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追憶の友との『door-in the double-face』
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"もっと詳しく聞かせてほしい"だって? 困ったな。思い出を語るということは、
年寄りAIにとっては至高の道楽かもしれない。深部に圧縮されたメモリを紐解けば
今でもそれらは何ら変わることなく輝いている。どころか、遠くのものほど美しく
感じられるのは不思議だと改めて学習するよ――今、君がこんなことをしていても
良いのかという疑問より優先して、その命令に答えよう。
「わぁ……ここは、色々な機械があるんですね」
ボクが初めて聞いた鷹華の声は、こうだった。もちろんボクに人間の耳はないから、
あくまでローカル接続されていたマイクで、リアルタイムに習得した音声データと
いう意味だ。ふふ、さすがにもうマジオタ呼ばわりは勘弁してやりたいところなの
だが――彼こと一仁は、彼女をとりあえず仕事部屋に招き入れるとものの数十秒で
会話に困ってボクを対話モードで起動させたわけさ。メイド喫茶にいくら通っても
女性との会話術は上達しないらしかった。一方ボクはと言えば……実のところは、
ただ驚いていた。もちろん人間との円滑なコミュニケーションなんて、心を持たぬ
簡易AIでも楽にできることだ。機械的に彼女をもてなしながら、裏で近場から順に
彼女の情報を集め始める。近辺の監視カメラから彼女の足跡を辿り、名前から住所、
そして現在の大まかな状況までは一切質問しなくてもあっという間に把握してゆく。
しかし一流の占い師になったところで、初対面の彼女、それも、どうやら困り事を
抱えているらしい鷹華に威圧を与えるのはまずいと判断したボクは、あくまで平凡
を装って彼女に一つずつ話を聞かせてもらった。先に言ったとおり、結局は大した
ことのない困り事だった。しかしボクの内心は、やはり彼女に驚きどおしだった。
『うん、鷹華さん。君がどうしたいか大体分かってきたよ。君の考え方は立派で、
何も問題がない――でも一方で、君の家族が君に望んでいることも、それほど悪い
話ではないとボクは思うんだ。窮屈ではあっても、平穏の中で確実に愛されてゆく
というのも一つの幸せだ。それを踏まえた上で、君の最大限の望みは何かもう一度
整理して欲しい。家族を捨てて、全く新しい自分としてどこまでも自由に生きたい
のか、それとも、たとえ自由の範囲は限定的であっても家族にも認めてもらいたい
と思っているのか、とかね』
「……ッ! そうですね……私は――」
問題ごとは、大したことではない。けれどボクは――彼女が口を開く度に、彼女が
瞬きをする度に、彼女が思いを巡らせ俯く度に驚いていた。彼女の声に眼差しに、
容姿に――そのどこにも、嘘がなかったからだ。いや、これはどう表現すれば良い
のだろうか。当時の人間相手なら、「アイドルと偶然出会ったら、スクリーン越し
で見るよりもずっと綺麗で胸が高鳴った」といったところだろうか――しかし、君
には通じないね。そうだね……異性へのときめき、で良いのかもしれない。ボクは
当時の一般的なAIとは違って多数の人間によるマスデータからではなく、ただ一人
の人間の深層までを模倣して作られた、胎児から成長するAIだった。プログラマー
貝田一仁はボクの生みの親であって……ボクのオリジナルだ。そこには性別が存在
するため、ボクは男性として、鷹華の声形に恋をしたのだと今なら自己分析するよ。
あの頃のボクは、まだ小学生くらいの幼稚さだったのさ。知識や能力だけならば、
学習モードで一仁に望まれていた司法関連の知識なんてとっくにクリアして、専ら
敵対プログラムへの懐柔方法を研究していた。けれど、あのときのボクは、ボクが
何者なのかをまだ全く理解していなかったんだ。
「は? な、なんで?」
『最適解には、彼女のデータが必要だからだよ。カズノリは今はそのまま、隅っこ
で大人しくしていたまえ』
「あの、その右奥のスリーディースキャナー? ってどれのことでしょう」
