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始まりの物語
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それは浜路姫の時代から遠くない昔の話だった。
小高い丘の上に立つ満開の桜の木に、一人の男が目を閉じて座っていた。いや、正確には男ではなく、男の姿に変化した犬の物の怪 八房だった。
齢は千年に近いとも言われているが、本当の事は分からない。分かっているのは、他の物の怪たちを寄せ付けないほどの力を持っていると言う事だけだった。
「この近くにもおらぬか」
そう呟くと、八房は目を開いた。
小高い丘から見渡す春の景色。
その生命溢れる生き生きとした世界の一角に、春の穏やかな空間に似つかない炎と黒煙が上がっていた。
人々の争い。戦いくさである。
炎を吹き上げているのは、里見義実の居城 滝田城の城門。
「今じゃ、攻め寄せよ!」
「怯むな、迎え撃て!」
「矢を射かけよ!」
八房には遠く離れていても、人々の戦の様子が手に取るように分かっていた。
とは言え、八房にとって人の戦など興味のない事だ。
「仕方ない。
他の地を当たってみるか」
そう言った瞬間、桜の木の上から八房は姿を消し、その桜の花びらがはらはらと春の風に舞い落ちていった。
「伏姫様、お急ぎください」
滝田の城と八房がいた桜の木のほぼ中間あたりにある細いあぜ道が続く田畑の中を急ぐ一団がいた。その一団の中央にいるのは、さきほど伏姫と言う名で呼ばれた菅で編まれた市女笠を被った小柄で若い女性である。
人二人がやっとの道幅。
伏姫の前にいる4人の男たちは辺りを警戒しながら、小走りで進んでいる。
遅れて、伏姫に寄り添って小走りで忙しくなく進む若い女性。
その背後には、後ろに警戒しながら進む5人の男たち。
前を進む4人と、後ろに続く5人の内の4人は、明らかに武士と呼ばれる者のいでたちであったが、伏姫のすぐ後ろにいる一人の男だけは錫杖を手にしていて、刀の類は手にしておらず、男が進める歩につられて、錫杖の先端にある金属の輪がチャラリ、チャラリと金属音をたてていた。
「はあ、はあ。もうだめです」
伏姫は今、陥落寸前の滝田城の姫。滝田の城が敵兵たちに取り囲まれる前に、
密かに城を抜け出していた。そして、ここまですでに一刻近く走り続けており、伏姫の体力に限界が来ていた。
足を止めて、よろけ気味の伏姫に男たちが駆け寄る。
「伏姫様、もう少しのご辛抱を」
「ささ、早う」
その時だった。
ビュッ!
空気を切る音が一団を襲った。
「ぎゃっ」
「ぐはぁっ」
伏姫を取り囲む男たちが悲鳴を上げた。
男たちを襲う弓矢。
弓矢によって、8人いた伏姫を警護していた武士たちの3人が倒れ、錫杖を持つ男も倒れた。
「敵じゃ」
弓矢に襲われなかった男たちが刀を抜き放ち、辺りに目を向ける。
乾いた田の向こうに広がる林の中から、刀を陽光に煌めかせながら、敵兵たちが飛び出してきた。
「かかれぇ」
「姫は殺すでないぞ。
生け捕りにするんじゃ」
迫りくる敵兵に向かい、伏姫を警護していた男たちの4人が立ち向かっていく。
残る一人は伏姫の横で刀を構えている。
林の中から襲い掛かって来た敵兵の数は数十。
とてもではないが勝負にはならず、立ち向かっていった4人は瞬く間に動かぬ肉塊と成り果て、敵兵たちは伏姫の直前に迫ろうとしていた。
「伏姫様、お逃げください」
伏姫の横にいた男が、伏姫と襲ってくる敵兵たちの間に立ち、自らを盾にした。
「もうだめ」
戦いの結末は見えていた。
そう覚悟を決め、目をつぶった伏姫の耳に、男たちの絶命の声が聞こえて来た。
「ぎゃぁ」
「ぐあぁぁ」
止まぬ男たちの絶命の声に、伏姫が目を開いた。
すぐにでも切り殺されると思っていた警護の男は、未だ刀を構えて立っていた。
何があったのか、大きく震える警護の男の後姿。
その向こうに、どこから現れたのか一人の男の姿があった。その男の手には血塗られた刀があり、男の前には多くの敵兵が無残な損壊した体を地面に横たえていた。
