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11話
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11.
「はいコーヒー」
「わあ!先輩、ありがとうございます!」
満の登場に女子学生たちは笑顔を浮かべたまま、彼のそばにぴったりとくっついていた。すらり背が高く、微笑みの神でも降臨したかのような人を魅了する笑顔に、すべての女性が仰ぎ見て、流暢な話術に世の中のすべてを得たように目を輝かせて幸せそうにした。一方で、彼の輝く外見と話術を、男たちは嫉妬し、うんざりしていた。
「おい!黄川田(きかわだ)、そろそろこっち来て手伝えよ」
同期の一人が鋭い目つきで話すと、満はバツの悪い表情で額を掻いた。
「じゃあ、そうしようか?」
満は満面の笑みを浮かべ、みんなのいる方へ戻り座った。その姿を見ていた後輩の女子学生が同期の男子学生の行動に不満げに、両目を上げて言い放った。
「先輩!黄川田先輩は私たちと話しているんですけど?」
「お前らもいい加減、くっちゃべってないで勉強でもしろよ。また落第点取るぞ」
「ふん。嫉妬しちゃって…」
不満いっぱいの後輩の一言で、雰囲気はあっという間にしらけてしまった。気まずい状況。しかし、この雰囲気を作り出した当の本人である黄川田満は関心がないというように携帯電話を触っていた。
どうせ途中で止めても両方から嫌われるのは明らかであり、こういう時はおとなしくしているのが良いと誰よりもよく分かっていた。
学校での人間関係というものは単純だ。親密な関係を築くのでなけれれば、自分に好感を持ってもらう程度の距離を保つのがはるかに得だ。一方で、複雑になることは相手が気づかないくらいの距離から抜けるのが得策だ。
こうして、世の中で丸く暮らせるということを誰よりも、自分で体験し実践しながら生きてきた満は、自然といろいろな状況から免れてきた。お互いにとっていいこと、自己合理化を通した鉄則を自ら披露した満は、一瞬視界に入ってきた誰かを発見すると、おもちゃを見つけた子供のように目を輝かせた。今のような状況では、何よりも嬉しいといった顔をしていた。
「柳田佳純?」
絶妙なタイミングで現れた佳純によって満の口元に笑みがこぼれた。ほかの男たちもやはり佳純の登場が嬉しいという表情をしていた。
「柳田佳純だ。講義に行くのか?」
「やっぱり女ならああいう、おとなしい感じがいいよな」
「清純な顔してあの体…。誰かさんとは次元が違う!次元が!」
「あんな子がどうして芸術学部じゃなくて、国文学部にいるんだよ!そう思わねーか?」
男たちの感嘆が混じった言葉に女たちの目が鋭くなり、彼らの間で何とも言えない微妙な神経戦が始まった。第2ラウンドか?満は彼らを情けない表情で見つめ、カバンをガサゴソと整理し始めた。
これ以上いても、すぐにあっちに押され、こっちに押されることは火を見るより明らかだった。そんなことよりも、もっと面白そうなことをする方が人生の役に立つと確信した満は、一糸乱れずカバンを掴むと佳純の見える方へ向かって行った。
「お前何だ?どこへ行くんだよ?」
同期のうちの一人が、逃げようとしている満を当惑の表情で見ると、満はニヤリと笑い言い訳をした。
「悪いな!突然用事ができたんだ!」
「おい!黄川田!サボってどこ行くんだよ!」
「先輩!どこへ行くんですか~?」
彼の行動に同期を始め後輩たちも声を一つにして叫んだが、満は笑いながら後ずさって言った。
「ごめん!今度うまいもん奢るから!」
「てめぇ!また逃げたらグループから外すぞ…」
「こないだ話してた音大生との合コン!今週末どうだ?」
男たちは一瞬輝いた。忘れていた。こいつの生来の能力を。
「お前はうちの学科のナンバーワンだから、体に気をつけろよ!」
「成績のことは心配するな。俺たちがAプラス取れるようにしてやるから!」
にこやかに笑いながら手まで振る彼らの姿に、満は満足そうな表情を見せた。お互いにとってていい取引。やはり自分の人生を無駄に生きてはこなかった。
「じゃあ頼んだぞ!」
短い挨拶をして、満は急いで佳純の方へ向かって走った。そしてしばらくして、残された者たちは鋭い目つきでお互いに向かってうなり始めた。
* * *
「お前が何を言いたいかは分かっているからもうやめろ。」
隼人の最後の一言が耳に鮮明に残っていた。まるで自分によって傷ついたような重く沈んだ隼人の目が数日経った今でも佳純の心をくらくらとさせた。
「はあ…」
一体何なのか分からなかった。怖くても胸が痛み、好きでも一緒にいることさえ居心地の悪いことが多かった。このすべてのことに、明確に定義を下せればどれだけいいか。複雑な思いを代弁するかのように佳純の顔は曇っていた。
「久しぶり!」
ぼんやりとした目つきで歩いていたところ、佳純はゆく手を塞ぎながら挨拶をする一人の男性の登場に驚き後ずさりした。初めて見る顔。彼女は突然の状況に判断がつかないようで、彼を疑いの眼差しで見ていた。誰だろう?