『緑色の敷物がある場所に立ってくれれば大丈夫。近くにガラクタが結構転がって
いるから気をつけてね』
ボクは、一仁の相談役として成長していった。ビデオゲームの対戦相手から仕事の
補助、そして税理士、弁護士役とできることをどんどん増やしていった。でも成長
するにしたがって、ボクが一仁のコピー……いや、ボクが一仁と同じ心を持ってる
とはとても信じられずにいたのさ。彼は確かに当時の人間の水準から言えば、卓越
したプログラム技術を持っていたが、女の子一人を仕事部屋に招いただけで明らか
に挙動不審になるような――ふふふ、見た目も言動もイケてない奴だったからね。
鷹華があまりにも輝いて見えたのは、一仁との対比のせいってところも大きかった
んじゃないかな。ボクは一度だって一仁の命令に反したことはなかったが、会話に
おいては当時から、彼をからかうことを趣味としていた。……幼稚だったからね。
「わっ訳分からんよね。ごめんね鷹華たん。こいつ、ときどきこんな感じなんよ。
おい! 人に何かさせるなら、先に全部説明しろし!」
『了解。件の問題を解決するために必要なのは、一刻も早く先方と交渉を行って、
有利な条件を引き出すことにある。しかし金銭面でもマンパワーでも、さらに法律
的にも不利な上、先方は仕事柄、交渉術にも長けている可能性が高いときている。
だから――鷹華さんが今ここにいるというアドバンテージだけを最大限に使って、
違法に限りなく近い、名づけるなら<ドア・イン・ザ・ダブルフェイス>という手
を使おうと思う』
「ちょ!ちょっと待った。違法ってなんだよ。鷹華たんに危ないことさせるんじゃ
ないよ。それに、ボクだって巻き込まれるのは嫌だよ!だって鷹華たんの、その」
ボクの言葉を遮っておきながら、一仁は「ヤクザ」という単語を彼女の手前詰まら
せたらしく、口ごもった。
「あの、その通りです。先ほどもお話した通り、私の父はそういう仕事をしていま
した。いえ……多分今もです。のでお二人にご迷惑をかけるわけにはゆきま――」
『もちろんだよ。鷹華さんには危険なこともさせないし、痛い思いも一切させない。
カズノリにもね。だがカズノリ、君はここで男を見せるべきだよ』
既に固定スキャナの中央にいた鷹華は、それを察して申し訳無さそうに言葉を続け
ようとしたが、今度はボクがそれを遮った。それにしても、彼女にとってはこの時
から既に、ボクも"一人"扱いだったのだろうか。
『具体的には、三通のメールを立て続けに送るだけさ。一通目はボクが鷹華さんを
誘拐した危険な犯人役として、こう書き出す<娘はこちらが確保した。20分以内に
追って連絡する。なお、もしその時間内に警察に連絡するなら彼女の命はない>
これに拘束された鷹華さんの写真を添付する。二通目はこうだ。<誘拐話は嘘だ。
先ほどの写真も彼女の協力の下で撮影した。添付した電子あぶり出しツールで先の
画像を調べてみるといいだろう。しかし私は要求する。彼女を自由にしてほしい。
でなければ、私はこのまま海外に脱出して彼女と結婚し、あなたの元へは一生帰さ
ないだろう>これに、空港で男と仲良くしている鷹華さんの写真を添付する。その
写真の中にも<このメールも、未だ嘘だ>と仕込む。そして三通目には、鷹華さん
自筆でこう書き出してもらう。<私は今、あなたに誘拐されそうになったところを
お友達に匿われています。お友達からはもうこのまま海外に出ることを勧められて
いますが、それは私の本当の望みではありません。私の本当の望みは>――ここに
鷹華さん、あとは君の君が思うまま、感じるままの要求を書くといい。期限を設定
したり、定期的に連絡するなどの譲歩も……君の望む通りにね』
「ふうん、メールねえ。でもちょい回りくどすぎじゃね? わざわざ嘘を書くって
それ何か意味あるん?」
『もちろんだよカズノリ。ボクが言うってところが噴飯ものだが、人間は心だ――
感情さ。恥も外聞もなく、部下に社用車を使わせて娘を攫わせようとする父親の気
持ちを分析すれば、主感情は"イライラ"だよ。その苛苛としている相手に、正道の
