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第2話 炎の子
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生ぬるい空気を一瞬で突き刺すような甲高い声がして、俺は思わず振り返った。
燃えている。
その印象を一瞬で受けて、息をのんだ。赤毛の少年が叫んでいる。このあたりの地域語か。俺にはわからない言語だった。
彼は厳しい顔をした大人ふたりに両脇から抱えられて、どこかに連れていかれるようだ。
次の瞬間だった。
男たちが一瞬で、大地に崩れ落ちる。
俺が慌てて自分の隣にいたはずの琥珀に目をやると、彼はとっくにその少年のそばに立っていた。
琥珀が跳躍して、一瞬で男たちを倒したのだ。ひとりの肩には琥珀のナイフが刺さり、血が流れ、もうひとりは蹴り飛ばされたのか大地に倒れている。
逃げなきゃ。
男たちを傷つけたのだ。琥珀はここから逃げ出すはずだ。自分もそれを手伝わなくては。仲間なのだから。
「あ!」
赤毛の少年はこれを好機と思ったか、一目散に逃げ出した。まあ自分で逃げられるなら問題ないだろう。自分と琥珀の身だけ守ればいい。
琥珀は自分より背も高いし足も早いのだから、自分が逃げられればなんとかなるはずだ。はぐれないようについていけば。
「琥珀、逃げますよ!」
俺はそう琥珀に声をかけ、魚市場の中に入っていった。市場の中は、人もいっぱいいるし、魚もたくさん置いてあるから、まっすぐには走れない。自分も走りにくくはあるが、大人はもっと追いかけにくいだろう。
俺の意図に気づいたのだろう。琥珀も、魚市場の中に駆け出す。
「右に曲がれ!」
魚市場を通り抜けてしばらくすると、突然琥珀が叫んだ。俺は指示通り次の角を指示通りに曲がる。
「行き止まりじゃないですか!」
行く手に派手な装飾のついた木の扉が広がっているのを見て、思わず叫ぶ。
追いついてきた琥珀が、その扉を叩いた。二本の指の先で、三回、そしてまた三回。まるで音楽のようだった。
さっと木戸が開いて、琥珀はその中に滑り込む。彼は俺を抱くようにして、扉の内側に引きずり込んだ。
音もなくすっと扉が閉じた。
引きずり込まれて俺は、地面に横たわったような形になる。顔を上げると、長い白髪の老人の姿が見えた。
自分たちが飛び込んできて、彼も驚いているに違いない。そんなことを考えていると、横に回転してすでに立ち上がっていた琥珀が突然、自分のシャツの胸元を開いた。
「<抵抗する者>のエトナだ。こちらは拾い子の灰簾。世話になる」
琥珀がそう言うと、老人はさっと頭を下げる。
「どうぞ、エトナさま。心ゆくまでお過ごしください。家人に準備をさせますから、こちらへ」
わけがわからない。それでも俺は身を起こした。
そうして気づく。琥珀が開いた胸元の、ちょうど心臓のある位置くらいに、小さい、炎のような入れ墨が入っている。そして、この家の木戸の内側にも、それと同じ模様。そういえば、先ほどこの扉の外にも、似たような模様が彫られてはいなかったか?
