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第十一章:「海の向こうから」

・11-26 第190話:「ドアインザフェイス」

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・11-26 第190話:「ドアインザフェイス」

 エドゥアルドのメイドとなったルーシェは、以前の、スラム街で暮らしていた時には想像もしていなかった、様々なことを経験して来た。

 貴族の[高貴な者の使命]、ノブレス・オブリージュを純粋(じゅんすい)に信じ、実践しようとしている主君の下で。
 ヘルデン大陸中をあちこち行ったり来たりしながら、本当に、様々なことを。

 そういった経験もあるが、相応に勉強もしてきたつもりだった。
 ヴィルヘルムからいろいろと複雑な事柄、たとえば歴史や政治、外交、軍事といったものについて教えてもらい、一通りのことは分かるようになっている。

 それでも、やはり。
 生まれた時から貴族であり、権謀術数が渦巻く世界で生きて来た相手と、自分とは、違う。

 ———エドゥアルドとルーシェは、決して、同じところには立てないのではないか。

(あ……。アレ……? )

 そう思った時、不意に、心の奥底からとめどなく、暗く冷たい洪水が溢(あふ)れて来て。
 寂しいという気持ちで、いっぱいになってしまいそうになる。

「ところで、ルーシェ先輩? 」
「……えっ!? 
 あっ、はい! なんでございましょうか? 」

 ふと、目の前で、イーンスラ王国の高貴な王女様がこちらを見つめていることに気づき、ルーシェはどうにかその気持ちを押しとどめることができた。

 少女の内心で起こった、一瞬の、暴風のように激しい感情の起伏には気がついていないのだろう。
 メイドに扮したユーフェミアは、意味深な笑みを浮かべている。

「と・こ・ろ・で? 
 ここまで話を聞いてしまったからには、分かっていらっしゃいますわよね? 」
「へっ!? 
 ど、どういう、ことでございますか? 」
「だって、貴女は私(わたくし)の秘密を、すっかり知ってしまったんですもの♪ 」

 ぽん、と身体の前で軽く両手を叩き、ユーフェミアはにこやかな、だが、怖い影のある笑顔を、戸惑っているルーシェへと近づけて来る。

「協力、してくださいますわよね? 」
「きょ、協力って……、あっ!? 」

 そこでメイドは、自分が、王女たちがエドゥアルドの寝室に立ち入ろうとするのを、身体を張って阻止しようとしていたところだったことを思い出していた。

 そこをどいて、もう邪魔をしないで欲しい。
 そう言われているのだ。

「や……、やっぱり、それはダメです! 
 イケナイと思います! 」

 相手側の、エドゥアルドの人と成りを知りたいという事情はよく分かった。
 外交関係を強化し、手を組む・組まない、という判断を下す以上に、先のことを見すえた時に、実質的なタウゼント帝国の国家元首である代皇帝について知りたい、研究しておきたい、というのは、理解できる感覚だ。

 これでユーフェミアが納得して、帝国とイーンスラ王国の盟約が結ばれ、協力してアルエット共和国に対抗する、ということが決まるのなら、それは良いことなのだろうと思う。
 普段からルーシェはエドゥアルドの寝室にも出入りしているのだが、国家機密に類するような、重大な事柄が秘匿されている、などということは絶対にないから、見せてしまっても致命的な問題は発生しないはずだ。

 だが、———どうにも、よこしまな気がする。
 言葉では理屈が通っているが、それだけではない。

 もっと別の思惑を隠し持っているような気がするのだ。

 それは、単なる勘に過ぎないことだった。

「あらあら。
 聞き分けの悪いコですわね? 」

 ここは通さないぞと、両手を目いっぱいに広げて通せんぼをするルーシェに、ユーフェミアは威圧的な視線を向ける。

「こちらも正直にお話を申し上げたと言いますのに、この仕打ち。
 これでは、私(わたくし)の一方的な話し損ではないですか? 」
「それとこれとは、別なのです! 
 エドゥアルドさまの寝室に入ろうだなんて、なんだか別のたくらみを感じるのです! 」
「疑り深いですわねぇ……。
 ちょっと、クローゼットの奥とか、ベッドの下を探ろうというだけですのに」
「それはやっぱり、なんだかよこしまな気がします! 
 それに、普段からお掃除などをさせていただいておりますが、ユーフェミアさまがご期待されているようなものは、エドゥアルドさまはお持ちではありませんでした! 」
「あらあら、まぁまぁ。
 それは、とても残念ですわ」

 実際に、クローゼットの奥にも、ベッドの下にも、やましものが置かれていたことはない。
 そう確信をもって断言するルーシェに、その事実を信じざるを得なくなったのかユーフェミアは残念そうな顔をする。

「でしたら、致し方ありません。
 陛下の寝室を拝見するのは、断念いたしましょう」
「そうです! その方がいいと思うのです! 」
「ええ。
 それは、またの機会に」
「はいです! 
 ……って、え!? またの機会に!? 」

 諦めてくれたのかと思ったら、まだまだ、狙い続けているらしい。
 ユーフェミアの呟くような言葉を聞き逃さなかったルーシェは、猫が全身の毛並みを逆立てるように、「フーッ!!! 」と、相手のことを睨みつけながら威嚇(いかく)する。

 すると、

「ふふふっ! 」

 笑われてしまった。

「本当に、おかわいらしいこと♪
 エドゥアルド陛下は、面白い家臣をお持ちですわね」
「おっ、お褒(ほ)めいただき、光栄、です? 」
「ええ、もちろん。
 褒(ほ)めておりますのよ? 」

 怖い影を打ち消し、本当に諦めたのだと示すために数歩後ろに下がったユーフェミアは、今度は楽しそうな笑顔になっていた。

「ですが、私(わたくし)としても、ここまでお話した以上は手ぶらでは帰れません。
 無理を強いたおじさまに申し訳が立ちませんわ。
 ねぇ、ルーシェ先輩? 
 話せるだけでかまいませんから、エドゥアルド陛下のこと、いろいろと教えてくださいませんこと? 」
「む、むむむ~っ! 
 で、でも、それくらい、でしたら……、まぁ」
「はい。では、よろしくお願いいたしますわね? 
 ささ、ここではなんですから、場所を変えましょう? 」

 一転して和やかな雰囲気。
 ルーシェは半信半疑といった感じで、まだ疑惑の目を向けていたものの、ひとまずエドゥアルドのプライバシーを守りきれたことに安心して、部屋を出て行くユーフェミアについて行く。

 少し打ち解けたように並んで歩いて行く二人の姿を、どこか釈然(しゃくぜん)としない表情で見つめていたアリツィア王女だったが、ふと、なにかに気づいたらしくぽんと手を打っていた。

「フム、なるほど。
 ドアインザフェイスか」

 まったく、うまいことやったものだ。
 最初に、エドゥアルドの寝室を探るという無理な要求を突きつけておいて、それから、ルーシェの知っている限りでいいから教えて欲しいと、難易度の優しい要望を受け入れさせる。

 実際は、先の要求は囮で、本当の狙いは後者の方。
 自身の望みを通すための交渉術の一種を駆使して、ユーフェミアは見事に目的を果たしたのだ。

 それで同意している手前、ルーシェも、いろいろと正直に話さざるを得ないだろう。

「うむ。
 私も、便乗するとするか」

 いつの間にか存在を忘れ去られてしまったような格好になっていたが、このまま一人でこっそりエドゥアルドの寝室に潜入するより、自分もメイドの話をアレコレ聞いた方が実入りは大きいだろうと考えたアリツィアも、すでに部屋を出て行ってしまった二人を追いかけることにした。
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