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第四部

第一章

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 と、その決意を込めたフローレンスの言葉に、余り考えることなく頷いてしまったわけだが、俺はそれについて後悔はしていない。

 実際のところ、フローレンスの手足はただ単に色が違う訳では無いのだ。
 彼女の手首から先が無数の蔓に変わる、というのはただ単にヴェルの腕がジェル状の触手に変わるのとは一線を画すほど異なっており、フローレンスの場合、彼女の手は蔓で構成されているからである。
 つまるところ、一見すれば色が緑色なだけの女性らしい手なのだが、よく見れば細い蔓が無数にも絡み合って手という構造を留めているのだ。
 足についても蔓が根に変わっただけでほとんど一緒である。

 それがヴェルよりも、フローレンスが人間世界で生きにくいことに更に拍車をかけている。
 とはいえ、手足を隠せばいいのだから、俺はそこまで問題視していない。
 ヴェルが先程から必死にフローレンスの服を! と俺を催促するので、そうだ、その次いでに手足を覆うものを作ればいいじゃないか、ということで、スキル【工房(王級)】を発動させた。

 突如森の中に現れた、豪華絢爛な建物に目をしばたたくフローレンスを横目に、俺は苦笑しながら工房の扉を開けた。
 あ、そうそう、工房のことがゾイドに露見されないように、ヴェルにはゾイドを見張るようにお願いしといてある。
 俺に工房のイロハを教えてくれた防具屋のドワーフならともかく、この悪党に俺が持つスキルを知る権利はないのだ。

 フローレンスに蹂躙されて未だなお、泡を吹いて大地と接吻をしているその悪党を見て、俺は自分の頬が緩むのを感じる。

──案外、俺は性格が悪いのかもな。
 そう苦笑した。


◆◆◆


 ハーガニーに帰還した時はもはや夜遅く、検問も通過を許可されなかったので俺たちはハーガニーを囲う二重の壁の間に設けられた宿屋へ泊まることにした。

「おい、レンデリック。……こいつは、なんだ?」

 縄でぐるぐる巻に縛られて、猿轡を噛まされて、気絶したまま動かないゾイドを睨むのは、検問の警備兵の男であった。
 名前こそ知らないが、食人花の大氾濫の時には何回か顔を合わせたことがある。
 自分を知っている人でよかったと安堵しながら、俺は蓑虫のように動かないゾイドを警備兵の前に放り投げた。

「かは……っ」

 急に背中を強く打ったからか、乾いた咳を漏らし、ようやくゾイドは覚醒したらしい。
 未だ自分の置かれた状況を読み込めていない彼を尻目に、俺は遠くを指差した。

「あそこにいる二人の女性、見えますか?」

 遠くで不安そうにこちらを眺めているヴェルとフローレンスを見やれば、案の定、警備兵は頷いた。

「おう、片方はお前と組んでるヴェロニカだな。……もう一人は……見知らぬ顔だな。あれほどの別嬪さんなら俺の記憶にも残るはずなんだがな……」

 フローレンスを遠くながらもじっくりと堪能するように見回した彼は、おそらく職務を言い訳に彼女の容姿に酔いしれているに違いない。
 仕事を真面目にこなしているふりをしていると本人は思っているらしい彼を俺は温かい目で見ていた。
 だが夜も遅くゾイドの処遇をすぐに決めて欲しい俺は、ちょんちょん、と彼をつつき、我に返ったのか俺を見て顔を赤らめた。

「知らないのも当然ですよ。彼女はハーガニーの出ではありませんし」
「う、うむ……それで? なぜ彼女はハーガニーに?」

 俺はわざとらしく大きく息を吸い込んだ。

「それは、このゾイドという男が、彼女を襲おうとしていたからです……俺たちによって未遂となりましたが」
「な、なんだと……? それは真なのか!?」

 ええ、と彼の問いに俺は尚も口を続ける。 
 途中で自分のことを言われているのだと混乱から立ち直ったゾイドは、俺を憤怒の形相で睨みつけた。
 何か罵詈雑言を俺にぶつけたいのだろうが、猿轡に口を塞がれてろくに物も言うことができない。

