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褐色
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打ち合わせを終えて、伊織は事務所を出ていく。ポスターはだいたいのことが決まった。後は修正をするだけだ。修正はそんなに時間はかからないだろう。
「明日にでもデーターを持ってきます。」
「あぁ、明日は俺、ちょっといないので、週明けにでも持ってきてもらえますか。」
「わかりました。」
今日もおそらく時間を割いて打ち合わせをしていたのだろう。打ち合わせをしていてもあまり落ち着いていなかったからだ。事務所の電話、店のこと、携帯電話にずっとメッセージが鳴り、ほとんどが仕事のことだった。こんなに若いのに相当手広くしているのだから、仕方がないのかもしれない。
「連絡をします。」
「わかりました。」
店頭に出ると、まだ客がワサワサといる。そのほとんどが女性だ。伊織ではなく、鈴音を見て顔を赤くしているところを見ると、やはり鈴音の顔やスタイルも店の宣伝なのだろう。
そういえば明日菜も割と美形な方だ。意識をしていなかったが、同じ職場の人やクライアントから言い寄られていたのを見たことがある。
「それにしても女性が多いですね。」
「ケーキ屋ですからね。女性は甘いものが好きでしょう。」
「うーん?そうなんですかね。」
「周りにはあまりいないですか?」
「俺、この国に十四の時に帰国したんですよ。親の都合で、暑い国の方へ行ってて。あっちの人は甘いものが好きなのは好きなんですけど、度を超えているから好みが分かれていて。」
「あぁ。あっちのチョコレートは美味いんですよ。種類によっては使っています。」
「そうだったんですか。」
「そうだ。少し待ってください。」
そういって鈴音はまたキッチンの方へ戻っていく。その間、伊織はショーケースのチョコレートを見ていた。フランス菓子がベースのケーキだが、フランスがしにはないショートケーキなどもある。その辺はこの国の人の好みに合わせているのかもしれない。
倫子はクリスマスにここでケーキを買っていた。甘いものをあまり食べないと言っていた春樹も、進んで食べているようで甘いだけではなく味が良いからなのだろう。
「お待たせしました。これを持って行ってください。」
そういって白い紙袋を手にした鈴音は、それを伊織に手渡す。
「これは?」
「新製品なんですよ。まだ店頭に置くかどうかは迷っていて。例のカカオを使ってるんです。よかったらまたそれのポスターを描いて欲しい。」
「わかりました。遠慮なくいただきます。」
「あぁ、洋酒が入っているので帰って食べてください。」
「えぇ。」
洋酒が入っているとなると、倫子が好きかもしれない。二人で食べるのも悪くないと思いながら、伊織は紙袋をバッグに入れて店を後にした。
感じの良い人だった。明日菜のようにとげとげしくない。だがそれはこちらと仕事で話をしているからだ。きっと現場で会れば感情を抑え切れない人で、それが周りに影響している。だからあり得ないミスを周りがしている。
「……。」
一人で働いているわけではない。自分だって駒の一つだ。伊織だから良いとか、伊織だから任せられるというわけではなく、会社があるから自分がやっていけているのだ。それを勘違いしてはいけない。
空を見ると夕方にさしかかっていた。このまま会社に戻って少し仕事をしたら、もう退社の時間だ。明日からまた忙しくなる。自分に出来ることをするだけだ。伊織はそう思いながら、大通りに出る。
そのときバスが来て、底から二人の人が降りてきた。その一人に伊織は声をかける。
「藤枝さん。」
春樹は女性と居たようだ。おそらく同僚か何かだろう。
「あぁ。富岡さん。打ち合わせか何か?」
「えぇ。この間、仕事を回してくれてありがとうございました。」
伊織はそういって頭を下げる。家では目線をあわせて友達感覚でいるが、外ではそうはいかない。依頼者と請負業者の間柄なのだ。
「赤松先生の書籍、もう初版分が無くなりそうだと聞いたよ。」
「今日発売でしたよね。」
「えぇ。この分だと明日には増刷をかけないといけないだろうね。」
チョコレートをキーワードにした小説は、とても評価が良い。特に今まで小説なんかを読むことがなかった主婦層に人気が出た。
「編集長。私、戻ります。」
「あぁ。俺から真木先生にはまた話をしてみる。そんなに気にしなくても良いから。」
