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第九章:「苦しい冬」

・9-2 第128話:「停滞」

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・9-2 第128話:「停滞」

 代皇帝・エドゥアルドは、日々、焦燥感に駆られていた。
 海軍力の欠如。
 その、帝国が歴史的に抱えて来た欠陥が、徐々に傷口を広げて来ているように感じられたからだ。

 フィッシャードルフの戦いの後、海路で脱出したムナール将軍は、その指揮下にある四万余りの兵力と共に旧フルゴル王国へと上陸。
 共和国本国からの補給と増援を受け、そのまま王都へと進撃。
 傀儡の国王となっていたリカルド四世と合流し、タウゼント帝国からの支援を受けてゲリラ活動を行っていたアルベルト王子の軍を攻撃し始めている。

 このことを受け、王子からは「同盟者としての責務を果たして欲しい」との要請が届いていた。

 彼は自身が行おうとしているゲリラ戦に、かなり自信を持っている様子だった。
 実際、それは有効な戦術だ。
 エドゥアルドたちも、グロースフルスを越えて来た共和国軍に対して同様の攻撃を実施し、成果をあげている。

 だが、ムナール将軍の行動は速過ぎた。
 アルベルト王子はフルゴル王国に有効なゲリラ戦を行えるだけの基盤を形作ろうと奔走(ほんそう)していたが、それが完成する前に将軍がやって来てしまったのだ。

(つまりは、「Bプラン通り」ということなのだろう)

 エドゥアルドは何度目かになる救援要請の手紙を読み終えると、苦々しい表情で頬杖を突いた。

 フィッシャードルフの戦いの後、やけにあっさりと退却するな、と思っていた。
 海路という太い補給線を自由に使うことができるのに、どうしてムナール将軍はあんなに簡単に引き下がったのか。

 そこまで含めて、計画だったのに違いない。

 ハイリガー・ユーピタル・パスを越え、ヴェストヘルゼン公国侵入し、同国を制圧して帝国本土深くまでの侵攻を狙う。
 これが、Aプラン。
 そしてBプランとして、Aプランが失敗した場合には安全な海路で脱出し、また、アルベルト王子らが暗躍を始めた旧フルゴル王国領へと転戦。
 同地の抵抗勢力を完全に屈服させ、安定化させてしまう。

 なんともハードスケジュールな作戦だ。
 おそらく、つき従う将兵たちはたまったものではなかっただろう。

 だがムナール将軍は英雄としての自身の圧倒的なカリスマで彼らを統率し、やり遂げてしまうつもりなのだ。

 そんなことをされてしまうと、実際、エドゥアルドたちは非常に困ってしまう。
 共和国の勢力を分散させるためにアルベルト王子を支援したのに、それを叩き潰されてしまっては、構想を一から練り直さなければならない。

 そうした意味でだけでなく、帝国は、王子らを見捨てることができなかった。
 もしここで彼らを救うことができなかったら、悪評が立つ。

 「代皇帝は約束の空手形だけを与えて同盟者を見殺しにした」などという風評が広まってしまうのだ。

 そうなったら、今後の政治工作はやりづらくなる。
 本音と建前が乖離(かいり)していることが政治の世界では当たり前にあるのだが、それでもやはり、[信用]というものはなによりも大事なものだった。

 それが無ければ、誰とも、どんな約束もできなくなってしまう。

 だからエドゥアルドとしては、なんとしてでもアルベルト王子らを救わなければならなかった。
 仮に救うことができずとも、少なくとも帝国が彼らを見捨てた、などと後ろ指を指されない程度のことはしなければならない。

 なんとか支援を送るか、共和国を牽制(けんせい)したい。
 しかしそのどちらも、困難なことであった。

 フルゴル王国はヘルデン大陸の西南端に突き出た半島にある国家だ。
 陸路でつながっているわけだが、帝国と王国との間には共和国の勢力圏が大きく広がっていて通過はできない。

 つまり、支援を送ろうと思えば海路しか使うことができない。
 それなのに、海路は塞がれてしまっている。
 帝国からの支援を積載した輸送船を、圧倒的な戦力を誇る共和国海軍が待ち受けているからだ。

 こちら側でどれほど熱心に物資を準備し、人員を用立てようと、それが目的地に到着しなければアルベルト王子の役にはなにも立たない。

 最善の努力はしたのだ、と主張したところで、意味はないだろう。
 タウゼント帝国は頼りないと言われてしまう。

 なんとかして支援を送り届ける必要があったが、唯一の毛色である海からの輸送はまず失敗してしまう。
 手詰まりであった。

 ならば、こちらで軍を動かして共和国を攻撃して、敵を引き付けたい。
 しかしこれも実施は困難だ。
 なぜなら、現状で帝国が投入できる戦力はやはり二十万にも満たず、最大で五十万を用意できる共和国に対して逆に侵攻作戦を実施することは、半ば自殺行為と呼べたからだ。

 敵地に侵入して軍事作戦を行うには、相応の準備もいる。
 国内で戦うのであれば、あらかじめ用意しておいた備え、補給線を利用することができるが、外国に進出するためにはそれらを再構築しなければならない。

 それを怠ったがために、数年前、帝国は共和国に侵攻して、ラパン=トルチェの会戦でムナール将軍に敗れたのだ。
 あの時と同じ失敗は犯せない。

 なんとかアルベルト王子を救わなければならない。
 しかし、その手段がない。

 頭の痛い問題であった。

 エドゥアルドを悩ませているのは、これだけではない。
 この窮状を脱するための方策。
 海軍を建設する、ということ。

 その障害となっている予算不足を解消する目途も、相変わらず立っていなかったのだ。

「皇帝というのも、存外、無力なのだな……」

 途方に暮れ、思わずそうボヤいてしまう。

 ノルトハーフェン公爵であったころは、自分が皇帝になれたら、と、何度も夢見たものだ。
 大それた望みだと思っていたが、もしそうなることができたら、もっといろいろなことができるはずなのに、と。

 しかし、実際に代皇帝になってみても、案外、不自由だ。
 なかなか自分の思い通りにはなれない。

(どうしたものかな……)

 なんとか良い思案が浮かばないかと悩んでいた時のことだ。
 ツフリーデン宮殿内で自身の執務室として使っている部屋の扉が、丁寧に四回ノックされる。

「入れ」
「失礼いたします、陛下」

 入って来たのは、ブレーンであるヴィルヘルムだった。

「どうしたのだ? なにかあったのか? 」
「いえ、これと言って緊急の要件ではございません。
 ただ、時間をお知らせに参ったのでございます」
「時間? 」
「そろそろ、サイモン・ハルドゥ伯爵ら、バ・メール王国臨時政府の樹立がなったことを報告するために訪れる予定でございます」
「……ああ、そうだったな」

 そこでエドゥアルドは、そんな予定が入っていたことを思い出す。

「ありがとう、ヴィルヘルム殿。
 すぐに向かおう」

 そしてそう言ってうなずくと、エドゥアルドは悩みを抱えたまま、席を立っていた。
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