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女王になる女の子が後宮を開く話

婚約者が別の女性を愛したので、私は私の道を行く

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 長い人生ならば、最低最悪の日ぐらいあるだろう。
 今日はそんな日なのだ、と彼女は思うことにした。
 とある王国の次期女王として育った彼女、ミリスティア王女は衝撃のあまり逆に冷静になった頭で考えた。

 国内の貴族の子息令嬢との交流を目的に入学した王立の学園にある中庭で、自身の婚約者が伯爵家の令嬢に愛を請い縋りつく場面に遭遇したのだから、やはり人生最悪の日である。
 目撃してしまった瞬間は嵐のような激情が心中に吹き荒れたが、すぐさま消えたのは日頃から受けている厳しい教育の賜物だろう。
 中庭は学園の中心にあるので、周りには休息を得に来た学園の生徒が大勢居るのだ。
 しかも、件の伯爵家の令嬢は多くの子息を虜にすることで名が知れた有名人。
 ミリスティアは、許されることなら今すぐに気絶したいぐらいだが、意識を強く保つ。
 ミリスティアの婚約者、将来の王配になるはずだったゼイルトン侯爵家の子息であるカインは端正な顔立ちを辛そうに歪ませ、ナイメア伯爵家の令嬢であるユリーシアの手を握り締めている。

「お願いだ、ユリーシア。私を選んでほしい」

 熱に浮かされたカインの眼差しを受けたユリーシアは、何とか手を離させようとしながら口を開く。

「いけません、ゼイルトン様。貴方は殿下の唯一の方です。それに私にも愛する婚約者がいるのです。どうかお手を離してください」
「リトミア伯爵子息よりも、私の方が貴女を愛している!」
「キルシス様は私を大切にしてくださいます。だからこそ、私もあの方に誠実でありたいのです。そして、どうか私のことは家名でお呼びください」
「嫌だ。何故だ、何故、私の気持ちをわかってくれない」

 聞こえてくる会話でわかる通り、ユリーシアという令嬢は常識人である。
 確かに多くの子息を虜にしている。
 だが、彼女自身はそれを望んではいないのだ。
 事実、ユリーシアが積極的に子息たちに近づいたことはないうえ、彼女が自身の婚約者を慕っているのは周知されている。
 なのに何故、多くの子息に愛されるのか。
 それは彼女が魅力溢れる存在だから、としか言いようがない。
 魔性の女。
 ミリスティアの兄である第一王子が言った言葉だ。

『ミリスティア、彼女は男の視線を独占してしまうほどの魔性の魅力があるよ』

 ミリスティアの兄には相思相愛の婚約者がいる。
 彼女がいるから自分の心は揺れないけれど、怖いぐらいの存在感がある、と兄は畏怖に似た目で言っていた。
 ユリーシアは、呼吸の仕方、立ち居振る舞い、眼差しの変化、全てが自然体のままで神秘に包まれているような雰囲気を醸し出しているのだ。
 外見だけで言えばけして絶世の美女ではない。
 兄曰く、ミリスティアの方が圧倒的な美があるらしい。
 それでも、顔の造形を超越した彼女の纏う雰囲気、空気感に男たちは魅入られてしまうのだという。
 だから、魔性の女なのだ。
 望んでいないのに、男を惹き付けてしまうのだから、それはどんな絶望であろうかと兄の話を聞いたミリスティアは同情したものだ。
 現に愛する婚約者の心変わりを見せつけられた今ですら、ユリーシアに憎しみを抱くことはないのだから。
 それは彼女の深い紫の目に恐怖と怯えがあるのに気づいたからだろう。
 しかも、その怯えが彼女の弱さを見せ、男たちは彼女を守らなくてはと更に熱狂するのだ。
 自分たちこそが、彼女を追い詰めているのに。

「愚かね」

 呟きミリスティアは歩みを進める。
 報われない愛の道化となった愚かで愛していた婚約者を止める為に。
 ミリスティアだって、傷ついている。
 カインを愛しているのだ。共に歩む未来を望んでいた。
 だが、悲嘆に暮れる時間をもらえるような甘い立場にはいない。
 ならば、進むしかない。


 多くの生徒の前で醜態を晒したカインは、今はゼイルトン侯爵家で謹慎となった。
 あと三ヶ月で卒業という時期だったので、このまま学園に通うことなく卒業式を迎えるのだろう。
 式には代理の者が出席する手筈なので、ミリスティアが彼に会うことは二度とない。
 学園の寮にある部屋で、ミリスティアは深く息を吐く。
 紙と羽根ペンを用意した机を見下ろしたまま、憂いを帯びた目を閉じる。
 涙は出ない。
 カインの心が自分から離れているのは気づいていた。
 だが、カインはミリスティアを気遣っていたし、婚約者の責務も果たしていた。
 ただ、熱を感じない目を向けられていれば、他に想う相手がいるだろうことは嫌でも気づいてしまう。
 それでも、カインが好きだった。
 醜態を見た今でも、嫌いになれない。
 婚約を結んだ幼い頃から、好きだったのだ。簡単には断ち切れない。
 けれど、ミリスティアは王となるべき者。
 冷静に冷酷に判断をしなければいけないのだ。
 カインとの婚約関係は続いている。
 騒動から三日。
 三日も、考える時間を与えられた。
 父親である現国王は、ミリスティアが下す判断を三日も待ってくれた。
 それは娘を思う情からだ。
 ならば、応えるしかない。
 ミリスティアは、椅子に座ると羽根ペンを手に取る。
 そして、王室の者が使用する紙に羽根ペンを走らせた。

