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中学編。
プロローグ
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*
(煙草なんて、目の中に煙が入ると痛いし視界が曇るし、お酒は独特の臭いが嫌いだ。大人の事情でなくならない、百害あって一理なしの『毒』。毒だと分かっていても手離せない。依存性に囚われている、ならこの男は弱い。弱者だ。)
赤々と光り煙草は燃えて人体に害ある毒の煙を火が消えるまで黙々と生んでいる。
高温を放っている煙草の先端部が無情にも押しあてられる。湊斗のまだ少年の殻を脱していない白く頼りない華奢な背中を苛んでいた。
虐待が始まった最初の頃は激痛に悶え涙や鼻水を垂れ流して、『痛いよ、許して、お父さんごめんなさい』と気が狂った鶏ように上擦り甲高い声を上げていた。
優しかった顔を鬼のように歪ませ、憤怒の形相で怒りを露にする父親に許しを泣きじゃくりながら懇願していた。
しかし、父親は絶対に煙草を押し付ける手を止めてくれないと知り、虐待の痕が厚みを増して簡単には消えなくなる頃には湊斗の心が疲弊して人間の都合で動けと尻に鞭を打たれる牛か馬の家畜のように耐えるようになっていた。
残念ながらいくら湊斗が望んでも痛覚は失ったり壊れることがなく、煙草を背中に押し付けられる度に鋭い痛みと熱さで叫びそうになり、奥歯をグッと強く噛み締めて父親が気が済むまでその行為を堪えた。
喉が渇くため水を飲む。体は水分を体内に取り入れて溜め込んでいる。その為、涙は渇れることはない。
蓄えていた水が意思とは関係なく勝手に滲み出て視界を白く霞ませる。涙で物事が歪んで見える目で父親を睨み付け言葉なく責める。
声をあげるとそれは悲鳴に変わるから。物言わぬただの壊れた人形ではない、と主張する。
「…っ、…生意気な目だな。誰に食わせて貰っていると思ってんだ!お前は俺の家畜なんだよ、餌が欲しかったら情けなく鳴いて『ご主人様』に懇願しろ」
やせこけた顔、神経質そうな細くつり上がった眉。アルコールで今は赤く浮腫んでいる。
仕事の時は鋭利で少しの隙を与えないが、一旦仕事から離れ制服を脱ぐと人が良さそうな顔立ちで『優しそうなお父さん』『守ってくれる格好良いお父さん』と、評される事が多かった。
実際に優しい尊敬する父親であった洋介が酒に狂い鬼へと変貌したのは湊斗にとっては母親を、父親の洋介にとっては最愛の妻を亡くした頃だった。
母親、みな子の命を奪ったのは癌。それも乳癌であり、発症は5年前。パート先の簡易な健康診断で貧血に引っ掛かった。
今まで健康診断で要検査と診断されたことがなかった。健康だけが取り柄の妻と、よく友人に笑いながら紹介していた。最愛の妻を心配した洋介が忙しい仕事の合間を見つけ、車を出してみな子に付き添い病院へと行った。
血液検査をした結果、やはり貧血。取敢えず医師から鉄剤を処方された。真面目にみな子が鉄剤を服用したが一向に貧血は改善されなかった。
気味が悪い貧血の原因は分からず、みな子は体調不良を自分が怠けたい気持ちから生まれるものだと叱咤して働いていた。
たった1つの病院で原因を突き止めることを止めてしまった。
乳癌は早期発見、早期治療で治せる疾患だ。
更年期なのね、とみな子は笑っていた。
時折、熱帯びて気だるくなる症状を単なる更年期だと言い聞かせた。そうしているうちに身体は更に癌細胞に蝕まれ、病院に再びに行く頃には、余命3ヶ月という手遅れな状態になっていた。
肺に癌が転移して、僅かな希望をかけて苦しい抗癌剤治療をするか、このまま看取るかという選択に迫られた。
知り合いに余命僅かと言われながらももう数十年生きている、という強者がいる。
僅かな希望にかけた。
しかし、みな子の命は3ヶ月も持たなかった。
その間、みな子は窶れ40代なのにおむつを使用するまで衰弱していった。
