9 / 28
8
しおりを挟む
「クリームシチューがあるの。夕飯の残りだけど、よかったら食べていかない?」
瑞穂の提案に、すぐに飛びついてくるかと思ったのに、リナは「いらない」と即座に答えた。
「どうして? お腹空いていないの?」
瑞穂の問いに、リナはうなずいた。
「リナちゃん、前はいつもお腹が空いていたの。でもね、すごく不思議なんだけど、お父さんとお母さんがいなくなってから、全然お腹が空かなくなったの」
リナは自分のお腹に両手を当てながら言った。
ガチガリにやせ細ったリナの体は、見ているだけで痛々しかった。
「お腹が空いていなくても、ちょっとだけでも食べてみたら? すごくおいしいよ」
「食べない」
リナがはっきりと断ってきた。
「だって、毒が入っているかもしれないもん」
申し訳なさそうな顔をしてリナが言う。
「あっ、そうか、そうだよね。知らない人が作った料理を食べるなんて、怖いよね」
瑞穂は自分の善意が、押しつけがましかったかと反省した。だが、なにか食べさせないとリナの体が心配だ。
「手料理が不安なら、コンビニのおにぎりはどう?」
リナは黙って首を横に振る。
「じゃぁ、チョコレートは? 昨日お店で買ってきたばかりだから、毒が入っているとか心配しなくても大丈夫だよ」
リナはまた首を横に振った。
「手料理とか関係ない。食べ物は全部、毒が入っているかもしれないもん」
これは手強い。
「リナちゃんは随分、慎重派なのね」
瑞穂はため息をつきながら言った。
「食べ物に毒が入っていないか、いつもお父さんとお母さんが先に食べて確かめてくれるの。だからリナちゃんは、お父さんとお母さんが残したものしか食べないの」
「もしかして、お母さんとお父さんが食べ終わるまで、リナちゃんはご飯を食べられないの?」
瑞穂は驚いて聞いた。
「うん。でも、お父さんが全部食べちゃって、ご飯が残ってない時もある」
「そんなのひどい」
瑞穂は思わず強い口調になってしまった。
「しかたないよ。毒見をするのってすごく難しいの。だから全部食べないと、毒が入っているかわからない時もあるんだって」
リナはまるで豆知識を披露するかのように言う。
「リナちゃんが毒入りのご飯を食べて死なないように、お父さんとお母さんは、自分を犠牲にして守ってくれているんだよ。すごいでしょ」
リナは嬉しそうな顔をしている。
瑞穂は即座にそれは違うと言いたかったが、それをリナに理解させるには相当時間が必要だと感じた。
「リナちゃん、もう帰る」
「待って。リナちゃんを安全な場所に連れて行ってくれる人がいるの」
児童相談所に電話して、今すぐ家に来てもらおうと瑞穂は考えた。リナが瑞穂の部屋にいるうちに。
このままリナを隣の部屋に帰してはならない。
瑞穂はスマホの画面を開いた。
「どこに電話するの?」
リナが早口で聞いてくる。
「もしかして知らないおばさんが来るの?」
リナは不安げな顔をして後ずさった。
「大丈夫。リナちゃんを守ってくれる人だよ」
瑞穂はできるだけ優しい調子で言ったが、リナの表情はみるみるうちに曇っていく。
「ダメ、絶対に電話しないで」
リナが声を荒げた。
「それ、悪い人だよ。だってリナちゃんを守ってくれるのは、お父さんとお母さんだけだもん」
「違う、違うの」
瑞穂は必死でなだめようとしたが、リナはどんどん呼吸を荒くしていく。
「いや。前に知らないおばさんが来て、リナちゃん、どこか知らない場所に連れていかれたことがあるもん」
ああ、そうか。今日、児童相談所の職員が訪問してこなかったのは、そういうことか。
既に児童相談所は、リナが虐待されていることを把握していたのだ。
瑞穂はこのアパートに引っ越してきたばかりだ。瑞穂がこのことを初めて知っただけで、児童相談所はもうずっと前から対応してきていたのだ。
「リナちゃん、どこかに連れていかれたら嫌。お母さんが帰ってきた時、会えなくなっちゃうもん」
「ごめんね、電話はやめるね」
「絶対にしない?」
「うん」
「絶対に絶対に絶対に約束だよ。約束破ったらリナちゃん、許さないからね」
「うん、絶対に絶対に絶対しない」
瑞穂はスマホをズボンのポケットにしまった。
「帰る」
リナはくるりと向きを変えると、玄関扉を開けて出て行ってしまった。
「待って」
瑞穂は慌てて追いかけた。扉を開けて、スリッパのまま外に出る。
「あれ? リナちゃん?」
リナの姿はもうそこにはなかった。
