めて決意を新たにした。



















「なあ、なんで俺たち小部隊って二人編成なんだ?」





 これは、そうだ今のこの状況を予想なんて出来もしない日のことだ。



 僕なのに、僕じゃない誰かが答えた。





「またかい?前も話したじゃないか。いい、進軍するときに丁度いい数がその程度なんだよ。例えば三人だとしてそのうち二人が進軍して、一人が待機するでしょ?それだと待機する人が一方を確認してももう一方の確認は疎かになってしまう」



「ああ、そうだ、そんな感じだったな。でーそれだと作戦の効率が悪いわなんやらで、二人に帰結したってわけか」



「そうだよ。二人ならお互いの安否を確認しあいながら進軍もできるしね」





 まるで僕は水面下で溺れる少年のようだ。だって水面上で彼らが談笑していてそれを下から覗いているのが僕なんだから。



 過去の在ったことを思い出すことを何て言ったっけか。





「でもまだ、もう一つ理由があるんだよ」





 彼の耳にささやくように僕は言っていたようだ。



 それに呼応して驚いたようだが、そんなことは天地がひっくり返っても起きないだろうと過信する彼がいる。







『ああ、これは走馬灯ってやつなんだ』



















 ベースキャンプ地に戻った孤独に包まれた男は裏切られたような感情や自身を責め立てるような感情にも陥ることもなく、ただ一点虚空を見つめていた。かと言って気力が抜け脱力したわけでもなく彼はこうなるんじゃないかと予想しきっていたよう。





 青空を呆けていた彼のもとにとあるメッセージの受信音が響き渡る。





「なんだよ……ってふふっははは!!」





 不気味に轟く笑い声はまるでこの森の主のようだ。





『ササキ小隊を拘束。もしくは排除を決行せよ』





 人間性が感じられる文面なんてもうそこにはない、あるのは自分の立場が危うくならないための予防策。





「ったく、俺には嫌な仕事しか回ってこねえな。なんだ?これが俺の贖罪ってかよ、笑えない話だぜ」





 ライフルを背中に掛けてリュックのように見せるカモフラージュを加工する。そして念のために小型拳銃の弾倉に弾が充分に入っているか確認しポケットに突っ込む。





「さあさあ、最後の戦いとなるぜ。相棒」























 浅い眠りに落ちた時、僕は悠然とその時を過ごしていく。それは当たり前の話で、ああそうなんだと納得するしかないような夢物語。浅はかな知恵とどうしようもない人生経験なんてものはそこには必要なくて、ただあるだけのものを見せられるのが夢。見たい夢なら、何度も夢に現れるように祈願する。そんなのは意味なんてものはなくあるのは確率という無慈悲な数値だけなんだ。今日は悪夢だった、昨日は清々しい夢だった。そんなのは必然であって偶然でもある。そう覚えられたのは、物心がついた頃よりもずっと先の話だ。





「寝てたでしょう?くーすか気持ちよさげな息遣いが聞こえたよ」





 正方形の机と角にちょこんと腰掛ける少女の姿がある。正確には世界が横に見える形でだが。





「ああ、いい夢か悪い夢かどちらでもない夢を見た気がするよ。何というか報えない話だね」





 僕は垂れかかった涎を溢さぬよう袖でふき取り重圧に駆られた頭を起こす。





「よく分かんないけどさ、ねえほんとにこんな場所に来るの?」





 紙という媒体が主流だった時代こういった場は神聖なものだとも崇められた。僕たちには触れることすらできない文化なのだがその魂のような最も重要な心臓部には触れるというよりも違う感触を味わえる気がする。そうまるで痛々しい我が子を包むかのように、直で触れない苦しみを生み出すように。





