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十八、皇帝と精霊王

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「……と、言うわけですにゃ」
「そうか」

 数多の光が舞う空間で、空に浮く椅子に座る精霊王の膝で甘えながらシルクは報告を終えた。
 ユリーシアの騎士として、何かあれば精霊王に伝えるのは当然のこと。
 シルクはユリーシアと男の子の間に始まった甘酸っぱいものも報告したが、それはあくまでもついでである。

「我が愛し子のいる後宮に、端とはいえ侵入したか」
「どうやら、水の妖精が手伝ったみたいですにゃ」
「まあ、そうだろうな」

 精霊王は深く頷く。
 シルクの喉をごろごろと鳴らし撫でながら、思案した。
 デイグレード帝国の後宮は、護りに厚い場所だ。
 そこに妖精が関わったとはいえ、騎士見習いが入り込んだのは痛い話である。

「悪意がなく、正真正銘の帝国所属騎士であったのが救いよ」
「ですにゃあ」

 様々な要因により出来た偶然のものとはいえ、前例ができたのだ。
 デイグレード帝国に深く関わる精霊王としては、動かざるえない。
 愛し子とその家族に、事が起きてからでは遅いのだ。

「あの子が、ユリーシアさんと会えなくなるのは悲しいですけど、安全第一ですからにゃあ」
「いや、その者は会いには来ないだろう」
「にゃ?」

 不思議そうにするシルクに、精霊王は微笑む。

「人間にはままある、男の意地よ」
「かっこいいにゃあ!」

 膝ではしゃぐシルクを撫で、精霊王は言う。

「皇帝と会おう」



 ヴィザンドリーはすぐさま異変に気づいた。
 満天の夜空と、様々な色を放つ光が舞う空間。
 顎に手を当て、落ち着き払った様子で辺りを見渡す。

「ふむ、ここが精霊宮、か」

 精霊王の玉座がある、精霊が誕生し、終わりに集う場所だ。
 舞う光は、精霊の赤子だろうか。

「参ったな。政務が押しているのだが」

 執務室でジューリスと仕事をしていたが、気がつけば精霊宮に立っていた。
 ヴィザンドリーは、上を見た。
 そこには、圧倒的な存在感のある男性が玉座たる宝卵石【ほうらんせき】に座っている。
 膝に誰かを乗せているようだ。

「貴方が、精霊王だろうか?」
「いかにも」

 応えると、精霊王が玉座とともに下がってくる。
 自然と膝に座る誰かも見えた。
 銀髪に榛色の目をした幼子を見たヴィザンドリーは、鋭い眼差しを精霊王に向ける。

「屈辱を私に与えるおつもりか?」

 射殺さんばかりの目をしたヴィザンドリーに、精霊王は満足げに笑う。

「うむ、良い目よ。もう、よいぞ」
「わかりましたにゃあ!」

 愛する息子の姿をした何かが返事をすると、すうっと姿を消した。
 微かに足音がしたが、すぐに聞こえたくなる。

「さすがは、我らが愛する国の長たる者。そなたは、紛い物などに惑わされぬようだ」
「いかに姿を似せようとも、間違うことはありえない」

 はっきりと告げたヴィザンドリーを、精霊王は目を細めて見る。

「ふふ、さすが親子よ。愛し子も、間違えなかったわ」
「愛し子……?」

 ヴィザンドリーの訝しがる声に、精霊王は頷いた。

「そうだ、精霊王たる我の愛し子よ。金色の姫と言えばわかるか?」
「まさか……」

 目を見開くヴィザンドリーに、精霊王は愉快そうに笑う。
 それには馬鹿にした響きはなく、ただ楽しそうなのだと伝わるものだった。

「そなたの娘には、加護が必要であった。人の身でありながらも、気づいておるだろう? 悍ましき闇に落ちた、憐れな魂たちを」
「……ユイジットの王族か」

 そうだ、と精霊王は言った。

「あやつらも、元々は違ったのだ。人並みに幸福を得る人間らしい人間であったのよ」

 精霊王の言葉に、ヴィザンドリーは黙る。
 今より過去。
 十四歳であったヴィザンドリーは、父親に連れられユイジット王国に初めて訪れた。
 王族は穏やかで、幸せに満ちていた。
 中心にいたのは、今は亡き王妃だ。
 もうすぐ子供が生まれると、お腹に手を当て愛おしいと見つめていた。
 周りに集まる王子や姫たちに、生まれたら優しくしてねと微笑む姿にヴィザンドリーは、幸福とは何かを感じ取ったものだ。
 だが、今の彼らは……。