瑞穂は隣の102号室の玄関扉を見つめた。
「ちゃんと、部屋に戻ったよね?」
まるでリナは一瞬で消えてしまったようだった。102号室に戻るところを見届けられなかった。
「リナちゃん、ごめんね」
隣の部屋の扉に向かって、瑞穂は呟いた。なにもできない自分がもどかしかった。
瑞穂の提案に、すぐに飛びついてくるかと思ったのに、リナは「いらない」と即座に答えた。
「どうして? お腹空いていないの?」
瑞穂の問いに、リナはうなずいた。
「リナちゃん、前はいつもお腹が空いていたの。でもね、すごく不思議なんだけど、お父さんとお母さんがいなくなってから、全然お腹が空かなくなったの」
リナは自分のお腹に両手を当てながら言った。
ガチガリにやせ細ったリナの体は、見ているだけで痛々しかった。
「お腹が空いていなくても、ちょっとだけでも食べてみたら? すごくおいしいよ」
「食べない」
リナがはっきりと断ってきた。
「だって、毒が入っているかもしれないもん」
申し訳なさそうな顔をしてリナが言う。
「あっ、そうか、そうだよね。知らない人が作った料理を食べるなんて、怖いよね」
瑞穂は自分の善意が、押しつけがましかったかと反省した。だが、なにか食べさせないとリナの体が心配だ。
「手料理が不安なら、コンビニのおにぎりはどう?」
リナは黙って首を横に振る。
「じゃぁ、チョコレートは? 昨日お店で買ってきたばかりだから、毒が入っているとか心配しなくても大丈夫だよ」
リナはまた首を横に振った。
「手料理とか関係ない。食べ物は全部、毒が入っているかもしれないもん」
これは手強い。
「リナちゃんは随分、慎重派なのね」
瑞穂はため息をつきながら言った。
「食べ物に毒が入っていないか、いつもお父さんとお母さんが先に食べて確かめてくれるの。だからリナちゃんは、お父さんとお母さんが残したものしか食べないの」
「もしかして、お母さんとお父さんが食べ終わるまで、リナちゃんはご飯を食べられないの?」
瑞穂は驚いて聞いた。
「うん。でも、お父さんが全部食べちゃって、ご飯が残ってない時もある」
「そんなのひどい」
瑞穂は思わず強い口調になってしまった。
「しかたないよ。毒見をするのってすごく難しいの。だから全部食べないと、毒が入っているかわからない時もあるんだって」
リナはまるで豆知識を披露するかのように言う。
「リナちゃんが毒入りのご飯を食べて死なないように、お父さんとお母さんは、自分を犠牲にして守ってくれているんだよ。すごいでしょ」
リナは嬉しそうな顔をしている。
瑞穂は即座にそれは違うと言いたかったが、それをリナに理解させるには相当時間が必要だと感じた。
「リナちゃん、もう帰る」
「待って。リナちゃんを安全な場所に連れて行ってくれる人がいるの」
児童相談所に電話して、今すぐ家に来てもらおうと瑞穂は考えた。リナが瑞穂の部屋にいるうちに。
このままリナを隣の部屋に帰してはならない。
瑞穂はスマホの画面を開いた。
「どこに電話するの?」
リナが早口で聞いてくる。
「もしかして知らないおばさんが来るの?」
リナは不安げな顔をして後ずさった。
「大丈夫。リナちゃんを守ってくれる人だよ」
瑞穂はできるだけ優しい調子で言ったが、リナの表情はみるみるうちに曇っていく。
「ダメ、絶対に電話しないで」
リナが声を荒げた。
「それ、悪い人だよ。だってリナちゃんを守ってくれるのは、お父さんとお母さんだけだもん」
「違う、違うの」
瑞穂は必死でなだめようとしたが、リナはどんどん呼吸を荒くしていく。
「いや。前に知らないおばさんが来て、リナちゃん、どこか知らない場所に連れていかれたことがあるもん」
ああ、そうか。今日、児童相談所の職員が訪問してこなかったのは、そういうことか。
既に児童相談所は、リナが虐待されていることを把握していたのだ。
瑞穂はこのアパートに引っ越してきたばかりだ。瑞穂がこのことを初めて知っただけで、児童相談所はもうずっと前から対応してきていたのだ。
「リナちゃん、どこかに連れていかれたら嫌。お母さんが帰ってきた時、会えなくなっちゃうもん」
「ごめんね、電話はやめるね」
「絶対にしない?」
「うん」
「絶対に絶対に絶対に約束だよ。約束破ったらリナちゃん、許さないからね」
「うん、絶対に絶対に絶対しない」
瑞穂はスマホをズボンのポケットにしまった。
「帰る」