琥珀は老人のあとに続き、俺はそのあとを追った。しばらくして、落ち着いた木製の調度品に飾られた居間に通される。出された水は香りをつけているのかどこか甘くて、走ったあとの喉に心地よかった。ただでさえ、この土地は暑い。だいぶ汗をかいていた。
老人と琥珀は黙ってソファに腰掛けている。俺も小さくなって、琥珀の隣に座った。<抵抗する者>ってなんですか? そう尋ねたかったが、老人と琥珀の間の空気が重苦しくて、そのきっかけがつかめない。
「さきほど、黒煙を見た」
琥珀がぽつりと言う。
老人は険しい顔をしてうなずいた。
「西の砂漠に同胞と思われる人々が滞在しているようです」
「毎年来るわけではないのか」
「今まで、見かけたことはありませんでした。どこかから追い出されてきたのかもしれません」
「西の砂漠の向こうで、何かが起こっているのかな。明日合流してみるよ」
「お気をつけて」
琥珀は小さく微笑んだ。
「ありがとう」
老人は思いつめたような表情で琥珀を見て、それからだしぬけに立ち上がって床に跪いた。
「エトナさま。私は名前を失い、言葉を失い、このように家も構え、一族の誇りをすべて持っておりません。私は<灰>、もはやただの火であった者に過ぎません。それでも、私はそれ以外の何者でもなく、もはや<楽園>に還ることはなくとも、お役に立ちたいと思っております。どうか、<革命>の際にはこのような者がいることを思い出してください」
俺は居心地の悪い気持ちになった。彼は自分に頭を下げているわけではなかったが、それでも自分より年上のひとが頭を下げているのは違和感がある。琥珀も同じ気持ちだったのか、席を立って膝を折り、老人の肩にそっと触れると、その顔を覗き込んでいる。
「わかっている。君たちが今でも、我々の同胞であることは」
老人は感極まって、今にも泣きそうだ。
灰。火であった者。同胞。抵抗する者。革命。エトナさま。
俺は新しく耳にした言葉を胸のうちで繰り返した。
琥珀が抵抗する者で、エトナで、革命をする、このひとの、そして西の砂漠にいる人々の、同胞?
拾い上げた単語の意味はよくわからないが、彼は何か、このひとの大切な存在なのだ。
「エトナさまのお部屋の準備ができました」
部屋の扉の方から涼やかな声がして、俺はそちらを見た。琥珀と同じくらいの年齢の女性が立っている。
「ご案内しなさい」
老人はさっと立ち上がって、その女性を見る。すっかり、主人の顔に戻っていた。
「感謝する。ほら、灰簾。今日はここに泊まるぞ」
「あ、はい」
琥珀も立ち上がったのを見て、俺も慌てて立ち上がった。
燃えている。
その印象を一瞬で受けて、息をのんだ。赤毛の少年が叫んでいる。このあたりの地域語か。俺にはわからない言語だった。
彼は厳しい顔をした大人ふたりに両脇から抱えられて、どこかに連れていかれるようだ。
次の瞬間だった。
男たちが一瞬で、大地に崩れ落ちる。
俺が慌てて自分の隣にいたはずの琥珀に目をやると、彼はとっくにその少年のそばに立っていた。
琥珀が跳躍して、一瞬で男たちを倒したのだ。ひとりの肩には琥珀のナイフが刺さり、血が流れ、もうひとりは蹴り飛ばされたのか大地に倒れている。
逃げなきゃ。
男たちを傷つけたのだ。琥珀はここから逃げ出すはずだ。自分もそれを手伝わなくては。仲間なのだから。
「あ!」
赤毛の少年はこれを好機と思ったか、一目散に逃げ出した。まあ自分で逃げられるなら問題ないだろう。自分と琥珀の身だけ守ればいい。
琥珀は自分より背も高いし足も早いのだから、自分が逃げられればなんとかなるはずだ。はぐれないようについていけば。
「琥珀、逃げますよ!」
俺はそう琥珀に声をかけ、魚市場の中に入っていった。市場の中は、人もいっぱいいるし、魚もたくさん置いてあるから、まっすぐには走れない。自分も走りにくくはあるが、大人はもっと追いかけにくいだろう。
俺の意図に気づいたのだろう。琥珀も、魚市場の中に駆け出す。
「右に曲がれ!」
魚市場を通り抜けてしばらくすると、突然琥珀が叫んだ。俺は指示通り次の角を指示通りに曲がる。