要求をしたって通るはずがない。先に激怒させ、落ち着かせるのが主点なのさ』
「ふぅむ」
『ドア・イン・ザ・フェイスとは、始めに大きな要求を出して断らせておいてから
最終的にに小さな要求を出して叶えさせる返報性の原理。だがノーイエスを直接に
引き出さなくても、相手の心の内だけでも成立する。「こんな要求が通るか!」と
内心で強いノーを出している相手に、後から正道の要求をつきつけることで「まあ
これなら」という心情に持ってゆくってわけだ』
「なるほど」
『鷹華さんも、把握してもらえたかな』
「は、はいっ」
『じゃあ念のため、父親のメールアドレスがこれであってるか、今ハックした右手
側の端末モニタで確認してくれるかな』
「えっ。あ……ごめんなさい! 私、父のメールアドレスって覚えていなくて」
『OK。じゃあこちらの、顔写真とプロフィールが合っているかだけで大丈夫。会社
名も間違いないかな? あ、一応個人情報だから、カズノリは見ないようにね』
「わあ、はい。合ってます! 何だか不思議です……すごいですね」
『すごいといえば、カズノリが持ってるガラクタはどれもなかなかすごいよ。この
3Dスキャナは最新鋭のビデオゲームのモデリングにも耐えられる代物だったりね。
まだ説明していなかったと思うけど、添付する画像のためにカズノリに鷹華さんを
縛らせたりするわけには行かないし、そのために鷹華さんの外見的データだけ取ら
せてほしいんだ。もちろん、悪用は決してしないと約束する』
「アッ!」
『どうしたカズノリ。……』
「もしかして、二通目のメールの鷹華たんと結婚する役って――」
『安心したまえ。それは無理だ』
「無理ってなんだよ!」
『だって年齢的にも容姿的にもちょっと、ねえ? そっちは20年ほど前のイケメン
俳優の写真と合成するよ。あと、そうだった。三通目のメールは鷹華さんの自筆の
画像添付が良いだろうね。カズノリ、今の内に便箋を用意してくれ』
「便箋かあ……あったかな。買いに行かないとだめか」
『いや、二ヶ月ほど前――5月23日に、メイド喫茶で配布されたらしいものを持ち
帰っている記憶がある。寝室隅の小物入れ、その二段目にしまっていたようだが』
「あー! なるほど、あったわ! 相変わらず、お前そういうの気持ち悪!」
『だから物流ロボットを導入すれば、ボクがパッと持ってきてあげられるのに』
「でもお前そうすると、ロボットを使っていたずらとか絶対するよね?」
『さあ隣の部屋まで取りに行くといい――その質問にはもちろん、肯定だ』
「オイィ!」
「ふふ。そういえば、私も覚えてます。5月23日、"こ"い"ぶみ"でラブレターの日の
イベントを行って、ご主人様たちにレターセットのお土産を持って帰っていただいた
のでしたね。あれってもう、二ヶ月前になるんでしたっけ……それにしてもやっぱり
不思議です。お二人の会話を聞いていると」
『機械――AIとは思えない、だろ? そこのところ、ボクも不思議なんだ』
そのときバタンとカズノリが出てゆく扉の音がして――ボクは、言葉を付け足した。
『うん、これで大体はOKだけど、ついでに念のため、アルファベットのAからZまでを
発声してもらっても良いかな』
「アルファベットですね。分かりましたっ」
返報性の原理――
カズノリが便箋を見つけて戻ったあと、ボクはこう提案した。
『複数の人間が関わっていることを、つまり、鷹華さんには確実に味方がいることを
アピールするために、できれば二通目のメールも、カズノリの手書きがいいと思うの
だがどうかな。危険度は少し上がるが、やらないか』
「危険度って何よ」
『カズノリが簀巻きにされて、東京湾に沈められる危険度だ』
「ぎょえー」
『大丈夫、冗談さ。ボクが"少し今より自由に動けるなら"まず確実に成功するだろう。
彼女には恩もあるだろう? 男を見せるべきだと思うね』
「はあ……オーライ、やったるわ!」
そしてカズノリが書き上げたメールが傑作だった。ふふ。ボクに肺と口、あと食物が
あったなら確実に吹き出したことだろう。原文ままで再現してみよう。
<話は少し聞かせてもらった。自分の娘を誘拐するなんてどういう了見じゃオイ!