後悔は悲しみ、やり場のない怒り、様々な感情を燃えあげさせる。
母親の死はそれだけ父親を壊して、ねじ曲げて、鬼へと堕ちる切っ掛けだったのだ、ある時は諦め父親を許す。
僕だって辛い、なんでこんな事をするの、とある時は心底腹を立てて殺したい程憎んで心の中で父親を延々と責めた。
虐待を受けている間、湊斗は身体から魂を切り離して思考の海へと逃げ込んでいる。
つらつらと物事を考えてその時々で違う結論を得ていた。
「…ち、っ……陰気なガキだ」
息子の恨めしげな視線に洋介は耐え兼ねると忌々しそうに鋭く舌打ちし最後に強く煙草を湊斗の背中に押し付けて火を消す。
中学に入学したばかりの発達途中で薄い息子の身体の上から退いた。
重みが移動してぎしり、とベットが軋む音が静かな部屋に響いた。
趣味等の飾りは一切置いていない閑散とした湊斗の部屋。洋介の虐待をして1年程で湊斗から子供らしい無邪気さを奪った。
片隅に設置した勉強机には教科書とノートが広げられていた。
みな子に似た几帳面な繊細な文字。
それを見た瞬間、洋介は腹の底が焼ける感覚が込み上げ口元を手で押さえた。
飲み掛けのビールの缶から中身が飛び散ってアルコール臭いが漂っている。洋介が会社から帰宅し、風呂に入って湊斗が作った肉じゃがを温めて食べてビールを飲んだ。ビールは一本だけでは足りず、酔うまで飲み続けた。一度スイッチが入ると怒りや悲しみが爆発して制御不可能となる。
毎晩、大人しく机に向かい勉強する湊斗の頭を鷲掴むとベットへと押し付けて煙草を押し付けて虐待を繰り返していた。
飛び散りビールが広がる床の上を洋介は足が濡れるのを気にもせず危うげな足取りで歩いて、湊斗の部屋を出ていった。ばたん、と部屋のドアが乱暴に閉ざされる。ドアの向こうから洗面台に荒い足音が向い、嘔吐する苦し気な洋介の呻き声が聞こえる。
(弱者は、何れは破れ敗者となり、塵となりみっともなく消える)
火傷をしてヒリヒリと痛む。背中が爛れている。醜い、弱者の烙印。湊斗は自分も父親もさらさらと塵となり跡形もなく消えていくのを夢想して目を閉じた。
(煙草なんて、目の中に煙が入ると痛いし視界が曇るし、お酒は独特の臭いが嫌いだ。大人の事情でなくならない、百害あって一理なしの『毒』。毒だと分かっていても手離せない。依存性に囚われている、ならこの男は弱い。弱者だ。)
赤々と光り煙草は燃えて人体に害ある毒の煙を火が消えるまで黙々と生んでいる。
高温を放っている煙草の先端部が無情にも押しあてられる。湊斗のまだ少年の殻を脱していない白く頼りない華奢な背中を苛んでいた。
虐待が始まった最初の頃は激痛に悶え涙や鼻水を垂れ流して、『痛いよ、許して、お父さんごめんなさい』と気が狂った鶏ように上擦り甲高い声を上げていた。
優しかった顔を鬼のように歪ませ、憤怒の形相で怒りを露にする父親に許しを泣きじゃくりながら懇願していた。
しかし、父親は絶対に煙草を押し付ける手を止めてくれないと知り、虐待の痕が厚みを増して簡単には消えなくなる頃には湊斗の心が疲弊して人間の都合で動けと尻に鞭を打たれる牛か馬の家畜のように耐えるようになっていた。
残念ながらいくら湊斗が望んでも痛覚は失ったり壊れることがなく、煙草を背中に押し付けられる度に鋭い痛みと熱さで叫びそうになり、奥歯をグッと強く噛み締めて父親が気が済むまでその行為を堪えた。
喉が渇くため水を飲む。体は水分を体内に取り入れて溜め込んでいる。その為、涙は渇れることはない。
蓄えていた水が意思とは関係なく勝手に滲み出て視界を白く霞ませる。涙で物事が歪んで見える目で父親を睨み付け言葉なく責める。
声をあげるとそれは悲鳴に変わるから。物言わぬただの壊れた人形ではない、と主張する。
「…っ、…生意気な目だな。誰に食わせて貰っていると思ってんだ!お前は俺の家畜なんだよ、餌が欲しかったら情けなく鳴いて『ご主人様』に懇願しろ」
やせこけた顔、神経質そうな細くつり上がった眉。アルコールで今は赤く浮腫んでいる。
