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第1話 救世主

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「ちょっと、いつまでそこの掃除をしているのよ! そんなんじゃいつまで経っても掃除は終わりませんよ!」

 聞きなれたよう怒号が飛んだと思った次の瞬間には、バケツに入った水をお姉さまに足でひっくり返されていた。

 高そうな着物に身を包んだお姉さまは、使用人以下の薄い着物を着させてもらっている私を上から見下ろしていた。

 バケツと床がぶつかって鈍い音を立てて、その音にびくっと体をビクつかせてしまうと、そんな私を見たお姉さまは口角を上げて高笑いをしていた。

 バケツに汲まれていた水はそのまま床に広がっていき、私は手に持った雑巾で急いでその後処理をすることになった。

 必死に雑巾で拭いて、その雑巾をバケツの上で絞る。それを繰り返しても、濡れた雑巾では床の水を完全に拭き取ることはできずにいた。

 そんな様子を見ていたお母さまは。あえてその上を歩いて大袈裟に転んで大きな声を上げていた。

「ああっ! いたい、お尻をぶつけてしまったわ! これは日和(ひより)による陰謀だわ!」

「そ、そんなことしていません」

「あら? お母さまに口答えするんですか? 拾われた薄汚い妹のくせに生意気ですわ!」

 姉さまはそう言うと、雑巾で床を拭いていた私の顔目に思いっきり蹴りを入れてきた。

 予期しないタイミングで顔を蹴り上げられて、私は頬に蹴られた熱を持ったまま、地面に転がされていた。

「美咲(みさき)、蹴るなら顔面はやめなさいと何度も言っているでしょう」

 まるで何事もなかったかのように立ち上がったお母さまは、地面に転がる私を冷たい目で見下ろしながら、そんな言葉を口にしていた。

 一見、私を庇ってくれたように見えるけど、お母さまがそんな優しいこと考えるはずがないことを私は分かっていた。

 慌てるようにお腹に力を入れようとしたけど、それよりも早くお母さまは私のお腹に片足を乗せると、そのまま体重を乗せてきた。

「お、お母さまっ、く、苦しいですっ」

「あら? 苦しいのは私達の方ではなくて? あの人があなたを連れて来なければ、私達はもっと裕福な暮らしができていたのよ?」

 お母さまはそんな言葉を口にしながら、私のお腹に体重を乗せていたぶってきた。

 何度も経験しているいじめではあるけれど、ここで諦めて無抵抗な素振りを見せたら、この家族は本気で私を殺しに来る。

 抵抗しなければいつか私をいじめることにも飽きるだろうと思った時期もあったが、その時は気を失うまで殴られた後、階段から落ちたという体で医者を呼ばれた。

 どうやら、お母さまとお姉さまは人殺しをするほどの勇気はないらしく、ただ私をいたぶるだけいたぶるのが好きみたいだった。

 それも、私を拾ってくれたこの家の主人の行動が気に入らなかったことが原因らしい。

 私は元は捨て子だったのだ。

 しかし、それをこの家にいた優しい主人に拾ってもらったのだが、その家族はその主人の行動が気に入らなかったらしい。

 この家の主人が病で死んでしまってから、私に対する当たりは露骨に強くなり、私はただのストレス発散をするためだけの物と化していた。

 誰か、誰でもいいから私を助けて欲しい。

 そんなふうに願っていたけれど、救世主は何年も私の元にはやって来なかったので、私は誰かに助けを求めるという考えさえも忘れていた。

 抵抗しながら蹴られれば、殴られ続ければ終わる。

 だから、私は抵抗を程々にしながら、お母さまとお姉さまから受ける暴力に逆らわずにいた。

 それでも、痛覚という物は鈍っても確かにそこにあって、私は鼻を蹴られたせいでツンと鼻の奥を熱くされて、静かに涙を流していた。

 そんな私の姿を見て気を良くしたのか、二人はヒートアップしたように私への暴力を強めていった。

 ああ。早く終わらないかな。

 そんな現実逃避のようなことを考えていると、不意に家の扉を叩く音が聞こえてきた。

「こんなときに間が悪い、日和。奥の部屋に行ってなさい」

 どうやら、今日の折檻はこれで終わりらしい。いや、ひょっとしたら一時休みだけかもしれない。

 私はお母さまのそんな言葉を受けて、その場から逃げるように立ち上がった。

 あくまで、私に暴力を与えていることは家族以外にバレてはならない。それはこの家の風評を守ることで、そんなことがバレたら、私は今以上に暴力を振るわれる。

 だから、私は来訪者から逃げるようにその場を後にしようとした。

 しかし、少しだけ来訪者のことが気になって、私は玄関の近くの部屋から逃げた後、そのすぐ近くで来訪者の姿を盗み見てみようと思った。

 本来なら、そんなことはしない。そんな事をすれば、今まで以上の折檻を受けるからだ。

 それなのに、今この瞬間だけは折檻を受けること以上に、来訪者の存在が気になった。

 お母さまは私がいなくなったのを確認してから、玄関の扉を開けたようで、その音だけが聞こえてきた。

 そして、その扉の先では思いもしなかった言葉が聞こえてきた。

「初めまして、大天狗の天(そら)と申します。ご主人様からお聞きだと思いますが、お預けしていた日和様をお迎えに上がりました」

 透き通るような声に誘われて、少しだけ顔を覗かせてみると、そこには浮世絵離れしている銀髪の好青年が立っていた。


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