眠らせ姫と臆病侍

すなぎ もりこ

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契約

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 目を覚ました浅緋は、ガバッと上体を起こした。

 辺りを見回し、状況を把握しようとする。

 どうやらキッチンの狭い床に寝てしまっていたようだ。

 疲れていたのだろうか?

 だとしてもこんな所で?

 床を振り返ると、頭のあった部分にクッションが置かれている。

 身体にも毛布が掛けられていたことに気付く。

 こんな場所にわざわざ毛布とクッションを持ち込んで寝ようとする理由がわからない。

 酔っていたのか?

 いや、だけどやけに頭と身体がスッキリしている。


 その時、キッチンカウンターの影からおずおずと顔を出した人物があった。


「えっ?!君……」


 浅緋は困惑して声を上げた後、突如として理解した。


 *****


 上茶谷は項垂れていた。

 あんなに滑らかだった口をつぐみ、体を縮こませている。


「上茶谷さん気にしないで、別に俺は何ともないし。むしろ何だか身体が軽くなったような気さえするよ」

「……また記憶が無くなって、気付いたら広瀬さんが台所に倒れていて」

「ああ、毛布とクッションありがとう」


 上茶谷は俯いたまま首を振った。


「俺も記憶が曖昧なんだよね。一緒にご飯を食べたところまでは覚えているんだけど……」


 浅緋はそこで思い出し、テーブルの下からスマホを取り出した。

 そう、時間が21時に差し掛かったことを確認して、ケーブルを繋いだまま録画を起動しておいたのだ。

 浅緋はそれを再生した。



 *****



 上茶谷は床に蹲っていた。

 身体を折り畳み、更にコンパクトになって震えている。


「上茶谷さん、気にしないで。覚えてないってことは、正気じゃなかったってことなんだから」

「うう……でもっ、あんな事を広瀬さんに言うなんて……っ」

「まあ、俺も覚えてなかったんだし」

「自分の胸のサイズを餌に誘惑するなんて……ひ、卑猥な!破廉恥な!!」

「いや、普通じゃない?」

「……」

「まあ、えーっと、取り敢えず上茶谷さんの言っていた現象は立証された訳だけど、恐らくこれは霊障の類だね」


 そう、上茶谷に取り憑いて操り、男どもを誘惑して眠らせているのは人ならざる者の仕業だ。

 浅緋は確信していた。

 そして、その目的は……


 上茶谷はのろのろと身体を起こし、テーブルの向こうから顔の上半分を出して浅緋を窺った。


「俺の師匠に相談してみるけど、生憎と今入院中でね、複雑なお祓いが必要な場合は待ってもらう必要があるかも」

「……そうですか……」


 上茶谷は目を伏せた。

 浅緋は呼吸を整え、姿勢を正して座り直す。

 そして、思い切って切り出した。


「あの、それで、上茶谷さんにお願いしたい事があるんだけど!」


 上茶谷は首を傾げた。

 眼鏡の向こうの大きな瞳が濡れて光っていた。


 *****


 上茶谷に取り憑いたものは、男を誘惑して眠らせ、精気を吸い取っている。

 浅緋はそう推理した。

 つまり、偶然にも二人の利害が一致したのだ。

 週末だけ上茶谷に起こる現象。

 これから先、行われる儀式により週末だけ浅緋を苛むであろう現象。



 上茶谷は神妙な面持ちで浅緋の話を聞いていた。

 本来なら部外者には漏らしてはならない極秘事項だが、上茶谷が他人に話すとは考えにくい。

 自分と上茶谷は言わば秘密を共有する間柄で、裏切りは自らの立場を不利にするだけだ。

 上茶谷の事情につけ込んだ卑怯なやり方かもしれないが、彼女にとっても悪い話ではない筈だ。


「わかりました、協力させて頂きます、というか、お願いします」


 上茶谷は床に手をついて頭を下げた。

 浅緋は慌ててその肩を掴んで起こす。


「お礼なんて良いよ!親切ぶった挙げ句、俺は上茶谷さんを利用するんだから!」

「いいえ!私、広瀬さんに救われたんです」


 上茶谷は真っ直ぐに浅緋を見つめた。


「誰にも相談出来ずにいたところを広瀬さんが事情を訊いてくれて、あまつさえ力になってくれようとしてくれて、本当に嬉しかった。だから、思う存分利用してください」

「上茶谷さん……」

「でも、万が一誰かに見られて悪名高く尚且つダサい私と広瀬さんが噂になっては困ります!……なので、私、変装します!!」

「えっ?変装?!」


 上茶谷は顔を輝かせ、ウンウンと頷いた。


「知り合いにツテがあるので衣装を借ります!へへっ、何だか楽しみになってきました!!」


 浅緋は唖然として、カバンからウキウキとスマホを取り出す上茶谷を見ていた。


「久しぶりぃ、マユちゃん、ちょっとお願いがあるんだけどぉ、うんうん、ほら、婚活用にいっぱい服買ったって言ってたよね?」


 意外にも逞しい……



 兎にも角にも予測不能な上茶谷の行動に、戸惑いつつも、浅緋はホッとした。



 この上茶谷の気遣いが、後々浅緋の節操無しを神社関係者に信じ込ませる要因となってしまう訳だが、それでも浅緋にとってはむしろ都合が良かった。

 悪霊に憑依された女子を利用していると知られるよりマシだった。

 もしバレれば、節操無しどころか人で無しと責められることだろう。

 伯母と蒼士の軽蔑の眼差しを想像して浅緋は身震いをした。





 とは言え上茶谷の身については心配だったので、伯父にだけは後日こっそり連絡を取り、事情を説明して指示を仰いだ。

『う~ん……。霊障にしては妙だなぁ、これはワシらの管轄じゃないかもな』


 伯父は少し困惑しているようだった。


『それ程の霊障を起こす悪霊であれば、お前ならもっと早くに察知出来たはずなんだ。それが何も感じず、且つ簡単に精気を吸い取られたとなれば…それは、霊とは言えないかもしれない』

『霊じゃ無ければ何だっていうの?このままにして大丈夫なの?』


 焦って訊ねる浅緋に、伯父は言う。


 目に見えて衰弱している等の症状がないなら大丈夫だろう。

 上茶谷に憑いてるモノは、上茶谷の身体があってこそ目的を果たせる。

 とすれば、媒体である上茶谷自身の健康を害するようなことはしない、むしろ護ることも厭わないだろう、と。


『お前のやり方は推奨出来んが、名案である事は間違いない、俺の不摂生で迷惑をかける訳だし、今回は目を瞑ってやる。そのお嬢さんに憑いているモノに関してはワシもツテを当たってみよう』


 浅緋はひとまず胸を撫で下ろした。

 上茶谷に何者かが憑依する時間と儀式の時間とのすり合わせの問題があったが、何度か試す内に、時間の縛りは特に無いことがわかった。

 つまり、抱き合うシチュエーションが整えば発動するもののようだ。

 上茶谷を操って不特定多数の男を誘惑するには、土日の夜が最適だっただけなのだ。



 そういう事情で、毎回派手に着飾った上茶谷が、田出呂神社の離れに現れることになったのである。
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