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本当の復讐相手を伝える話

誰が、彼女を……。

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 とある国の王太子殿下には恋人がいた。
 愛らしい笑みが魅力的な、子爵家の令嬢だ。
 その恋人が殺されてしまった。
 王太子殿下との逢瀬を楽しんだ帰り道にある、小さな林の奥で息絶えた姿を発見されたのだ。
 彼女は愛されていた。
 特に王太子殿下の側近として仕えていた子息たちからの関心は強く、王太子殿下との報われない恋を応援されていたのである。
 王太子殿下には、国により決められた婚約者がいた。
 結ばれるのが難しい二人を、彼らは支えたいと強く願っていたのだ。


「ラフォーヌ侯爵令嬢!」

 王宮にて、王妃様との茶会を済ませ帰ろうとしていたファラミリアは先導をつとめる侍女とともに足を止めた。
 振り返れば、顔を真っ赤にした王太子殿下の側近たちが睨みつけてくる。
 ファラミリアは無言のまま、彼らを静かに見つめた。
 彼女は常にそうだ。
 何があっても、動じない。
 それを常々側近たちは苦く思っていた。
 王太子殿下の婚約者であるファラミリアへの無礼な態度に侍女が口を開こうとするのを、ファラミリアが視線だけで止める。
 そのまま側近たちに凪いだ目を寄越した。何を言いたいのかと、促すように。

「何故、何故、ディア殿を殺したのだ!」

 側近のひとりが叫ぶ。
 ディアとは王太子殿下の恋人であった子爵令嬢の名前だ。
 続いて他の者も口を開いた。

「それほどまで許せなかったのか!」
「ディアを消すほど、殿下を求められたのか!」
「殺さずとも、引き離せば良かっただろうに!」

 激高する彼らにファラミリアは冷めた目を向け、首を傾げた。

「……申し訳ないのだけど」

 美しい見た目に合う、華やかで凛とした声で彼女は言う。

「ディア、とは。誰かしら?」

 淡々とした言葉に、側近たちは怒りのあまり声にならない叫びを上げた。
 すぐさま王宮騎士たちがファラミリアと側近たちの間に立ちふさがる。
 ファラミリアを、激情に駆られた側近たちから守る為に。
 彼女は未来の王妃なのだから。

「行きましょう」
「はい」

 王宮騎士たちの向こうから喚く側近たちに背を向け、ファラミリアと侍女は歩き出す。
 既に側近たちから興味は失せていた。
 そんなファラミリアを、憎しみを込めて見つめる存在がいた。



 王太子殿下の恋人がいなくなろうが、ファラミリアの日々に変化はない。
 未来の王妃として学び、相応しい振る舞いをするだけである。
 そうして過ごす日常のなか、異変が起きた。
 寝静まるラフォーヌ侯爵家。その一室に、侵入者が現れたのだ。
 小柄な侵入者は、冷たいナイフを手にしていた。
 その先には侵入した寝室の主であるファラミリアがいた。
 だが、彼女は寝台ではなく、横にあるお気に入りのソファーに座っていた。

「まあ、驚いた」

 言葉とは裏腹に、彼女の声は平坦である。
 しかも侵入者を見てもいない。
 手にしていた書類を見つめたまま話す彼女は、常と同じく冷静である。
 寝間着姿なのは、書類を確認し終わったら就寝する為であった。

「貴方、淑女の部屋に先触れもなしに訪れるのは無礼でしてよ」
「……」

 無言で憎々しげに見てくる侵入者に対して、ファラミリアは優雅にテーブルに置いてあるカップを手に取る。
 口をつけ紅茶を飲むと、ようやく侵入者に視線を向けた。その目に恐怖はない。

「その濃い赤みのある髪色と、湖面を思わせる目。そう、貴方。彼女の弟ね?」
「……あんたはっ、姉さんを知らないと!」

 低い声で唸る少年の顔立ちは、たしかに王太子殿下の恋人に似ている。
 ファラミリアは穏やかに頷く。

「ええ。お名前は知らなかったもの。関わったことがないのだから。お姿は、殿下と一緒にいたのだから、さすがに知ってます」
「なにを……っ」

 怒りが込められた声にファラミリアは小首を傾げる。

「殿下の側近たちにも思ったのだけど。わたくしが彼女と話す姿を見たことがあって? 貴方は、彼女からわたくしに話しかけられたと伝えられたことあるのかしら」
「それ、は」
「ないわよね。事実、言葉を交わしたことがないのだもの」

 少年は黙り込む。
 どうやら姉からファラミリアと何かあったなど聞いたことがないと、思い当たったようだ。

「それにしても、貴方手慣れてるわね?」
「は」
「我が家はそれなりに護りが堅いのだけど。もしかして、日常的になさってるのかしら」

 ピリッと、少年が殺気立つ。
 当たりだったようだと、その反応で理解した。
 そもそも、王太子殿下の恋人は爵位の低い家の者である。
 王太子殿下のそばという目立つ場所にいながら、排除されなかったのはそういうことだろう。

