守るべきモノ

神崎

文字の大きさ
上 下
364 / 384
一室

364

しおりを挟む
 キッチンの片づけや仕込みを終え、ウェイトレスも掃除を終えたらしい。雑な掃除の仕方だ。ため息をついたが、もうこれ以上言っても意味がない。おそらく元ヤンだの、口うるさいだの、今日一日でさんざん陰口を叩かれただろう。そんなモノに耳を傾けたくもないし、気にもしたくない。
 それに泉のことも心配だ。そう思いながらエプロンを取った。すると赤毛のウェイトレスが、礼二に声をかける。
「川村店長。」
 みんなが遠巻きにしていたのに、その女性だけは礼二に声をかけてきたのだ。
「どうした。」
「その……今日は悪かったわ。」
 その言葉に周りがざわつく。口うるさいことばかり言ったのだ。嫌われていると思っていたのに。
「何で謝るの?」
「……これくらいで良いかって、思ってたところもあるのよ。みんな。」
 女性もまたあのコーヒーを監修している女性のところで、コーヒーを楽しんだ口なのだ。その気持ちを忘れていた。
 小さい店だったが客がとぎれることもないのは、その女性が美味しいコーヒーをずっと淹れているから。
 人間一度美味しいモノを口にすると、あとに戻れないのだ。もう一度口にしたくなる。女性はそう言っていた。
「副店長も変に別の講習とかに行ったから。」
「講習自体は悪くないよ。勉強熱心だったその成果なんだから。」
 持ち上げているようで、実は陥れている。相当いらついているのだ。
「川村店長。みんなでご飯でも行かないかって言ってるけど、どうする?」
「いいや。遠慮するよ。電車の時間もあるし。」
 それに泉が心配だ。
 そのときキッチンに入っていた別の男が声をかける。
「俺、明日休みなんですよ。そっちの店舗でコーヒー飲みたいっす。」
「良いよ。いつでもどうぞ。」
「二人って言ってましたよね。もう一人の人もバリスタですか?」
「あぁ。二人しかいないからどっちも出来るようにしてる。彼女は焙煎も出来るし、接客も相当口うるさく言ったから、それなりに出来るようになったよ。」
「それでもついてこれるんだ。すげぇ。」
 泉は接客については不器用なところもある。軽く交わすと言うことが出来ないのだ。だが大和が来て良いところもある。大和と働いて、腐女子たちを軽く交わせるようになってきたのだ。その辺だけは感謝しているが、早く泉のところへ行かなければ泉は大和に襲われるかもしれない。
 そのときだった。礼二の携帯電話がなる。メッセージは泉からだった。
「ご飯に行ってくる。」
 食事に行くのか。誰と。大和と行くのか。焦りそうな感情を抑えて、更衣室へ向かっていった。そのとき、ふとメモ帳を忘れていることに気がついた。気がついたことを書き留めてくれ報告してくれと大和から言われそれを逐一メモしていたもので、あれがないと報告書にまとめられない。そう思ってフロアに戻っていく。
 今日はほとんどキッチンにいた。そう思って暗いフロアにやってくる。するとキッチンに影があった。驚いて電気をつけると、そこには副店長の姿がある。
「何やってんですか。」
 礼二が焙煎したであろうそのコーヒー豆が入った瓶を手にしていた。そしてその横には自分が焙煎した瓶が置いている。
「……くそ。」
 瓶を置くと、カウンターを出てフロアにいる礼二に近づいてきた。その勢いに思わずその体を避ける。だが副店長はその避けた副店長に詰め寄られ、胸ぐらを捕まれる。
「俺だって……やってんのに!お……お前なんかに!」
 思わず手を振り払おうとした。だが壁に押しつけられて、派手な音がした。その音にバックヤードにいたスタッフがやってくる。
「何やってんですか。」
「喧嘩?」
 どう見ても礼二が被害者だ。礼二は呆れたように副店長を見下ろしている。
「俺だって……。」
「あんた、この店向いてないですよ。」
 腕を振り払い、首を横に振った。そしてカウンターに忘れているメモ帳を手にする。
「ここの前はどっかのチェーン店の店長してたんですよね。でもやり方がまずかった。あんたの在籍した店はことごとく閉店に追い込まれている。」
「コーヒーなんか……。」
「コーヒーなんかって言う言葉がでる時点で違う。コーヒーはただの飲み物じゃないんだ。」
 あの女性が淹れた何気ないあの一杯が礼二を変えたのだ。そしてあの女性は言った。
「自分が美味しいって思えるモノを、他人と共有できるのって嬉しいですよね。私はずっとそうしてきたんです。自分が美味しいと思ったモノをお客様に美味しいって言われたい。それだけなんです。」
 自分もそうしてきた。美味しいと思ったモノを共有できればいい。それがコーヒーだったらなお嬉しい。
「会社には報告しておきます。この店の現状を。たぶん、店長はそんなに悪い人じゃない。あとはみんなの意識かと思います。あんたもそう思ってくれればここにいることは出来ると思います。でも……足を引っ張るだけだったら、もう良い。俺ならそう言いますね。」
 すると副店長はがくっと肩を落とした。そして礼二はまたバックヤードへ向かう。そして更衣室にはいると着替えを始めた。言いにくいことも言えない店長だったのだ。この店の行く末は、礼二にはわからない。どうなろうと知ったことではないが。そう思いながら着替えを終えると、裏口から出て行こうとした。そのときだった。
「礼二。」
 声をかけられる。振り向くとそこにはあの赤毛のウェイトレスがいる。もう女性も着替え終わって、薄いコートを身につけていた。
「どうした?忘れ物でもしたかな。」
 そう思ってポケットを探る。すると女性は礼二に近づいて、革のキーケースを手渡した。
「あぁ……悪い。」
「忘れ物がいつも多かったもんね。今は大丈夫?」
「いつも言われるよ。今日が本社に提出する書類の締め切りだっただろうって。」
 泉はその辺がしっかりしている。姉妹にはノートパソコンに、スケジュールを書いてくれている始末だ。
「一緒に働いている人?」
「うん。どっちが店長なのかわからなくなるときもあってさ……。」
 幸せそうな顔だ。結婚したときもそんな感じではなかった。いつも空虚で、それでも女が寄ってきていて断っていなかったように思える。そして自分もそれに乗った口だ。礼二はセックスが上手い方だと思う。人によっては激しくすればいいとか、自分が満足できればいいとか思っている男ばかりの中、礼二はまるで自分に好意があるように錯覚すらするのだ。
「あのさ……。連絡先って変わってない?」
「変わってないけど。」
「今度連絡して良い?」
「仕事のこと?あの店、これから結構大変になるだろうし、それだったら別に良いけど……。けどそういうのはどっちかって言うと、店長とした方が良い……。」
「じゃなくてさ。しようよ。」
「セックス?」
「たまには違う女と寝たいとか言ってたじゃん。小さく纏まるの嫌だって言ってたし。」
「良く覚えてるな。でも今は良いかな。」
「礼二。」
「今の彼女が好きなんだ。」
 強情だ。だがここで引き下がれない。女は礼二の手を引き、ビルの隙間に隠れ込むように身を隠した。そして体をすり寄せる。
「やめろよ。」
「感度が良いの好きだって言ってたじゃん。覚えてるんでしょう?私の……。」
「いい加減にしてくれ。」
 そういって礼二は女を突き放すと、駆け出すように大通りに出て行く。そして泉に連絡をした。だが泉は着信に出ない。焦りだけが先走っている。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

