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2 七色のうろこ

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 プールサイドを裸足で歩くと、足の裏がやけどしそうなくらい熱い。プールサイドの真ん中くらいにある、見学用のベンチを目指す。

「ここ歩けば熱くないよ」

 麻衣ちゃんは、プールの近くの、水に濡れている所を選んで歩いている。麻衣ちゃんが、こっちにおいでよ、と手招きした。

「わたしは、こっち歩くからいい」

 足が焦げそうなのを我慢して、わたしは水に濡れていない場所を選んだ。

 カルキの匂いがする。

 シャワーの音。冷たいという叫び声と笑い声。早くしなさいという先生の怒鳴り声と降りしきるようなセミの鳴き声が、全部混じって聞こえてくる。

 別のクラスの子たちが、もうプールで泳ぎ始めていて、水面が波立っている。

 水面がゆらゆら揺れて、太陽の光を反射してまぶしい。白く光ってとてもきれいだ。

 それを見た途端、わたしは、全身がカラカラに渇いているのを感じた。このままでは、体中から水分が全部抜けて、干からびてしまいそうだ。

 水の中に飛び込みたい。今すぐに。強い衝動がお腹の底から突き上げて来た。

 思わずプールの方に一歩踏み出す。

「桜ちゃん」

 プールの縁を歩いていた麻衣ちゃんが、こっちに向かって手を振っている。

 わたしは、無意識にプールに向かおうとする自分に気づいて、後ずさりした。

 走って、見学用のベンチに向かう。緑色のベンチに駆けこむように座った。少しだけ屋根はあるが、ベンチの表面も熱くなっていて、おしりにじんわり熱が伝わってくる。

 おでこから、一気に汗がふき出してきた。

 後から来た麻衣ちゃんが、隣に座ろうとして、
「あつっ」
と、飛び上がった。

 恐る恐る、麻衣ちゃんがもう一度ベンチに座る。

「こんな暑いところで1時間も見学なんて、もうやだぁ」

 麻衣ちゃんが、ため息をつく。

 麻衣ちゃんが大げさにうなだれるのを見て、わたしは思わずふふ、と笑った。

「桜ちゃんは、いつもここで我慢してるんだもんね。えらいよね」

「別にえらくはないと思うけど」

 わたしは、半ズボンから出た足を隠すように、バスタオルをのせた。

「ううん。えらい、えらいよ。桜ちゃんが文句言ってるの、聞いたことがないもん。桜ちゃんは我慢強い」

「そう、かな」

 わたしは、ちょっぴり嬉しくなった。麻衣ちゃんが一緒なら、プールの見学も楽しいかも。いつもより嫌じゃない。苦痛じゃない。

 これからもずっと、麻衣ちゃんもプールに入らないで見学してくれたらいいのに。

「プール入りたかったなぁ」

 麻衣ちゃんは、うらやましそうにプールの方を眺めている。

 麻衣ちゃんの横顔を見ていたら、さっきまで嬉しかった気持ちがしぼんでいく。

「いいじゃん、麻衣ちゃんは。アレが終われば入れるんだから」

 麻衣ちゃんにプールを見学してほしいって思うのは、わたしのわがまま。わかってる。わかってるんだけど、言い方がきつくなってしまう。

「あ、ごめんね」

 麻衣ちゃんの顔が、泣きそうにゆがんだ。

 いいよって言えばいいのに、わたしは、そっぽを向いてしまった。

 わたしは、麻衣ちゃんが好き。麻衣ちゃんとずっと友達でいたい。でも、うまく言えなくて、涙が出そうになる。

「おまえら、見学かよー」

 ベンチの前を泳いでいた前島浩太くんが立ち止まり、プールの中から、かうようにこっちを見ている。

 浩太くんはサルみたいな顔で、キッキと騒がしいところもサルにそっくりなお調子者だ。

 きっと麻衣ちゃんにかまってもらいたいだけ。深い意味はないと思う。でも、麻衣ちゃんは、はずかしそうにうつむいて、真っ赤な顔をしている。

「もう、うるさいなー。ただでさえこっちは暑いんだから、早くあっち行って!」

 いいよって言えなかったおわびに、わたしは麻衣ちゃんの代わりに、大声で叫んだ。手をヒラヒラさせて、浩太くんを追い払う。

「バーカ!」

 浩太くんは、こっちに向かってアッカンベーをしている。

「本当、おまえジャマだから早く泳げよ」

 後ろからクロールしてきた山村隼人くんが、浩太くんの背中をつついた。

 隼人くんは、浩太くんより頭一つ背が高い。切れ長の目がクールでかっこいいと、女の子のファンも多い。

 さっきの大声、隼人くんにも聞こえたかな。怒鳴ったことを後悔する。

 わたしの視線に気がついたのか、隼人くんがこっちに顔を向けた。目が合ってドキッとする。気まずくて目をそらそうとしたら、隼人くんがにっこり笑った。

 びっくりして、膝にかけたバスタオルを取り落した。すぐに拾えばいいのに、わたしはすっかり舞い上がっていて、大事なバスタオルをそのままにしてしまった。

 思わず麻衣ちゃんの方を見た。きっと、麻衣ちゃんに向かって笑いかけたんだよね? まさか、隼人くんがわたしに笑いかけてくれるわけないよね?