「しかもこれだけでは終わらない……今日の夕方頃、宿屋『麦穂亭』が何者かの襲撃にあったのをご存知ですか?」

 む、と警備兵が顔を顰める。
 彼もやはり今回の事件を重く見ているのだろう。
 大都市ゆえ多少の殺傷事件を完全に防げるわけではないのだが、ここハーガニーは特に治安維持に重点を置いており、犯罪率の低い都市であるのは有名だ。
 とはいえ、それでもトラブルに巻き込まれるのはMMORPGとしての宿命か。

「その犯人の一人ですが──このゾイドで間違いはありません」
「むう……」
「とはいえ、証拠となるものは彼女の証言だけとなってしまいますが……」
「いや、それについては心配はないだろう……。確かにレンデリックの戦闘力はローレン隊長殿と肩を並べる位には、俺もお前を信頼している。だからといって、俺たち守備兵団を甘く見るなよ?」

 にやり、と警備兵は不敵に笑った。

 冒険者たちと違って守備兵団は組織であるから、隊長のローレンが俺を認めているとなれば、守備兵団全体も俺を厭わしく思わないでくれるのは気が楽だ。
 それに活動の領分も明確に異なって定められているらしいから、対立し合うことも少ない。
 そういう意味では冒険者の方が遥かにずっと気が滅入る。
 とはいえ、守備兵団にたとえスカウトされたとしても、冒険者を辞めてそれを受け入れる気は全くないが。

 彼はゾイドの前に立つと、その猿轡を解いた。
 ようやく口の自由を得た彼は、一息吐くまもなく俺を睨む。

「てめぇ! 俺をこんな目に合わせやがって……餓鬼が調子に乗っていられるのも今のうちだけだ……覚えてろよ!」

 果たして寝取り男として調子に乗っていた餓鬼はどっちなのやら、と俺は肩を竦めた。
 もちろん俺に調子に乗っている所がなかったのか、と問われればはっきりと頷くこともできないが、それをこの男が言うのは論外であった。

「警備兵さんよ、こいつに騙されるなっ! こいつは嘘をでっち上げて俺を悪者にしようしてるだけなんだよ! あの女を俺が襲っただと!? 襲われたのは俺の方だぞ!」

 唾を飛ばして喚き散らすゾイドの言葉は、少なくとも嘘は吐いていない。
 だが、どれほどの人間が彼の言葉を信用に値すると判断するのか。
 寝取り男の悪名が知られてしまった彼の地位は、かつて神童と謳われた時の栄光にはもはやなく、薄暗い奈落の底へ堕ちていた。

 ゾイドの絶叫に身を竦ませて怯えた表情を見せてヴェルの影に隠れるフローレンス。
 それを見た警備兵の男はゾイドの言葉にハッと鼻であしらった。

 漆黒のドレスに身を包ませたフローレンスは、ドレスグローブと高いヒールのお陰でプリンセス・ローズの特徴など完全に隠している。
 佇まいも似つかわしく、露出した胸元や肩、その腕はほっそりと白く、ユリアのような冒険者らしい筋肉も見受けられない。
 至って普通の女性であった。

(見た目は……だがな)

 貴族の令嬢らしく丁寧な言葉遣いを用いるものだから、やはり格調高い衣装が似合うのだろうな、と織り上げた一品である。
 装飾品の謙虚な漆黒の衣装ではあったが、彼女の気品さや立ち振る舞いの優雅さをより強調させるだけであり、質素という単語は到底用いることができないほどである。

「あのような女性にお前を襲う力があるとでも? ……はっはっは、下手な嘘を吐くものなら、俺の心象が益々下がるだけだろう」

 冷たくゾイドを見下ろす警備兵に、ゾイドはぶる、と身を震わせた。

「ゾイド。何か言いたいことはあるか? まあ、お前が今回の事件に関与していなかったとしても、色々聞きたい事はあるがな。ワズナーの死や、特にマックスとエストガルデの死には、お前が関与しているという嫌疑がある。いずれにせよ、お前は捕縛されることになっていたのだから、諦めて大人しくしてろ」

