アヤカシガラミ

サバミソ

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其ノ捌、深

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「んっ…」
眩い光が、障子越しに部屋を照らす。

あ、さ…?

いつも起床する時間より、周囲が明るくなりすぎている。
「!」
まさか、何故、寝過ごしてしまったのか。
とにかく急いで身支度を済ませねば、そう思いながら、伊丹は身を起こそうとした。
「…?」
しかし、腰回りに感じる強く固定されるような力に、伊丹の動きは妨げられる。

「なっ…!」
あろうことか、幻洛の腕がガッチリと巻きつかれていたのだ。
なんとか脱しようと身じろぐも、いつも薙刀を振るうその逞しい腕はビクともしなかった。

…そうか…、昨日…、幻洛さんと一緒に…。

昨晩の出来事を思い出し、伊丹は赤面した。
ただ寝るだけではあるものの、誰かと寝床を共にする事など今までなかったことだ。
そして自分でも理由がわからない程、安心しきって眠ってしまったのだった。

「ん…、伊丹…、おはよう…。」
伊丹が起き上がろうとしたのを感じたのか、眠そうな声で幻洛も目を覚ます。

気怠そうな声と表情。
着崩れた浴衣から見える太く逞しい首筋。
そんな幻洛が色っぽく見えてしまい、伊丹は思わず目を逸らしてしまった。

「おはようございます…、じゃありません!こんなに明るくなるまで寝てしまったなんて…!」
相変わらず腰に腕を巻かれており、立ち上がることが出来ず身動ぐ伊丹。
幻洛は面白そうに、ニヤニヤとしながらその様子を見ていた。

「ああ…俺はゆっくり二度寝させてもらったぞ…。」
「は…!?な、なんで起こしてくれなかったんですか…!」
驚愕する伊丹に、幻洛は相変わらず面白そうに答えた。

「伊丹の寝顔があまりにも可愛くてな。起こすのがもったいなかっただけだ。」
「なっ…」
何を言っているんだこの愚か者は…!
ずっと寝顔を見られていたなんて…!

カッと、伊丹は顔に熱を感じた。

「とにかく、身支度をしたいので早く離してください…!」
相変わらず、腰回りを太い腕で固定されて困り果てる伊丹。
そんな伊丹をよそに、幻洛はより一層の力を込めて、彼の腰回りに顔を埋める。
「ん~…、伊丹は良い匂いがするな…。興奮する。」
「あっ…!この、愚か者っ…!朝から変なことしないで下さい…!早く仕事の準備をしないといけないんですから…!」
必死に、まとわりつく幻洛を離そうとする。
非力ながらも藻掻き続ける伊丹に、幻洛は「つれないな…」と笑いながら呟き、その愛おしい存在を解放してやった。

「…全くもう、幻洛さんだって、村の巡回があるでしょう?ちゃんと行ってくださいよ。」
ようやく解放された伊丹は、小言を言いながらいつもの狩衣に着替えようと、いつも通り浴衣を脱ぎかけた。
「!」
突然、何かを思い出したかのように手が止まる。

背後から…熱い視線を感じる…。

「脱がないのか?」
「…。」

…この愚か者…。

「…あっちで着替えます。」
「えー…」
「えー、じゃないでしょう!そんなに凝視されたら、は…、恥ずかしくて着替えられません!」
伊丹は脱ぎかけた浴衣を手で押さえながら、足早に付属する小さな仕事部屋へと姿を消した。

伊丹の居なくなった部屋で、幻洛は一人、面白そうに笑った。
「…全く、素直じゃないヤツだな…。」
今までは少し不可思議で、感情の起伏もあまり感じられない者と思っていたが、昨日の件も踏まえ、並みの自尊心はあるようだ。