田端という女性は、相当気を落としているようだ。元気なく会社の方へ行ってしまう。
「なんかあったんですか。」
すると春樹は苦笑いをする。
「真木孝弘先生は知ってる?」
「えぇ。恋愛小説を書いていた人で、今は「月刊ミステリー」にも連載しているでしょう?」
「うん。再来月号で連載が終わるから、担当を俺から彼女に移してもらおうと思ってたんだけどね。」
真木孝弘の仕事場へ挨拶へ行ったときだった。田端は第一印象が大事だと、張り切って真木のところに行ったに違いない。だが挨拶をして名刺を取り出した。その名刺は「月刊ミステリー」の名刺ではなく、前にいた週刊誌のものだったのだ。それを目にした真木はバカにしたように春樹に言う。
「藤枝さん。元週刊誌の記者に、俺の担当させないでよ。何をすっぱ抜かれるかわからないだろう?」
悪気はない言い方だった。だが明らかに真木は、田端を拒絶したのだ。
「何でそんな名刺を持ってたんですか。倫子だってそんな人をよこしたら、嫌がるでしょう?」
「どうかな。小泉先生は、だいたいそんなことではあまり嫌がらないけれど……。」
「気むずかしいと聞きました。」
「小泉先生は肩書きで拒絶したりしない。だいたい打ち合わせとか、離していることなんかで嫌がるみたいだ。」
肩書きや外見よりも、仕事の姿勢を見ているようだ。一緒に作り上げていくというのが見えない人は「いや」と言って担当を変えてもらっている。
「田端さんはずっと週刊誌の方にいた。目の回るような忙しさだったし、それにやりがいもあった。何より彼女は、一度スクープをとっていてね。それがさらにプライドを高くしたようだ。週刊誌にいたというのが誇りにも見える。」
「……。」
「すべては過去のことだ。あの名刺は捨てさせよう。」
「いつまでもしがみついていたらだめってことですよね。」
「そういうこと。富岡君は、その辺は気を付けているみたいだね。」
「え?」
「よく君の表装した本を見ることがある。最近は自分で売り込みをしなくても、仕事が来ているんじゃないのかな。」
「そうですけど……。」
「君の名前だけで売れているというのは、君自体に価値が出てきたことだ。今はそれに没頭していると良い。」
だから他のものに目を向ける必要はない。そういわれているようだった。
行ってしまった春樹の後ろ姿を見て、伊織はため息をつく。仕事を見ていればいいから倫子に果てを出すなと言われているようだった。
「明日にでもデーターを持ってきます。」
「あぁ、明日は俺、ちょっといないので、週明けにでも持ってきてもらえますか。」
「わかりました。」
今日もおそらく時間を割いて打ち合わせをしていたのだろう。打ち合わせをしていてもあまり落ち着いていなかったからだ。事務所の電話、店のこと、携帯電話にずっとメッセージが鳴り、ほとんどが仕事のことだった。こんなに若いのに相当手広くしているのだから、仕方がないのかもしれない。
「連絡をします。」
「わかりました。」
店頭に出ると、まだ客がワサワサといる。そのほとんどが女性だ。伊織ではなく、鈴音を見て顔を赤くしているところを見ると、やはり鈴音の顔やスタイルも店の宣伝なのだろう。
そういえば明日菜も割と美形な方だ。意識をしていなかったが、同じ職場の人やクライアントから言い寄られていたのを見たことがある。
「それにしても女性が多いですね。」
「ケーキ屋ですからね。女性は甘いものが好きでしょう。」
「うーん?そうなんですかね。」
「周りにはあまりいないですか?」
「俺、この国に十四の時に帰国したんですよ。親の都合で、暑い国の方へ行ってて。あっちの人は甘いものが好きなのは好きなんですけど、度を超えているから好みが分かれていて。」
「あぁ。あっちのチョコレートは美味いんですよ。種類によっては使っています。」
「そうだったんですか。」
「そうだ。少し待ってください。」
そういって鈴音はまたキッチンの方へ戻っていく。その間、伊織はショーケースのチョコレートを見ていた。フランス菓子がベースのケーキだが、フランスがしにはないショートケーキなどもある。その辺はこの国の人の好みに合わせているのかもしれない。
倫子はクリスマスにここでケーキを買っていた。甘いものをあまり食べないと言っていた春樹も、進んで食べているようで甘いだけではなく味が良いからなのだろう。
「お待たせしました。これを持って行ってください。」
そういって白い紙袋を手にした鈴音は、それを伊織に手渡す。
「これは?」