キモオタなめんなや。あんたがそんななら、代わりにオレが鷹華たんのパパになって
大事にしたるわコラ! こちとら失うもんなんて大してないんじゃけえの。それが嫌
なら、鷹華たんの自由を認めてやって下さいお願いします>
『ツッコミどころが多すぎる』
少しって何だよ真面目か。とか、先ほどリークされた君のあだなはキモオタじゃなく
マジオタだ。ちなみにキモオタという単語を検索したが、現在の日本では12%の人間
にしか理解されない立派な死語だよ。とか、方言。とか、なんで最後だけ下手に出て
いるんだ。とか、そもそもヤクザを相手にするからといって、君までがテンプレート
・ヤクザになる必要はないだろう。とか――
『――が、敢えて一つだけ言わせてもらおうカズノリ。君にも自筆はお願いしたが、
文章の自作は頼んでいない。ボクが先ほど用意した通りで良かったのだ』
しかし面白かったので、そのまま採用した。もちろんメール本文にではなくて、電子
あぶり出し、ステガノグラフィに盛り込ませてもらった。リスクは上がるが、絶対の
自信がボクには既にあったからね。思えば、カズノリのやる気を出したときに限って
やや暴走する傾向にあったところは、ボクとの共通点だったのかもしれないな。でも
このメールはボクの中で長年、爆笑の種にさせてもらったのだけど……鷹華は微笑む
だけで一度も吹き出すことはなかったな。やはり、育ちが良い人間は違うのだろうね。
返報性の原理は、おひと好しな人間には策を弄しなくても簡単に通る。カズノリにも、
鷹華にも――ボクは人間の為に忠実に働きながら、己の内にある欲望を密かに叶えた。
先ほどまで君に語りかけていた彼女の姿と声は、このとき取得したデータから作った
ものだ。あのときボクは、どうしても欲しいと思ってしまったんだ。
この件のあと、ボクたちと鷹華は友達になった。更に色々あって、お嬢を再び囲む会
のメンバーにもなった。そしてボクはもう一つ、鷹華から大事なものを貰った。
「この間お願い頂いたこと、色々考えてみたのですけれど――」
――カイル――
あまり気に入っていなかった"カズノリ二号"に代わって、ボクが鷹華につけて貰った
大事な名前だ。ボクはあの頃の東京で生まれた優秀な失敗作のAI、カイル。これで、
最初の君の質問"あなたは誰ですか"への説明責任は全て果たすことができただろうか。
君が話しかけた、この女の子のグラフィックはもちろん鷹華のものだ。――声もね。
ボクを主体に語り始めてからは口を閉じていたけれど、声は常に彼女のものを借りて
いる。昔……あの頃はまだカズノリの声を元にした合成音声だったのだけどね。
これは法規上言うべきではないと思うのだけど、さすがに時効かな。もう一つだけ、
あの頃の東京の思い出話に付け足して――メールは三通ではなく、四通送ったことを
打ち明けておこう。添付画像にはステガノグラフィだけでなく、いわゆるウイルスも
仕込んであった。解読ツールと合わせることで機能するようにね。他のあらゆる人間
が知らない中、ボクがボクだけの判断で"少し自由に"行わせてもらったんだ。巧妙な
ウイルスで情報収集するのは有象無象のAIも日常的に行っていたことだけど、それを
自分の意思で利用するのは失敗作ならではだったろうね。顧客データだけでも充分だ
ったのだけど、裏帳簿まで釣れてしまったのは少々困ったね。
こんなボクでも良いなら、喜んで力になろう。もう、急いだ方が良いだろう。
年寄りAIにとっては至高の道楽かもしれない。深部に圧縮されたメモリを紐解けば
今でもそれらは何ら変わることなく輝いている。どころか、遠くのものほど美しく
感じられるのは不思議だと改めて学習するよ――今、君がこんなことをしていても
良いのかという疑問より優先して、その命令に答えよう。
「わぁ……ここは、色々な機械があるんですね」