『ミリスティアは王配を得ず、成すべきことを成すことを誓います』

 この文言の記された紙が国王の手に渡ることにより、カインは王配にはならないことが決定されるだろう。
 当然婚約は解消される。
 破棄とならないのは、学園内での醜聞でしかなく、ゼイルトン侯爵家が長く忠義を果たしてきた一族だからだ。
 ゼイルトンの忠義がカインを救い、その忠義によりカインの今後は明るくない。

『姫様、春にはサクラという花が満開になるそうです。大庭園で共に過ごせる栄誉をくださいませんか』

 東方にある国から贈られた花をつける樹木は王都の中心にある大庭園に植樹された。
 それが来年の春に花開くと聞いたカインは楽しそうにミリスティアを誘ってくれた。
 それがわずか半年前。
 そのすぐ後に、カインはユリーシアと出会ってしまった。
 今までは学科が違うことで交流のなかった二人は、学園が主催した音楽祭でたまたま座席が隣り合うことになっただけの間柄。
 音楽祭のあった一日の、僅かな時間に接しただけであるのに、ユリーシアはカインの心に根付いてしまったのだ。
 幼い頃から長い時間を過ごしたミリスティアより、半年という短い付き合いしかないユリーシアを彼は愛した。
 春に咲くサクラの前で、ミリスティアとカインが並び立つ日は永遠に来ないだろう。
 彼が好きだった。
 ずっと共にいたかった。
 だが、もうどうにもならない。
 二人の間にあった道は断たれても、ミリスティア自身の道は足を止めることを許さない。
 そっと息を吐き、ミリスティアは呼び鈴を鳴らす。
 すぐに侍従が入室し、ミリスティアの意思が記された紙は王宮へと運ばれた。

 騒動から四日目、ミリスティアはユリーシアのいる教室を訪れた。
 王族自ら赴くのは、社交界では有り得ない。
 これは大人の思惑が入らない学園だからこそできることだ。
 それが建前でしかなくとも、王宮とは違いすぐに行動に移せるのは有り難い。

「ナイメア伯爵令嬢はいらっしゃるかしら?」

 未来の女王の登場に教室に緊張感が走るなか、ユリーシアは落ち着いた様子でミリスティアのそばに寄る。
 そして、ユリーシアの隣には彼女の婚約者がいる。
 カインが騒然を起こした日から、ユリーシアのそばに必ずいることは報告を受けて知っていた。

「ミリスティア殿下、神々の光が照らしますように」

 これは王族に対する模範的な挨拶だ。
 ユリーシアに続くように彼女の婚約者であるキルシス・リトミア伯爵子息がこうべを垂れる。

「あなた方にも、神の祝福がありますように」

 ミリスティアも挨拶を返す。
 こういったしきたりは、時に息苦しくなるが、周りに自分たちは友好的な関係であるのだと示すには効果的だ。

「ナイメア伯爵令嬢、名を呼ぶことを許してくださるかしら?」
「光栄にございます」

 ユリーシアが微笑んで承諾する。
 微笑んでいるのに、感情があまり出ないのは紫の目が光の加減で淡く輝くからだろう。
 そして、言葉遣いも丁寧なのに、おもねるような媚びがない。震えず、通る声は耳に良く馴染む。
 呼吸の仕方、視線の動き、ひとつひとつが落ち着いていて、それでいて清らかな空気がある。
 確かに、同性であるミリスティアから見ても反発を感じにくい相手だ。
 これを自然にできるならば、男性の目を惹き付けてしまうのも頷ける。
 ミリスティアは女だから、男性の心の動きはわからない。
 他にも男性にしかわからない、何かが彼女にあるのだろうか。
 そう思考しながら、ミリスティアはユリーシアに笑いかけた。

「ユリーシア様、先日はお騒がせしました。王家の者として、恥ずかしく思います。騒ぎの元はこちらでしっかり対処しますので、ユリーシア様が安心して過ごせるよう願います」
「ミリスティア殿下のお手を煩わせてしまい、申し訳ありません。ミリスティア殿下のお心遣いに深く感謝いたします」