「世良(せら)高校3年3組 柳田佳純だろ?」
満の問いに佳純は首をかしげた。世良高校?2年生の時に転校した自分の母校であり、目の前でニコニコ笑っているこの男が言った学年と組も合っている。同級生かな?どういう反応をすればいいか分からず、もじもじしていた彼女は慎重に口を開いた。
「高校の同級生…?」
「黄川田満だよ。覚えてない?」
黄川田満?その名前を聞いた佳純は、記憶をじっくりと振り返ってみた。高校生のころ、 彼女はありもしないデマのせいで女生徒からいじめを受けた。隼人の助けで、途中で世良高校に転校したが、引っ込み思案の性格はなかなか変わらなかった。そのせいで彼女は毎日学校が終わると、誰かが追いかけてこないかと家に帰るのに忙しかった。
こうして親友が一人もおらず無味乾燥な学生時代を過ごしたのだから、簡単な記憶を思い返すと憂鬱なことばかりだった。そんな中、同級生だって?満が誰だか分からないというのも当然だった。
「黄川田満…?」
そうするうちにふと浮かんだ記憶に、佳純は目を見開いた。そういえば、周りのことに関心の無かった彼女も聞いたことのある名前だった。
黄川田満。魅力的な外見と明るい性格で、学校では彼のことを知らない人はいないほど有名だった人物だ。そのうえ、アイドルの卵だった彼はテレビにも何度か出演し、女生徒の口からは彼の名前が出ないことはなかった。
「そう! 3年の時一緒のクラスだっただろ」
そうだったかな?佳純は記憶がぼやけていたが、「覚えてるよな?」という期待の込められた視線で見つめる満の姿に自分でも思いがけず頷いた。
「う…うん」
「よかった~!覚えててくれて」
満が明るく笑うと、佳純は恥ずかしい表情で目を伏せた。そんな佳純の反応が面白いというように、彼は唇の両端を上げた。
「実は俺も友達に聞くまで、柳原がこの学校に通ってるって知らなかったんだ。左衛門玄暉って知ってるだろ?」
左衛門玄暉?満の口から思いもよらない名前が出てきた。佳純は少し驚いた顔で答えた。
「うん。でもどうして…?」
「どうして知ってるかって?よ~く知ってるさ!すごく深い関係なんだ」
「深い関係?」
「ツレだよツレ!親友なんだ!」
満は豪快に笑うと佳純の肩を軽く叩いた。佳純は彼の言動に戸惑いながら、無理やり笑った。いたずらっぽく笑う彼の笑顔を見ていると、背中に冷や汗が流れた。
本当にどういう反応をすればいいのか分からなかった。高校時代もそうだったかな?という疑問と共に、彼女は改めて満と玄暉が友達だという事実に驚くばかりだった。高校の同級生とこんな形で会ったのも不思議だったし、彼が玄暉の親友だとは。彼との縁が並大抵でないという気がしていた。
「とにかく、嬉しいよ。こうやってまた会えるなんて」
佳純が戸惑いながら、彼が差し出した手を握った。奇妙な気分。満は彼女を注意深く見つめた。高校時代は、静かで交友関係が活発ではなかったが、目を引く容姿に成績まで優秀な佳純は学校での評判が良かった。
当の本人はそんな期待や憧れの視線が嫌なのか、誰かが話しかけようものなら、瞬きする間に消え去ってしまうのが常だった。満は彼女を好奇心いっぱいの目つきで見つめながら、さりげなく聞いてみた。
「今からどこ行くの?授業?」
佳純は首を軽く振った。
「ううん。今日は午前の講義だけだったから家に帰るところ」
「よかった!じゃあ、久しぶりに会ったんだから昼メシでも一緒にどう?」
「お昼ごはん?」
彼の提案に驚いたように佳純の目が揺れた。考えるだけでもぎこちなさが押し寄せて、自然に肩が縮こまった。
「今日はちょっと…」
「この近所のうまい店、たくさん知ってるんだ!食べたいものある?」
断られる気配を感じ取った満が彼女の言葉を遮って「何でも言ってくれと」いう目つきで返事を待った。
「その…」
「友達もみんな差し置いて、嬉しくて走ってきたのに。ご飯も一緒に食べてくれないの?」
佳純はモゴモゴと答えに迷っていると、しょげた子犬のように彼の目は落ち込んだ。その瞬間、佳純の顔に困ったという目つきと同時に、諦めのため息が漏れた。満には断りたくても断れないようにさせる妙な能力があった。