「来るさ、来ないはずがない。痛みを分けて生きてきたんだからね、だからこそ痛いほど彼の考えはわかっているつもりだよ」





 紙に描かれたその束となったものは「本」と呼ばれる。それらが密集して収束されている場所なら一つしかない。『図書館』だ。





「でもこれじゃあ、戦えないんじゃないの?あのケリーさんだっけ?その人だってあなたを殺しに駆けてくるんでしょ」



「そうだよ」



「だったらなおさらじゃないのっ?広くて戦いやすい場所の方が良いんじゃないの?」



「君の言う通り、戦いやすい場所がここってことだよ。まあ見てればわかるよ」





 そう言いつつその小さな少女の掌に茶褐色に染められた文庫本が埋まっているのが見える。





「何を読んでたの?」



「ん?これ?」





 僕が彼女の手にしたそれに興味ありげな態度を取ると彼女は意外そうな目で僕を見つめてきた。





「そう、それ」





 そして差し出した彼女の手に僕も指差した。





「これは『幸福論』」



「なぜそんなものを?」



「そんなものなんて酷いなあ。この本だって真面目に書いた人がいるのに、その人に対して失礼だよーー」





 丸い瞳をまるで星のように輝かせる彼女の姿は、そう世界を未だに知りもしないで憧憬ばかり寄せる小さくて脆くて壊れやすいような子供だ。





「私だってこの人みたいに何を幸せにすればいいかーーなんてお利口さんなこと考えたりするんだよ」





 本の背表紙を人差し指でなぞる彼女の姿、そんな子供っぽい姿なのにどうしてか子供のようには見えない。





「自分で利口って言ってる時点でもう傲慢だね」



「あ、確かにホントだ。これじゃあ逆効果だね、もうこれだから日本語は難しいんだよー嫌になっちゃう」





 違和感だ。





「でなんでこんな本読んでたんだ?」



「またまたーー、もういいや……んんでそうだねえ。口で語るのは文字に起こすよりも困難を極めますっと言いたいけどそれじゃ逃げていることと同じだかんなーー」





 どうしてこんな泥のように纏わりついてくるんだ。





「うん。分かった!言えることなら一つだけあるよ」





 彼女の頬や瞳と仕草を彼女からの言葉と比較するたびに僕は胸を削がれる。





「じゃあ、言うよーー」





 聞きたくない。聞き入れたくない。けれどここで自分の耳を手で覆えってしまうことは許されない。



 さっきまで座っていた机からひょいと立ち上がり僕の方へ振り向く。





「私じゃない誰かの「しあわせ」の在処を知りたいからなっ!」





 彼女が持つ本……ではなくそれを持つ指に付く光り輝く反射物が視界に入った時、





 ああ、傲慢だったのは僕の方だったんだ。



 僕はそう感じた。













「」





「」



 砂塵舞う砂地や砂漠でじりじりと絞め殺すような蒸し暑い乾燥地帯。



 無数の本達は我先に読んでくれと言わんばかりに僕の方へと自己主張しているようで息をすることさえも辛く感じた。



 湿気を逃がすための乾燥機が至る所に配備されているために湿度はものの数パーセント。ラフな格好でも恒温動物が生活に難を示すほどの乾燥域であるのにも関わらず僕はとある人物の到着というほんの些細な動機のために待ち続けている。



 僕の居場所はというとテンプル騎士団直属情報管轄区域及び書類管理区域一要約すると「国営図書館」というわけである。



 僕は一階エントランスが一望でき、向こうからは死角の位置に陣取る。まさに絶好の狩場だ。



 これも彼の言う紛争国における戦闘対策マニュアル通りに執る策であるということを恐らくこの後訪れる敵も理解しているであろう。が、僕にとってその不安要素はむしろ興奮を嗜める材料の一部と化している。



 金属と金属が互いに摩耗する音と共に手持ちのAKの弾倉を装填する。





 「ここを離れていてくれ」





 彼女に遺した言葉になってしまうのかもしれないと夢うつつ自分語りをしてしまう。あのまま僕は彼女を助けて救おうなんて安易な考えをしていたらきっと彼女にとっては裏切り行為になってしまうだろうと、そう脳裏に過ったので僕は引き留めた。誰かを助けて救うことは何も害悪でも悪態や醜悪なことでもない、寧ろ感謝されるべき行為である。だがしかしそれは世間が感じる、いわば世論ということになりイレギュラーを無視するという資本主義の典型的な例であるということも無視してはならない。この場合にとっての僕がそうだ。誰かを救うのは喜ばしいことだが、彼女には彼女を救う人が毅然として決まっている。





「僕には守れない」





 釈然としないようで「どうして?」と頬を膨らめながら僕を眺める人がそこにいる。



 だからこそ、僕はあと一押し、再度背中を押してやらなくてはならない。





「僕には君を守れる自信が無いんだ。とやかく言うのはもういいから僕と彼だけにしてもらえないかな」





 男の我がままという、これまた時代が古臭いような捨て台詞を語った。なんてキザで胡散臭い言葉だろうと自分で放った言葉を噛み締めて思う。



 そんな僕の思いの裏腹に気付いたのか、そうでないのかは置いておいて傍で話相手になっていたその人物は僕を不満げにも離れていった。





「ごめん」





 誰かを憎むことや恨むことはいともたやすく出来てしまう行為だけれど、誰かを愛すことは本当に難しいとしみじみと感じた。





「やっときたね」





 僕はポケットに乱雑に突っ込んでいた小指ほど大きさの小型デバイスを取り出し耳にかける。電子波長とγ波長が一致すれば音信通話が可能になるこのデバイス、僕のには一つしか波長登録されていない。





『当たり前じゃねえか、借りを返してねーんだからな』



「僕からは君と何ひとつ貸し借りなんてしてないような気がするんだけどね」





 エントランス付近、入口入ってすぐの図書管理カウンターの横で突っ立っている男の姿。





「それに君はそんな佇んでいるだけでいいのかい?僕をやる前に僕がやってしまうよ?」



『ならやってみろよ』





 瞬間、爆風が巻き起こる。違う、煙幕の中に砂を紛らせている砂塵煙幕だ。爆弾を使用すれば自分の身に危険がおよぶ、かといって煙のみの煙幕などすぐに解消されていしまうのが落ちだ。そこで考案されたのがこの砂塵煙幕、細かな塵が煙と相重なって視覚に悪影響を二重にももたらすのだ。





「まったく君が小細工ばかりなのはいつになっても同じだね。本気にかかってこないと僕が先に片をつけるよ?」





 演習風景でもそうだった。普段、私生活では豪語、剛力、豪傑なのだがそれは全て口から出た錆のようなもので実践ともなればあろうことか敵に対しても一つ躊躇いを作ってしまう。



 それが僕と彼が変わらず、同じペアだった要因でもあった。僕は部隊長で彼はその隊員という上下関係はいつにたっても変化は起きず、ましてやその入れ替えなど雲の上のようなことだった。