 安堵の笑みを浮かべたユリーシアは、隣に立つ婚約者と笑い合う。
 キルシスは言葉を発しない。
 ただ、ユリーシアの隣で優しい眼差しを向けている。
 羨ましいと、ミリスティアは思った。
 彼は口を出さないことで、彼女を守っている。
 ここで男であるキルシスがカインの行いに憤慨してユリーシアを擁護すれば、周りからやはり彼女は男を盾にする女なのだと捉えられてしまう。
 そうせずに、信じて隣に立つキルシスの存在はユリーシアにとってどれだけ心強いだろう。
 彼女が心を向けていない子息たちに恋い焦がれられ、愛を囁かれ続けても絶望しなかったのは、愛する婚約者が共にあったからなのは間違いない。
 ミリスティアも、そんな関係をカインと築きたかった。
 一瞬でも浮かんだ暗い感情を振り切り、ミリスティアはユリーシアを見つめる。

「お詫びになるかはわからないけれど、後日お花を贈りますわ。私の大好きな薔薇、気に入っていただけると嬉しいわ」

 誰かが息を呑む。
 ミリスティアの薔薇は、特別な薔薇だ。
 王宮にある温室でミリスティアが手ずから育てた薔薇は、彼女が信頼する相手にだけ贈っていた。
 つまり、ミリスティアは婚約者の愛を奪った相手になるユリーシアを憎んではいないと示したのだ。
 それが伝わったのか、ユリーシアとキルシスは深く礼をした。
 ミリスティアは、「では、私は自分の教室に戻ります。ごきげんよう」と微笑んで周りを見てから去った。
 これで、気持ちを落ち着ける為に要した日数分の償いになっただろうか。
 ミリスティアが動かなかった日数だけ、ユリーシアは様々な憶測に振り回されてしまった。
 傷ついたから、苦しかったから、何も考えたくなかった。
 それは当たり前の感情だけれど、未来の王としては御せねばならないものだ。
 ユリーシアは卒業後すぐにキルシスと婚姻する。
 その話が出たからこそ、カインは秘めていた気持ちを隠せなくなり暴走した。
 それはユリーシアとキルシスの今後に影をさしてしまう。
 だが、ミリスティアが動き、友好的な態度を見せたことで、悪い噂は消える。
 まだ成さねばならないことはあるが、愛し合う二人の未来に光あれば、ミリスティアも救われる気がした。


 王配を不要としたことで、ミリスティアの周りは騒がしくなった。
 そもそも、ミリスティアの国において王配は絶対に必要な存在ではない。
 王配に与えられる仕事は、他の優秀な臣下に振り分けられるものだ。
 王妃という存在ならば、教養があり優美な振る舞いがあれば、それは夫である王の評価に繋がる。
 だが、女王であれば、王配という存在の扱いは難しくなる。
 あまりに能力が高ければ、やはり男の王が良いとする国が出てくる。
 男優位の価値観である国は多いのだ。
 女王より優秀な存在は、女王の価値を下げる。
 ならば後宮を開き、高位貴族に次の王に一族の血を入れられる可能性があると示した方が有益だ。
 あとは女王が手綱を引き、寵を武器に貴族間の力関係を操る。
 それは方法としては悪くはない。
 ただ、女王が自身を道具とすることに割り切る必要はあるが。
 ミリスティアが王配としてカインを婚約者にしていたのは、現国王である父親からの愛情ゆえだった。
 多数の男を相手にするのは、心身を擦り減らす。
 そんな辛い思いをさせたくないと、国王はミリスティアに唯一の存在を与えたのだ。
 ユリーシアがカインに唯一という言葉を使ったのは、ミリスティアを慮ったからだろう。
 カインが女王の王配たる責務を放棄すれば、国の道具にミリスティアがなってしまうと強調していたのだ。
 何故、ユリーシアが理解してくれたことに、カインは気付いてくれなかったのか。
 カインのなかでのミリスティアの存在は、そこまで低くなっていたのか。
 王配を置き、ゼイルトン侯爵家以外の家が次の王の外戚になる可能性がなくなっていた。
 そこで起きた未来の王配自身が起こした醜聞。
 王家も次の王配を用意することができなくなった。
 貴族たちからの反発を招いてしまうのは避けなくてはならない。
 ミリスティアは、後宮を開かなければならなくなった。
 それは様々な家の子息を相手にするということを意味する。

 卒業式間近の学園は、静かだった。
 卒業式のひと月前から、式の準備が行われる為授業はなくなる。
 なので、学生は学年関係なく自宅に戻っていた。
 なかには学園にある図書館に通う為や、騎士科の生徒が自主的に訓練する為に寮に残っている。
 それでも少数ではある。
 ミリスティアは中庭の奥にあるあずま屋で過ごそうと思い、学園の寮に残っていた。
 王宮に帰るという選択肢もあるが、卒業したらすぐさま後宮が開かれることを考えると王宮から離れた空間に居たかったのだ。
 あずま屋の椅子に座り、目を閉じる。
 すると、透き通る音色が聞こえてきた。