「ううん。一緒に食べよう」
彼が嫌いで断ろうとしたわけではなかった。むしろ、ありがたい気持ちのほうが大きかった。誰よりも友人という存在に憧れを持っていたからか、同級生という彼の存在にときめきもしていた。ただ自分のせいで満が居心地が悪いと感じてしまわないかという、漠然とした不安に慎重になっただけだ。
「本当?」
彼は再び嬉しそうな目をした。実は最後まで断られたらどうすればいいか悩んでいた満は、彼女の答えに重たかった心が少し軽くなった。高校時代は高慢だと思っていたが、実際に話をしてみると正反対だった。落ち着いたうえに感情がそのまま顔に出るほど純粋で、玄暉が関心を持つ理由が分かった。
声をかけることがあるとは思ってなかったけど…人の縁って面白い。
実は大学に入学したときから、満は佳純が同じ大学に通っていることを知っていたが、知っている素振りを見せることはなかった。関心がなかったのだ。ところが今はその誰よりも彼女に対して興味がある。女性に対して何の興味も持たなかった左衛門玄暉が初めて関心を寄せた女性。その理由だけでも興味がわくほどの価値は十分だった。
「オーケー!旨いもん奢るよ」
佳純と並んで立った満の唇は奇妙にうえに上がった。理由の分からない意欲が湧き上がるのを感じた。
玄暉の野郎が今の状況を知ったら、どんな顔をするか今から気になるな?
退屈だった1日に恵みの雨が降ったようだった。
「じゃあ、行こう」
満の厚かましい笑みに佳純は結局小さく頷き、彼の後をついていった。
* * *
「ここよ!」
玄暉はレストランの奥の席に座っていた編集長を見つけると、小さくため息をついた。作業中はよっぽどのことがない限り外出しないということをよく知っている彼女が、わざわざ外で話そうと言ってきたことに彼の気分はよくなかった。
「家でいいじゃないですか」
「気難しいわね。一日中パソコンの前にいるんだから、ご飯くらいちゃんと食べなきゃ!このところ、食事もろくにしないで、学校にも行ってないんだって?」
編集長の言葉に玄暉は何もかもが面倒くさいという表情で椅子にどっかり座った。
「満と内通でもしてるんですか?」
「私はあんたに鍛えられたから、大抵の子は手懐けられるのよ」
彼女は目をそらしてイタズラっぽく話すと、玄暉は呆れたように肩をすくめた。手懐けるって、動物じゃないんだから…
「一番高いの頼みますよ」
玄暉は目の前にあるメニューをあれこれ見ながら話すと、編集長はゆっくりとナフキンを膝に置き、答えた。
「もう、一番高い料理を頼んだわ」
とにかく、自分勝手なおばさんだ。玄暉は片方の目を傾けた状態でメニューをバンっと閉じ、横に放り投げた。そうして、凝った首をストレッチするようにあちこちへと回した。一日中キーボードを叩いていたせいで体にムリがきたのか、たまに首と肩がズキズキ痛む。
かわいいやつ。編集長はテーブルの上に頬づえをつき、感心しながら玄暉を見つめると、口を開いた。
「契約書にサインしてくれたお礼よ」
玄暉は眉間にしわをよせた。
「食事をしてほしいのか、食べて欲しくないのか、どっちです?」
「また始まった」
「あの時はどうかしてたんだ」
「はいはい。そうだと思った。私にはまたとないチャンスだったけど」
編集長の言葉に玄暉は頭がズキズキと痛み、頭に手を当てた。
「それで。今日は何の用ですか?」
「はいコーヒー」
「わあ!先輩、ありがとうございます!」
満の登場に女子学生たちは笑顔を浮かべたまま、彼のそばにぴったりとくっついていた。すらり背が高く、微笑みの神でも降臨したかのような人を魅了する笑顔に、すべての女性が仰ぎ見て、流暢な話術に世の中のすべてを得たように目を輝かせて幸せそうにした。一方で、彼の輝く外見と話術を、男たちは嫉妬し、うんざりしていた。
「おい!黄川田(きかわだ)、そろそろこっち来て手伝えよ」
同期の一人が鋭い目つきで話すと、満はバツの悪い表情で額を掻いた。
「じゃあ、そうしようか?」
満は満面の笑みを浮かべ、みんなのいる方へ戻り座った。その姿を見ていた後輩の女子学生が同期の男子学生の行動に不満げに、両目を上げて言い放った。