立っている敵兵の数は十人ほど。
敵兵たちの多くを瞬く間に、切り捨てたらしい。
その剣の腕は達人の域と言える。
伏姫を守ろうとしていた男が震えているのは、新たに現れた男の凄まじすぎる剣の腕に震撼したのであろう。強力な助っ人の登場に安堵感に包まれた伏姫だったが、すぐにその安堵感は消え去った。
「悪いな。
この娘は私がもらっていく」
強力な助っ人。そう思った男がそう言い放った。
味方と言う訳ではないらしい。
新たな敵に近い存在。しかも、その剣の腕は警護の者が太刀打ちできるレベルではない。
「ひ、ひ、退けぇぇぇ」
敵兵たちは男の腕と放つオーラに怯えて、林の向こうに消え去って行った。
襲って来ていた敵兵たちがいなくなったのを確認すると、凄腕の男は伏姫に振り返った。
「ふむ」
そう言った男の顔を伏姫は知らなかったが、整った細面の顔立ちに、通った鼻筋、先ほどまで遠く離れた桜の木の上にいた、犬の物の怪 八房だった。
「お主、名は何という」
生き残った警護の男は、目の前の男の正体を知りはしなかったが、無条件の味方でない事くらい感じ取っており、刀を八房に向けたままたずねた。
「わが名は八房じゃ」
「お主があの八房殿であったか。
姫を救ってくれた事は感謝いたす。
が、姫をおぬしに渡す訳にはまいらぬ」
「ふん」
八房は鼻で笑った。
それもそうである。この男が渡さぬと言ったところで、八房を止める事などできぬのであるから。
八房と警護の男の間に、伏姫の声が割って入った。
「何が望みじゃ」
体力的には限界が来てはいても、精神的には気丈な姫だった。
「望み?」
「申せ。金か? 所領か?」
「お主の体じゃ」
「無礼者」
八房の要求に、警護の男がそう叫びながら、八房めがけて刀を振り下ろした瞬間、男の体は乾いた田の彼方に吹き飛んでいた。
「さて、我が子をなしてもらう」
「何を無礼な」
今度は伏姫に付き添っていた女が、伏姫と八房の間に入り、両手を広げて壁を作りながら言った。
「そやつが結界を張っておったか」
女の言葉など聞こえなかったかのように、八房は地面に転がる錫杖を持った男の死体に目を向けながら言った。
「何の事ですか」
伏姫が詰問調でたずねると、八房が伏姫に目を向けた。
「おぬしには、妖の力を受け入れる素養があるのであろう?」
八房の言葉に、伏姫は心当たりがあった。幼き頃より言葉かわせぬ物の怪たちとも心を通じて会話ができただけではなく、物の怪の力を借りて怪異現象を引き起こす事さえできた事もあった。
「我が力を継承する者を造らねばならぬ。
それには、おぬしの体が必要なのじゃ」
「そのような事、許しませぬ」
伏姫の前に立つ、女が震える声で言ったが、八房は意に介していない。
「では、条件があります」
伏姫はきりりとした声で八房にそう言うと、振り返って煙が立ち上る滝田の城の方向を指さした。
「今、我が城は落ちようとしております。
あの城を、父上を、母上を救ってはくれませぬか?」
「ふむ。
簡単な事じゃ。
あの城と、そなたの両親を救えばよいのじゃな」
「はい」
「約束は違わぬと誓うか」
「はい。
城を、父上と母上を救って下されれば、我身をあなた様に差し出しましょう」
「あい分かった」
そう言ったかと思うと、八房の姿は一瞬にして消え去った。
そして、伏姫が滝田の城の方に目を向けると、その上空に一瞬にして沸き起こった黒い雲より雷が大地をうち続けている。
「あれは先ほどの八房の仕業なのであろうか?」
自分の意思にて天より雷を地上に落とすなど、神がごとき所業に伏姫は八房の力に恐怖を抱き、体の震えを止める事ができないでいた。
その雷もすぐに止み、空間を引き裂く雷鳴も止むと、滝田の城の上空を覆っていた暗雲が消え去り、立ち昇っていた炎と黒煙もぴたりと止んだ。もはや、その場が戦場であるとは、伏姫の場所からはうかがい知れなくなった頃、八房は伏姫の前に戻って来た。
「望み通り城を救ったぞ。
我と共に参れ」
「しばしお待ちください。
城と父上、母上が無事な事を確認させてください。
そして、父上にあなた様と契る許可をいただきとうございます」