「……ああ、あなたも居るのね」

 ミリスティアはほっと息をはく。
 ミリスティアは学園に入学してから、ここで過ごすのが好きだった。
 奥まった場所だから、学生の視線は遮られるうえ、ここは音楽室が近いのだ。
 ひとりで過ごすと、音楽室からハープの清らかな音色が聞こえてくる。
 他の楽器が混ざることはないから、音楽室のなかにある個室で練習している生徒なのだろうと思っている。
 男性なのか女性なのかは知らない。
 姿すら分からない奏者の音色は、いつもミリスティアを慰めてくれていた。
 カインの心が離れて傷ついた心も、ハープの音色が癒してくれる。
 ここは数少ない心穏やかでいられる場所だ。

「……卒業したら、あなたともお別れなのね」

 いつまでも聞こえる音色に、ミリスティアは寂しく笑う。
 こんな気持ちのまま卒業するとわかっていたのなら、音色の主を見つけ出し友人になれば良かった。
 それはミリスティアの心残り。
 道は固定されても、気持ちは自由なのだ。
 もっと行動すれば、違う心持ちでいられたのだろうか。

『私の行く先は決まっているけれど、貴方は違うでしょう? 強い意思があればなんでもできるわ!』

 それは、幼い頃に口にした言葉。
 夢を諦めようとしていた相手を勇気づけたくて、必死に伝えたもの。
 あの時の少年は、夢を叶えられただろうか。
 沈む気持ちに、過去の言葉は響かないけれど。
 それでも、輝く気持ちを自分は持っていた。
 それは、いつか取り戻せるだろうか。
 ハープの音色は、ミリスティアが立ち去るまで奏で続けられた。

 卒業式はつつがなく行われ、それに伴いミリスティアは正式に次期女王として認識されることになった。
 王妃が唯一産んだ王女であり、後ろ盾がなく野心もない側妃が産んだ第一王子よりも王位に相応しいとされ、恵まれた環境にいたのだ。
 役目を果たす時が来たのである。
 ミリスティアは前を向く。
 弱音は吐かない。
 兄は今でこそ相思相愛となったが、妹の治世に揺るぎがないようにと、王家への忠誠心が高い家の者を婚約者とした。
 母親である王妃は、王家に隙一つないようにと側妃と良好な関係を築いている。
 父親である国王からは、何かと気遣ってもらっていた。
 それら全てに報いなければならない。
 夜の帳が落ちた頃、ミリスティアは後宮に足を踏み入れた。

 一人目は、過去に王女が嫁いだことがある由緒正しい血筋の男性だ。
 優しく穏やかで、誠実な目をしていた。
 その様子は、恋に狂う前のカインによく似ていて苦しかった。
 しかし、彼は何も悪くはない。
 ミリスティアは、予め設けられていた期間通い、そして子が宿らずに終わると、次の者を招くことにした。
 後宮を開いた以上、せめて三人は違う一族から入れなければならない。
 ミリスティアは最初の相手を愛しこそしなかったが、好感を持っていた。
 そんな相手を物のように扱うのは想像以上に辛かった。

 二人目は、現在の宰相が選んだ。
 宰相の血筋であるが、実家の力が弱く、社交界ではあまり良い扱いはされないのだと言う。
 本格的な勉学に触れる機会はなかったというのに、話をすると理知的で退屈など感じさせない。
 このような人物こそ、臣下として支えてほしいと強く思ってしまう相手だった。
 彼との間にも、子は宿らなかった。
 ミリスティアは健康体だ。
 今までの二人もそうだ。
 相性もあるだろうし、気長に待てば成せた可能性はある。
 そもそも、二人併せてまだ八ヶ月しか時間は経っていない。
 ミリスティアも、まだ二十歳にすらなっていない。
 しかし、そういう要素が考慮されないのが後宮の現実だ。
 定められた期間が過ぎれば、貴族たちに次こそは我が一族からと要求が殺到する。
 王配とは強固な壁であったのだと、ミリスティアは痛感し、精神は削られていく。
 相手となった二人を蔑ろにしたくもない。
 ミリスティアは、少しずつ追い詰められていった。

 そして、後宮に三人目が招かれた。


「ようこそ、おいでくださいました。我が君」

 寝台の上で薄着の彼を見て、ミリスティアはひゅっと息を呑む。
 事前に三人目となる人物は知らされていた。
 だが、実際に彼を目にしても、ミリスティアは信じられない気持ちでいた。
 そんな馬鹿なと、渇いた笑いが漏れる。

「ユージン様、貴方はここに来てはいけない」

 ミリスティアは悲痛に顔を歪ませる。
 ユージン・ハーベルス。
 ハーベルス侯爵家の長男であり、ミリスティアの幼い頃の友人であった。
 カインとの婚約が整ってからは、周りの余計な勘ぐりを避ける為に疎遠となっていた。
 ユージンに婚約者がいたという記録はない。
 だが、情報などどうとでも弄ることはできるのだ。
 ミリスティアが即位していれば、彼女を誤魔化すことは許されない。
 だが、ミリスティアは現段階では王位に一番近い王女でしかない。
 子供思いの国王が、罪悪感を持たないようにと隠したのでは、と嫌な考えが浮かぶ。
 一人目は、三男だ。
 二人目は後ろ盾が弱い。
 しかし、ユージンは由緒正しい、正真正銘の家を継ぐべき人間だ。
 そんな彼に婚約者がいない? それを許される人物ではない。
 ミリスティアと同年で、同じ学園に通った仲だ。
 教養もある。
 美男美女と言われる両親に似た、素晴らしい容姿を持つ。
 学園の女生徒からは、髪と目の色から、「金糸で彩られた空の君」と呼ばれるほど注目を浴びていた。
 いくら美男子だからといって王女の婚約者であるカインに秋波を送る恥知らずが学園にいるはずなく、代わりにユージンに人気が集中していたはずだ。
 疎遠となったが、有力な貴族の情報は集めていた。
 だからこそ、理解できない。
 何故、ユージンが後宮にいるのか。