「ご子息に後ろ暗いことをさせるなんて、酷いご両親ね」
「……」

 姉に言及されると怒りを見せたが、両親に対しては思い入れがないようだ。
 実の息子に暗殺か、それに準じることを命じる親なのだ。好かれるはずもない。

「まあ、いいわ。そうね、ここまで入り込めたのだもの。ご褒美をあげましょう」
「なにを」
「お姉様の死について。真実を教えてあげる。でも、わたくしは一度も彼女に関わったことはないわ。これは本当よ?」

 姉の死に反応した少年を、ファラミリアは穏やかに制した。

「そもそもの話。わたくしは一度として、殿下に好意がある素振りや、好かれようとしたことすらないわ」

 少年の目がわずかに見開かれる。
 視線が揺れた。

「そう、思い出してくれた?」
「あんた、は。殿下を一度として、見ていなかった……」
「良かったわ、気づいてくれて」

 姉を殺された憎しみに曇ったままであったら、説明が面倒である。
 そうだ。
 ファラミリアは王太子殿下を見つめることも、寄り添うこともしなかった。必要がないからだ。

「何故……」

 少年の呟きに、ファラミリアは微笑む。

「まずは、王太子殿下のご両親たちの話をしましょうか」
「国王夫妻の?」
「あとは、先代国王陛下たちね」

 ファラミリアは書類をテーブルに置いた。
 問いかけるようにじっと見つめてくる少年に、ファラミリアは少し息をはいてから話し出す。

「今の王家は、貴方が思う以上に力がないの」
「そんな、わけが」
「我がラフォーヌ家の力に縋るしか、もう成り立たないのよ」

 驚く少年に、ファラミリアは緩く結んだ自身の髪を弄る。
 ファラミリアの髪は美しい。
 贅を凝らした最高級の香油で手入れをしているからだ。
 ラフォーヌ侯爵家では当たり前のように使用している香油も、今の王家では手に入らない。
 それほどまでに権威が落ちているのだ。

「現在の王妃様は、伯爵家の出であることはご存知?」
「あ、ああ。王子時代の陛下が熱烈に求められ、婚約者に据えられたと……」
「そうよ、王妃様はとてもお優しい方。でも、残念ながら、ご実家に力はないのよ。王子方の後ろ盾になりえないほどに」
「……」

 少年は無言だ。
 国王夫妻の熱愛は有名であるが、現在の王家に力がないゆえに、今は冷めた仲であるのも知れ渡っている。不仲を隠すにも、権力が必要だった。

「そして、わたくしは王太子殿下より七ヶ月早く生まれている。この意味がわかるかしら?」

 ファラミリアがすぐに王太子殿下の恋人が亡くなった理由を告げないのは、少しずつ情報を与え冷静になってもらう為だ。
 ファラミリアは、不幸な姉弟に少しばかり同情していた。
 静かに見つめてくる少年に、ゆっくりと話す。

「わたくしの家が王太子となる王子に合わせて子を成したわけではなく、王家の方がラフォーヌ侯爵家の第一子の誕生に間に合わせるように子を作ったのよ」

 貴族の家は子が腹に宿るのがわかる三ヶ月目頃から、大事を取ってひと月ほど発表を遅らせる。
 ラフォーヌ侯爵家もそうであった。
 ファラミリアの母親が妊娠四ヶ月目だと知った国王夫妻が、励みに励んだ結果七ヶ月差で現在の王太子殿下が生まれたのだ。

「王太子殿下の下には、年子で二人王子がいる。それほど、王家はわたくしを逃したくないの。わたくしをというより、我が家の力を強く欲しているというのが正しいのだけれど」
「今の王太子とあんたの仲が駄目になったとしても、次の王子を充てがうということか?」

 少年の質問にファラミリアは笑みを深める。
 少年がきちんと彼女の話を聞いているからこその、問いかけだからだ。

「ええ。わたくしが未来の王妃になることは揺らがない。だからこそ、わたくしが王太子殿下を愛する必要もない」
「……殿下の方が、あんたに愛される努力をしなくてはいけない」
「そうね。我が家を継ぐ妹には既に婚約者がいるもの」

 父親と仲が良い伯爵家の次男が、妹の婿となる。
 ファラミリアの王妃としての地位が揺らがないように、軽んじられることがないようにと父親が結んだ縁だ。
 妹には信頼できる男の息子を、と。
 両親は子供たちを深く愛しているから。

「王太子は、どうして……」

 少年が沈んだ声で呟く。
 最後まで言い切らないのは、言葉にすることで確信を得るのを恐れたのかもしれない。
 何故、そのような弱い立場で姉を恋人にしたのだろう、と。
 少年は真実に近づきつつある。