「分かった。
では参ろうぞ」
八房はそう言うと、伏姫を抱きかかえ空を駆け、滝田の城に向かって行った。
瞬く間に近づいていく滝田の城。
その前の地面に広がるのは、八房の雷や炎によって焼かれ、真っ黒となった敵兵の多くの遺体。城門の奥の館は無傷とは言い難いが、大きな被害はなく、将兵たちが何が起きたのかと言う表情で、敵兵の遺体で埋め尽くされた城門の前を見つめていた。
滝田の城に到着した八房と伏姫はこの城の主であり、伏姫の父である里見義実と広間で向き合う事になった。広間の奥には義実が、その前に八房と伏姫。そして、左右に里見義実の家臣たちが座っていた。
事の次第を聞いた義実は険しい表情で、握りしめた両拳をぷるぷると震わせながら、一喝した。
「ならぬ。
わが姫を物の怪の妻になどさせられるものか」
義実の言葉に、左右に控えていた義実の将たちは八房への殺気を満し、いつでも襲い掛かれる態勢をとった。そして、そのうちの何人かは腰の刀の柄に手をかけてさえいた。
「約束を違えると申すのか?」
八房の声は落ち着いてはいたが、譲らぬと言う決意に満ちている。
二人の話し合いが決裂した場合に備え、義実の家臣たち全員がいつでも八房に切りかかれる態勢に入った。
「お待ちください」
透き通った声で、伏姫が言った。
「この城と、父上、母上を救ってくださる事を条件に、私は八房殿が出された条件を飲みました。
そして、約束通り八房殿は城を、父上を母上をお救い下さりました。
父上のお立場を考えれば、約束を違えるのは許されざるものではないかと」
「しかし、姫。
そやつは人にはあらず。物の怪ぞ。」
「承知しておりまする。
これより、八房殿とこの地を去りとうございます。
後は追わないでいただければ」
そう言って、頭を下げる伏姫に義実は返す言葉を見つけられず、黙って目を閉じた。
小高い丘の上に立つ満開の桜の木に、一人の男が目を閉じて座っていた。いや、正確には男ではなく、男の姿に変化した犬の物の怪 八房だった。
齢は千年に近いとも言われているが、本当の事は分からない。分かっているのは、他の物の怪たちを寄せ付けないほどの力を持っていると言う事だけだった。
「この近くにもおらぬか」
そう呟くと、八房は目を開いた。
小高い丘から見渡す春の景色。
その生命溢れる生き生きとした世界の一角に、春の穏やかな空間に似つかない炎と黒煙が上がっていた。
人々の争い。戦いくさである。
炎を吹き上げているのは、里見義実の居城 滝田城の城門。
「今じゃ、攻め寄せよ!」
「怯むな、迎え撃て!」
「矢を射かけよ!」
八房には遠く離れていても、人々の戦の様子が手に取るように分かっていた。
とは言え、八房にとって人の戦など興味のない事だ。
「仕方ない。
他の地を当たってみるか」
そう言った瞬間、桜の木の上から八房は姿を消し、その桜の花びらがはらはらと春の風に舞い落ちていった。
「伏姫様、お急ぎください」
滝田の城と八房がいた桜の木のほぼ中間あたりにある細いあぜ道が続く田畑の中を急ぐ一団がいた。その一団の中央にいるのは、さきほど伏姫と言う名で呼ばれた菅で編まれた市女笠を被った小柄で若い女性である。
人二人がやっとの道幅。
伏姫の前にいる4人の男たちは辺りを警戒しながら、小走りで進んでいる。
遅れて、伏姫に寄り添って小走りで忙しくなく進む若い女性。
その背後には、後ろに警戒しながら進む5人の男たち。
前を進む4人と、後ろに続く5人の内の4人は、明らかに武士と呼ばれる者のいでたちであったが、伏姫のすぐ後ろにいる一人の男だけは錫杖を手にしていて、刀の類は手にしておらず、男が進める歩につられて、錫杖の先端にある金属の輪がチャラリ、チャラリと金属音をたてていた。
「はあ、はあ。もうだめです」
伏姫は今、陥落寸前の滝田城の姫。滝田の城が敵兵たちに取り囲まれる前に、
密かに城を抜け出していた。そして、ここまですでに一刻近く走り続けており、伏姫の体力に限界が来ていた。
足を止めて、よろけ気味の伏姫に男たちが駆け寄る。
「伏姫様、もう少しのご辛抱を」
「ささ、早う」
その時だった。
ビュッ!