「愛する方と、引き離されましたか?」

 問う声が震える。
 いつかのユリーシアとキルシスが並び立つ美しい姿が浮かぶ。
 ミリスティアにとっての希望。
 ユージンにもそんな光輝く相手がいたとしたら。
 それをミリスティアが引き裂いたなら。
 こんな残酷なことはない。
 寒さからではない震えが体を揺らす。
 そんなミリスティアに、ユージンは穏やかに微笑む。
 子供の頃とは違う、大人の微笑み方に動揺してしまう。

「私は、婚約者を得たことは一度もありません」

 ユージンの言葉に目を見張る。

「幼き頃より私にはひとつの愛があり、それを貫く為にずいぶんとわがままを両親に言いました」
「やはり、愛する方が……」

 悲痛に震えるミリスティアを、ユージンはまっすぐに見つめる。

「夢を諦めかけた幼い私に、強い意思があればなんでもできると、勇気をくださったのは我が君です」

 その言葉は確かにミリスティアが、涙を流すユージンに送ったものだ。
 侯爵家を継ぐから、音楽の道を諦めると。子供の彼は泣いていた。
 ミリスティアは道が決まっていた。
 それは覆らないほど、強固に出来上がった道だ。
 だが、ユージンは涙を流すほど大切な夢がある。
 諦めてほしくなかった。
 まだ大人の思惑も、悪意も知らない子供であったからこそ、言えた言葉だ。

「何も理解しない戯れ言のような無責任さでした」

 友としてユージンを思うならば、より安定した場所を薦めるべきだったのだ。
 それをしなかった結果が、彼の後宮入りだとしたら、ミリスティアはなんと罪深いことか。
 ふるふるとユージンが首を横に振る。
 燭台に照らされた金の髪がきらきらと揺れた。

「いいえ。私は私の信ずる道を歩みました。全ては私の意思。その強さを貴女はもたらしてくれただけです」
「ですが、それが後宮入りなど……っ」

 即位前の王女が持つ後宮に何の意味があるのか。
 入れた者たちには栄誉があるだろう。
 入れられた者は、物のように扱われるだけだ。
 どんなに好感を持ち、大切にしたくとも。
 後宮では、全て闇に覆われてしまう。
 実感したからこそ、王配を用意してくれた国王の愛が本物であったと理解できる。
 陽の光ある場所で、対等にいたかった。
 燃えるような愛は抱けずとも、貴方達が大切なのだと伝えることはできなかった。それをしては重い覚悟を強いることになるのだ。
 寵愛は与えるには重い。
 様々な悪意に晒してしまう。
 だからこそ、ミリスティアは定められた期間以上は通わなかった。

「あ、貴方には、夢が、あるでしょう……っ」

 そう、彼には叶えたい夢がある。
 こんな場所にいてはいけないのだ。
 だが、ユージンは嬉しそうに微笑んだ。
 それは、翳った大地に差す一条の光を思わせるほど美しい笑みだ。

「叶いましたよ。我が君の後宮に入るのも私の夢でしたので」
「は」

 言われた言葉の意味がわからず、ミリスティアの口からは空気だけが漏れた。
 ユージンは、困ったように苦笑する。

「音楽の道は、在学中には達成しています。それに夢がひとつだけなど、もったいないことはしません。私はとんでもないわがままなので」

 どこか誇らしげな様子のユージンに、ますます困惑が深まる。

「期待してくれていた両親には多少の罪悪感はありますが、とっくの昔に後継者の座は弟に渡しています。弟が学園を卒業しましたら、発表することになっているんです。私の音色は評判が良く、学生の身でも構わないとお呼びくださるサロンはたくさんあります」

 そう言ってユージンが移した視線の先には、燭台だけが光源でもわかるほど丁寧に扱われてきたと思しき光沢のある、ハープが置かれていた。

「学園内では、我が君だけに捧げた音色です。いかがでしたでしょうか?」
「学園……ハープ、まさか」

 思い当たるのは、在学中穏やかに過ごせた中庭にあるあずま屋だ。
 清らかで、甘さを感じるハープの音色は忘れるはずがない。
 再びミリスティアを見たユージンが、僅かに頬を染めた。