『お前先輩はいつもそうだ。作戦に対して温情を持っていると思いきやそうでない、反骨精神の塊。いつだって生きた心地がしなかったぜ。なんせいつものように隣に死神が座っていたんでな』





 僕は本棚に寄り掛かり溜息を溢す。そして僕は思わず笑みという状況に全くそぐわない表情を顕わにしてしまう。





「そういう君も柔らかだったよ。柔らかすぎてうっかり潰してしまいそうになるほどね。悪意無くても消失させてしまう僕の気持ちを理解できるかな」



『はっははははは。理解できるかって?それは人間と死神が意思疎通できるかって話だよな』





 突然の轟音とも呼べるほどの笑い声が一階、本棚が密集している場所から聞こえる。ちょうど僕の真下だ。





「そうだよ」





 しかし返ってくる返事は期待通りの返事ではなかった。





『できねーよ』



『頭のネジが1本、いや100本狂って外れたロボットと会話できるか?あんたそれだけぶっ飛んでんだよ』



「君が僕を卑怯と呼ぶのは気にしない。がだ、君が、君自身がこの世界、あの国を理解していないことが、それだけが気にくわない」





 そこで僕は目が乾燥する原因を自分から引き剥がすかのように瞳に指先を触れ、そして透明なシートを取る。





『もうお説教は懲り懲りなんだよ』



「それはこっちの台詞だ!」





 僕と彼で互いにライフルの銃口を地面に、そして天井に向けて丸い小物体銃弾は瞬時に空を切る。残留し床に積もった塵が再び舞い上がり僕らを煙の中へと誘う。





「お前はケリーは知らないとそれだけで済ましているのが罪だとなぜ分かろうとしない!知らないことが罪なんじゃない、知ろうとしないことが罪なんだ!!」





 また僕はらしくもないこと他人の言葉の引用をしてしまう。





『だったらなぜ俺にも、誰にも言わず自分で決めて突っ走しっていったんだよ。俺だって知りたかった、知ろうとした。だがそうする俺の態度を何事もなく、跡形もなく葬った。素知らぬふりをして自分には関係ないと主張しながら俺を、殺した』





 僕には訳が分からなかった。弾が尽きたライフルをその辺に放り投げ、変わりに腰に巻き付けてある手榴弾の栓を抜き、穴の開いた床に投げ捨てる。





「殺した?僕が?君を?」



『とぼけたって無駄な話なんだよ!』





 僕が投げた場所と少し離れた場所で爆音が聞こえる。するとその直後にお土産という名の黒い卵が返された。僕は目視で確認した後に、その黒い塊が地面に触れず投げ上げられて漸く自由落下しそうなタイミングで蹴りを入れる。おそらく彼と同じ方法だろう。





「とぼけてない。本当に訳が、分からない」



『そう言ってまた同じ間違えた道を通るってことをどうして理解しない!知ろうとしないことが罪だったら猶更あんたのほうが罪深いじゃねーか!』





 自分が主張した「悪」についての理論を自分で変えて新たなものとすることに文句など言えない。しかしその前提となる確立された主張、いわば周知の事実とされる事柄を引用しているにもかかわらず、その逆を語るのは愚者のやることだ。





「僕が間違えていることは噛み砕ける。けど君のためじゃない」



『なら、誰のためなんだよ』





 ここで自分の為だ、と言えばそれで収束したのかもしれないけれど僕の胸底にあるわだかまりがそうさせてくれるはずなかった。それは元より知っていたことだけれど。





「僕じゃない他人あのひとの」



「言わせねーよ」





 いつの間にか僕の前にはその男が立っていた。彼は僕が続く言葉を遮るように留めておくよう念を押すように僕にのしかかってきた。



 彼はおもむろに自身の指先を目に触れて透明なそれを取り出し、跡形もなく拳の中で潰した。





「あーあー、それじゃ命令規則じゃないのかい?」





 眼球に装着することが義務付けられているコンタクトに似たそれは軟化素材小型デバイス。ナノマシンが内蔵されたそのデバイスは人間でいえば目と同じ機能を持っている。つまりはそのデバイスで外部を録画しその映像データをライブで母国に送っているのだ。そう、僕や彼のようにいわゆる外国と呼ばれる国へ訪れる場合、必ずと言っていいほどそれを装着させ、させた上層部の役人は偉そうに椅子に深く座りながらモニタリングしているということだ。





 だからこそ、僕がここにいることもこういった結末に至ったことさえも当事者にならなくても当事者のように振舞っているのだろう。





「俺とお前との話し合いの中で不十分で不都合な関係にあったブツを取り除いただけだって言えば何とかなる」



「珍しく剛健だね。どうしたの?気分や調子でも上がったの?」





 彼は僕のこそばゆい様で同時にかすかな怒りもこみ上げたように僕に怒号に似た一言を炸裂させた。





「黙れ」



「…………」





 沈黙と漂流した空気感。淀んだ大気の流れに逆らうような彼の威勢のよさ。こんな状況なのにふいに笑顔が生まれる。



 気付いたの内に入るのか、それとも気付かないうちだったのか、はっきりとではないが気付いたのうちに入るのだろう。





「僕はね……」





 まるで悪者が正義のヒーローに懺悔するような声音で、かつおどろおどろした様子を消し去って、





「自分の存在理由が知りたかった」





 なぜ僕がこの立ち位置なのだろうか、どちらが正義でどちらが悪なのか判然と区別出来やしない。





「あの国に来てからは勝手に、自分の都合のいいように、合理的な回答のように、僕は生きてきた」





 言葉を噛み締めるように、一言一言をすりつぶす様に、





「時には恩師に追いつくように、またある時には誰かを救うために、そしてまたある時には誰かを守るためにってね」



「そこに……」



「自分の居場所を見出せなかったのか」





 僕の言いたいことを先回りされて不愉快だ、という感情は生まれず、逆に自分を理解してくれたことの嬉しさを覚えたような気がする。つくづく実感する、どうして人間はこうも単純なのかと。