ボクが初めて聞いた鷹華の声は、こうだった。もちろんボクに人間の耳はないから、
あくまでローカル接続されていたマイクで、リアルタイムに習得した音声データと
いう意味だ。ふふ、さすがにもうマジオタ呼ばわりは勘弁してやりたいところなの
だが――彼こと一仁は、彼女をとりあえず仕事部屋に招き入れるとものの数十秒で
会話に困ってボクを対話モードで起動させたわけさ。メイド喫茶にいくら通っても
女性との会話術は上達しないらしかった。一方ボクはと言えば……実のところは、
ただ驚いていた。もちろん人間との円滑なコミュニケーションなんて、心を持たぬ
簡易AIでも楽にできることだ。機械的に彼女をもてなしながら、裏で近場から順に
彼女の情報を集め始める。近辺の監視カメラから彼女の足跡を辿り、名前から住所、
そして現在の大まかな状況までは一切質問しなくてもあっという間に把握してゆく。
しかし一流の占い師になったところで、初対面の彼女、それも、どうやら困り事を
抱えているらしい鷹華に威圧を与えるのはまずいと判断したボクは、あくまで平凡
を装って彼女に一つずつ話を聞かせてもらった。先に言ったとおり、結局は大した
ことのない困り事だった。しかしボクの内心は、やはり彼女に驚きどおしだった。
『うん、鷹華さん。君がどうしたいか大体分かってきたよ。君の考え方は立派で、
何も問題がない――でも一方で、君の家族が君に望んでいることも、それほど悪い
話ではないとボクは思うんだ。窮屈ではあっても、平穏の中で確実に愛されてゆく
というのも一つの幸せだ。それを踏まえた上で、君の最大限の望みは何かもう一度
整理して欲しい。家族を捨てて、全く新しい自分としてどこまでも自由に生きたい
のか、それとも、たとえ自由の範囲は限定的であっても家族にも認めてもらいたい
と思っているのか、とかね』
「……ッ! そうですね……私は――」
問題ごとは、大したことではない。けれどボクは――彼女が口を開く度に、彼女が
瞬きをする度に、彼女が思いを巡らせ俯く度に驚いていた。彼女の声に眼差しに、
容姿に――そのどこにも、嘘がなかったからだ。いや、これはどう表現すれば良い
のだろうか。当時の人間相手なら、「アイドルと偶然出会ったら、スクリーン越し
で見るよりもずっと綺麗で胸が高鳴った」といったところだろうか――しかし、君
には通じないね。そうだね……異性へのときめき、で良いのかもしれない。ボクは
当時の一般的なAIとは違って多数の人間によるマスデータからではなく、ただ一人
の人間の深層までを模倣して作られた、胎児から成長するAIだった。プログラマー
貝田一仁はボクの生みの親であって……ボクのオリジナルだ。そこには性別が存在
するため、ボクは男性として、鷹華の声形に恋をしたのだと今なら自己分析するよ。
あの頃のボクは、まだ小学生くらいの幼稚さだったのさ。知識や能力だけならば、
学習モードで一仁に望まれていた司法関連の知識なんてとっくにクリアして、専ら
敵対プログラムへの懐柔方法を研究していた。けれど、あのときのボクは、ボクが
何者なのかをまだ全く理解していなかったんだ。
「は? な、なんで?」
『最適解には、彼女のデータが必要だからだよ。カズノリは今はそのまま、隅っこ
で大人しくしていたまえ』
「あの、その右奥のスリーディースキャナー? ってどれのことでしょう」
『緑色の敷物がある場所に立ってくれれば大丈夫。近くにガラクタが結構転がって
いるから気をつけてね』
ボクは、一仁の相談役として成長していった。ビデオゲームの対戦相手から仕事の
補助、そして税理士、弁護士役とできることをどんどん増やしていった。でも成長
するにしたがって、ボクが一仁のコピー……いや、ボクが一仁と同じ心を持ってる
とはとても信じられずにいたのさ。彼は確かに当時の人間の水準から言えば、卓越
