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1天国から地獄
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家に帰るとすぐに、夫の孝之に電話した。
玄関ホールに立ったまま、孝之の番号を呼び出す。
ワンコールで孝之が出た。
「亜紀? 俺今、外回り中なんだけど」
孝之は、地元の小さな建設会社で営業を担当している。亜紀より2歳年上の32歳。働き盛りだ。
なにも知らない孝之の声は明るい。
「どした?」
押し黙ったままの亜紀に、孝之が言う。
「そういえば今日妊婦検診だったっけ? 赤ちゃんどうだった? 動いてた?」
声が弾んでいる。きっと孝之は嬉しそうな顔をしているに違いない。
亜紀の目から、涙がこぼれる。亜紀は天井を仰ぎ、目を閉じた。
スーツ姿でスマホを耳に当て、短い髪をかき上げている孝之の姿がまぶたの裏に映る。
今度は亜紀が、孝之を天国から地獄に落とさなければならないのだ。恐ろしい悪魔になって、呪いの言葉を吐かなければならないのだ。
亜紀にどうしてそんなことができるだろう。
「もしもーし、亜紀、聞こえてる? 赤ちゃん、元気だった?」
亜紀が説明しようとして口を開いた瞬間、悲鳴に近い声が出た。
用意していた言葉は、一つも言葉にならない。
白い天井を仰いだまま、亜紀は口を大きく開けた。喉からほとばしるのは、まるで意味を成さない叫び声だけだった。
「どうした亜紀! 亜紀!」
慌てふためいた孝之の声も、ほとんど耳に入ってこなかった。
亜紀の手から力が抜ける。耳に当てたスマホが、低い音を立てて床に落ちた。
◇
「亜紀っ」
玄関ドアが乱暴に開いて、孝之が入ってきた。
泣き疲れて、亜紀は玄関ホールに座りこんだまま放心していた。30分は、こうしていただろうか。
孝之が無造作に靴を脱ぎ、亜紀の元にかけよってくる。
「孝之、仕事は?」
もう出ないかと思った声が、自然に出た。
「有休とってきたよ。だって亜紀が……赤ちゃん、なにかあったの?」
孝之が床であぐらをかく。亜紀の肩にそっと手を置いた。
心配そうに孝之に見つめられて、亜紀はまた涙がこぼれた。泣きながら、亜紀は少しずつ話した。順番なんかめちゃくちゃだったが、孝之になんとか伝えることができた。
「そっか」
孝之は唇を噛みしめた。よほど強く噛みしめているのか、唇が真っ白い。うつろな目で床の一点を見つめている。
孝之はそっと亜紀のお腹をなでると、大きなため息をついた。
「亜紀、大丈夫?」
孝之は優しくそう言って亜紀を抱きしめた。その腕が、その肩が、小刻みに震えていた。
亜紀は、孝之の背中に手を回した。孝之がまるで、子どものように小さく縮んでしまったように感じた。
亜紀は今、静かにゆっくりと孝之を地獄の底に突き落としたのだ。
玄関ホールに立ったまま、孝之の番号を呼び出す。
ワンコールで孝之が出た。
「亜紀? 俺今、外回り中なんだけど」
孝之は、地元の小さな建設会社で営業を担当している。亜紀より2歳年上の32歳。働き盛りだ。
なにも知らない孝之の声は明るい。
「どした?」
押し黙ったままの亜紀に、孝之が言う。
「そういえば今日妊婦検診だったっけ? 赤ちゃんどうだった? 動いてた?」
声が弾んでいる。きっと孝之は嬉しそうな顔をしているに違いない。
亜紀の目から、涙がこぼれる。亜紀は天井を仰ぎ、目を閉じた。
スーツ姿でスマホを耳に当て、短い髪をかき上げている孝之の姿がまぶたの裏に映る。
今度は亜紀が、孝之を天国から地獄に落とさなければならないのだ。恐ろしい悪魔になって、呪いの言葉を吐かなければならないのだ。
亜紀にどうしてそんなことができるだろう。
「もしもーし、亜紀、聞こえてる? 赤ちゃん、元気だった?」
亜紀が説明しようとして口を開いた瞬間、悲鳴に近い声が出た。
用意していた言葉は、一つも言葉にならない。
白い天井を仰いだまま、亜紀は口を大きく開けた。喉からほとばしるのは、まるで意味を成さない叫び声だけだった。
「どうした亜紀! 亜紀!」
慌てふためいた孝之の声も、ほとんど耳に入ってこなかった。
亜紀の手から力が抜ける。耳に当てたスマホが、低い音を立てて床に落ちた。
◇
「亜紀っ」
玄関ドアが乱暴に開いて、孝之が入ってきた。
泣き疲れて、亜紀は玄関ホールに座りこんだまま放心していた。30分は、こうしていただろうか。
孝之が無造作に靴を脱ぎ、亜紀の元にかけよってくる。
「孝之、仕事は?」
もう出ないかと思った声が、自然に出た。
「有休とってきたよ。だって亜紀が……赤ちゃん、なにかあったの?」
孝之が床であぐらをかく。亜紀の肩にそっと手を置いた。
心配そうに孝之に見つめられて、亜紀はまた涙がこぼれた。泣きながら、亜紀は少しずつ話した。順番なんかめちゃくちゃだったが、孝之になんとか伝えることができた。
「そっか」
孝之は唇を噛みしめた。よほど強く噛みしめているのか、唇が真っ白い。うつろな目で床の一点を見つめている。
孝之はそっと亜紀のお腹をなでると、大きなため息をついた。
「亜紀、大丈夫?」
孝之は優しくそう言って亜紀を抱きしめた。その腕が、その肩が、小刻みに震えていた。
亜紀は、孝之の背中に手を回した。孝之がまるで、子どものように小さく縮んでしまったように感じた。
亜紀は今、静かにゆっくりと孝之を地獄の底に突き落としたのだ。
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