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それは夜を統べるもの

空音の魔術師

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 持たざる者が持つことは無い。持つ者は持ち続けるが。マリオンが生まれたのはそういう時代だ。



 しかし身寄りのない哀れな子供が生き延びる事が出来たという意味では、彼女はまだ幸運だった方だ。

 下女として拾われ、下働きの日々であったが口に糊することは出来た。田舎ではあるが領主の元で働けたと言うのは大きい。



 とは言え、身寄りのない孤独な子供だ。過酷な境遇である事に間違いは無かった。



 年の比較的近い領主の息子は、本が好きで誰かに何かを教えたがった。彼女にも当然課せられた仕事はあったが、領主は息子の好きな様にさせた。子供の内から人に何かを教えるほどの教養を持つに至った息子の邪魔をすることも無いと。



 マリオンはそのおかげで幸運にも読み書きを覚えるに至った。



 しかし、領主の息子は程なくして変貌する。騎士物語に傾倒し、自分もその騎士の一員であるかのような言動を繰り返す狂人に。

 マリオンも最初の頃は当惑したが、そのうち慣れた。いや、それどころか悪く無いとさえ思った。年齢の近いマリオンを、彼はレディとして扱う。彼がまともであったならば周囲から妬みの一つも出てくるだろうが、相手は狂人。周囲はむしろマリオンに同情した。



 領主の息子とは言え、あんな狂人になつかれて、と。



 考えている事はまともでは無いのだろうが、しかし平常の彼の受け答えはむしろ紳士であった。時々鍋を頭にかぶったり、刃引きした飾りの剣を振り回したりしなければ。

 マリオンは半ばお目付け役の様な感じで常に彼に同行していた。対外的には嫌な役を負わされたように、しかし内心は自ら買って出て。



 そう、他の皆にとっては頭のおかしい狂人であったが、マリオンにとっては違ったのだ。端的に言えば、マリオンは彼を好いていた。

 普通ならば実らぬ恋だった。しかし彼は狂人と謳われ、誰も彼に近づこうともしない。彼に近づくのはマリオンだけだ。マリオンだけが、ずっと彼の近くにいた。



 やがて領主は頭痛の種である息子を、領地の端に流れる川のほとりの小屋に押し込んだ。勿論マリオンはさも心配な顔をして彼に付いて行った。

 領主からしてみれば誰かを選ぶ手間が省けたと言うもの。しかもマリオンは彼と年が近い。そういう事も含めて都合が良かった。そしてそれは、マリオンにとっても。



 彼にとって水辺の小屋はル・フェイの住処のように思えた。そしてそのル・フェイの住処には、確かに美しい女性が一人住んでいた。彼はマリオンをル・フェイだと信じて疑わず、またマリオンもそれに乗っかった。



 彼の書物でル・フェイについては知っていた。騎士を愛し、騎士に愛される妖精の魔術師。何と言う僥倖だろうか。自分がル・フェイであるならば、騎士を謳う彼は間違いなく自分を愛するはずなのだから。



 彼は自分の名前を言わなくなった。人々もそれを揶揄して彼の事を彼の名前で呼ばない。でもそれでいい。彼の本当の名前を私は心の中で呼ぶ。そしてそれをするのは、私だけでいい。



 このル・フェイの住処で、覚めない夢を見続ければいい。



 私の名前はマリオン・ル・フェイ。騎士を愛し、騎士に愛される妖精の魔術師。
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