 でも、麻衣ちゃんはまだうつむいたままだ。

 プールに視線を戻すと、隼人くんはもうこっちを見ていない。

 きっと、わたしが意識しすぎなだけだ。隼人くんが笑いかけてくれたことに、たいした意味はなかったのかもしれない。

 わたしも、ちゃんと微笑み返せばよかった。せっかく笑いかけてくれたのに、感じ悪い子って思われたかな。

 そんなことを考えて、全く油断していた時だった。

「暑かったら涼しくしてやるよ」

 浩太くんが、右手を振り上げた。

 その瞬間、プールの水が、バッシャーンッとこっちに目がけて勢いよく飛んできた。

 バスタオルは、取り落としたままだった。

 スローモーションみたいに、水の粒がこっちに向かって飛んでくるのが見えた。

 たいした量ではないと思う。でも、確かにひざ下に冷たい水の感触があった。

 真夏の炎天下なのに、サーッと胸の奥が凍りつくのを感じた。

 ぱっと足元を見る。

 ひざから下にかけて、ほんの一部分だけど、足が変色していた。右足にも左足にも、七色に光る魚のうろこが生えている。

 慌ててバスタオルを拾う。足を隠しながら、水分を拭き取る。

 すぐに、元通りほんのり日焼けした足が戻ってきた。

 そんなにたくさんじゃなかった。うろこが現れたのは、たぶん10枚くらい。きっと浩太くんや隼人くんの距離からは見えないだろう。そう願いたい。

「やめろよ、浩太。麻衣ちゃん、桜ちゃん、ごめんなー」

 全然悪くないのに、隼人くんが、謝ってくれている。

 やっぱりわたしの足のうろこには、気がついていないみたいだ。

 でも、麻衣ちゃんは? うつむいていたから、ばっちり見てしまったかもしれない。

 恐る恐るわたしは、麻衣ちゃんの顔をのぞきこんだ。

 麻衣ちゃんが、パッと顔を上げる。目がうるんでいた。

 心臓がドクドクと激しく鳴る。もしかしたらもう、麻衣ちゃんとは友達でいられないかもしれない。

「麻衣、ちゃん……?」

 かすれた声を、のどの奥からしぼり出した。

 すると麻衣ちゃんが、わたしの手を強く握った。

「浩太くんを追い払ってくれてありがとう! やっぱり桜ちゃんは親友だよー」

 わたしの足のうろこには、気がつかなかったのかな。

「麻衣ちゃん、何か変なものとか見てないよね?」

「……見たよ」

「えっ?」

「浩太くんの、サル顔―!」

 麻衣ちゃんが、鼻の下を伸ばして、サル顔を真似した。可愛い子が変顔をすると、ギャップが激しい。思わずプーッと吹き出してしまった。

「でもさぁ、桜ちゃん隼人くんに見られちゃったね。怒鳴っているとこ」

 わたしは、思わず目を丸くした。

「なんでそんなこと言うの? 別に気にしてないし」

 声がうわずる。

「だって、桜ちゃん、隼人くんのこと好きなんじゃない?」

「な、な、ななんでー? そんなこと、一言も言ってないじゃん!」

「ふーん。ならいいけど」

「ならいいけどって何? どういう意味? 何でそんなこと言うの?」

「ムキになちゃって、やっぱりあやしいなぁ」

「ムキになってないし! もう麻衣ちゃんの意地悪!」

 わたしは、クルリと麻衣ちゃんに背を向けた。

 麻衣ちゃんの笑い声が、後ろから聞こえてきて顔がカーッと熱くなった。

 その時、何か不思議な感覚がした。

 足元がふわっと浮き上がって、目の前で火花が散ったみたいな。なんだろう、と思った瞬間に、プールの方から、キャーッという悲鳴が聞こえた。

 プールの方を振り返る。

 わたしは、目をみはった。まるで海になったみたいに、プールに大きな波が起きていた。

 数人の体が波に乗って浮き上がる。

 ザッバーン!

 波はひとつだけ。けど、波がおさまった後も、プールの水面は大きく波打っている。

 ケガをした子はいないようだ。

「流れるプールみたーい!」

 大きな波にのまれた子たちの悲鳴は、すぐに歓声に変わった。

「今の、なに?」

 麻衣ちゃんが、わたしの顔を見て、目をパチパチさせている。

「わからない」

 わたしは、首を横に振った。

 さっきの不思議な感覚。まさか、今の波とは、関係ないよね? うん、関係ない。

 麻衣ちゃんに相談するわけにもいかず、わたしは一人、心の中でつぶやいた。
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