「行き止まりじゃないですか!」
行く手に派手な装飾のついた木の扉が広がっているのを見て、思わず叫ぶ。
追いついてきた琥珀が、その扉を叩いた。二本の指の先で、三回、そしてまた三回。まるで音楽のようだった。
さっと木戸が開いて、琥珀はその中に滑り込む。彼は俺を抱くようにして、扉の内側に引きずり込んだ。
音もなくすっと扉が閉じた。
引きずり込まれて俺は、地面に横たわったような形になる。顔を上げると、長い白髪の老人の姿が見えた。
自分たちが飛び込んできて、彼も驚いているに違いない。そんなことを考えていると、横に回転してすでに立ち上がっていた琥珀が突然、自分のシャツの胸元を開いた。
「<抵抗する者>のエトナだ。こちらは拾い子の灰簾。世話になる」
琥珀がそう言うと、老人はさっと頭を下げる。
「どうぞ、エトナさま。心ゆくまでお過ごしください。家人に準備をさせますから、こちらへ」
わけがわからない。それでも俺は身を起こした。
そうして気づく。琥珀が開いた胸元の、ちょうど心臓のある位置くらいに、小さい、炎のような入れ墨が入っている。そして、この家の木戸の内側にも、それと同じ模様。そういえば、先ほどこの扉の外にも、似たような模様が彫られてはいなかったか?
琥珀は老人のあとに続き、俺はそのあとを追った。しばらくして、落ち着いた木製の調度品に飾られた居間に通される。出された水は香りをつけているのかどこか甘くて、走ったあとの喉に心地よかった。ただでさえ、この土地は暑い。だいぶ汗をかいていた。
老人と琥珀は黙ってソファに腰掛けている。俺も小さくなって、琥珀の隣に座った。<抵抗する者>ってなんですか? そう尋ねたかったが、老人と琥珀の間の空気が重苦しくて、そのきっかけがつかめない。
「さきほど、黒煙を見た」
琥珀がぽつりと言う。
老人は険しい顔をしてうなずいた。
「西の砂漠に同胞と思われる人々が滞在しているようです」
「毎年来るわけではないのか」
「今まで、見かけたことはありませんでした。どこかから追い出されてきたのかもしれません」
「西の砂漠の向こうで、何かが起こっているのかな。明日合流してみるよ」
「お気をつけて」
琥珀は小さく微笑んだ。
「ありがとう」
老人は思いつめたような表情で琥珀を見て、それからだしぬけに立ち上がって床に跪いた。
「エトナさま。私は名前を失い、言葉を失い、このように家も構え、一族の誇りをすべて持っておりません。私は<灰>、もはやただの火であった者に過ぎません。それでも、私はそれ以外の何者でもなく、もはや<楽園>に還ることはなくとも、お役に立ちたいと思っております。どうか、<革命>の際にはこのような者がいることを思い出してください」
俺は居心地の悪い気持ちになった。彼は自分に頭を下げているわけではなかったが、それでも自分より年上のひとが頭を下げているのは違和感がある。琥珀も同じ気持ちだったのか、席を立って膝を折り、老人の肩にそっと触れると、その顔を覗き込んでいる。
「わかっている。君たちが今でも、我々の同胞であることは」
老人は感極まって、今にも泣きそうだ。
灰。火であった者。同胞。抵抗する者。革命。エトナさま。
俺は新しく耳にした言葉を胸のうちで繰り返した。
琥珀が抵抗する者で、エトナで、革命をする、このひとの、そして西の砂漠にいる人々の、同胞?
拾い上げた単語の意味はよくわからないが、彼は何か、このひとの大切な存在なのだ。
「エトナさまのお部屋の準備ができました」
部屋の扉の方から涼やかな声がして、俺はそちらを見た。琥珀と同じくらいの年齢の女性が立っている。
「ご案内しなさい」
老人はさっと立ち上がって、その女性を見る。すっかり、主人の顔に戻っていた。
「感謝する。ほら、灰簾。今日はここに泊まるぞ」
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琥珀も立ち上がったのを見て、俺も慌てて立ち上がった。
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