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第0章

英雄と従者。

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「……やはり、このままだと綻びが生じるか」

この場にいるだけで禍々しい胸焼けがする程の憎悪に包まれていた。
最後まで全てを憎み壊したいと呪っていた亡骸を見下ろしている男がいた。
忌々しそうに呟いたがそれでも後味が悪い嫌な気分が落ち着かずに鋭く舌打ちした。
男の手に握られているのは剣。
その刃先からはどす黒い体液が滴っている。

「アリベル様」

面差しに幼さを残した男が声をようやく掛けた。
控えめな声をかけて皆からこの世を救う英雄と敬愛されている男の動向をうかがっている。
声をかけていいか迷っていた気配が声に宿っており男は鼻を鳴らした。

ベルは何年付き合っても遠慮する。
友だと思っているのは俺だけか、と心の中で拗ねてみる。

気分を顔に出す程男は幼くはなかった。
眉ひとつ動かさない。
ここで少しでも寂しげな表情を浮かべることが出来いたなら、数年前にはアリベルとベルは肩を並べて歩ける気安い間柄になっていただろう。

「安心しろ、息の根を止めた。もう目を覚ますことはない」

この世を滅ぼしかけていた邪悪な竜が倒された。
その事を知ると年若い男の淀んだ瞳に光が宿った。
これと同じ顔はこれから無数に広がるだろう。

「……っ!ありがとうございます!」

感謝の涙が浮かんでいる。
絶望と悲しみで枯れていた人々の涙が再び湧き起こるだろう。
それほどの安心と希望をもたらすのだ、この邪悪な竜の死は。

「礼は俺ではなく犠牲となる魂に言え。やはり、あの魂の中に封じるしかない」

その魂に刻まれた罪は2つ。
弟のためにパンを盗んだ罪。
親よりも先に死んだ罪。

魂の輝きは特別美しいわけでもない。
そこら辺に転がっている魂の何の変哲もない色をして特別目を奪われない。
だが、歪みがほとんどない。

魂は平均一万回は輪廻転生されている。
その中で犯した罪が2回。
それも己の私欲のためではなく、恨みのためでもない。
罪悪感にとらわれ、神に許しをこい、罪をおかしてしまった自分の弱さを死ぬ間際まで後悔した。

「これは誰も恨まない。恨むのは自分自身の弱さだ…これとは正反対の性質であり、増幅する心配はないだろう」

この魂を持つ者と数回擦れ違った事がある。
一度声も交えた。
小さな出来事であり忘れていても特に弊害はない遠い過去の記憶で今の今まで忘れていたが。
いつも小さな肩を震わせている。
何度生まれ変わっても例えそれが男の時であっても貧しくて飯をろくに食えない痩せっぽちの小柄であった。
内面は自分へ向ける負の言葉でズタズタで脆く他の魂が入り込める隙がある。
好都合だった。

「その、…周囲に影響しないんですか?勝手に輪廻の列から連れ出して」

「ハンバーガ屋のアルバイト店員がドーナツ屋のアルバイト店員になる。その程度の影響。世界の均衡への影響には及びはしない」

「…はんばー?それは異世界の話ですか」

聞き慣れない言葉にベルは眉を下げた。

「ああ、すまない。庶民に親しみがある食い物を販売する者だ。笑顔、丁寧さ、迅速な対応を求められる」

淡々とした声でこの世界にはない事を教える。
次第にベルの眉が更に下がって肩を小さくさせて俯いた。

「……そのような大変な職種が、私には勤まりそうにありません」

「俺も同じだ。笑顔など、面白くないのに笑えと言われてもな。かなりの精神を要する。それはさておき、…」

ベルと気が抜けた話を続けている時間はあまりない。
大人しく整列し輪廻転生を待っていた魂を邪心竜討伐の前に連れてきた。
一つの魂の姿を消すなどあまり起こる事ではない。見つかったら周囲が騒ぐだろう。
説明するのが面倒になる。
それに今からやろうとすることは、神が簡単に許すとは思えない。
バレない内に輪廻転生の列に戻して後は隠居生活をしたい。
今の肉体は年寄りではないが、疲れた。面倒な事は出来るだけ省略したい。

やったもんがち。

「……本当に怒られないんですか?」

「酷く怒られるが、…世界が滅亡するよりはましだろう。呑気な危機感がない上のやつらの返事を待っていたら全員が墓の下だ。」

邪心竜が下界の人間が全て食われそうになってもお茶会は変わらず開催されていた。

「俺が責任を負うから安心しろ。怒られるのは慣れているしな」

「いえ!私も一緒に怒られます」

そうか、とアリベルは軽く息を洩らすと息が絶えた竜の屍体へと向き直った。
呪文を詠唱しながら口に手を突っ込み竜の魂を引き出す。
直接魂を掴むのは気色が悪い。

「……哀れで幼い子供のような怒れる魂よ。お前が安らぎの心を知り、愛を知る時、お前の魂が浄化されるであろう」

平凡な魂の色や形は竜の魂を取り込んでも換わらなかった。
本来なら歪むだろうが。

アリベルは誰にも気がつかれない内に魂を戻すことが出来た。
早く家に帰り酒飲んで寝よう。
世界を救ってもいつもの魔物討伐をした後と何にも変わらない。
普段と少し変わるのは、金の他に人々の感謝の言葉が付け足されるだけだ。

懐から煙草を取り出すと一本唇で挟むと指をならして火を付けて煙を吐いた。
今だけはベルに非難混じりの声で名前を呼ばれなかった。

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