「我が君だけを想い、奏で続けました」
「ユージン……さま……」
「どうか、唯のユージンと。私はもう貴女だけに捧げた身です」

 ユージンの空を思わせる目に、悔恨などない。
 本当に自ら望んで来たというのか。

「我が君、貴女から勇気をもたらされた日から、私の愛は貴女だけにあります。貴女が婚約された日からは、いつか開かれるかもしれない後宮を願い縋ってきた。そんな私を少しでも憐れに思うのなら、どうか情けをくださいませんか」

 ユージンは、ミリスティアの愛を希っている。

「私の寵愛を望むのですか?」
「貴女の愛があれば、どんな苦難をも呑み込みましょう」
「音楽の道、は」
「貴女の為に、曲を創り、そして捧げる覚悟は覆す気はありません」

 強い眼差しに、目眩がしそうだ。
 そもそも、後宮入りが夢とは。
 王配はいなくなったが、そうなる前では後宮は忘れ去られる運命にある。
 王配が存在した場合、女王の後宮を開くには条件があるのだ。
 まず、王配と婚姻関係になってから五年が経ち、まだ子供がいなければ開くことが可能となる。
 五年だ。けして短くない時間だ。
 五年もあれば、だいたいの女王は王配との間に絆が出来上がっている。
 他の男に身を捧げるのも抵抗がある。
 だから、歴代の王配のいた女王で後宮を開いたのは、少数だ。
 その少ない例も、他に兄弟が居ないからという理由であった。
 ミリスティアには兄がいる。
 もし、カインが王配のままであり子を成せなかったのなら、おそらく兄の子を養子にしていたはずだ。
 つまり、カインの醜聞がなければミリスティアの治世においても後宮は存在しなかったのだ。
 そんな低すぎる可能性に、ユージンは縋っていたという。

「後宮が開かれなかったら、どうしたのですか……」
「貴女の治世を賛える詩を広めたでしょう」

 揺るぎない意思のある発言に、体が熱くなる。
 ユージンの目には、強い光があった。
 それは、ミリスティアを強く求めている。
 ああ、と嘆息する。
 負け、である。
 カインに裏切られ自信を無くして卑屈になっていた心が、どんどん溶かされていく。
 完敗だ。
 そもそも、一途過ぎる。勝負を挑む隙すらない。
 そうだ。
 彼は。

「ユージン」
「はい、我が君」
「私は、貴方を愛しましょう」

 私の愛を、寵愛を受ける器を自ら用意してしまっているのだ。
 愛さずにはいられない存在だ。
 ミリスティアの言葉に、花開くようにユージンが笑う。
 それは、子供の頃に見たものに似ていて、そしてミリスティアの全身を包む熱さがあった。

「我が君、ミリスティア。私は貴女と共にあります」

 囁かれた言葉に、ミリスティアの頬を一雫の涙が伝う。
 ようやく、彼女は安心して泣ける場所を得たのだ。


 ユージンはミリスティアの寵愛を一身に受けた。
 愛する者の為に、ミリスティアは諦めや妥協を捨てた。
 そもそも、後宮は数人の為にあるには広すぎる。
 維持費と釣り合わない。
 だから、ミリスティアは後宮を教育の場所とした。
 後宮に入れられる者たちを、価値ある存在に引き上げるのだ。
 三男だから、なんだ。最初に選ばれた者だ。最高の教育を施した。どこに出しても恥ずかしくない!
 実家の後ろ盾が弱いなど些細なこと。彼は数多の学問を吸収した。素晴らしい人物だ!
 そう高らかに笑うミリスティアは、知識と教養を身に着けた二人に素晴らしい環境を与えた。
 ひとりは、落ち着きのある誠実な姿に惚れ込んだ高位貴族の跡取り娘に下賜された。
 妻の補佐も難なくこなし、使用人たちからの人気も高いそうだ。
 ひとりは、なんと宰相の後継者に抜擢されたのだ。
 実家の地位など関係なく、確たる知識と広い視野、何よりミリスティアにより与えられた全てを得たことで自信が付き、頼りになる人物になったと宰相は誇らしく笑った。

 それからも、後宮には様々な家から子息が送られた。
 ミリスティアがユージンを寵愛したことで、外戚などの野望は消えたが、一族のなかで質の良い教育を受けられない者にとって最高の場所となった後宮は、貴族たちからの支持も高かった。
 ユージンがいるので、毎晩のようにミリスティアが後宮に入るのも良かった。
 寵はないのは歴然としているが、後宮の主が常に気に掛けていることには変わりない。
 そんな後宮にいることは、子息たちの評価に繋がっていた。
 実際に、寵愛はユージンのみだが、ミリスティアは他の子息たちとも交流を持っていた。
 夕方に開催する皆で集まるお茶会という名の意見交換会だが、後宮に移された薔薇の温室を見るという贅沢で充実した時間であることに変わりはない。