「先輩!黄川田先輩は私たちと話しているんですけど?」
「お前らもいい加減、くっちゃべってないで勉強でもしろよ。また落第点取るぞ」
「ふん。嫉妬しちゃって…」
不満いっぱいの後輩の一言で、雰囲気はあっという間にしらけてしまった。気まずい状況。しかし、この雰囲気を作り出した当の本人である黄川田満は関心がないというように携帯電話を触っていた。
どうせ途中で止めても両方から嫌われるのは明らかであり、こういう時はおとなしくしているのが良いと誰よりもよく分かっていた。
学校での人間関係というものは単純だ。親密な関係を築くのでなけれれば、自分に好感を持ってもらう程度の距離を保つのがはるかに得だ。一方で、複雑になることは相手が気づかないくらいの距離から抜けるのが得策だ。
こうして、世の中で丸く暮らせるということを誰よりも、自分で体験し実践しながら生きてきた満は、自然といろいろな状況から免れてきた。お互いにとっていいこと、自己合理化を通した鉄則を自ら披露した満は、一瞬視界に入ってきた誰かを発見すると、おもちゃを見つけた子供のように目を輝かせた。今のような状況では、何よりも嬉しいといった顔をしていた。
「柳田佳純?」
絶妙なタイミングで現れた佳純によって満の口元に笑みがこぼれた。ほかの男たちもやはり佳純の登場が嬉しいという表情をしていた。
「柳田佳純だ。講義に行くのか?」
「やっぱり女ならああいう、おとなしい感じがいいよな」
「清純な顔してあの体…。誰かさんとは次元が違う!次元が!」
「あんな子がどうして芸術学部じゃなくて、国文学部にいるんだよ!そう思わねーか?」
男たちの感嘆が混じった言葉に女たちの目が鋭くなり、彼らの間で何とも言えない微妙な神経戦が始まった。第2ラウンドか?満は彼らを情けない表情で見つめ、カバンをガサゴソと整理し始めた。
これ以上いても、すぐにあっちに押され、こっちに押されることは火を見るより明らかだった。そんなことよりも、もっと面白そうなことをする方が人生の役に立つと確信した満は、一糸乱れずカバンを掴むと佳純の見える方へ向かって行った。
「お前何だ?どこへ行くんだよ?」
同期のうちの一人が、逃げようとしている満を当惑の表情で見ると、満はニヤリと笑い言い訳をした。
「悪いな!突然用事ができたんだ!」
「おい!黄川田!サボってどこ行くんだよ!」
「先輩!どこへ行くんですか~?」
彼の行動に同期を始め後輩たちも声を一つにして叫んだが、満は笑いながら後ずさって言った。
「ごめん!今度うまいもん奢るから!」
「てめぇ!また逃げたらグループから外すぞ…」
「こないだ話してた音大生との合コン!今週末どうだ?」
男たちは一瞬輝いた。忘れていた。こいつの生来の能力を。
「お前はうちの学科のナンバーワンだから、体に気をつけろよ!」
「成績のことは心配するな。俺たちがAプラス取れるようにしてやるから!」
にこやかに笑いながら手まで振る彼らの姿に、満は満足そうな表情を見せた。お互いにとってていい取引。やはり自分の人生を無駄に生きてはこなかった。
「じゃあ頼んだぞ!」
短い挨拶をして、満は急いで佳純の方へ向かって走った。そしてしばらくして、残された者たちは鋭い目つきでお互いに向かってうなり始めた。
* * *
「お前が何を言いたいかは分かっているからもうやめろ。」
隼人の最後の一言が耳に鮮明に残っていた。まるで自分によって傷ついたような重く沈んだ隼人の目が数日経った今でも佳純の心をくらくらとさせた。
「はあ…」
一体何なのか分からなかった。怖くても胸が痛み、好きでも一緒にいることさえ居心地の悪いことが多かった。このすべてのことに、明確に定義を下せればどれだけいいか。複雑な思いを代弁するかのように佳純の顔は曇っていた。
「久しぶり!」
ぼんやりとした目つきで歩いていたところ、佳純はゆく手を塞ぎながら挨拶をする一人の男性の登場に驚き後ずさりした。初めて見る顔。彼女は突然の状況に判断がつかないようで、彼を疑いの眼差しで見ていた。誰だろう?