空気を切る音が一団を襲った。
「ぎゃっ」
「ぐはぁっ」
伏姫を取り囲む男たちが悲鳴を上げた。
男たちを襲う弓矢。
弓矢によって、8人いた伏姫を警護していた武士たちの3人が倒れ、錫杖を持つ男も倒れた。
「敵じゃ」
弓矢に襲われなかった男たちが刀を抜き放ち、辺りに目を向ける。
乾いた田の向こうに広がる林の中から、刀を陽光に煌めかせながら、敵兵たちが飛び出してきた。
「かかれぇ」
「姫は殺すでないぞ。
生け捕りにするんじゃ」
迫りくる敵兵に向かい、伏姫を警護していた男たちの4人が立ち向かっていく。
残る一人は伏姫の横で刀を構えている。
林の中から襲い掛かって来た敵兵の数は数十。
とてもではないが勝負にはならず、立ち向かっていった4人は瞬く間に動かぬ肉塊と成り果て、敵兵たちは伏姫の直前に迫ろうとしていた。
「伏姫様、お逃げください」
伏姫の横にいた男が、伏姫と襲ってくる敵兵たちの間に立ち、自らを盾にした。
「もうだめ」
戦いの結末は見えていた。
そう覚悟を決め、目をつぶった伏姫の耳に、男たちの絶命の声が聞こえて来た。
「ぎゃぁ」
「ぐあぁぁ」
止まぬ男たちの絶命の声に、伏姫が目を開いた。
すぐにでも切り殺されると思っていた警護の男は、未だ刀を構えて立っていた。
何があったのか、大きく震える警護の男の後姿。
その向こうに、どこから現れたのか一人の男の姿があった。その男の手には血塗られた刀があり、男の前には多くの敵兵が無残な損壊した体を地面に横たえていた。
立っている敵兵の数は十人ほど。
敵兵たちの多くを瞬く間に、切り捨てたらしい。
その剣の腕は達人の域と言える。
伏姫を守ろうとしていた男が震えているのは、新たに現れた男の凄まじすぎる剣の腕に震撼したのであろう。強力な助っ人の登場に安堵感に包まれた伏姫だったが、すぐにその安堵感は消え去った。
「悪いな。
この娘は私がもらっていく」
強力な助っ人。そう思った男がそう言い放った。
味方と言う訳ではないらしい。
新たな敵に近い存在。しかも、その剣の腕は警護の者が太刀打ちできるレベルではない。
「ひ、ひ、退けぇぇぇ」
敵兵たちは男の腕と放つオーラに怯えて、林の向こうに消え去って行った。
襲って来ていた敵兵たちがいなくなったのを確認すると、凄腕の男は伏姫に振り返った。
「ふむ」
そう言った男の顔を伏姫は知らなかったが、整った細面の顔立ちに、通った鼻筋、先ほどまで遠く離れた桜の木の上にいた、犬の物の怪 八房だった。
「お主、名は何という」
生き残った警護の男は、目の前の男の正体を知りはしなかったが、無条件の味方でない事くらい感じ取っており、刀を八房に向けたままたずねた。
「わが名は八房じゃ」
「お主があの八房殿であったか。
姫を救ってくれた事は感謝いたす。
が、姫をおぬしに渡す訳にはまいらぬ」
「ふん」
八房は鼻で笑った。
それもそうである。この男が渡さぬと言ったところで、八房を止める事などできぬのであるから。
八房と警護の男の間に、伏姫の声が割って入った。
「何が望みじゃ」
体力的には限界が来てはいても、精神的には気丈な姫だった。
「望み?」
「申せ。金か? 所領か?」
「お主の体じゃ」
「無礼者」
八房の要求に、警護の男がそう叫びながら、八房めがけて刀を振り下ろした瞬間、男の体は乾いた田の彼方に吹き飛んでいた。
「さて、我が子をなしてもらう」
「何を無礼な」
今度は伏姫に付き添っていた女が、伏姫と八房の間に入り、両手を広げて壁を作りながら言った。
「そやつが結界を張っておったか」
女の言葉など聞こえなかったかのように、八房は地面に転がる錫杖を持った男の死体に目を向けながら言った。
「何の事ですか」
伏姫が詰問調でたずねると、八房が伏姫に目を向けた。
