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第五章:「英雄VS代皇帝」

・5-8 第81話:「帝国元帥の憂鬱:1」

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・5-8 第81話:「帝国元帥の憂鬱:1」

 タウゼント帝国における五月と言えば、春の終わり、これから段々と初夏に移ろって行く、という季節であった。
 そういう変わり目の時期であるから、天候はけっこう、不安定だ。
 よく晴れた日は気温が上がり汗ばむほどの陽気となるが、夜になると一気に冷え込んで肌寒くなったりするし、にわか雨が降ってきたりもする。
 エドゥアルドのメイドとして今日も元気に働いているルーシェは、この季節が好きだった。
 といよりも、冬以外の季節は大抵好きなのだが、特にこの時期の、段々と陽気が良くなっていく感じが嬉しくて、うきうきする。

「ふぅ~。お洗濯、終わり! 」

 帝国軍の本営が置かれた丘の裏手側、良く日の当たる場所に生えた木と木の間に張った縄に洗濯を終えて綺麗になった衣服などを干し終えた彼女は、にこにことしながら額に浮かんだ汗をぬぐった。
 空は、真っ青。
 もう夏を想起させる色合いで、美しい白亜の雲が浮かび、子育てに忙しい鳥たちが賑やかに飛び回っている。
 昨日はにわか雨が降って大変だったが、今日はうって代わって実に良いお天気で、それだけで心地よくてしかたがない。
 それになにより、どうやらこの戦争はエドゥアルドたちの思惑通りに進んでいるらしいということが、身近で働いている彼女にはよく分かっていた。
 共和国軍は補給に苦しんで時を追うごとに弱体化しつつある、という偵察部隊からの報告を何度も耳にしたし、それでいて、河畔の戦い以来、大きな戦闘も起こっていない。
 敵は、ずいぶん攻めあぐねている。
 このまま行けば激しい戦いにならないまま戦争が終わってしまうのではないかと、ルーシェはそんな風に期待してしまっている。
 補給に苦しんでいる敵に対して、帝国側ではほとんど問題らしいことは起こってはいなかった。
 戦争中なのだから常に気は抜けなかったが、こちらの兵站網は十分に機能しており、従軍している兵士たちは毎日十分な食事をとり、パイプに詰める煙草に困ることもなく、毎日規定量の酒類の配給も受け取ることができている。
 彼らは衣服が擦り切れたりブーツに穴が開いたりしてもすぐに代わりの物を手に入れることができたし、装備している武器が故障してもその日のうちに修理に出し、新品を受け取ることができる。
 既定の期間が過ぎれば後方から送られて来た交代の人員と入れ替えになって休暇に帰ることもできたし、病気になってきちんとした療養が必要と軍医に診断されれば、すぐに後送されて入院することだってできた。
 そういうわけで、帝国軍の将兵の表情はみな、明るいものだった。
 ルーシェとすれ違うとみなにこやかに挨拶をしてくれるし、力仕事などで困っていると見るや、手伝ってもくれる。
 気持ちに余裕があるのだ。
 そしてそれは、エドゥアルドを始めとして、本営に詰めている諸侯や帝国軍の将校たちも同様であった。
 自分たちの作戦が狙い通りに進んでいると認識しているのか、彼らの表情には覇気があり、自信を持っているのだということが分かる。
 大規模な戦闘がないだけで、帝国側は盛んに、共和国軍の補給線に対してゲリラ戦を仕掛け続けている。
 だから死傷者が出ていないわけではなかったし、いろいろと軍は忙しかったが、それでも、戦況は現在自分たちの思い通りに進み、コントロール下に置かれている、という認識があるからか、悲観的な要素はどこにも見ることができなかった。
 ———ただ、一人を除いては。

(どうして、ヨッヘムさまだけは、浮かない顔をしておられるのでしょう? )

 日々、給仕をしたりする中で、ルーシェは人々の中でプリンツ・ヨッヘムだけが憂鬱(ゆうつ)そうな表情をしていることに気がついていた。
 人間観察能力というのは、彼女のように大勢の人々をもてなす職業にとっては重要なスキルであった。
 相手がなにを望んでいるのか、わざわざ言わずとも先んじて察してあれこれ用意をできる、というのが使用人の理想とされていたからだ。
 なによりルーシェとしては、できるだけ喜んでもらえた方がやりがいを感じることができるので、表情や仕草からその気持ちをなるべくくみ取って、自分にできる限りのもてなしをしたいと思っている。
 他の人々は、ヨッヘム公の暗さについて気がついていないらしかった。
 なんだかんだ忙しい、というのもあるのだろうが、多くにとってプリンツ・ヨッヘムというのはもはや伝説上の人物となっていて、同じ場所に共にいるのだとしても、どこか一線を引いてしまっているためなのかもしれない。
 十分に尊重され、崇敬(すうけい)を集めてはいるものの、雲の上の人というか、歴戦の帝国元帥としてだけ見られていて、ひとりの、感情を持った人間、自分たちと同じだという意識が欠けてしまっているように思える。
 ルーシェは軍人などではなかったし、高貴な育ちでもなかったから、ヨッヘム・フォン・シュヴェーレンという名前をまったく知らなかった。
 その活躍をエドゥアルドから教えてもらい、とてつもない業績を歴史に残した人なのだとは理解できたが、本の中の出来事のように思えて、イマイチ現在の、目の前にいる存在とつながっていない。
 このためか、彼女にはヨッヘム公のことが、一人の好々爺(こうこうや)として見えていた。
 眼光鋭く、知略も働くので最初は「少し、怖い……」と思っていたのだが、彼はルーシェの精一杯のもてなしを喜んで受けてくれたし、しょせんは使用人、などと低く見たりせず、年相応の一人の娘として、きちんと礼節をわきまえ、紳士的に接してくれている。
 そのおかげで、ルーシェの側も素直に帝国元帥のことを見ることができていた。
 だから、メイドは気づいたのだ。
 気難しそうな顔でボードゲームに興じている様は今までとまるで変わりがないようだったが、その実、なにか深刻な悩みを抱えている風に、動きを止めて思索にふけっていたり、これまでに見られなかったほどの鋭い視線で盤上を見つめていたり、眉間にしわが寄っていたりするのを。

「今日こそは、おたずねしてみよう」

 洗濯物を干し終え、使った道具の後片付けをしながら、ルーシェはそんなことを呟く。
 それは、ほんの少しの興味と、一見すると帝国にとって順調そのものとしか思えない状況の影で、なにか深刻なことが起こりつつあるのではないかという、不安からの行動だった。
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