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第八章:「海軍建設」
・8-2 第113話:「苦い経験」
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・8-2 第113話:「苦い経験」
押しよせた敵艦隊を前に封殺され、結局、敵将であるアレクサンデル・ムナールとその指揮下にあった四万名余りの軍勢は、深刻な傷を負うことなく去った。
それだけではない。
帝国の西部国境地域で対峙していた共和国軍と帝国軍、双方の主力軍の衝突は、敵にその一割ほどの損害を与えただけで、あっさりと終幕を迎えてしまった。
この事実は、エドゥアルドたちの先行きに暗い影を落としている。
帝国の防衛には成功したと、そう言えるだろう。
しかしそれは、そもそも敵が賭けの要素が強い無茶な作戦を立て、補給という要素を軽視して侵攻して来たからであり、戦闘ではついに、自身の勝利と胸を張って言える結果は得られなかったのだ。
エドゥアルドはムナール将軍と二回、直接戦い、そのどちらとも、実質的に自分たちの敗北であったと認識している。
そしてなによりも重大であったのは、タウゼント帝国には深刻な欠陥が存在していたと、そう明らかになった点であった。
それは、海上戦力の欠如だ。
二等戦列艦が一隻、三等戦列艦が三隻。その他、五等、六等が、それぞれ六隻。
これが、帝国が国家として保有する海軍力のすべてであった。
この国では諸侯に独自の軍権が認められており、水域に面している貴族は自前で軍艦を保有しているから、それらもかき集めればもう少し戦力としては大きくなるだろう。
ひとつの艦隊として見た場合は、非力だが無力ではない規模となる。
だが、これらの戦力は広く分散していた。
二等は旗艦的な位置づけとして基本的に母港周辺で活動しており、他の三等三隻は周辺海域でローテーションを組んで警戒、五等、六等も同様に、二隻程度の小さな戦隊を形成して交易路を護衛している。
しかも、諸侯が保有している艦艇は、北のフリーレン海と南のズュート海に分断されており、共同してひとつの艦隊を作りたくともできなかった。
また、仮にすべての艦艇を合流させることができたとしても、現状では共和国の海軍には対抗できないだろう。
装備している艦艇の質も量も、明らかに劣っている……。
なんなら、海軍の運用ノウハウでもまったく太刀打ちできない可能性がある。
ヘルデン大陸中央部を支配する国家として、タウゼント帝国は伝統的に陸軍国家であった。
だから陸戦については、プリンツ・ヨッヘムのように著名な将校を何人も輩出してきたし、士官学校が各地に建設されていて今も積極的な教育が行われている。
だが、海軍は……。
人材育成がどの程度熱心に行われているのかさえ、[わからない]。
国家元首であるエドゥアルドが、海軍にも士官学校があるのかどうか、あるとすればどこに所在しているのかさえ認識していない、という有様だ。
それほどまでに海軍を軽視してきたのが、タウゼント帝国であった。
装備している艦艇でも、そして人材でも、質と量のすべてで共和国に大きく後れを取ってしまっている。
ひとまず敵による侵攻の危機は去った。
プリンツ・ヨッヘムから、敵軍がグロースフルスの向こう側に後退を完了し、現在は再び河を挟んで対峙している、という続報を目にしてほっとし、北へ向かう行軍のペースを無理のないものに落としながらも、エドゥアルドの気分は晴れなかった。
代皇帝の地位についてから熱心に国政を刷新しようと取り組んで来たが、そこには大きな抜け穴があったことに気づいてしまったからだ。
(我が国は、どんな海軍を保有するべきなのか……)
ヨッヘム公が率いている帝国軍の主力と合流するべく北進を続けながら考えていたのは、そのことばかりであった。
沿岸を警備する、くらいであるなら、エドゥアルドは経験したことがある。
彼の故国であるノルトハーフェン公国は海上貿易の玄関口として栄えており、その港湾を守るため、そして近隣を航海する交易船を保護するために、多少の海上戦力を運用していたからだ。