俺がカノジョに寝取られた理由

下城米雪
ライト文芸
その夜、知らない男の上に半裸で跨る幼馴染の姿を見た俺は…… ※完結。予約投稿済。最終話は6月27日公開

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

ずっと君のこと ──妻の不倫

家紋武範
大衆娯楽
鷹也は妻の彩を愛していた。彼女と一人娘を守るために休日すら出勤して働いた。 余りにも働き過ぎたために会社より長期休暇をもらえることになり、久しぶりの家族団らんを味わおうとするが、そこは非常に味気ないものとなっていた。 しかし、奮起して彩や娘の鈴の歓心を買い、ようやくもとの居場所を確保したと思った束の間。 医師からの検査の結果が「性感染症」。 鷹也には全く身に覚えがなかった。 ※1話は約1000文字と少なめです。 ※111話、約10万文字で完結します。

パート妻が職場の同僚に寝取られて

つちのこ
恋愛
27歳の妻が、パート先で上司からセクハラを受けているようだ。 その話を聞いて寝取られに目覚めてしまった主人公は、妻の職場の男に、妻の裸の写真を見せてしまう。 職場で妻は、裸の写真を見た同僚男から好奇の目で見られ、セクハラ専務からも狙われている。 果たして妻は本当に寝取られてしまうのか。

【R18】今夜、私は義父に抱かれる

umi
恋愛
封じられた初恋が、時を経て三人の男女の運命を狂わせる。メリバ好きさんにおくる、禁断のエロスファンタジー。 一章 初夜:幸せな若妻に迫る義父の魔手。夫が留守のある夜、とうとう義父が牙を剥き──。悲劇の始まりの、ある夜のお話。 二章 接吻:悪夢の一夜が明け、義父は嫁を手元に囲った。が、事の最中に戻ったかに思われた娘の幼少時代の記憶は、夜が明けるとまた元通りに封じられていた。若妻の心が夫に戻ってしまったことを知って絶望した義父は、再び力づくで娘を手に入れようと──。 【共通】 *中世欧州風ファンタジー。 *立派なお屋敷に使用人が何人もいるようなおうちです。旦那様、奥様、若旦那様、若奥様、みたいな。国、服装、髪や目の色などは、お好きな設定で読んでください。 *女性向け。女の子至上主義の切ないエロスを目指してます。 *一章、二章とも、途中で無理矢理→溺愛→に豹変します。二章はその後闇落ち展開。思ってたのとちがう(スン)…な場合はそっ閉じでスルーいただけると幸いです。 *ムーンライトノベルズ様にも旧バージョンで投稿しています。 ※同タイトルの過去作『今夜、私は義父に抱かれる』を改編しました。2021/12/25

処理中です...