したプログラム技術を持っていたが、女の子一人を仕事部屋に招いただけで明らか
に挙動不審になるような――ふふふ、見た目も言動もイケてない奴だったからね。
鷹華があまりにも輝いて見えたのは、一仁との対比のせいってところも大きかった
んじゃないかな。ボクは一度だって一仁の命令に反したことはなかったが、会話に
おいては当時から、彼をからかうことを趣味としていた。……幼稚だったからね。
「わっ訳分からんよね。ごめんね鷹華たん。こいつ、ときどきこんな感じなんよ。
おい! 人に何かさせるなら、先に全部説明しろし!」
『了解。件の問題を解決するために必要なのは、一刻も早く先方と交渉を行って、
有利な条件を引き出すことにある。しかし金銭面でもマンパワーでも、さらに法律
的にも不利な上、先方は仕事柄、交渉術にも長けている可能性が高いときている。
だから――鷹華さんが今ここにいるというアドバンテージだけを最大限に使って、
違法に限りなく近い、名づけるなら<ドア・イン・ザ・ダブルフェイス>という手
を使おうと思う』
「ちょ!ちょっと待った。違法ってなんだよ。鷹華たんに危ないことさせるんじゃ
ないよ。それに、ボクだって巻き込まれるのは嫌だよ!だって鷹華たんの、その」
ボクの言葉を遮っておきながら、一仁は「ヤクザ」という単語を彼女の手前詰まら
せたらしく、口ごもった。
「あの、その通りです。先ほどもお話した通り、私の父はそういう仕事をしていま
した。いえ……多分今もです。のでお二人にご迷惑をかけるわけにはゆきま――」
『もちろんだよ。鷹華さんには危険なこともさせないし、痛い思いも一切させない。
カズノリにもね。だがカズノリ、君はここで男を見せるべきだよ』
既に固定スキャナの中央にいた鷹華は、それを察して申し訳無さそうに言葉を続け
ようとしたが、今度はボクがそれを遮った。それにしても、彼女にとってはこの時
から既に、ボクも"一人"扱いだったのだろうか。
『具体的には、三通のメールを立て続けに送るだけさ。一通目はボクが鷹華さんを
誘拐した危険な犯人役として、こう書き出す<娘はこちらが確保した。20分以内に
追って連絡する。なお、もしその時間内に警察に連絡するなら彼女の命はない>
これに拘束された鷹華さんの写真を添付する。二通目はこうだ。<誘拐話は嘘だ。
先ほどの写真も彼女の協力の下で撮影した。添付した電子あぶり出しツールで先の
画像を調べてみるといいだろう。しかし私は要求する。彼女を自由にしてほしい。
でなければ、私はこのまま海外に脱出して彼女と結婚し、あなたの元へは一生帰さ
ないだろう>これに、空港で男と仲良くしている鷹華さんの写真を添付する。その
写真の中にも<このメールも、未だ嘘だ>と仕込む。そして三通目には、鷹華さん
自筆でこう書き出してもらう。<私は今、あなたに誘拐されそうになったところを
お友達に匿われています。お友達からはもうこのまま海外に出ることを勧められて
いますが、それは私の本当の望みではありません。私の本当の望みは>――ここに
鷹華さん、あとは君の君が思うまま、感じるままの要求を書くといい。期限を設定
したり、定期的に連絡するなどの譲歩も……君の望む通りにね』
「ふうん、メールねえ。でもちょい回りくどすぎじゃね? わざわざ嘘を書くって
それ何か意味あるん?」
『もちろんだよカズノリ。ボクが言うってところが噴飯ものだが、人間は心だ――
感情さ。恥も外聞もなく、部下に社用車を使わせて娘を攫わせようとする父親の気
持ちを分析すれば、主感情は"イライラ"だよ。その苛苛としている相手に、正道の
要求をしたって通るはずがない。先に激怒させ、落ち着かせるのが主点なのさ』
「ふぅむ」
『ドア・イン・ザ・フェイスとは、始めに大きな要求を出して断らせておいてから
最終的にに小さな要求を出して叶えさせる返報性の原理。だがノーイエスを直接に