「そうだね。僕は自分の帰るべき居場所を見失ったんだ。初めは生まれ故郷、次いで僕を救ってくれた君のいる地、何もかも信用性はなくなり残ったのは僕自身という孤独に生きるちっぽけな人格だけ」





 そう、初めは物理的に、次は社会的に殺された。しかも運がよいのか悪いのか知らないが、後者は前者の滅亡に因果があるという。





「だったらよ……」







 意外だった。







「作ればいいじゃねーかよ、その居場所ってやつをよ。お前さんだけじゃなくてあんたのように誰かを求めている人の為の場所だ。それが先決なんじゃねーの、こうやってやりたくもない対峙させられて何も誰も助かんねーよ」





 現実味が無いだとか、理想論に過ぎないだとか、今はそんなのどうだっていいような気がした。結局のところ、僕にはそれが必要だったのか。



 僕の投稿する旨を察したのか、彼は僕に向けていた銃口を下げていく。





「ヒトの過ちは繰り返されるからこそ、その螺旋構造を断ち切るってことだね」





 最愛の人、親友だった人、家族だった人、大切だった人、人それぞれ、各々人自身が自分以外の特別な人物を失った時、「どうして自分が救えなかったのか」と自問自答する。それは半ば強制力のような力が働いていてどうしても、したくなくてもそう考えてしまう、という方が正しいが。何が悪かったのか、何がそうさせたのか、事の発端は自分ではないはずなのに自分が犯人だと思い込みがちになる。例えば恋人の運勢が悪いという事実を知っていたのに当の本人には伝えず、そのまま帰らぬ人となり果ててしまうということや、自分以外の些細な出来事をまるでそのことが死んだ原因であると自然的に洗脳されてしまうのだ。



 それをあえて分からせる、世に言うけじめというものをつけさせてくれたようだった。





「そうだ」





 僕の長い問いに終わりが、結末がようやく見えたような気がした。

















「伏せろっ」









 咄嗟の判断というのは洗練され訓練を怠っていない者ほど下しやすいものだ。ちょっとした空気の淀みや光の違和感から自分の周囲で何が起こっているのか異変を察知する。ヒトは五感しか持たない者が殆どを占めるのだが、僕やこの男といった部類はそのさらに一つ別の感覚を持ち得る。経験則に基づくが、やはり直感的な要素の方が大きいそれは「勘」というものだ。よく刑事ドラマでこんな光景を見たことがあるだろう、「犯人はお前だ」と堂々と胸を張りながら名指しをするシーンだ。証拠不十分であってもその人物が犯人であるという理由なき確証があることに僕はいつも納得させてはくれなかった。冒頭に提示された謎を造った犯人を当てて大衆を清々しく感じさせることが目的である創作物。そんな一つの娯楽として、気晴らしとしての役割であるドラマというものの立ち位置が僕には結局理解できていない、今も。





「どこから爆発音が聞こえたの?」





 彼ーー同チームで唯一のメンバー、僕が上に立ち指示を与えなくてはならないジョン・ケリーは僕を背中から突き倒し瓦礫の下に全身を埋める。





「たぶん……向こうからだ」





 僕の背後を覆うようにして全体重を乗せながら顔の動きで合図を送った方向にあった建物。それは僕らがさっき探索していたデパートメントストアだった。



 上から伸し掛かってくる重みよりも爆風で舞い上がった塵が喉の奥に入りそうになる方が辛く感じる。何も口に入れていないはずなのに噛み締める動作をするだけで「じゃりっ」という感触がある。呼吸法と謳われている方法で深呼吸をしながら同時に言葉も吐き出す。





「敵からの直接的干渉?それとも間接的、どちらだとも思う?」





 本当はここで僕が周囲の状況を瞬時に理解して判断を下せばいいだけの話なのにそれが、それすら出来なかった。



 けれど、彼はそんな回りくどい意志表明を知らないうちにかき消すようにくしゃくしゃにした笑顔で返答した。





「両方だな」





 自信でコップが満たされ零れてしまうぐらいの表情。不思議と嫌気が差すような思いは浮き上がらなかったのが功を制したと言うべきか、僕は指導者としての位置に戻すように言った。





「それは勘だね、どうりでうやむやな答えなわけだ」





 関りを持たないというのは感心を持たないということと同類だと心の底から思う。娯楽を楽しむために現実を知ろうとしないように僕はこの現状を受け入れることに嫌気が差す。直感という信用性が薄いものに命を賭さなくてはならないこの現実に。





