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 クレイモア国のお城はなんだかんだ居心地が良かった。
 コーラス殿下は会うたび挨拶してくれて優しくしてくれるし、妃としての稽古も易しいしなによりスウェンに会えるのが最大の癒し。黒猫姿というのがいい。犬の姿にされたときは喋れなかったスウェンだが今回は喋られるため無闇に触れることができない。やめろと言われ制されてしまう。
 おやつタイムなどの時間にコーラス殿下と話しているうちに黒猫の話になったのだが「大切にしている子だと聞いた」と言われびっくりした。
 私の考えでは、イデルに黒猫にされたスウェンと私はクレイモアに直行したはずだった。そのとき私の中では黒猫はイデルの言うとおり、イデルのペットだと思っていた。
 私すらそのことを知らなかったのに、私が黒猫を大切にしていると聞いたのだろうか。クレイモアに着いたのは私と黒猫にされたスウェンだけど他の皆はいない。なのになぜ。
 誰に? と問うと、誰かはわからないと首を横に振られた。
 誰かはわからない? ますますわけわからなくなる私にコーラス殿下は続けて言ってくれた。
 コーラス殿下が言うには、馬車を操縦する者に手紙が渡されたらしい。その中には細く滑らかな字で『この黒猫はカノンが大切にしている子です。失礼かと思われますが、どうか丁重に扱ってくださるようお願い申し上げます』と書かれていたと。
 それからコーラス殿下は黒猫を丁重に扱うよう国の者に命じたと。
 私のベッド横にある棚上に猫用だと思われるクッションが置かれていたのはそれでかと理解した。
 それと同時に手紙はイデルが書いてくれたものだとわかった。
 イデルはスウェンを猫にして私のそばにいさせてくれようとしてくれたんだ。
 妃として他国へ招いてもらうのに男の人がついてくるなんてことは許されない。
 だからそのことを隠して、私を一人にさせない方法を実行してくれた。
 スウェンの立場も考えて何かあってからではまずいと先手をうってくれたに違いない。イデル姉様ありがとう。と、本人を目の前にして呼んだことのない呼び方で感謝した。

「それで、カノン。殿下呼びはもういいんじゃないか? 見せかけ上とはいっても僕たちは夫婦なのだし今、殿下呼びなんておかしいだろう」
「確かにそうですよね。では、コーラスさん……?」
「実はそれはファミリーネームなんだ。その呼び方は父上にしてあげて。僕のことはメヒストと呼んでほしい、さん付けなしで」

 さあ呼んで、と口にはしないが笑顔がそう言っている。ここまで距離を縮めてくる異性なんていただろうか。

「メヒスト……でいいんですか?」
「もちろん。ではカノン、次は敬語なしでいってみようか」

 いってみようかってなに。
 ぐいぐいくる殿下に平静を装いつつもたじたじである。

「レッスンみたいですね」
「いつかパーティーにカノンも出席するようになったら否が応でも、僕たちがどんな関係なのか見定められる。もちろんそのためだけの理由じゃないが……形からでもいい、仲を深めていきたいと思っている」
「メヒストは純粋ですね。真っ直ぐで、かっこいいです」

 瞳を交わせたまま間が空いた。

「カノン、名を呼んでくれたのは嬉しいが敬語が未だはずれていない」
「メヒスト。私もあなたとこれから仲を深めていけたらと思います。なので、敬語は少し待ってもらえないでしょうか」
「わかった。すまない、強要するような真似を」
「いえ、年上相手に敬語をすぐはずす度胸がないだけです。形だけの関係にならないようにしてもらえるのは、ちゃんと接してくれているようで嬉しいです」
「君は本当の純粋さを持っている。何気ない言葉で心を震わすというのはそういうことだよ」

 そんなことを言ってくれたけどよくわからなかった。
 メヒストの第一印象は誠実な人だった。その印象通り真面目で、目を離すことなく見つめてくる。表情はずっと柔らかいし、話すたび微笑む。
 なんていうか、天使っているんだなって。

「そんな感じ」

 眠る時間になって自室のベッドに座る私は、クッションの上に座っているスウェンにメヒストのことについて語った。
 どんな返答がくるか待っているとなぜか鼻で笑われたのである。

「なにその反応。スウェンが聞いてきたから話しただけだよ」
「天使とか……それも男に対してそんな表現の仕方あるか」
「辛辣。スウェン、黒猫になってから辛辣! 猫になったら中身までツンツンしちゃうの?」

 メヒストとの仲はどうだと聞かれ答えたはいいけど、なんなのだろうか。
 私の知る人間のスウェンだったら、何も言うことがないなら鼻で笑う選択があってもどちらかというと黙ると思う。
 なのに今のスウェンはツンツンどころかどんよりしている。黒猫だけに。

「別に。俺は変わったつもりはない。変わったと思うならお前の気のせいか、本当の俺を知らなかっただけだろ」
「そんなことない。スウェンは優しい人だって思ってるもん」
「優しいっていうのは、なんでもうんうんはいはい言うやつか?」
「なに言ってるの」
「相手が変わったと思うときは自分が変わっていることが多い。お前が変わったんじゃないか?」
「私が変わった? もしそうだとして、なんでそんないけないことみたいに言うの。そもそもスウェン、名前で呼んでくれないしお前呼ばわりだし。そこ変えてよ」
「ほら、な。俺がお前の呼び方に今まで何も言わなかった。なのに今はどうだ。変えてと強要か」
「意味わかんない」

 お互いにいらいらする場面のはずなのに、スウェンからはそんな雰囲気が感じられない。何も変わってない、まるでそう言いたげに仏頂面を向けられたまま。

「スウェン何もわかってない。私がどんな思いしているのか、どんなことを……ーー」

 そこまで言って察した。こういう強要がいけないのだ。

「そんなのスウェンには関係ないもんね。スウェンもいい迷惑だよね、そんな猫の姿にされて。私を見守れって言われたんだよね。でももう帰っていいよ」

 いつからこんなわがままになったか。スウェンはこんな私を見放すだろう。
 この世界ではない元の世界で私は死んでしまっている。それを知ってから、いや、殿下と偽装結婚してから変わってしまったーー私が。
 アトリシアから抜け出してクレイモアに来てセナ王に殺される心配はなくなったけど、いつコーラス王に愛想つかされるか。メヒスト王子がいつまで飽きずに接してくれるか。

「帰っても、イデルにかえされる」
「そうかもしれないね。けど、帰って」

 冷たく言い放てばスウェンは静かにいなくなってしまった。
 余裕のない人間は哀れすぎるものだな。
 こうして誰かを傷つける。この世界に来たばかりの私に、私の正体を知ってなお優しくしてくれた人を。私はまだ理解ができないと自分の立場を否定する。
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