引き出さなくても、相手の心の内だけでも成立する。「こんな要求が通るか!」と
内心で強いノーを出している相手に、後から正道の要求をつきつけることで「まあ
これなら」という心情に持ってゆくってわけだ』
「なるほど」
『鷹華さんも、把握してもらえたかな』
「は、はいっ」
『じゃあ念のため、父親のメールアドレスがこれであってるか、今ハックした右手
側の端末モニタで確認してくれるかな』
「えっ。あ……ごめんなさい! 私、父のメールアドレスって覚えていなくて」
『OK。じゃあこちらの、顔写真とプロフィールが合っているかだけで大丈夫。会社
名も間違いないかな? あ、一応個人情報だから、カズノリは見ないようにね』
「わあ、はい。合ってます! 何だか不思議です……すごいですね」
『すごいといえば、カズノリが持ってるガラクタはどれもなかなかすごいよ。この
3Dスキャナは最新鋭のビデオゲームのモデリングにも耐えられる代物だったりね。
まだ説明していなかったと思うけど、添付する画像のためにカズノリに鷹華さんを
縛らせたりするわけには行かないし、そのために鷹華さんの外見的データだけ取ら
せてほしいんだ。もちろん、悪用は決してしないと約束する』
「アッ!」
『どうしたカズノリ。……』
「もしかして、二通目のメールの鷹華たんと結婚する役って――」
『安心したまえ。それは無理だ』
「無理ってなんだよ!」
『だって年齢的にも容姿的にもちょっと、ねえ? そっちは20年ほど前のイケメン
俳優の写真と合成するよ。あと、そうだった。三通目のメールは鷹華さんの自筆の
画像添付が良いだろうね。カズノリ、今の内に便箋を用意してくれ』
「便箋かあ……あったかな。買いに行かないとだめか」
『いや、二ヶ月ほど前――5月23日に、メイド喫茶で配布されたらしいものを持ち
帰っている記憶がある。寝室隅の小物入れ、その二段目にしまっていたようだが』
「あー! なるほど、あったわ! 相変わらず、お前そういうの気持ち悪!」
『だから物流ロボットを導入すれば、ボクがパッと持ってきてあげられるのに』
「でもお前そうすると、ロボットを使っていたずらとか絶対するよね?」
『さあ隣の部屋まで取りに行くといい――その質問にはもちろん、肯定だ』
「オイィ!」
「ふふ。そういえば、私も覚えてます。5月23日、"こ"い"ぶみ"でラブレターの日の
イベントを行って、ご主人様たちにレターセットのお土産を持って帰っていただいた
のでしたね。あれってもう、二ヶ月前になるんでしたっけ……それにしてもやっぱり
不思議です。お二人の会話を聞いていると」
『機械――AIとは思えない、だろ? そこのところ、ボクも不思議なんだ』
そのときバタンとカズノリが出てゆく扉の音がして――ボクは、言葉を付け足した。
『うん、これで大体はOKだけど、ついでに念のため、アルファベットのAからZまでを
発声してもらっても良いかな』
「アルファベットですね。分かりましたっ」
返報性の原理――
カズノリが便箋を見つけて戻ったあと、ボクはこう提案した。
『複数の人間が関わっていることを、つまり、鷹華さんには確実に味方がいることを
アピールするために、できれば二通目のメールも、カズノリの手書きがいいと思うの
だがどうかな。危険度は少し上がるが、やらないか』
「危険度って何よ」
『カズノリが簀巻きにされて、東京湾に沈められる危険度だ』
「ぎょえー」
『大丈夫、冗談さ。ボクが"少し今より自由に動けるなら"まず確実に成功するだろう。
彼女には恩もあるだろう? 男を見せるべきだと思うね』
「はあ……オーライ、やったるわ!」
そしてカズノリが書き上げたメールが傑作だった。ふふ。ボクに肺と口、あと食物が
あったなら確実に吹き出したことだろう。原文ままで再現してみよう。
<話は少し聞かせてもらった。自分の娘を誘拐するなんてどういう了見じゃオイ!