「で、次はどうするんだい?」





 何もない荒野と化した瓦礫の山に突っ伏しているのにも時間の問題だ。





「右前方のビル一階に潜り込む。あそこなら……これも憶測ってか多分の話だが……敵はいないような気がする」





 どこからか湧いてくるように連続して案が浮かんでくる彼を見ると、どうして、誰のために自己犠牲しているのか理解しがたくなる。それでも自分だってきっと不特定多数の人間に恩恵をもたらしているのだと納得しなくてはならない。そうしないと生きていけないのだから。





「りょう……」





 吐息とともに承諾しようとした刹那、弾丸が空を切る音が耳で響く。どうやら敵に僕たちの位置を把握されてしまったらしい。これでは作戦に支障がきたしてしまう、致命的なミスだ。だけど彼はそんな些細な事を気にしている装いはせずカウントを始めた。





「3,2,1……GO」





 咄嗟の出来事で思考が追いつくよりも先に体が動いていた。よくこういった話を口にする人を見るが、実際に動いているところは見たことがない訳がようやく理解出来た気がする。



 コンクリートが無造作に、無気力に粉々にされている地上をなるべく足取りが速い形で移動する。足場が悪いなという短絡的な感情というよりは無慈悲だななどとまるで世界の偉人にでもなったかのように傍観しながら目的地へと急いだ。





「っ到着っと、俺はオールオーケー。そっちは大丈夫だったか?」





 一息できる最小限の安全地帯である廃ビルに籠り作戦を練り直す。これが作戦遂行の際の鉄則。彼は手持ちの小銃をリロードし弾詰まりが起きないか何やら「ガチャガチャ」音を立てている。対する僕は作戦を考え直しているわけでも、自分の武器の動作確認をしているわけでもなく、ただ驚きを隠せなかった。





『これも勘のおかげなのか?』





 敵の位置、発砲された位置、敵が配置されていない位置と作戦の際に重要な要素がこの男には自分の情報として、手駒のように弄んでいる。



 これが僕とケリーとが隊を組んだ事実上の初任務、南米大陸掃討作戦。



 そして何故僕が「上」なのか疑問ばかり浮かんだ作戦でもあった。









ーー現在ーー 











 慣習や思想、宗教観などの人々が生み出す副産物というものは、その時代の風向き、人の意向によってピエロのように何から何まで変化を繰り返す。どうして人を殺めてはならないのかだってそうだ。誰かが人を殺してはならないから、無為に殺せば自分に非が咎められるからなんてありふれた言い訳がこの世には有り余っているぐらいだ。理由はいつでも代替が効けるしその結果がいつの日にも残る。今どうして僕という自分が存在しているのか、そういったアイデンティティさえもあの時こうしようと願ったからなんて嘘みたいなことを語って、つまり自分にそう言い聞かせているのだと最近になってようやく気付いた。





 だが、これだけは変えようがなく事実である。





 僕はサポートされる立場の為に「上」だったのだと。





 確かに僕のような生意気で心強くない小心者には「上」には逆らえないだろう。僕は内心笑ってしまうのを誤魔化しながら緊急に仮設した会議室で今後の方針を固めるという形で自分を取り繕った。





「じゃあ始めようか、今後どういう形で生きていくか。スケールも広すぎのような気もするけどとりあえず僕たちの立ち位置を確認しよう」





 机で四角形に囲んだ場。一人一つの机が用意され、メンバーは僕、ケリー、トレア、そしてテンプル騎士団国防官サミエル・アイネオラ。





 厳粛な会議室ということもありそれなりの硬く重苦しい空気の中で事が進んでいくのかと思いきや唐突に予想も裏切られた。





「ねね、君とこの人っていつ仲直りしたの?」





 喩えるなら川を遡上する鮭だ。滝のような上るにはいささか無理がある場所を強行突破する、天然さ。





「ついさっきだよ」



「そうだっけか、お前が頑なに拒絶してただけなんかと思ってたぜ」





 過去の自分の出来事や流れのままに起こしてしまった行動にはどうやっても逆らいようがない事実として残ってしまう。「自分の居場所を見つけた」なんて幼少期の興味津々で子供のような理由には発言した自分の言葉を撤回したい。





「その話は置いておいて、先に話を進めよう。私的な文言をここで話し合うべきじゃない」





 だから羞恥を50%、生真面目さを50%と胸で抱きながら話を続けた。





「今の各国勢力は三つに分離しています。一つはこの地下空洞に土地を有するテンプル騎士団直属の国。そして第二の国は中華人民国。第三が大日本国となっています」



「各国の政治的情勢はどうなっているかわかるかね?」





 白髭を垂らした老人、国防官が訊いてきた。自国を守るための防衛材料を確保する為だろう、万国共通の思想で笑いそうになる。だがその笑みも心の内に微笑という形で留めて返答した。





「はい、まずは中華人民国からご説明します。この……」





 語ろうとした刹那、横割するように重圧がかかった、いや年季が入った声音が聞こえた。





「少しいいか」





 声主は先の老人だった。険悪な表情でこちらを見ている、どうやら不安しかないようだ。一国の行く末を一人の人間に押し付けるなど、下っ端の僕でも嫌程理解していたつもりなのだから、相当な重圧なのだろう。





「なぜそなたらは我が国の幇助をしてくださるのだ?」





 用意していた答えを文面さえも変えずに応えた。





「それが僕の成すべきことだと、そう信じたいんでしょうね」





 そう一言、呟くように、誰かに伝えるのではなく自分に言い聞かせるように口にした。





「では、僕の持論を語るのは置いておいて他国についてお話をします」



「中華人民国、現在のアジア圏における土地の多くを占領している国です。いわゆる格差社会が形成されており、主に労働階層と上層階級で住居も分離されています」



「どうして階層社会なんて出来るの?」





 歴史の授業を教えている教師のような気分だ。とは言ってもこちらは生で体験している分、なぜそんなことに至ったのか、肌で理解できる優越感があって悪いものでもないが。





「経済力の差……じゃないんだ」





 そこで僕以外の誰かが自分も同じく経験したと言わんばかりに主張し始めた。





「そうだ。ありゃあ根っから階層を造ってんだよ、お国の連中やら会社の社長やらな。自分の手下をコントロールするって感じか」





 どうやら他国の現政治のやり方に興味が湧いたらしく、僕の目の前に座る白髪の老人は口を開けた。





「そのコントロールについて詳細を伺っても?」





 今度は僕の体験記を語ることにした。





「信じ難いかもしれませんが人間が人形のように扱われているようだ、と言えば一番伝えやすい表現かもしれません」



「生まれた瞬間に階層は決定し、両親が経済力に引けを取らない者ならばヒトとして扱われる。そうでない親の場合、その逆になるだけのことです」



「それでは国民の権利というものが存在していないではないか、革命やデモ活動は起こらないのか?」





 籠っていた国には他国の状況を過去のものすら知っていないことに悲嘆に感じる。僕は現実と理想を混ぜるなと、悟るように語った。





「そう出来ないような脳に仕立て上げるのです。人間は脳で動いているも同然なのですよ?」





 常識を覆され納得していないのは感じ取ったがこれでは事が進む気がしないので次に話を移した。何せこの国について話をするために集まったのも同然なのだから。





「そして大日本国。国土は東アジアの島国のみ、北部と南部で大陸が併合しましたが今のところ国土を広げたという情報は流されていません。併合はあくまで名ばかりのものでロシアや韓国といった併合国は簡単に説明すれば植民地化されている国ということです」



「そういうこった、自国の住民に都合の悪い話はしないのさ」





 ケリーの文句に違和感を抱いたのか、さらに眉間に皺を寄せながら言った。





「長期政権をもくろむためなのか?」





 この時代、22世紀に突入した今ではもうそんな小癪な方法は消えたも同然、死んだ文化だった。





「とまあ、そんな感じだ。ま、住民もそれを知ったうえで生活していたようにも思えるがな」



「どういうことだ?」



「まだわからんか、ジイさん」





 ピクリと眉を動かしたのが近くに座っていない僕にも気付けたのだ。だからこそ彼も気付いていないはずがないのだが、その口調のまま煽り始めた。





「自分の命こそ守れればそれでいいんだよ、他人が死んだってそれは自分じゃない。だから関係ねえって、そのまま見捨てるんだ」



「酷い、残酷だ、残忍だ、慈愛を理解していないてっか?そんなのはなっから欺瞞に過ぎないんだよ。虚言は皆が虚言だと言われちゃ反論出来ない、自分しか知らない真実をいくら語っても共感してくれる奴らがいないんなら弾圧されるだけだ」



「あそこはそういう国なんだよ」





 生まれ故郷だから分かる、分かってしまう現実。己の安全と利便性を追求したことで失った犠牲は「ヒト」であることを諦めた。誰かの誰でもいい枠組みに組み込まれるだけの部品、その部分に逃げる手段が盛り込まれたのが僕だっただけの話だ。



 それからはここに至った経緯やら遂行してきた作戦やら、大まかなことから細やかなことまで隅々に渡って自分の情報をさらけ出した。





「話は以上です。次回は今後の計画について話し合いたいと思います」





 僕はその一言で会議を閉める、へりくだって話していない自身に不思議と驚愕する要素はなかった。















 僕だけが、僕しか存在しなかったのならばこの世界は平和に成り得ただろうか。「僕」だけしかいないということに対して傲慢で強欲で強引な考えだと感じるかもしれない、時には非難することもあるだろう。なぜ自分以外の誰もが消された世界を前提にしているのか、と。



 ならば、全ての悪を「僕」という一個人に背負わせれば世界は平和になるのだろうか。自分以外の人間がいるという傲慢な前提を取り払ったもう一つの平和になる方法。無論、「僕」との関係を持たない「ヒト」は喜んで迎い入れる。喩えるなら劇のようなものだ、観客席にいる人間は舞台に立つ登場人物が大切な誰かを失う場面を目撃したとしても「可哀そう」、「悲劇だ」なんて他人事に落とし込む。



 どうせ作り話、フィクションなんだからそんな真剣に考えなくても……と切り捨てる。出演者なる者は舞台上で真の悲しみなんて生まれないと、虚言を劇場で吐露している機械みたいなものなんだって。