しかしそれがタウゼント帝国の海軍、という規模にまでなると、想像がつかない。
敵からの上陸作戦を阻止できればよい、と割り切って、沿岸防衛に特化させ、陸上砲台や近海でのみ活動できる航続距離の短い砲艦などを充実させるのか。
それとも、外洋上で敵海軍と決戦し、海上覇権を獲得できるよう、一等戦列艦といった大型で強力な艦艇の整備に邁進(まいしん)するのか。
あるいは海上交易路(シーレーン)の防衛に特化して、常に護衛艦艇をつけることができるように、中小の艦艇を数多くそろえるのか。
その、全部をしなければならない、ということだってあり得る。
そしてそれらをエドゥアルドは、ほとんどゼロから建設しなければならなかった。
タウゼント帝国には海軍を運用した経験が乏しく、優秀な艦艇を設計・建造する技術もないし、優秀な海軍の軍人がいるのかどうかさえもわからない。
なにもかもが手探りだ。
そう考えると、頭が重い。
(とりあえず……、ルーシェにコーヒーを頼もう)
こんな時はやはり、あのメイドが用意してくれる、暖かな飲み物が恋しかった。
いつだって自分の好みに、望んだとおりに作ってもらえる、最高の一品。
もう一か月以上も飲むことができていない。
きっと、それを飲みながら考えごとをすれば、なにか良い思案も浮かんでくるのに違いない。
そう思うことで自分を励まし、エドゥアルドはひたすら歩き続けた。
今回の戦争は、少年にとっては苦い経験であった。
この大陸上には戦場の直接の用兵対決では勝ち難い相手がいること、そして、自分の国づくりには大きな見落としがあったということ、この二つの事実を突きつけられてしまったからだ。
しかしそれは、確実に、彼と帝国にとってはプラスになることでもあった。
なにも知らないまま対策を練れずに突然その問題に直面するよりも、まだ、準備をする期間を得られる段階で、備えが必要だと判明したからだ。
あの、日差しの豊かな帝国の南部地域で、別荘を建て、親しい者たちとのんびり暮らしたい。
そんなことを夢想したりもしたが、それを実行できるのは、当分、先のことになりそうだった。
押しよせた敵艦隊を前に封殺され、結局、敵将であるアレクサンデル・ムナールとその指揮下にあった四万名余りの軍勢は、深刻な傷を負うことなく去った。
それだけではない。
帝国の西部国境地域で対峙していた共和国軍と帝国軍、双方の主力軍の衝突は、敵にその一割ほどの損害を与えただけで、あっさりと終幕を迎えてしまった。
この事実は、エドゥアルドたちの先行きに暗い影を落としている。
帝国の防衛には成功したと、そう言えるだろう。
しかしそれは、そもそも敵が賭けの要素が強い無茶な作戦を立て、補給という要素を軽視して侵攻して来たからであり、戦闘ではついに、自身の勝利と胸を張って言える結果は得られなかったのだ。
エドゥアルドはムナール将軍と二回、直接戦い、そのどちらとも、実質的に自分たちの敗北であったと認識している。
そしてなによりも重大であったのは、タウゼント帝国には深刻な欠陥が存在していたと、そう明らかになった点であった。
それは、海上戦力の欠如だ。
二等戦列艦が一隻、三等戦列艦が三隻。その他、五等、六等が、それぞれ六隻。
これが、帝国が国家として保有する海軍力のすべてであった。
この国では諸侯に独自の軍権が認められており、水域に面している貴族は自前で軍艦を保有しているから、それらもかき集めればもう少し戦力としては大きくなるだろう。
ひとつの艦隊として見た場合は、非力だが無力ではない規模となる。
だが、これらの戦力は広く分散していた。
二等は旗艦的な位置づけとして基本的に母港周辺で活動しており、他の三等三隻は周辺海域でローテーションを組んで警戒、五等、六等も同様に、二隻程度の小さな戦隊を形成して交易路を護衛している。
しかも、諸侯が保有している艦艇は、北のフリーレン海と南のズュート海に分断されており、共同してひとつの艦隊を作りたくともできなかった。
また、仮にすべての艦艇を合流させることができたとしても、現状では共和国の海軍には対抗できないだろう。
