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30.遊び心

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 最初の授業は滞りなく終わった。今は、休憩時間だ。

「ユーキ、遊びに行こうぜ!」
「学校の、野原には、ブランコもすべり台も、あるんだよ」

 お兄ちゃんがさっそく、ゲルトくんとサリュくんに誘われている。

「ブランコ、すべり台……」
「ん、ユーキ。それ知らねーの?」
「知らない」
「ふ、二つとも楽しいよ!」

 ゲルトくんとサリュくんに誘われて、お兄ちゃんはこくりと頷いた。
 私はその様子をちらっちらと見ていた。

「サキちゃん、過保護だよー」
「エミリちゃん」

 私の席にやってきたエミリちゃんが、笑いながら言う。カレンちゃんも、笑っている。

「サキちゃん、そんなに心配しなくても」
「ユーキくんだって、男の子なんだからー」
「それは、分かってますよ……」

 だけど、私は知っている。泥棒野郎のせいで、人形のようになっていたお兄ちゃんを。
 それを思うと、心配せずにはいられない。

「そんなに心配なら、サキちゃんもついていってみたら?」
「サキちゃん、外で遊ぶことも多いから、別に変じゃないよ」
「それです!」

 エミリちゃんとカレンちゃんの提案に、私は飛びつく。
 そうだよ。私がお兄ちゃんを見守ればいいんだ。

「そうと決まれば、さっそく行かなくては!」
「あっ、サキちゃん」
「案外、突っ走る性格だねー」

 席を立ち、教室の外へと飛び出す私に、二人の声が聞こえたけど、止まるわけにはいかない。私には、使命があるのだから。

 学校の野原では男の子だけじゃなく、女の子も遊んでいる。ブランコとすべり台は、特に人気だ。

「お、お兄ちゃんは……っ」

 きょろきょろと見渡せば、いた! ブランコだ。
 お兄ちゃんはブランコに座って、きょとんとしている。

「ユーキくん、こがないと……」
「こぐ?」

 お兄ちゃんが不思議そうに、聞き返す。
 あー……、案の定だ。お兄ちゃん、遊び方分かってない。

「ブランコは座っているだけじゃ、駄目なんだ」
「どうするの?」
「えっとね……」

 サリュくんが、説明しようとした時だった。

「こうやるんだよ!」

 ゲルトくんがお兄ちゃんの座るブランコに、後ろから飛び乗りお兄ちゃんを乗せたままブランコをこぎだしたのは。
 ブランコはみるみるうちに、高く揺れていく。あ、危ないよ! ブランコ初心者のお兄ちゃんに、それは刺激が強すぎるんじゃないの!?

「わ……っ!」

 お兄ちゃんは、ブランコの紐を強く握り締めている。だ、大丈夫? 怖がってない?

「ユーキ! 目を瞑ってないで、開けて見ろよ! 凄い景色だぜ!」
「え……?」

 お兄ちゃんが固く閉じていた目を開ける。そして、目を見開く。
 お兄ちゃんの頬に、朱が差す。

「空が、近い……!」
「だろー!」
「それと、地面も近い……!」
「その差が面白いんだよ」
「楽しい……!」
「なっ。ブランコいいだろ?」
「うん」

 今やお兄ちゃんは、ブランコの虜になってしまわれた。
 あのキラキラした目! うさっちょのお菓子を食べる時以外、見たことなかったよ。お兄ちゃん、また一つ子供の階段を登ったんだね……。

「私は、嬉しいよ」

 すっと、指で涙を拭う仕草をする。実際のところ涙は出ていない。ノリである。
 ブランコを堪能したお兄ちゃんたちは、次はすべり台に向かっていった。む、興味が移りやすいのも、子供らしくていいね!

「ユーキくん、すべり台は……」
「分からない」
「簡単だぜ! こうだ!」

 ゲルトくんが、すべり台を勢い良く滑っていく。下まで滑り終わると、すべり台の上にいるお兄ちゃんたちを見る。

「これはブランコと違って、コツはいらないからな」
「分かった」
「じゃ、じゃあ、僕から行くね」
「うん」

 ゲルトくんがどいたのを見計らって、サリュくんが滑る。楽しそうだ。
 そして、次はお兄ちゃんの番だ。
 お兄ちゃん、ちゃんとできるかな。
 お兄ちゃんはすべり台に腰掛ける。真剣な表情だ。

「おう、ユーキ。どーんと滑れ」
「気をつけてね」

 ゲルトくんとサリュくんが、声をかけている。お兄ちゃんは、深く頷いた。
 そして、意を決してすべり台を滑る。
 するするー。
 お兄ちゃんは、無事に終着点までたどり着くことが出来た。ふう。私は、出ていない汗を拭う。

「面白い……!」

 お兄ちゃんが、キラキラの目で言う。

「おう、そうか!」
「僕も、すべり台好きだよ」
「もう一回滑りたい!」

 お兄ちゃんは、すべり台も気に入ったようだ。
 今にも走り出しそうなお兄ちゃんを、ゲルトくんが止める。

「気持ちは分かるが、すべり台には『じゅんばん』というのがある。だから次は俺の番だ。遊びにはじゅんばんが必要だ。覚えとけよ」
「分かった!」

 ゲルトくん、すっかり先輩気取りだ。
 いつも教えられてばかりだから、誰かに教えるのが楽しいのだろうな。微笑ましい。
 お兄ちゃんは、ちゃんと順番待ちをして、すべり台を堪能していた。
 そこまで、見届けて私は教室に戻ることにした。