 だが、それは関係の無い「人間」のみに繋がる。





 ケリー、そしてトレア。





 僕に関わった、関わってきたヒトは一丸にこの言葉を僕に振り撒いてくれたのだ。





 「僕」だけが生きているんじゃない、と。





 確かに、「僕」だけが生きていれば争いは起きない。それは「僕」しかいないのだから。





 あるいは「僕」が人類全ての罪を償ってしまえば隣人同士のトラブルだって起きない。それは「僕」がその分非難されるのだから。





 けど、それを許してくれない、許さない誰かが僕の傍に留まってくれている。





 自殺願望がある少年が両親の事を考えると申し訳なく思うように。





 気楽に話せる仕事仲間が失うと人生がつまらなくなるように。





 恋人が事故で死んでしまえば立ち直れなくなるように。







 大切な誰かが傍にいるのなら、いてくれるのなら。





 自分は簡単に失うものではないと思う。





 生きている価値は、自身だけで作るものじゃない。







 そう心に留めておいた。

















「よっ、何て呆けた面してんだ?飯でも食ってねーのかよ」





 ほらよ、と片手を僕の肩に打ち付けてきた。薄く広がった金属が皮膚に伝わり神経に染みわたるような冷たさが体の一部分を占める。





「お気遣いありがとさん、相棒。まるで変わらないね君のその陽気っぷりは」





 渡された缶コーヒーを片手で受け取り、再び眼前に広がる海原と街並みを俯瞰する。涼しげな青風と潮風が混ざり合っているようで僕の鼻孔に潮の香りを充満させる。



 彼は鉄柵に手を乗せ上半身の重みをそこに預ける。





「なんだか見たことあるような風景だな」





 両手の人差し指を親指に付けて風景の一部を切り取るようなポーズを取るケリー。





「あのときは夜景だった、地球がかつて産声を上げたときと同じような星空のような感じ……かな」



「面白いな」





 彼は光悦に浸りながら缶の淵に溜まったコーヒーを啜った。





「本当の物じゃないのに、それが本物であるようにも思えちまう喩え。比喩。隠喩、暗喩。そいつは「ヒト」しか生み出せねーし、味わえるのも同じく「ヒト」だけだ」



「珍しい洞察力と考察だね」





 彼は耳の後ろ側を掻くように片手を寄せながら、





「まさかここまで来て褒められるとはな……まさか死ぬつもりじゃないだろうな、遺言とか止めてくれよ縁起でもあるめーし」





 とばつが悪そうにその場をやり過ごした。





「ねえ、なぜ君は戻ってきたの?」





 僕が隊の長だからそれに従うまでとか、そういった偽善的な理由ではなさそうだったので僕は興味があった。





「なぜ、理由か……スケールが大きいもんから説明するとあの国に嫌気が差したってのがあるのかもな。機械的で、自動的で、家畜のように誰かもわからない第三者の為の部品に成り下がるなんてまっぴらごめんだって魂胆だ」



「てのは嘘で……そりゃあ建前だ」





 ここでの僕の胸中を語るとなると変なむず痒さを覚える。彼が仕事に支障が出るというような合理的な理由で僕の元へ戻ってくるはずがないという根拠なき自信。対して理性が働いて反論しようとする知能。





「本当の話、お前さんのバディとして過ごしてた方が他に生きる手段があったとしても何倍も滑稽で悦ばしいんだよ」



「なんつーか、誰かの為に行動を起こすってのも重要だが……」



「俺自身が人生を謳歌しないって生き方、勿体ないだろ?だからよ、今回の件はケースバイケースってことよ。お前さんは「俺」という貴重な人員を得ることが出来た、俺は面白そうな生きる道を得ることが出来た。まさに、Win-Winだ」





 まるで虚言だ、と率直に思う。





「またまた自分勝手だね、それも君の特技、『直感』なのかな」



「そうかもしれないぜ?」





 会議室を備えるビル屋上でどこか古臭い会社員のように休憩時間を過ごす僕ら二人。



 そよ風なびく僕らを迎い入れる空は、どことなく晴れ渡って澄んだ青色をしていた。





『どことなく変わったか?』





 会話が盛り上がる一方、テレパシーのように彼の真意を受け取った僕は、





「変わったよ」





 缶コーヒーをゴミ箱に捨てながら、言葉も捨てた。



 彼は分かったのか、分かっていなのか混迷したような表情を一瞬取り繕ったのだが、





「俺も行く」





 僕の背中を追ってくるようだった。























「それでは、次に考慮すべき議題に取り掛かりたいと思います」





 僕たちが知っている情報から現世界の状況を把握することが第一の議題。ひとつ暇を取ってから次の議題、予想される将来像を語り始めたのである。





「私たちが今後において採るべき行動について」



「何かアイデアが思いつく方はいらっしゃいますか?」





 第一と同じ室内、ポジションにて会議を執り行う僕ら、変わっているのはケリーの長机にさっきまで飲んでいた缶コーヒーが置かれているのと全身気だるそうに突っ伏しているトレアだけ。



 前回と異変はないかどうかほんの些細な興味で周囲を見渡していると一人、挙手をする人物に焦点が合った。



 テンプル騎士団国防官サミエル・アイネオラは不躾にも僕の方を無言で見つめていたのである。





「どうぞ」





 僕は自分に与えられた司会という役割を淡々とこなすように、彼もまた自分に課せられた職務のために至極真っ当なことのように語った。





「私らは何も行動を執らない、という選択肢は無いものかね?」





 骨張った指、皺が寄せられた顔面。彼の長年のキャリアを鑑みればそれもアリなような気がする。一度、彼の提案に頷こうとしたのだが、やはり相棒はそれを制した。





「見捨てんのか……」





 それは自分の意見を主張するような真っ当なものではない、他人の主張に対してただ異論を呈するような反抗心を潜めた声だった。





「俺らと同じ人間がどうなってもいいってのか?どうせ俺らには何も関係ねえし、所詮はただの他人事だ、他人なんて救っても意味もねえ、無駄な浪費、労力、そんなの無価値そのものだってな」