装備している艦艇の質も量も、明らかに劣っている……。
なんなら、海軍の運用ノウハウでもまったく太刀打ちできない可能性がある。
ヘルデン大陸中央部を支配する国家として、タウゼント帝国は伝統的に陸軍国家であった。
だから陸戦については、プリンツ・ヨッヘムのように著名な将校を何人も輩出してきたし、士官学校が各地に建設されていて今も積極的な教育が行われている。
だが、海軍は……。
人材育成がどの程度熱心に行われているのかさえ、[わからない]。
国家元首であるエドゥアルドが、海軍にも士官学校があるのかどうか、あるとすればどこに所在しているのかさえ認識していない、という有様だ。
それほどまでに海軍を軽視してきたのが、タウゼント帝国であった。
装備している艦艇でも、そして人材でも、質と量のすべてで共和国に大きく後れを取ってしまっている。
ひとまず敵による侵攻の危機は去った。
プリンツ・ヨッヘムから、敵軍がグロースフルスの向こう側に後退を完了し、現在は再び河を挟んで対峙している、という続報を目にしてほっとし、北へ向かう行軍のペースを無理のないものに落としながらも、エドゥアルドの気分は晴れなかった。
代皇帝の地位についてから熱心に国政を刷新しようと取り組んで来たが、そこには大きな抜け穴があったことに気づいてしまったからだ。
(我が国は、どんな海軍を保有するべきなのか……)
ヨッヘム公が率いている帝国軍の主力と合流するべく北進を続けながら考えていたのは、そのことばかりであった。
沿岸を警備する、くらいであるなら、エドゥアルドは経験したことがある。
彼の故国であるノルトハーフェン公国は海上貿易の玄関口として栄えており、その港湾を守るため、そして近隣を航海する交易船を保護するために、多少の海上戦力を運用していたからだ。
しかしそれがタウゼント帝国の海軍、という規模にまでなると、想像がつかない。
敵からの上陸作戦を阻止できればよい、と割り切って、沿岸防衛に特化させ、陸上砲台や近海でのみ活動できる航続距離の短い砲艦などを充実させるのか。
それとも、外洋上で敵海軍と決戦し、海上覇権を獲得できるよう、一等戦列艦といった大型で強力な艦艇の整備に邁進(まいしん)するのか。
あるいは海上交易路(シーレーン)の防衛に特化して、常に護衛艦艇をつけることができるように、中小の艦艇を数多くそろえるのか。
その、全部をしなければならない、ということだってあり得る。
そしてそれらをエドゥアルドは、ほとんどゼロから建設しなければならなかった。
タウゼント帝国には海軍を運用した経験が乏しく、優秀な艦艇を設計・建造する技術もないし、優秀な海軍の軍人がいるのかどうかさえもわからない。
なにもかもが手探りだ。
そう考えると、頭が重い。
(とりあえず……、ルーシェにコーヒーを頼もう)
こんな時はやはり、あのメイドが用意してくれる、暖かな飲み物が恋しかった。
いつだって自分の好みに、望んだとおりに作ってもらえる、最高の一品。
もう一か月以上も飲むことができていない。
きっと、それを飲みながら考えごとをすれば、なにか良い思案も浮かんでくるのに違いない。
そう思うことで自分を励まし、エドゥアルドはひたすら歩き続けた。
今回の戦争は、少年にとっては苦い経験であった。
この大陸上には戦場の直接の用兵対決では勝ち難い相手がいること、そして、自分の国づくりには大きな見落としがあったということ、この二つの事実を突きつけられてしまったからだ。
しかしそれは、確実に、彼と帝国にとってはプラスになることでもあった。
なにも知らないまま対策を練れずに突然その問題に直面するよりも、まだ、準備をする期間を得られる段階で、備えが必要だと判明したからだ。
あの、日差しの豊かな帝国の南部地域で、別荘を建て、親しい者たちとのんびり暮らしたい。
そんなことを夢想したりもしたが、それを実行できるのは、当分、先のことになりそうだった。
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