「あ、帰ってきたー」
「お帰りなさい、サキちゃん」
「サキ、あんたユーキを心配して見に行ってたんだって?」

 教室に戻れば、エミリちゃんとカレンちゃんの他に、リューンちゃんも加わっていた。

「し、仕方ないじゃないですかー。お兄ちゃんは、遊び初心者なんですから!」
「初心者って……。大丈夫だって。男の子は打ち解けるの早いんだからさ」
「まあ、そうでしたけど! 私、ちょっと過保護でした」

 反省、反省。
 お兄ちゃんをもっと信用しないとね。

「でも、ユーキくんが皆と仲良くなれて良かったね」
「はい!」

 カレンちゃんに言われて、私はにこにこと返事をする。

「ユーキ、すっかり馴染んでんねー」

 リューンちゃんの言うとおり、教室の窓から見える野原では、他の男の子たちと合流したお兄ちゃんが見える。
 すっかり我が校の男の子だ。

「良いことだよー」

 エミリちゃんは、うんうん頷いている。

「これで、級友も十三人ですねー」

 不吉な数字だとか言っちゃ駄目だよ。
 お兄ちゃん、早くもクラスに慣れたみたいで良かった良かった。
 もう、人形みたいなお兄ちゃんは、いないね!
 お兄ちゃんは、お兄ちゃんなんだから。もっと、たくさん楽しんでいいんだからね。
 こうして、休憩時間は終わりを告げた。

 学校の帰り道。
 今は、お兄ちゃんと二人きりだ。

「どうでしたか、学校は」
「楽しかった!」

 お兄ちゃんは、凄く興奮しているようだ。いつもより、表情が輝いている。

「お友達出来ましたか?」
「ゲルトとサリュ」
「即答ですか。妹は嬉しいですよ」

 私はほろりとした。お兄ちゃんに、友達が出来た。なんと喜ばしいことか。

「ゲルトはブランコが凄いんだ。サリュは、草花の知識が豊富だった。どれも僕にはないもので。他の子たちも……」

 お兄ちゃんは、延々と語っていく。それだけ、学校は刺激のある場所だったのだろう。

「なあ、サキ」
「はい、お兄ちゃん」

 お兄ちゃんは微笑んだ。優しい、温かな笑みだ。

「友達、いいな」
「はい! お兄ちゃん!」

 私は嬉しくて、本当に涙が出そうだった。
 再会した時、お兄ちゃんは表情がなくて、生気すら感じられなかった。
 それなのに、今のお兄ちゃんは輝いている。目もそうだけど、全身で生きているのだと発している。
 嬉しい。お兄ちゃんが、人形じゃなくなって、本当に嬉しい。

「お兄ちゃん、手を繋ぎましょう」
「うん」

 お兄ちゃんの手、温かい。
 いつもより、体温が高いのが分かる。

「お兄ちゃん、帰ったら。うさっちょのカップとうさっちょのお菓子でお祝いですよ」
「ん、何かあったの」
「とっても、いいことがあったんですよ」

 お父さんも、きっと喜んでくれる筈だ。

 夕食。
 お兄ちゃんは、いつもの倍以上話した。

「で、ゲルトとサリュは凄かったんだ」
「そうですか。楽しんできたようで、何よりですよ」
「お兄ちゃん、ちゃんと順番を守ったんです」
「それは、偉い」
「じゅんばんは、大事なんだ」

 お父さんへの報告会は、終始和やかなものだった。
 お父さんも、お兄ちゃんのことを心配していたのか。仕事をいつもより、早く切り上げていた。本当に分かりやすいお父さんである。

「エリーゼ先生も、凄く優しかった」
「エリーゼ先生は、いっぱい誉めてくださいますからね!」

 私もエリーゼ先生を誉める。
 お父さんは目を細めた。

「彼女も、村にきて。ようやく自分らしさを見いだした人ですからね」
「え……?」
「どういうこと?」

 お父さんの言った意味が分からず、私とお兄ちゃんは首を傾げる。

「大人には、色々あるってことですよ」

 お父さんはそう言って、話を締めくくった。

 リディアムくんの通信も終わり、後は寝るだけになった私は、布団に潜り込む。
 お兄ちゃんを見れば、既にお布団のなかだ。

「サキ。体はくたくたなのに、寝つけそうにない」
「それは、今日をめいっぱい楽しんだからですよ」
「楽しむって、いいね」
「はい」

 私たちは向かい合わせになる。お兄ちゃんは微笑んでいた。

「僕。サキや父さんと一緒に暮らせるだけで、幸せだと思ってた」
「はい」
「サキとうさっちょのお菓子を食べて、一緒に過ごすだけでいいと思ってたんだ」

 だけど、とお兄ちゃんは続けた。

「今日、ゲルトたちと遊んで。一緒に勉強して分かったことがある」
「何ですか?」
「僕は、凄く寂しい子供だったんだって」
「お兄ちゃん……」

 私が思わず、何か言おうとしたら、お兄ちゃんは首を横に振って制した。

「僕は、本当に色んなことを知らなかったんだ。今日を通じて、僕は心の底から言えるよ」

 そう言うと、お兄ちゃんは笑みを深めた。

「サフォーのクソ野郎って」

 この瞬間、お兄ちゃんはようやく、泥棒野郎の呪縛から解き放たれたんだと思う。
 私は、嬉しくて。ニヤリと、口元を上げた。

「泥棒野郎には、当然のことです」
「うん」

 私たちは、くすくす笑った。
 今日がお兄ちゃんにとっての、新たな出発となったことを祝して。
 きっと、今夜は星が綺麗だ。
 そう思いながら、私はお兄ちゃんと夜遅くまで話した。
 明日は、今日よりもっと楽しくなる。
 そう確信して。
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