「世良(せら)高校3年3組 柳田佳純だろ?」
満の問いに佳純は首をかしげた。世良高校?2年生の時に転校した自分の母校であり、目の前でニコニコ笑っているこの男が言った学年と組も合っている。同級生かな?どういう反応をすればいいか分からず、もじもじしていた彼女は慎重に口を開いた。
「高校の同級生…?」
「黄川田満だよ。覚えてない?」
黄川田満?その名前を聞いた佳純は、記憶をじっくりと振り返ってみた。高校生のころ、 彼女はありもしないデマのせいで女生徒からいじめを受けた。隼人の助けで、途中で世良高校に転校したが、引っ込み思案の性格はなかなか変わらなかった。そのせいで彼女は毎日学校が終わると、誰かが追いかけてこないかと家に帰るのに忙しかった。
こうして親友が一人もおらず無味乾燥な学生時代を過ごしたのだから、簡単な記憶を思い返すと憂鬱なことばかりだった。そんな中、同級生だって?満が誰だか分からないというのも当然だった。
「黄川田満…?」
そうするうちにふと浮かんだ記憶に、佳純は目を見開いた。そういえば、周りのことに関心の無かった彼女も聞いたことのある名前だった。
黄川田満。魅力的な外見と明るい性格で、学校では彼のことを知らない人はいないほど有名だった人物だ。そのうえ、アイドルの卵だった彼はテレビにも何度か出演し、女生徒の口からは彼の名前が出ないことはなかった。
「そう! 3年の時一緒のクラスだっただろ」
そうだったかな?佳純は記憶がぼやけていたが、「覚えてるよな?」という期待の込められた視線で見つめる満の姿に自分でも思いがけず頷いた。
「う…うん」
「よかった~!覚えててくれて」
満が明るく笑うと、佳純は恥ずかしい表情で目を伏せた。そんな佳純の反応が面白いというように、彼は唇の両端を上げた。
「実は俺も友達に聞くまで、柳原がこの学校に通ってるって知らなかったんだ。左衛門玄暉って知ってるだろ?」
左衛門玄暉?満の口から思いもよらない名前が出てきた。佳純は少し驚いた顔で答えた。
「うん。でもどうして…?」
「どうして知ってるかって?よ~く知ってるさ!すごく深い関係なんだ」
「深い関係?」
「ツレだよツレ!親友なんだ!」
満は豪快に笑うと佳純の肩を軽く叩いた。佳純は彼の言動に戸惑いながら、無理やり笑った。いたずらっぽく笑う彼の笑顔を見ていると、背中に冷や汗が流れた。
本当にどういう反応をすればいいのか分からなかった。高校時代もそうだったかな?という疑問と共に、彼女は改めて満と玄暉が友達だという事実に驚くばかりだった。高校の同級生とこんな形で会ったのも不思議だったし、彼が玄暉の親友だとは。彼との縁が並大抵でないという気がしていた。
「とにかく、嬉しいよ。こうやってまた会えるなんて」
佳純が戸惑いながら、彼が差し出した手を握った。奇妙な気分。満は彼女を注意深く見つめた。高校時代は、静かで交友関係が活発ではなかったが、目を引く容姿に成績まで優秀な佳純は学校での評判が良かった。
当の本人はそんな期待や憧れの視線が嫌なのか、誰かが話しかけようものなら、瞬きする間に消え去ってしまうのが常だった。満は彼女を好奇心いっぱいの目つきで見つめながら、さりげなく聞いてみた。
「今からどこ行くの?授業?」
佳純は首を軽く振った。
「ううん。今日は午前の講義だけだったから家に帰るところ」
「よかった!じゃあ、久しぶりに会ったんだから昼メシでも一緒にどう?」
「お昼ごはん?」
彼の提案に驚いたように佳純の目が揺れた。考えるだけでもぎこちなさが押し寄せて、自然に肩が縮こまった。
「今日はちょっと…」
「この近所のうまい店、たくさん知ってるんだ!食べたいものある?」
断られる気配を感じ取った満が彼女の言葉を遮って「何でも言ってくれと」いう目つきで返事を待った。
「その…」