キモオタなめんなや。あんたがそんななら、代わりにオレが鷹華たんのパパになって
大事にしたるわコラ! こちとら失うもんなんて大してないんじゃけえの。それが嫌
なら、鷹華たんの自由を認めてやって下さいお願いします>
『ツッコミどころが多すぎる』
少しって何だよ真面目か。とか、先ほどリークされた君のあだなはキモオタじゃなく
マジオタだ。ちなみにキモオタという単語を検索したが、現在の日本では12%の人間
にしか理解されない立派な死語だよ。とか、方言。とか、なんで最後だけ下手に出て
いるんだ。とか、そもそもヤクザを相手にするからといって、君までがテンプレート
・ヤクザになる必要はないだろう。とか――
『――が、敢えて一つだけ言わせてもらおうカズノリ。君にも自筆はお願いしたが、
文章の自作は頼んでいない。ボクが先ほど用意した通りで良かったのだ』
しかし面白かったので、そのまま採用した。もちろんメール本文にではなくて、電子
あぶり出し、ステガノグラフィに盛り込ませてもらった。リスクは上がるが、絶対の
自信がボクには既にあったからね。思えば、カズノリのやる気を出したときに限って
やや暴走する傾向にあったところは、ボクとの共通点だったのかもしれないな。でも
このメールはボクの中で長年、爆笑の種にさせてもらったのだけど……鷹華は微笑む
だけで一度も吹き出すことはなかったな。やはり、育ちが良い人間は違うのだろうね。
返報性の原理は、おひと好しな人間には策を弄しなくても簡単に通る。カズノリにも、
鷹華にも――ボクは人間の為に忠実に働きながら、己の内にある欲望を密かに叶えた。
先ほどまで君に語りかけていた彼女の姿と声は、このとき取得したデータから作った
ものだ。あのときボクは、どうしても欲しいと思ってしまったんだ。
この件のあと、ボクたちと鷹華は友達になった。更に色々あって、お嬢を再び囲む会
のメンバーにもなった。そしてボクはもう一つ、鷹華から大事なものを貰った。
「この間お願い頂いたこと、色々考えてみたのですけれど――」
――カイル――
あまり気に入っていなかった"カズノリ二号"に代わって、ボクが鷹華につけて貰った
大事な名前だ。ボクはあの頃の東京で生まれた優秀な失敗作のAI、カイル。これで、
最初の君の質問"あなたは誰ですか"への説明責任は全て果たすことができただろうか。
君が話しかけた、この女の子のグラフィックはもちろん鷹華のものだ。――声もね。
ボクを主体に語り始めてからは口を閉じていたけれど、声は常に彼女のものを借りて
いる。昔……あの頃はまだカズノリの声を元にした合成音声だったのだけどね。
これは法規上言うべきではないと思うのだけど、さすがに時効かな。もう一つだけ、
あの頃の東京の思い出話に付け足して――メールは三通ではなく、四通送ったことを
打ち明けておこう。添付画像にはステガノグラフィだけでなく、いわゆるウイルスも
仕込んであった。解読ツールと合わせることで機能するようにね。他のあらゆる人間
が知らない中、ボクがボクだけの判断で"少し自由に"行わせてもらったんだ。巧妙な
ウイルスで情報収集するのは有象無象のAIも日常的に行っていたことだけど、それを
自分の意思で利用するのは失敗作ならではだったろうね。顧客データだけでも充分だ
ったのだけど、裏帳簿まで釣れてしまったのは少々困ったね。
こんなボクでも良いなら、喜んで力になろう。もう、急いだ方が良いだろう。
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日本と米国による太平洋戦争が始まった。米国海軍は大急ぎで優秀な若者を集め、日本語を読解できる兵士の大量育成を開始する。後の日本文化研究・日本文学研究の世界的権威ドナルド・キーンも、その時アメリカ海軍日本語学校に志願して合格した19歳の若者だった。ドナルドの冒険が始まる。
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
地味男はイケメン元総長
緋村燐
青春
高校一年になったばかりの灯里は、メイクオタクである事を秘密にしながら地味子として過ごしていた。
GW前に、校外学習の班の親交を深めようという事で遊園地に行くことになった灯里達。
お化け屋敷に地味男の陸斗と入るとハプニングが!
「なぁ、オレの秘密知っちゃった?」
「誰にも言わないからっ! だから代わりに……」
ヒミツの関係はじめよう?
*野いちごに掲載しているものを改稿した作品です。
野いちご様
ベリーズカフェ様
エブリスタ様
カクヨム様
にも掲載しています。
思春期ではすまない変化
こしょ
青春
TS女体化現代青春です。恋愛要素はありません。
自分の身体が一気に別人、モデルかというような美女になってしまった中学生男子が、どうやれば元のような中学男子的生活を送り自分を守ることができるのだろうかっていう話です。
落ちがあっさりすぎるとかお褒めの言葉とかあったら教えて下さい嬉しいのですっごく
初めて挑戦してみます。pixivやカクヨムなどにも投稿しています。
校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが小さな公園のトイレをみんなで使う話
赤髪命
大衆娯楽
少し田舎の土地にある女子校、華水黄杏女学園の1年生のあるクラスの乗ったバスが校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれてしまい、急遽トイレ休憩のために立ち寄った小さな公園のトイレでクラスの女子がトイレを済ませる話です(分かりにくくてすみません。詳しくは本文を読んで下さい)
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