「私はそこまでは言っとらんが……」



「その態度が物語ってんだよ。何もしないってことは手を下しているのと何ら変わらないってのを知らねーのか?」



「コロシアムで人が殺し殺されているのを優雅に見物するような奴らとお前は同じな……」



「そこまで」





 話の展開が煙の如く靄がかかってしまったようなので霧払いをするように声を挙げた。





「ケリー、話が逸れすぎているよ。この場は論争してもいいけど解決策が一向に見えない非難だけはやめよう。それと、サミエル国防官、今後の雲行きが怪しくなることは重々承知なのです。それを踏まえたうえで何か行動を起こさなければこの世界は破綻します」



「どういうことだね。私らが動かないことがそんなにも罪深いのか?」





 一国の行く末、鍵を握る彼は罪に関しては微塵も感じてはいないよう。だから僕は予想される全ての真相と事実を明かすことにした。被るだろう罪を知らせるために。





「罪深いのではなく、世界が終焉に向かうことが事実だということ」



「つまり実際問題、大部分の土地を占拠しているのは私たちではなく彼ら、アンドロイドなのです。それが何を指し示すのか把握出来ますよね?」





 ほんの僅かでも意図する意味を捉え違えば脅迫みたいなものだろう。しかし、今の僕にはそれを阻止したりニュアンスを変える余裕なんて無かったも同然だった。





「分かりやすく説明すれば僕たちは管理する側から管理される側になってしまうのです。まるで生かされる家畜のように、食物を与えられ肥やされるだけの生命体。権利なんてものは無いようなもの」



「それでも、『ヒト』が築いた歴史を消されてもなお、そのままでよいと?」





 彼は自国の民を守るような立ち位置は変えずに厳格な声色で訊いてきた、まるで何かを諦めたような気もしたのだが。





「だったら何をすればよいのか、君には考えがあるのだね?」





 僕はその彼の胸中に語り掛けるように答えた。





「はい、要は取り返せば良いのです。私たちの手で彼らから世界を取り戻す、元にあった立場へと還元させる。それが最善策とも呼べます」





 納得がいかないらしく、さらに眉間に皺を寄せたので僕もそれに応じることにした。





「具体策というとまず、僕と彼とで当事国に潜り込み、看守棟を制圧。以後占領地を開放、政権をヒトに委譲します」



「そんな簡単にいくものかね?」





 おそるおそるサミエルは作戦の危険性について疑問視するが、僕はそんな思慮を少々有り難く受け取って返す、つもりだった。





「やるしかねーんじゃねえか?」





 やれやれ僕の相棒は何かと行動を起こすのが早くて仕方ない、がそれも一興だ。





「そう、やるしかないのです」





 だからこそ、僕もその一興とやらに乗ることにした。























 そこは熾烈重ねられた議場なんて酷く物々しい場所ではなく、少し前まで今後についていわゆる将来像を語っていた会議室。第二の議題を終えた僕たちはサミエルのみが退出した部屋でゆったりと暇を持て余していた。





「な、なあ。こいつって結局誰なんだ?」





 こいつ、会議中でも何も言葉を発することなく仮眠をとっていたトレアの頭を指差す。





「誰って言われてもね、昔ながらの幼馴染って言えばいいのかな」





 僕は微動だにしないトレアを見ながら、応える。





「故郷にいた時にね、少しだけ関係があっただけなんだ。もう何年も前だけどね」





 ケリーはにんまりと表情をゆがませながら僕の方を俯瞰するようで決して良い気分とは言い難い。





「ほーーお、てっきり俺は婚約者なんかと思ったぜ」





 未だに眠っている彼女の指先に目線を当てて僕に知らせようとする。無知は罪だ、この時ほどそう思ったことはないだろう。僕は悟るように、冗談を軽く話すなとあしらえるように言った。





「違うよ」





 眠っているという状況、シチュエーションが僕の口を唆せたのかどうか分からないけれど。とにかく口が滑った。





「確かに彼女の事を気にしていないわけではないけれど……それでも他人の幸せにずかずかと踏み入ることはしたくないから」





 口が滑るというのは話してから分かってしまうものだ。だから僕はしまったと言わんばかりに恥辱を覚える。





「やっぱり、ゾッコンじゃねーーか」



「うるさい」





 この一言で全てを一蹴したかったのだけれど、そう上手くいかないようだ。





「まあな……愛すことを奪うって考えるんじゃなくてよ、『支える』って捉えればいいんじゃねえかな?」



「分かったよ、もういいもういい。当事者が起きていたらどうするんだよ?」





 最後は僕の方で沈黙を取ることにしたのだが、それでも僕の頬に残る熱やほとぼりは冷めないようだった。





 意識が無いか確認しようと彼女の顔色を伺うと横顔が赤面しているようで不思議でならなかった。



 聴いていたのか。それとも聴いていなかったのか、それだけじゃ判断はつかなかった。
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