仕事の時は鋭利で少しの隙を与えないが、一旦仕事から離れ制服を脱ぐと人が良さそうな顔立ちで『優しそうなお父さん』『守ってくれる格好良いお父さん』と、評される事が多かった。
実際に優しい尊敬する父親であった洋介が酒に狂い鬼へと変貌したのは湊斗にとっては母親を、父親の洋介にとっては最愛の妻を亡くした頃だった。
母親、みな子の命を奪ったのは癌。それも乳癌であり、発症は5年前。パート先の簡易な健康診断で貧血に引っ掛かった。
今まで健康診断で要検査と診断されたことがなかった。健康だけが取り柄の妻と、よく友人に笑いながら紹介していた。最愛の妻を心配した洋介が忙しい仕事の合間を見つけ、車を出してみな子に付き添い病院へと行った。
血液検査をした結果、やはり貧血。取敢えず医師から鉄剤を処方された。真面目にみな子が鉄剤を服用したが一向に貧血は改善されなかった。
気味が悪い貧血の原因は分からず、みな子は体調不良を自分が怠けたい気持ちから生まれるものだと叱咤して働いていた。
たった1つの病院で原因を突き止めることを止めてしまった。
乳癌は早期発見、早期治療で治せる疾患だ。
更年期なのね、とみな子は笑っていた。
時折、熱帯びて気だるくなる症状を単なる更年期だと言い聞かせた。そうしているうちに身体は更に癌細胞に蝕まれ、病院に再びに行く頃には、余命3ヶ月という手遅れな状態になっていた。
肺に癌が転移して、僅かな希望をかけて苦しい抗癌剤治療をするか、このまま看取るかという選択に迫られた。
知り合いに余命僅かと言われながらももう数十年生きている、という強者がいる。
僅かな希望にかけた。
しかし、みな子の命は3ヶ月も持たなかった。
その間、みな子は窶れ40代なのにおむつを使用するまで衰弱していった。
後悔は悲しみ、やり場のない怒り、様々な感情を燃えあげさせる。
母親の死はそれだけ父親を壊して、ねじ曲げて、鬼へと堕ちる切っ掛けだったのだ、ある時は諦め父親を許す。
僕だって辛い、なんでこんな事をするの、とある時は心底腹を立てて殺したい程憎んで心の中で父親を延々と責めた。
虐待を受けている間、湊斗は身体から魂を切り離して思考の海へと逃げ込んでいる。
つらつらと物事を考えてその時々で違う結論を得ていた。
「…ち、っ……陰気なガキだ」
息子の恨めしげな視線に洋介は耐え兼ねると忌々しそうに鋭く舌打ちし最後に強く煙草を湊斗の背中に押し付けて火を消す。
中学に入学したばかりの発達途中で薄い息子の身体の上から退いた。
重みが移動してぎしり、とベットが軋む音が静かな部屋に響いた。
趣味等の飾りは一切置いていない閑散とした湊斗の部屋。洋介の虐待をして1年程で湊斗から子供らしい無邪気さを奪った。
片隅に設置した勉強机には教科書とノートが広げられていた。
みな子に似た几帳面な繊細な文字。
それを見た瞬間、洋介は腹の底が焼ける感覚が込み上げ口元を手で押さえた。
飲み掛けのビールの缶から中身が飛び散ってアルコール臭いが漂っている。洋介が会社から帰宅し、風呂に入って湊斗が作った肉じゃがを温めて食べてビールを飲んだ。ビールは一本だけでは足りず、酔うまで飲み続けた。一度スイッチが入ると怒りや悲しみが爆発して制御不可能となる。
毎晩、大人しく机に向かい勉強する湊斗の頭を鷲掴むとベットへと押し付けて煙草を押し付けて虐待を繰り返していた。
飛び散りビールが広がる床の上を洋介は足が濡れるのを気にもせず危うげな足取りで歩いて、湊斗の部屋を出ていった。ばたん、と部屋のドアが乱暴に閉ざされる。ドアの向こうから洗面台に荒い足音が向い、嘔吐する苦し気な洋介の呻き声が聞こえる。
(弱者は、何れは破れ敗者となり、塵となりみっともなく消える)
火傷をしてヒリヒリと痛む。背中が爛れている。醜い、弱者の烙印。湊斗は自分も父親もさらさらと塵となり跡形もなく消えていくのを夢想して目を閉じた。
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