ああ、もっと可愛がってやりたい。
もっと、他の奴が知らない表情を見てみたい。
いっそのこと、この先ずっと…。

…と、そろそろ自分も村の巡回へ出なければならない。
名残惜しくも、伊丹の香りが残る布団をもう一呼吸堪能し、その香りを今日一日の活力とした。

………

「ふあ…」
少しばかり夜更かししてしまったせいだろうか。
伊丹は万華鏡神社の書斎で、今日中に書き進めなければならない書類に筆を走らせていた。

「伊丹、大丈夫…?」
「…!」
書類の整理を手伝っていた愛弟子のふゆはから声をかけられ、伊丹はハッとした。

…誰かの前で、こんな大あくびをしてしまうなんて…。

「…ええ、少し気が緩んでしまったようです…。」
思わぬ失態に、伊丹は苦笑いをした。

「ふふっ…、伊丹にも、そんなところがあるのね。」
どこか安心したかのように、ふゆははまとめていた書類を傍らに置いた。

晴天の下で飛び交う小鳥のさえずりが、書斎の硝子窓越しに奏でられる。

「…昨日は本当に心配したんだから…。」
ぽつり、と、ふゆはの呟きが雨のように落ちる。
「…でも、不思議ね。今まで以上に、今日の伊丹はとても近くに感じる。」
「…。」
にこりと笑うふゆはに、伊丹は申し訳ない気持ちで一杯になった。
「結界の術、鍛錬が滞ってしまってすみません…。」
「いいのよ、伊丹の都合だってあるのだから。気にしないで。」

…結界の術…、彼女が強い意志で学びたいと願ってきた術…。
だからこそ、師である自分は弟子の意志を蔑ろにせず、責任を持って教え続けなければならない。

…それなのに、大切な愛弟子を差し置いて、自分は何故あのような愚かな行動をしてしまったのだろうか。
長年背負い続ける呪いというものに追い詰められ、自暴自棄になっていたのはわかっている。
ただ、それ以外にも、なにか…強いものに…、…引きずり込まれて……いたような……。

「!」
ハッと、伊丹は我に帰る。

…自分は今、何を考えていたのだろう。
やはり、少し寝すぎて気が緩んでいるようだ…。

「…。」
穏やかな風が、書斎を吹き抜ける。
伊丹は今までにないくらい、その風を心地よく感じた。

まるで今まで感じていた風が、全て偽物だったかのように。

………

「古書の買い足しをしたいので、少し出かけてきます。すぐに戻りますので。」
「はい、お気をつけて。」
仕事が一区切りついた伊丹は、古より伝わる怪異現象について記された書物を買う為、自身の式神に外出する旨を伝え、村に出た。
久々にゆっくりと見る万華鏡村は、未の刻ということもあり一層賑わっていた。

万華鏡村の住民は、温厚で気前のいい者たちが多い。
そして、日々警護に務める幻洛たちのお陰で、この村の平和は守られている。

…きちんと感謝、しないと…。

改めて伊丹は思いつつ、目的の古書を取り扱う店へたどり着いた。

少し古びているものの、立派な佇まいの書店には、様々な書物が高々に、ずらりと綺麗に並んでいた。
「…これと、この書籍も買っておこう…。」
伊丹は書物を数冊抱えながら、この書店の店主のところへ歩いていった。

「いらっしゃい。…おや、万華鏡神社の神主殿か。久しぶりじゃのう。」
「お久しぶりです。」
そう言いながら、伊丹は軽く頭を下げる。

この書店の店主は大変珍しい種族で、純血な麒麟のアヤカシだ。
淡い浅葱色をした綺麗な長髪で、頭からは龍のような大きな角が二本生えている。
歳は伊丹と変わらなそうな青年ではあるが、古風な喋り方が特徴的だ。

「ここ最近、お主の姿を見なかったな。風邪でも引いていたのか?」
「いえ、まあ…少し忙しくて…。」
以前より、伊丹は古書を求めてこの書店へ通っていた。
麒麟の店主とも、その都度他愛のない会話をしており、歳が近いこともあってか、いつしか互いに顔見知りになっていた。

「そうだったのか。じゃが、久々にお主に会えて嬉しいぞ。」
軽く笑いながら、慣れた手付きで店主は伊丹が持ってきた風呂敷に書物を包む。

「毎度。身体には気をつけたまえよ神主殿。」
「ええ、どうも。」
店主に見送られながら、伊丹は書店を後にした。

予定よりも少々長居してしまった。
煌々と輝く日輪が、少しだけ傾いていた。

「…。」
伊丹はぼんやりと帰路についていた。
風邪とは言えないが、ある意味、恋の病というのにかかっていたのかもしれない。
そう思っていた。

…僕は幻洛さんと、どうなりたいのだろう…。

誰かが書いた物語のように、うまく事が進まないことなどわかっている。
それでも、彼の純粋な想いに応えたい。

もっと、この先、永遠に、幻洛さんと共に時を過ごしたい。
彼の傍らで、何年も、何百年も、何千年も。

伊丹は自らの女々しい気持ちに深い溜息をつきながら、神社へ足を進めた。

………

「…。」
亥の刻。
夕食を終え自室に戻ってきた伊丹は、買ってきた古書を開くも、虚ろな目で星々の輝く窓辺の外を眺めていた。

幻洛さんが好きだ。
彼とずっと過ごしていたい。
彼の弱りきった本当の心を守るのは、僕で在りたい。

一層のこと、もっと特別な関係になれればーーー

「伊丹。」
「!?」
突然、背後から聞き慣れた低い声が部屋に響き、伊丹はビクッと肩を震わせた。
声の主は、…幻洛だ。
「ちょっと、部屋に入る前に声くらいかけて下さい…!」
「かけても返事がなかったから入っただけだ。」
それほど上の空だったのだろうか。
正直、全く気づいていなかった。