「我らの愛する皇帝よ。人間は弱いものだ。そなたは、ああはなるなよ?」
「当然だ」
「あやつらは、王妃の願いを踏み躙った。愛は言い訳にはならず、憎しみを理由とするには罪深い」

 精霊は、人間を愛している。
 神々が慈しむ人間を、神々を真似て近づき、そして真に愛したのだ。
 精霊王にとって、愛する人間が道を踏み外す様を見るのは辛いことだろう。
 だが、愛したからこそ、罪を許してはならないのだ。

「……彼女は、恐れていた」

 十四歳のヴィザンドリーは、王妃と話したことがある。
 彼女は、深く子を愛し、それゆえに恐れていた。

「ああ、あやつらは王妃の恐れるものを、実現してしまった」
「愚か、と。私にはそれしか言えない」

 ヴィザンドリーは、ユリーシアを思い浮かべた。
 輝く笑顔で抱きついてきてくれる姿を。
 アインを抱きしめ、愛する姿を。
 そして、エリザベートを唯一の母として憧れ、慕う姿が鮮やかに浮かぶ。

「もし、あやつらが愛し子に悪意をもって傷つけようとするならば、まざまざと教えてやればよい。愛する者に絶望を与えたと知れば、さすがに正気ではいられまい」
「ユリーシアは、娘には傷一つ与えないよ」

 微笑むヴィザンドリーに、精霊王はそうであろうと思う。
 彼は、家族を護る。
 その為ならば、容赦をしない男だ。
 たとえ、ユリーシアに面差しの似た、彼女と血の繋がりのある者たちが命乞いをしようとも、許しを与えない。
 彼は、護るものを違えないのだ。

「……絶望した魂には、何の救いにもならないがな」
「精霊王……?」

 ふっと、精霊王は笑う。

「ああ、そうだ。そなたに伝えたかったのは、愛し子の話と後宮の護りについてだ」
「後宮の? 何か、あったのか?」

 家族に関わる後宮を出せば、ヴィザンドリーは顔色を変える。
 彼は皇帝としては平静でいられるが、ここ精霊宮では多少感情が素直になってしまうこともあり、動揺を隠せられなかった。

「なに、心配するな。後宮の端。西側に、騎士見習いが迷い込んだのだ。だが、立場を弁えておるからか、奥には行ってはおらぬよ」
「そうか……、ふむ。警備の交代時間を変則性にして……」

 思考するヴィザンドリーには、悲しげに目を伏せた精霊王の姿が見えなかった。

「伝えるべきことは、伝えた。後は任せよう」


 ふっと、意識が落ち、浮上した。
 手には、羽根ペン。
 目の前にある机には、書類の束が見えた。

 ――戻ったか。

 勝手に呼び寄せ、要件が終わればさっさと帰す。
 物語にあるように、精霊とは気まぐれだ。

「陛下、ユグレシア公国の大使からの要望ですが……」
「すまない、ジューリス」

 精霊宮に行く前と変わらず、政務を手伝う乳兄弟にヴィザンドリーは言葉を遮った。

「それが終わったら、後宮の警備について話し合いたい」
「何か、ありましたか?」
「まあ、色々とね」

 疲れたように笑うヴィザンドリーに、ジューリスはため息をつく。

「わかりました。日付が変わる前には終わるように全力をだしましょう」
「ありがとう」
「いえ、陛下の為ですから」

 苦笑するジューリスに、ヴィザンドリーは頷いた。

「ディアに恨まれないように、私も頑張ろう」
「妻は、仕事を真面目にする私を愛していますから」
「惚気か」
「陛下には敵いませんよ」

 そして、二人で和やかに笑う。
 窓の外は真っ暗だ。
 まるで精霊宮のように。
 ふと、思い出す。
 希に死した後に絶望する魂がある、と。
 深く悲しむ魂は、神々のもとには行けず、精霊王が癒えるまで保護をすると。

「まさか、な……」

 否定はするが、それはおそらく当たっているだろうと、ヴィザンドリーは苦く思った。 


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