「新製品なんですよ。まだ店頭に置くかどうかは迷っていて。例のカカオを使ってるんです。よかったらまたそれのポスターを描いて欲しい。」
「わかりました。遠慮なくいただきます。」
「あぁ、洋酒が入っているので帰って食べてください。」
「えぇ。」
洋酒が入っているとなると、倫子が好きかもしれない。二人で食べるのも悪くないと思いながら、伊織は紙袋をバッグに入れて店を後にした。
感じの良い人だった。明日菜のようにとげとげしくない。だがそれはこちらと仕事で話をしているからだ。きっと現場で会れば感情を抑え切れない人で、それが周りに影響している。だからあり得ないミスを周りがしている。
「……。」
一人で働いているわけではない。自分だって駒の一つだ。伊織だから良いとか、伊織だから任せられるというわけではなく、会社があるから自分がやっていけているのだ。それを勘違いしてはいけない。
空を見ると夕方にさしかかっていた。このまま会社に戻って少し仕事をしたら、もう退社の時間だ。明日からまた忙しくなる。自分に出来ることをするだけだ。伊織はそう思いながら、大通りに出る。
そのときバスが来て、底から二人の人が降りてきた。その一人に伊織は声をかける。
「藤枝さん。」
春樹は女性と居たようだ。おそらく同僚か何かだろう。
「あぁ。富岡さん。打ち合わせか何か?」
「えぇ。この間、仕事を回してくれてありがとうございました。」
伊織はそういって頭を下げる。家では目線をあわせて友達感覚でいるが、外ではそうはいかない。依頼者と請負業者の間柄なのだ。
「赤松先生の書籍、もう初版分が無くなりそうだと聞いたよ。」
「今日発売でしたよね。」
「えぇ。この分だと明日には増刷をかけないといけないだろうね。」
チョコレートをキーワードにした小説は、とても評価が良い。特に今まで小説なんかを読むことがなかった主婦層に人気が出た。
「編集長。私、戻ります。」
「あぁ。俺から真木先生にはまた話をしてみる。そんなに気にしなくても良いから。」
田端という女性は、相当気を落としているようだ。元気なく会社の方へ行ってしまう。
「なんかあったんですか。」
すると春樹は苦笑いをする。
「真木孝弘先生は知ってる?」
「えぇ。恋愛小説を書いていた人で、今は「月刊ミステリー」にも連載しているでしょう?」
「うん。再来月号で連載が終わるから、担当を俺から彼女に移してもらおうと思ってたんだけどね。」
真木孝弘の仕事場へ挨拶へ行ったときだった。田端は第一印象が大事だと、張り切って真木のところに行ったに違いない。だが挨拶をして名刺を取り出した。その名刺は「月刊ミステリー」の名刺ではなく、前にいた週刊誌のものだったのだ。それを目にした真木はバカにしたように春樹に言う。
「藤枝さん。元週刊誌の記者に、俺の担当させないでよ。何をすっぱ抜かれるかわからないだろう?」
悪気はない言い方だった。だが明らかに真木は、田端を拒絶したのだ。
「何でそんな名刺を持ってたんですか。倫子だってそんな人をよこしたら、嫌がるでしょう?」
「どうかな。小泉先生は、だいたいそんなことではあまり嫌がらないけれど……。」
「気むずかしいと聞きました。」
「小泉先生は肩書きで拒絶したりしない。だいたい打ち合わせとか、離していることなんかで嫌がるみたいだ。」
肩書きや外見よりも、仕事の姿勢を見ているようだ。一緒に作り上げていくというのが見えない人は「いや」と言って担当を変えてもらっている。
「田端さんはずっと週刊誌の方にいた。目の回るような忙しさだったし、それにやりがいもあった。何より彼女は、一度スクープをとっていてね。それがさらにプライドを高くしたようだ。週刊誌にいたというのが誇りにも見える。」
「……。」
「すべては過去のことだ。あの名刺は捨てさせよう。」
「いつまでもしがみついていたらだめってことですよね。」
「そういうこと。富岡君は、その辺は気を付けているみたいだね。」
「え?」
「よく君の表装した本を見ることがある。最近は自分で売り込みをしなくても、仕事が来ているんじゃないのかな。」
「そうですけど……。」
「君の名前だけで売れているというのは、君自体に価値が出てきたことだ。今はそれに没頭していると良い。」
だから他のものに目を向ける必要はない。そういわれているようだった。
行ってしまった春樹の後ろ姿を見て、伊織はため息をつく。仕事を見ていればいいから倫子に果てを出すなと言われているようだった。
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