「友達もみんな差し置いて、嬉しくて走ってきたのに。ご飯も一緒に食べてくれないの?」
佳純はモゴモゴと答えに迷っていると、しょげた子犬のように彼の目は落ち込んだ。その瞬間、佳純の顔に困ったという目つきと同時に、諦めのため息が漏れた。満には断りたくても断れないようにさせる妙な能力があった。
「ううん。一緒に食べよう」
彼が嫌いで断ろうとしたわけではなかった。むしろ、ありがたい気持ちのほうが大きかった。誰よりも友人という存在に憧れを持っていたからか、同級生という彼の存在にときめきもしていた。ただ自分のせいで満が居心地が悪いと感じてしまわないかという、漠然とした不安に慎重になっただけだ。
「本当?」
彼は再び嬉しそうな目をした。実は最後まで断られたらどうすればいいか悩んでいた満は、彼女の答えに重たかった心が少し軽くなった。高校時代は高慢だと思っていたが、実際に話をしてみると正反対だった。落ち着いたうえに感情がそのまま顔に出るほど純粋で、玄暉が関心を持つ理由が分かった。
声をかけることがあるとは思ってなかったけど…人の縁って面白い。
実は大学に入学したときから、満は佳純が同じ大学に通っていることを知っていたが、知っている素振りを見せることはなかった。関心がなかったのだ。ところが今はその誰よりも彼女に対して興味がある。女性に対して何の興味も持たなかった左衛門玄暉が初めて関心を寄せた女性。その理由だけでも興味がわくほどの価値は十分だった。
「オーケー!旨いもん奢るよ」
佳純と並んで立った満の唇は奇妙にうえに上がった。理由の分からない意欲が湧き上がるのを感じた。
玄暉の野郎が今の状況を知ったら、どんな顔をするか今から気になるな?
退屈だった1日に恵みの雨が降ったようだった。
「じゃあ、行こう」
満の厚かましい笑みに佳純は結局小さく頷き、彼の後をついていった。
* * *
「ここよ!」
玄暉はレストランの奥の席に座っていた編集長を見つけると、小さくため息をついた。作業中はよっぽどのことがない限り外出しないということをよく知っている彼女が、わざわざ外で話そうと言ってきたことに彼の気分はよくなかった。
「家でいいじゃないですか」
「気難しいわね。一日中パソコンの前にいるんだから、ご飯くらいちゃんと食べなきゃ!このところ、食事もろくにしないで、学校にも行ってないんだって?」
編集長の言葉に玄暉は何もかもが面倒くさいという表情で椅子にどっかり座った。
「満と内通でもしてるんですか?」
「私はあんたに鍛えられたから、大抵の子は手懐けられるのよ」
彼女は目をそらしてイタズラっぽく話すと、玄暉は呆れたように肩をすくめた。手懐けるって、動物じゃないんだから…
「一番高いの頼みますよ」
玄暉は目の前にあるメニューをあれこれ見ながら話すと、編集長はゆっくりとナフキンを膝に置き、答えた。
「もう、一番高い料理を頼んだわ」
とにかく、自分勝手なおばさんだ。玄暉は片方の目を傾けた状態でメニューをバンっと閉じ、横に放り投げた。そうして、凝った首をストレッチするようにあちこちへと回した。一日中キーボードを叩いていたせいで体にムリがきたのか、たまに首と肩がズキズキ痛む。
かわいいやつ。編集長はテーブルの上に頬づえをつき、感心しながら玄暉を見つめると、口を開いた。
「契約書にサインしてくれたお礼よ」
玄暉は眉間にしわをよせた。
「食事をしてほしいのか、食べて欲しくないのか、どっちです?」
「また始まった」
「あの時はどうかしてたんだ」
「はいはい。そうだと思った。私にはまたとないチャンスだったけど」
編集長の言葉に玄暉は頭がズキズキと痛み、頭に手を当てた。
「それで。今日は何の用ですか?」
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