 そうして穏やかに、張りのある生活をして数年経った頃。
 ミリスティアは珍しく夜を後宮ではなく、王宮の自室で過ごしていた。
 一人寝の寂しさに耐えつつ眠気が訪れた頃に、ふいに気配を感じて飛び起きた。
 燭台に灯りを付け、部屋を照らす。
 そして、誰かが居るのを見つけ、悲鳴を呑み込んだ。
 悲鳴を上げても意味がないことを、部屋にいる人物の正体がわかり理解したからだ。
 眼差しを鋭くし、睨みつける。

「何を考えているの。ゼイルトン子息」

 灯りの先に立ち尽くしていたのは、かつての婚約者であるカインだった。
 数年を経て精悍さが増しているが、長い間共に居たのだ。見間違うはずがない。

「ここに、貴方の居場所はないのよ。罰せられる前に出て行きなさい!」

 王族の寝室に侵入している時点で、地下牢行きは免れない。
 だが、カインの現状を憐れむ心で、見逃してやるつもりだった。
 寝室という場所も悪い。
 後宮の者ならまだしも、ユージン以外の者が寝室に居ると知られるのはおぞましいほど嫌だ。
 だから、立ち去れと更に睨みつける。
 カインは婚約者時代に王宮に通い、宮仕えの女官に可愛がられていた。
 その伝手を使い侵入したのだろう。
 今日の側仕えの女官を思い浮かべ、与えるべき罰を考える。
 そして、枕の下に仕込んである短刀を探りつつ、油断せずにカインを見る。
 醜聞を起こしてから初めて見たが、暗い場所で見ても容姿や服装に違和感はない。
 暮らし自体は良いのだろう。
 ゼイルトン侯爵家が下した処罰を考えるに、生活に困窮しているわけではなさそうだ。
 なら、何故今頃姿を現したのか。
 燭台だけが頼りの光では、カインの表情はよくわからない。

「……私に会いに来ても、ユリーシア様には会えませんよ」
「違う! 私はそんなことを、望んではいない!」

 ユリーシアがキルシスとの二人目を身篭ったことは社交界で話題になっている。
 近々、王宮に招く話を聞いて来たのだとばかり思った。
 あれ程熱烈に愛したユリーシアに会う為に、危険を侵したのだろうと。
 カインは、膝をついた。
 こうべを垂れ、許しを待つ姿にミリスティアは目を見開く。

「姫様、私は己の罪深さを知りました」

 婚約者時代の呼び名だが、ぞわりと鳥肌が立つ。
 カインに嫌悪感を抱く日が来るとは。

「私は、確かに彼女を愛した。それは反論できぬ事実です。ですが、あの日から姫様に会えなくなり、気が狂いそうでした。私は、貴女を当たり前の存在だと思っていた。だが、当たり前でなくなり、愚かな私は気づいたのです。私は姫様を」
「お止めなさい」

 あまりにも聞き苦しく、ミリスティアは遮った。
 昔は、彼の声に聞き惚れた。
 今は、愛するユージンの優しい声と音色を知ってしまった。
 もはや、昔には戻れない。
 ミリスティアは息を吐いた。

「顔を上げなさい」

 落ち着いたミリスティアの声に、顔を上げたカインは期待の込めた表情を見せ、直ぐに凍りついた。
 寝台から見下ろすミリスティアが、鞘から外した抜き身の短刀を自身の喉元に向けていたからだ。

「ひめ、さま」
「この場から立ち去らなければ、迷わず喉をつきます」
「なぜ、そんな」

 カインの震える声に、ミリスティアは笑いたくなる。
 何故、何故と言うか。

「貴方に我が身を与えたくないの。私の全ては愛する彼のもの。彼の全ても私のもの。貴方に与えられるものは何もない。貴方に穢されるぐらいなら命を断つわ」

 きっと、ユージンはミリスティアを追うだろう。
 共にあると誓ったのだから。
 彼の命が失われるのは嫌だ。
 本当は、ユージンの為ならどんな目でもあう覚悟はある。
 だが、カインだけは駄目だ。
 カインはミリスティアの愛を踏みにじった。
 ミリスティアの尊厳を見ずに、傷つけた。
 ミリスティアの苦しみは、カインから始まった。
 彼だけは許さない。
 許してはいけない。
 今が幸せにあるからこそ、カインという存在を許してはいけないのだ。

「わた、私は、貴女を……」
「無理よ。貴方は私を受け入れられない」
「そんなことは」
「だって、私はもう男を知っているもの」

 カインの目が見開き、蒼白になる。
 そう、カインがミリスティアを受け入れるわけがない。
 ユリーシアがキルシスのものになるのが耐えられないような男だ。
 カインは、真っ白な雪景色が好きなのだろう。
 他の足跡が既にある道を歩く気がないのが、カインだ。
 確信を持ったのは、ユリーシアの名を出しても執着がなかったからだろうか。
 ユリーシアは最初からキルシスしか見ていないのに。
 なんて、気持ちの悪い。