「おぬしには、妖の力を受け入れる素養があるのであろう?」
八房の言葉に、伏姫は心当たりがあった。幼き頃より言葉かわせぬ物の怪たちとも心を通じて会話ができただけではなく、物の怪の力を借りて怪異現象を引き起こす事さえできた事もあった。
「我が力を継承する者を造らねばならぬ。
それには、おぬしの体が必要なのじゃ」
「そのような事、許しませぬ」
伏姫の前に立つ、女が震える声で言ったが、八房は意に介していない。
「では、条件があります」
伏姫はきりりとした声で八房にそう言うと、振り返って煙が立ち上る滝田の城の方向を指さした。
「今、我が城は落ちようとしております。
あの城を、父上を、母上を救ってはくれませぬか?」
「ふむ。
簡単な事じゃ。
あの城と、そなたの両親を救えばよいのじゃな」
「はい」
「約束は違わぬと誓うか」
「はい。
城を、父上と母上を救って下されれば、我身をあなた様に差し出しましょう」
「あい分かった」
そう言ったかと思うと、八房の姿は一瞬にして消え去った。
そして、伏姫が滝田の城の方に目を向けると、その上空に一瞬にして沸き起こった黒い雲より雷が大地をうち続けている。
「あれは先ほどの八房の仕業なのであろうか?」
自分の意思にて天より雷を地上に落とすなど、神がごとき所業に伏姫は八房の力に恐怖を抱き、体の震えを止める事ができないでいた。
その雷もすぐに止み、空間を引き裂く雷鳴も止むと、滝田の城の上空を覆っていた暗雲が消え去り、立ち昇っていた炎と黒煙もぴたりと止んだ。もはや、その場が戦場であるとは、伏姫の場所からはうかがい知れなくなった頃、八房は伏姫の前に戻って来た。
「望み通り城を救ったぞ。
我と共に参れ」
「しばしお待ちください。
城と父上、母上が無事な事を確認させてください。
そして、父上にあなた様と契る許可をいただきとうございます」
「分かった。
では参ろうぞ」
八房はそう言うと、伏姫を抱きかかえ空を駆け、滝田の城に向かって行った。
瞬く間に近づいていく滝田の城。
その前の地面に広がるのは、八房の雷や炎によって焼かれ、真っ黒となった敵兵の多くの遺体。城門の奥の館は無傷とは言い難いが、大きな被害はなく、将兵たちが何が起きたのかと言う表情で、敵兵の遺体で埋め尽くされた城門の前を見つめていた。
滝田の城に到着した八房と伏姫はこの城の主であり、伏姫の父である里見義実と広間で向き合う事になった。広間の奥には義実が、その前に八房と伏姫。そして、左右に里見義実の家臣たちが座っていた。
事の次第を聞いた義実は険しい表情で、握りしめた両拳をぷるぷると震わせながら、一喝した。
「ならぬ。
わが姫を物の怪の妻になどさせられるものか」
義実の言葉に、左右に控えていた義実の将たちは八房への殺気を満し、いつでも襲い掛かれる態勢をとった。そして、そのうちの何人かは腰の刀の柄に手をかけてさえいた。
「約束を違えると申すのか?」
八房の声は落ち着いてはいたが、譲らぬと言う決意に満ちている。
二人の話し合いが決裂した場合に備え、義実の家臣たち全員がいつでも八房に切りかかれる態勢に入った。
「お待ちください」
透き通った声で、伏姫が言った。
「この城と、父上、母上を救ってくださる事を条件に、私は八房殿が出された条件を飲みました。
そして、約束通り八房殿は城を、父上を母上をお救い下さりました。
父上のお立場を考えれば、約束を違えるのは許されざるものではないかと」
「しかし、姫。
そやつは人にはあらず。物の怪ぞ。」
「承知しておりまする。
これより、八房殿とこの地を去りとうございます。
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