神は細部に宿る

湯呑屋。

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第3話

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 駅前に待ち合わせの15分前に着くと、彼女は木を囲むように置かれたベンチに座っていた。蝉の合唱と陽炎のせいで実体がないかのような街の中、淡い青のブラウスに黒のハイウェストデニムを履いた藤は、一人だけ確かな輪郭をもってそこに佇んでいるように見えた。


「悪い。待ったか」


「大丈夫、私も今来たところだから。長く待つならさすがに店の中で待つわよ」


 藤が「ほらそこ」と指さした先に『café & bakery blanc』と書かれた看板が目に入った。そういえば、そんな店舗名がデートのしおりにも書かれていた気がする。


「どうせちゃんと読んでないだろうから、助かったでしょ?」


 藤はしたり顔でベンチから立ち上がり、先導して歩き始めた。後ろから付いていき扉をくぐる。俺は塩パンとハムエッグマフィン、藤はシナモンロールをトレーに乗せ、互いに注文したアイスカフェラテを受け取ってから席に着く。


「カフェラテは甘くない方がすき」


 まるでメモに書き留めるかのように、藤は自分の好みをぼそっと呟いた。それには俺も同意だったので「俺もそう思う」とカップを突き出した。


「何? 何の乾杯なのよ」


 おかしそうに藤が笑う。違う、そうじゃない。俺が「写真。こういうのは食べたり飲んだりする前に撮るものじゃないのか」と言うと、藤は「そっか、それもそうだ」と今日の目的を思い出したかのように表情をきゅっと結びなおして、スマホを構えた。インカメラにして、二人の手先とコーヒーが映るようにして写真を撮る。


「これで良し」


「もう少し俺の身体は映ってなくてよかったのか?」


「大丈夫。葉山君の手はぱっと見ではっきり男の子だってわかるし、こういうのは匂わせる程度の方が噂として強くなるのよ」


 変な時間に起こされて二度寝もできなかったせいで眠気を振り払えない頭の端では、まだ岡田が拳を振り回していた。パンを頬張り、咀嚼し、コーヒーを飲む。やっとはっきり目が覚めた頃には、俺の食べていたパンのごみやトレーも片付けられており、藤が面白そうに俺を眺めていた。


「君は朝に弱い」


 陽光をたっぷりと取り込むカフェの窓から外を見ると、雲一つない晴天だった。この後の予定は何だっただろうかとメッセージを確認する。


『隣町のショッピングモールへ移動。服を選び合い、昼食をとり、そのまま映画を観る。映画は15時』


 時間が決まっているものだけがかっちりと書かれている。把握がしやすくて助かる。


「このモールだと、三駅先でよかったよな?」


「そうだね。もう開店する時間だし、行こうか」


 二人で席を立つ。入店時には気付かなかったドアベルの音が、扉を開いた際にカランと鳴った。
 

 祖父は黙して語らずという人ではなかったが、自分の手がけた仕事に関しては一言も口にしなかった。「作業途中は危ねぇから」と完成したものだけ何度か見せてもらったが、俺の隣で祖父はただ黙ってじっと社を眺めており、俺もその沈黙がすきで祖父に倣った。


 多分あれは、神様がいるかをじっと観察していたんじゃないだろうか。「俺の技術は手品じゃあないが、言葉にすると途端に陳腐になる。暴かない方がいいってことも、当然あるもんだ」と祖父は最後にそう締めくくる。そこには祖父が昔、祖母の心移りを暴いて追及したせいで逃げられてしまったことが関係しているのかもしれない。祖母とは言ったけれど、それはまだ二人が四十歳だった頃の話で、写真に映る妙齢の祖母は、暴いてはいけないような危うい魅力をもって写真の中に佇んでいた。


 ショッピングモールは開店したばかりにも関わらず、すでにどこかのイベントで風船をもらった子供が何人も走り回っていた。エスカレーターに乗ると藤が「券は先に買いに行くからね」と言うので、二階では留まらずにエスカレーターを乗りついだ。しばらくすると明らかに雰囲気の違う暗い天井が見え、ポップコーンの弾ける香りがした。映画館にはいつも少しの不気味さと高揚感を感じる。「ここから先は大気圏を超えて宇宙ですよ」とアナウンスを受けているような感覚だった。


「もしかして、映画館は久しぶりだったりする?」


 俺が浸っていると、袖をくいっと引きながら藤が俺を覗き込んだ。


「ああ、最近は映画館に来なくとも簡単に映画が観れるから。来たのは四年ぶりくらいだ」


 かなり前ね、と藤は大げさに目を見開いた。


「今やチケットはネットで購入して、後は発券するだけでいいんだよ」


 同世代に案内を受けている図が恥ずかしかったが、その方法で購入したことはないので「へぇ」と感心してみせる。自分が知らない間にも世界は宇宙と同じように未知の先へと広がっていき、自分はそれらすべてを観測することもなく終わっていくのだろうか、と寂しさを感じる。
藤からチケットを受け取り、また二人分のチケットをスマートフォンで撮った。その後、レディースのブランドが並ぶ二階へと戻る。彼女がすきな服の系統はシンプルで、確か的確に表せる言葉があったはずだと思い検索すると『コンサバ系』がそれにあたった。


「あ、そこからの角度で写真撮ってくれない?」


 洋服を自身にあてがいながら「少し葉山君が鏡に映りこむ角度からお願いね。ほんとに、ほんとにちょっとでいいんだけど」と何度か試し撮りをし、気に入った角度の写真を再現して本撮りをする。


「ちなみに、これ、似合うと思う?」


 裾が広がるように服を揺らしながら、あてがった姿でこちらを向く。もちろん似合うのだが、あまり浮かれすぎないように自身の帯を締める。怨嗟の声はまだ止んでいない。


「写真には残らないデート感も必要なのか?」


「そういうこと言うの? 本当の彼氏ならぶん殴ってるわよ」


「本当の彼氏なら『デート感』とか言わねぇよ」


 雰囲気に飲まれてしまわないように、適度に自分を現実に引き戻す。このままだと彼女に袖を引かれるがままになってしまいそうで恐ろしい。


 目的を忘れてはいけない。これは、浮かれた気持ちで行っていいものではないはずだ。
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