コホン、と伊丹は軽く咳払いをする。
「…返事がないからって、入って良いとは限らないでしょうに…。」
幻洛と恋仲になってから、伊丹は彼を意識しすぎるようになってしまった。

素直になろうとする程、無性に恥ずかしさが増してしまう。
今まで通り、普通に接すればいいだけなのに。

「…で、一体どうしたんです?」
諸々と察知されないように、淡々と、伊丹は幻洛に問う。
「ああ、コレを渡そうと思ってな。」

幻洛の懐から、小洒落た小包が姿を現した。

「伊丹に惹かれた時から、買おうか悩んでいてな。」
「え…?」
小包を渡された伊丹は、驚きながらもおぼつかない手つきで封を開けた。

解かれた小包の中から、黄金に輝く髪留めが姿を現した。
それは伊丹が常に付けているものとよく似ていた。

「伊丹の髪留め、金具がかなり剥がれているだろ?」
すこし照れくさそうに幻洛は笑った。
「まだ伊丹の好みがわからないからな、今付けている物とあまり変わらないものを選んでみたんだが…。」
「…。」
伊丹は返す言葉を失った。

嗚呼、僕は、なんて愚か者なのだろう。
照れ隠しなんて、する必要などなかったのに。
僕が思っている以上に、彼は純粋に、僕のことを…。

「幻洛さん…。」
ぎゅっと、伊丹は幻洛から貰った髪留めを握り締めた。
高鳴る胸を抑えるように、伊丹はフッと一呼吸置く。

「…ありがとうございます。一生の宝物にさせて下さい…。」

ふわりと、伊丹は幻洛に笑いかけた。
「…。」
改めて、自分に笑いかける伊丹の綺麗な顔立ちに、幻洛はゴクリと生唾を飲んだ。

…かわいい、な…。

幻洛はいつも以上に、情けなくも頬が緩んでしまった。

伊丹は古い髪留めを外し、幻洛から貰った髪留めに付け替えた。
キラリと黄金の髪留めが一層輝く。
「…どうですか?」
「ああ、よく似合っている。やはりコレを選んで良かった。」
幻洛は衝動的に、金色に輝く留め具から流れ落ちる柳緑色の長髪を掬い、軽く唇を落とした。
その様子を、伊丹もされるがままに、愛おしそうに眺めていた。

「…やっと、一つの呪縛から解放された気分です。」
それまで身につけてきた、古く穢れた髪留めを見つめながら伊丹は呟いた。
「幻洛さん、本当に、ありがとうございます…。」
噛みしめるように、伊丹は幻洛への想いを綴った。
そのままそっと、幻洛に身を寄せる。

「…好き、です…。」

好意を言葉にすることにどうしても慣れないのか、伊丹は幻洛の肩口に額を預けながら、蚊の鳴くような小さな声で呟いた。
しかし、言葉では恥じながらも、大きく毛艶の良い伊丹の尻尾は嬉しそうにユラユラと左右に揺れていた。
そんな正直な尻尾に、幻洛はより一層の愛おしさを感じていた。

「…俺も好きだ、伊丹…。」

自身に擦り寄る伊丹の細い腰グイと引き寄せ、幻洛は伊丹の首筋に顔を埋める。
途端に、伊丹の身体が緊張により強張る。
「…。」
そそられる良い匂いに、ザワザワと幻洛の雄の本能が掻き立てられた。
不思議なほど引き寄せられる、伊丹の匂い。

ふと、幻洛は疑問を感じた。

伊丹も男のはずだが、どこかが妙に違うのは何故だろうか。
男が男の匂いに本能を刺激されるなど、普通は有り得ないはずだ。
…”普通”、では…?

「ん、幻洛さん…。」
甘えるような声で名を呼びながら身を擦り寄せてくる伊丹に、幻洛は思考が途切れる。
「…。」
…嗚呼、今はただ、この幸せな時を満喫しよう。
密着した身体から、互いの鼓動を感じていた。

この先も、ずっとこうしていたい。

もっと、互いが一緒に過ごす時間を大切にしたい。

互いが互いを想い合う幸福な夜は、そのままゆっくりと更けていった。
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