「後宮を持つ私が、清らかな体なわけないでしょう。そもそも」

 そこで、じっとカインを見る。

「そうなるようにしたのは、貴方なの」

 そう告げるとカインは膝から崩れ落ちた。

「まあ、最後の恩情で見逃してあげる。だから、大人しく女公爵様に婿入りしなさい?」

 喉を鳴らして笑うミリスティアを呆然と見つめるカインの目に、光はなかった。


 カインはゼイルトン侯爵家が責任を持って教育を施していた。
 将来の王配としての教育から、広大な領土を持つ公国への婿入りに必要な教育を。
 それは、高級な娼館から講師を招いてのものだ。
 公国の女公爵は、何人もの愛妾を持つ。
 その公爵に気に入られる為に、大事に大切に入念に教育をしたとゼイルトン侯爵家から報告があった。
 おそらくゼイルトン侯爵家当主であるカインの父親は、何をすれば正しく息子の罰になるかを理解していたのだろう。
 しかし、女公爵は愛情深い方だ。
 等しく愛妾を愛でている。
 そんなに辛い待遇はされないだろうに、カインには耐えられなかったようだ。
 危険を侵してまで王宮に忍び込むぐらいだ。
 しかし、侵入した日から数日後、彼は公国に婿入りを果たした。
 想定していた抵抗は一つもなく無事に済んだことに、送り届けた侯爵家の護衛たちは首を傾げたらしい。

「本当に愚かね」

 ユージンの部屋で膨らみが目立ってきたお腹を撫でて、ミリスティアは呟く。
 寝台の横で楽器の手入れをしていたユージンが不思議そうに見てくる。

「ミリスティア、どうかしましたか?」
「ううん、何でもない」
「そう?」
「ええ、それより先日の音楽祭はどうだったの?」

 にこにこと笑いかけるミリスティアに、ユージンは楽しそうに笑う。

「大盛況でした。例年以上の盛り上がりだったと領主様に言われました。皆、嬉しそうでしたよ」
「まあ、素敵ね」

 ミリスティアとユージンは声をひそめつつ、話す。
 ユージンは後宮に入った後も、演奏を披露していた。
 ユージンを愛するミリスティアが、彼の夢を潰すなどあり得なかったのである。
 外への演奏会には、今までとは違い多くの護衛をつけねばならないが、彼には音楽活動を続けてもらっている。
 先日の一人寝はユージンが地方に出向いていたからだ。
 久々の一人寝は寂しく、ユージンが帰った日には散々甘えたものだ。
 それにしてもあの時は暗がりで良かった。
 もしもカインがミリスティアのお腹に気付いていたら、暴走していたかもしれない。
 カインに穢されたくないのは本音だが、お腹の子は守り切る意思はあった。
 ユージンと子供達の為ならば生きる為に、死ぬ気で何でもする覚悟など出来ている。
 自身を騙すほどの強い意思を持てたからこそ、カインを圧倒できたのだ。
 だが、今回は恩情を与えたけれど。
 これが即位後であったなら、恩情ではなく凄惨な最期を与えねばならなかっただろう。
 そうなっていれば国内に多少でも混乱が出ていたのだから、手間がかからずに済んで良かった。
 必要なこととはいえ、即位したばかりの安定しない時期に血なまぐさいことはしたくないのだ。
 カインは短慮になっていたが、運だけはよいのだろう。
 その運がいつまで続くかは、彼の今後の行い次第だが。
 ミリスティアが居る寝台でもぞりと毛布が動いた。
 そこにはユージンの髪色を受け継いだ、幼い息子がいる。
 王子の誕生は大々的に発表されたはずだが、カインは知らなかったのだろうか。
 いや、後宮という場所も頭から抜けていたのを考えるに、彼は自分の都合の良い世界で生きているのかもしれない。

「この子が生まれたら、お兄ちゃんになるのよ」

 眠る我が子に微笑みかける。
 後宮のしきたりで、子供は五歳になるまではここで過ごす。
 本当はユージンのいない日も共に寝たかったが、後宮の部屋主がいない場合は泊れないのだ。
 やはり、しきたりは好きにはなれない。

「乳母は決まったのですよね?」
「ええ、近々王宮で会う予定よ」

 ユージンはミリスティア付きの女官に入れ替えと警備が強化されたことを知らない。
 ゼイルトン侯爵家の一族から、ミリスティアの孫の代までの間は王族に関わらせない約定ができたのも伝えていない。
 愛するユージンに、カインの情報が関わるなど耐えられない。
 もう終わったこと。このまま忘却の彼方にまで行けばいい。
 ミリスティアは愛する家族に囲まれ、幸福に満ちている。
 息子がぐずりだし、ユージンが子守唄代わりにハープを奏でる。
 今は女当主を公私共に支えている彼や、宰相補佐として輝かしい功績を立てる彼も、後宮で学ぶ皆が幸せな道を行きますように。
 ミリスティアは微笑み、願う。
 彼女の道の先は、輝くことだろう。
 
「愛してるわ、私のユージン」
「ええ、ずっと共に」

 愛し合う二人の笑みは、とても美しい。





※魔性の女は、意識せずに男性を虜にするそうです。
ミステリアスであったりと、惹かれずにはいられない魅力があるのでしょう。

お読みくださり、ありがとうございました!

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