銭湯エルフと恋の夏

（３０）エルフと決意

フィリアが銭湯にやってきてから九日目。

木曜日の朝、ぼんやりとカレンダーを眺めていた俺は、思わずため息をつきそうになった。気づけばもう八月も進んでいて、九月からは高校が始まる。楽しくて賑やかなこの日々も、あと少しで終わってしまうのかと思うと、胸が締め付けられるような気持ちになった。フィリアとの日々が当たり前じゃなくなる瞬間なんて、考えたくもないのに、時間だけは確実に進んでいく。残酷だ。

さらに、頭を抱えたくなる事実がもう一つ。夏休みが始まって以来、勉強という勉強を全くしていない。俺の高校のモットーは「自主自律」。強制されない代わりに、自分で責任を持たなければならない。でもその「責任」をいいことに、俺は完全に気を抜いていた。特に気になっているのが物理だ。夏休み前、先生が「秋のテスト範囲をしっかり復習しておけ」と釘を刺していたのを思い出すが、ノートのページは白紙に近い。

「銭湯とフィリアと物理…どうやって全部成り立たせるんだよ…」
ため息をつきながら机に突っ伏しかけたその瞬間、スマホに目が留まる。フィリアが次の満月に故郷へ戻ると言っていた話を思い出し、満月の日を調べてみた。アプリで確認すると、それは八月二十四日の水曜日。今日が四日だから、残された時間はあと二十日しかない。

「二十日…」
その数字を口にした途端、胸がズキリと痛んだ。フィリアがこの世界にいられる時間は限られている。この二十日間で、もっと彼女にたくさんの思い出を作ってあげたい。そして俺自身も、彼女と過ごす一瞬一瞬をもっと大切にしたい。そんな気持ちが、波のように押し寄せてきた。

でも気づいた。
勉強は、夏休みが終わってからでも取り戻せる。いや、秋だって、冬だって、頑張る時間はまだある。でも、フィリアと過ごせる時間は、この夏しかない。一度きりだ。だからこそ、今この瞬間を全力で彼女に向き合うべきだと思った。後で振り返ったときに、後悔だけが残るなんて絶対に嫌だ。

気持ちを切り替えるために、ノートを開いてこれからの予定を書き出してみる。

「えーっと、納涼の盆踊り、お盆、花火大会、それから夏菜とのビーチ、夜市もあるな…」
ペンを走らせていくうちに、思っていた以上に予定がぎっしり詰まっていることに気づいた。これならフィリアにたくさんの思い出を作れるかもしれない。少し安心しかけたものの、ふと現実に引き戻される。これらすべてをたった二十日間に詰め込むなんて、本当にできるのか？

「二十日で、全部…？」
不安が胸をよぎる。その期間が過ぎれば、フィリアは俺の前からいなくなる。夏が終わる寂しさなんかとは比べ物にならない虚無感が押し寄せてきた。気づけば、フィリアは俺の中でかけがえのない存在になっていた。

彼女が見せる笑顔、異世界の話を語るときの真剣な瞳、そしてふとした瞬間に漂わせる儚げな雰囲気。思い返すたびに、胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚になる。

「…よし。」
深呼吸をして気持ちを引き締めた。勉強は後回しで構わない。何とかなるだろう。でも、フィリアとの時間だけは後回しにはできない。絶対に。

彼女との時間を、後悔のないものにしよう。この夏休みを、フィリアとの思い出で埋め尽くす。そう心に決めて、ノートに書かれた予定表を見つめた。

二十日。短いけど、その一瞬一瞬を全力で駆け抜けてやる──。