「あの方がわたくしとの関係で鬱屈した気持ちを抱えてしまうのも、わかるわ。本来であれば、祖母にあたる先代王妃様のご実家が後ろ盾となったかもしれないのだから」
「そうだ、先代王妃は最も力のあった将軍の娘だ。何故、王家を支援しない」

 少年のもっともな疑問には、苦笑で応えるしかない。

「先代様の時代は、王家に力があった。でも、先代様は権力を当然として、先代王妃様を冷遇したのよ」
「は……」
「世継ぎとなる子は、さすがに生ませたけれど。先代様は身分の低い女性を侍らし、先代王妃様を嘲笑した。先代王妃様のご実家を怒らせ、全ての愛妾を始末された頃に気づいても遅い。王家は急激に力を失ったわ」

 忠義の家を蔑ろにした代償は大きかった。
 先代王妃の家が王家から離れ将軍が替わる頃には、ほとんどの貴族家が王家を見限っていたのだ。
 愛妾たちの為に国庫を荒らし、その補填に税を上げたのが失望へと繋がった。

「本来であれば陛下は、身分の高い家と繋がるべきだったのだけれど……今の王妃様と出会ってしまった」

 それにより、王家の未来は次代に託すしかなくなったのである。
 王妃への熱が冷めた国王は現在苦悩しているようだ。
 お茶会での王妃の沈んだ顔を見れば、婚姻後の悲惨さはよく伝わる。
 周りが必死にした説得が、二人の愛をさらに燃え上がらせてしまった。
 先代国王は母親を苦しめたのを見てきた息子には、嫌悪されている。
 先代国王が諌めれば諌めるほど、逆効果となった。
 先代王妃は自ら入った離宮から出てこない。
 国王夫妻を止められる者はいなかったのだ。

「だからこそ、今の王家はわたくしに尽くすしかない。もう、理解できたかしら。わたくしには、貴方の姉君を手にかける理由がないと」
「……ああ」

 未来の王妃になるのが確定しており、替えがきく王太子という存在に執着する必要性がない。
 そして、少年は感じ取ったはずだ。
 ファラミリアは、今の王太子殿下を愛していないと。無関心なのだと。
 彼女は、姉を殺してはいない。

「なら、姉さんは、どうして……」

 苦しみに満ちた唸り声を出す少年に、ファラミリアは最後の情報を与えることにした。

「そうね、半年前かしら。王太子殿下と恋人が二人きりで密室にいることが多くなったそうよ。王宮の使用人が何人も目撃してるわ」

 そして、少年に質問する。

「貴方の姉君に専属の侍女はいるかしら? その方に聞いてみて。姉君に月の物は来ていたか、と」

 息を呑んだ少年の顔から血の気が引く。
 彼は真実に気づいただろうか。

「さあ、今夜のことは見逃してあげる。行きなさい」

 ファラミリアは優しい声で言う。
 少年はふらつきながらも、静かに頷く。
 彼からはもう、ファラミリアへの殺意は感じなかった。



 ファラミリアは王宮にいた。
 部屋で少年と会話してからふた月。
 国王から婚約者の変更を伝えられた。
 次の婚約者であり王太子となるのは、二番目に生まれた王子である。
 新たな婚約者は年下だが、誠実な性格で話も合った。
 ファラミリアは、婚約者が変更になることはもうないだろうと確信している。
 三番目の王子も、すぐに婚約者が決まるだろう。
 ふた月の間に、いくつもの婚約がなくなったのだ。
 そのどれもが前の王太子殿下に従っていた者たちだったので、三番目の王子と年齢や身分が釣り合う令嬢がいたのは幸運である。

「他の女性に肩入れする殿方は、誰だって嫌だものね」

 婚約解消の決め手は、前の王太子殿下の失脚ではある。
 だが、仕える相手の間違いを正すことができない者たちのそばにいても、無用な争いを生むだけだ。
 何より未来の王妃に詰め寄るような無能など、必要ない。
 彼女たちの家は賢い選択をしたのだ。
 王宮の中庭で、新たな婚約者を待つ時間でファラミリアは思う。
 あの少年は、姉の仇を取れたのだろうか。

「……きっと、できたのでしょう」

 ふた月の間に、前の王太子の噂を聞くことがなくなった。
 ただの王子に戻った彼がどこにいるのか。
 王宮の使用人を掌握しているファラミリアの耳にすら、何も入らない。
 王家は、今度こそ醜聞がもれないように必死になったのだろう。
 だから、彼の現在をファラミリアが知ることはない。
 それに。

「親子で同じところにいるのなら……ねえ?」

 生まれることなく消えた命。
 愛したのに、消された命。
 そして、復讐の為に消されたであろう命。
 きっと彼らは再会できたはずだ。
 それが幸せなことなのかは、ファラミリアには関係ないこと。
 彼女は定められた未来を、これからも進むだけなのだから。


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