 マックスとエストガルデ……?
 どこかで聞いたことのあるような名前だが、俺は記憶を掘り返すことはしなかった。
 彼らの死には哀悼を示すが、それよりも、だ。

……ワズナーの死もゾイドが関与しているだと?
 ワズナーはブラッドキャップに殺されたはずではなかったのか。

「……ゾイドがワズナーを殺した……のか?」

 自分でも唇が震えるのがわかった。
 たった数日だけの友だったが、ワズナーの死は予想以上に堪え、それでも冒険者を稼業とするならば、必ず起こり得るものだと割り切ったのではなかったか。
 だから自分がこれほどまでに怒りを覚えていることに、少し意外に感じながら、目の前のゾイドを睨みつける。

 あ、いや……とゾイドは口をぱくぱく、と酸素を求める魚のように醜く動かすだけであり、自分の求める答えを告げたのはやはり警備兵の男であった。

「あくまでも嫌疑、というだけだがな。ワズナーの脹脛に突き刺さったナイフの持ち主を調べたところこの男だった、というわけだ」

 あの時は全員死ぬかどうかの瀬戸際だったとはいえ、ほかの人間を囮にして逃げるのは罪に相当するようだ。
 ゾイドは囮じゃない、ワズナーが殿しんがりを受け入れたのだと喚いているが、ならばナイフの理由はなんだ、と問われるとゾイドはがっくりと項垂れた。

「そんな……どうして俺がこんな目に……。俺は将来を約束された神童なんだ……」
「ゾイドッ!」

 ぽつり、とゾイドの口から漏れた声に、カッと目の前が真っ赤になる。
 気づけば俺は、ゾイドの顔面を強く殴っていた。

「レンっ!?」

 ヴェルの声に、すっ、と我を幾許か取り戻して、俺は眼前のゾイドを見下ろした。
 どうしてこんな目に、と本気で思っているのか。
 自分がどれだけ罪を重ねてきたのか理解していなかったのか。
 ワズナーに関してだけじゃない、自分が人間としてできているかは別にして、それでも俺はこの腐った人間性が許せなかった。

(あぁ……そうか)

 だが、突として俺は悟る。
 これはもう一人の俺の未来なのだと。
 かつて神童として持て囃されたゾイドは、俺の将来の姿かもしれない。

 多少図に乗っていた節があるかもしれないが、少なくとも俺が真っ当に育ったのはひとえに周囲の人々、環境のおかげであろう。
 俺の生まれ育ったロイム村はハーガニー北西に位置し、ベルガニー山脈の麓に構えている。
 ハーガニーの冒険者は引退後に安寧を求め地方に移り住むことが多いのだが、特にこのロイム村は最も人気の村の一つである。
 そして、俺が言いたいのは、引退できる冒険者というのは、裏を返せば、しばしば死と隣合わせの状況に足を踏み入れることの多い過酷な冒険者稼業で、歳を取り衰えてなお戦地から帰還できる猛者(つわもの)だけ、ということである。
 農民とすれ違えばそれは数多もの戦を繰り広げた高名な冒険者だ、というのは日常茶飯事なロイム村で、果たして少しばかりのチートという能力を鼻にかけて村中を闊歩できようか。

 ゾイドには彼を勅める存在がいなかったのではないか。
 いたとしても、もし彼がロイムの出であれば、こんな堕落を歩むことはなかった、そんな風に俺は思えるのだ。

 自分を見上げるゾイドの目に怯えの色が宿るのが見て取れた。
 この男のせいで何人もの命が奪われたのは間違いないだろう。
 俺はこの男を許す事はできないだろう。
 だが俺はそれ以上殴る事はなかった。
 警備兵にもヴェルにも制止されたから、というのはあるが、それ以上に殴れなかったのだ。

 甘いのかな、と思う。
 だから悪者に同情するのも今回だけ。
 もしまた犯罪を犯した者をひっ捕まえる機会があればその時は容赦はしないだろうな、とも俺は思うのだった。

 警備兵に引き摺られ、詰所に連れて行かれるゾイドを眺める。
 俺がそうなるかもしれない未来は、直視し難く、だがそれでも、こうはなるまいと決意を新たに秘めるのであった。
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