リナはくるりと向きを変えると、玄関扉を開けて出て行ってしまった。
「待って」
瑞穂は慌てて追いかけた。扉を開けて、スリッパのまま外に出る。
「あれ? リナちゃん?」
リナの姿はもうそこにはなかった。
瑞穂は隣の102号室の玄関扉を見つめた。
「ちゃんと、部屋に戻ったよね?」
まるでリナは一瞬で消えてしまったようだった。102号室に戻るところを見届けられなかった。
「リナちゃん、ごめんね」
隣の部屋の扉に向かって、瑞穂は呟いた。なにもできない自分がもどかしかった。
1
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ゴーストバスター幽野怜
蜂峰 文助
ホラー
ゴーストバスターとは、霊を倒す者達を指す言葉である。
山奥の廃校舎に住む、おかしな男子高校生――幽野怜はゴーストバスターだった。
そんな彼の元に今日も依頼が舞い込む。
肝試しにて悪霊に取り憑かれた女性――
悲しい呪いをかけられている同級生――
一県全体を恐怖に陥れる、最凶の悪霊――
そして、その先に待ち受けているのは、十体の霊王!
ゴーストバスターVS悪霊達
笑いあり、涙あり、怒りありの、壮絶な戦いが幕を開ける!
現代ホラーバトル、いざ開幕!!
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
この『村』を探して下さい
案内人
ホラー
全ては、とあるネット掲示板の書き込みから始まりました。『この村を探して下さい』。『村』の真相を求めたどり着く先は……?
◇
貴方は今、欲しいものがありますか?
地位、財産、理想の容姿、人望から、愛まで。縁日では何でも手に入ります。
今回は『縁日』の素晴らしさを広めるため、お客様の体験談や、『村』に関連する資料を集めました。心ゆくまでお楽しみ下さい。
ゾンビだらけの世界で俺はゾンビのふりをし続ける
気ままに
ホラー
家で寝て起きたらまさかの世界がゾンビパンデミックとなってしまっていた!
しかもセーラー服の可愛い女子高生のゾンビに噛まれてしまう!
もう終わりかと思ったら俺はゾンビになる事はなかった。しかもゾンビに狙われない体質へとなってしまう……これは映画で見た展開と同じじゃないか!
てことで俺は人間に利用されるのは御免被るのでゾンビのフリをして人間の安息の地が完成するまでのんびりと生活させて頂きます。
ネタバレ注意!↓↓
黒藤冬夜は自分を噛んだ知性ある女子高生のゾンビ、特殊体を探すためまず総合病院に向かう。
そこでゾンビとは思えない程の、異常なまでの力を持つ別の特殊体に出会う。
そこの総合病院の地下ではある研究が行われていた……
"P-tB"
人を救う研究のはずがそれは大きな厄災をもたらす事になる……
何故ゾンビが生まれたか……
何故知性あるゾンビが居るのか……
そして何故自分はゾンビにならず、ゾンビに狙われない孤独な存在となってしまったのか……
きらさぎ町
KZ
ホラー
ふと気がつくと知らないところにいて、近くにあった駅の名前は「きさらぎ駅」。
この駅のある「きさらぎ町」という不思議な場所では、繰り返すたびに何か大事なものが失くなっていく。自分が自分であるために必要なものが失われていく。
これは、そんな場所に迷い込んだ彼の物語だ……。
最終死発電車
真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。
直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。
外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。
生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。
「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!
すべて実話
さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。
友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。
長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる