守るべきモノ

神崎

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 「book cafe」を出た倫子と政近は、駅の方へ向かっていた。政近を見て田島政近だという人はいないが、倫子を見て小泉倫子だという人は街に出ればたまにいる。大和もそのタイプだったのだろう。
「有名人だよな。お前。」
 政近はそう言って、不機嫌そうに石をけっ飛ばす。
「この間の「月刊ミステリー」がそうさせたわ。荒田夕先生と対談したもの。」
「そうだったな。荒田夕って半分芸能人みたいだし。そう言えばこの間、どっかの芸能事務所と契約したっていってたっけ。」
 ますます目にすることは多くなるだろう。それに加えて執筆も多くなる。忙しい男だ。
「お前も出ないのか?」
「何に?」
「テレビとか。」
「興味なくてね。それに家が嫌がるだろうし。」
 母は相変わらずだ。きっと兄の嫁が出て行ったのも、その母と同居するのが耐えきれなかったのだろう。
「縛られてんな。相変わらず。あの兄ちゃんだったらお前も苦労してんな。」
「兄にいわせれば私が苦労させた原因だって言っていたけれど。」
「んー……。その話も不自然なんだよな。」
「何が?」
「強姦をしたのなんて、もみ消せるわけねぇのに。そんな子供がそんなことをしたなんて、不自然だって思わないのかな。警察も。」
「それが真実になってしまったんだから仕方ないわ。今更何を言っても仕方ない。」
 解決した話なのだ。今更あぁだこうだと言いたくないし、あのことを思い出すだけでも吐き気がする。
「お前もまだ色々あるんだろ?」
「色々?」
「病院、まだ通ってんのか?」
 そう言って駅前にあるその病院を見上げた。ここは倫子の行きつけで、ピルを処方されるだけではなく亜美の恋人である精神科医の桃子の診断を定期的に受けている。
「……眠っているとね、たまにうなされるのよ。」
 春樹から何度も心配された。汗をかき、手をせわしなく動かし、涙もでている。そんな想いをいつもしていた。そんなとき、春樹は自分が一緒にいてもそんな風になるのかと、その手をいつも握ってくれる。
 こればかりはどうにもならない。きっと一生うなされるのだ。
「月子もそうだった。」
「そっちの方がひどそうね。」
「でもあいつは犯人が根こそぎ捕まったからな。なんか……担当した刑事がしつこく聞いてきたし。子供でそんなことをするわけがないって。」
「信じてくれる人が居るのは良いわね。」
「……運が良かったって言っていいのかな。」
 弟の昌明と必死だった。そして月子を信じていた。倫子にはそのどちらも居なかったのだ。だからずっと耐えていた。
 忘れてしまえばいいと春樹もきっと言うのだろう。だが忘れられるわけがない。心の傷が癒えるのはいつになるのかわからない。
「なぁ、倫子。」
「ん?」
「その事件ってどれくらいたってる?」
「時間?十年はたってるわ。」
「あと五年だな。」
「……五年?」
「時効。」
「殺されたわけじゃないのよ。そんなに長いわけがない。それに……もう手を下さなくても良い。ほら。見て。」
 そう言って倫子は駅前にあるオーロラビジョンを指さした。するとそこには青柳が関わっていたよその国の売春宿の内部が公開された映像が流れている。
 ベッドしかない部屋は不衛生きわまりない。シーツも黄色を通り越して茶色くなっている。蠅がわき、蛆が居るような所だった。
「すごいな。こんなところに押し込まれるのか。」
「保護されたみたいね。この国の子供は。それでもまともに人生は送れないかもしれない。」
「何で?」
「薬を打たれてるみたい。」
 戸籍のない子供でも手続きをすれば戸籍をもらうことも出来るし、学校に通うことは出来る。まともな生活をしている人も多いのだ。それをやっていないらしい。
「これで俺は知らぬ存ぜぬを貫き通せるんだからすごいな。」
「……そんなことをさせない。」
 倫子はそう言ってまた駅へ足を運んだ。

 夕方家を出て、町に帰ってきたときにはもう夜になっていた。食事は母が持たせてくれた昼に出してくれた混ぜ寿司やら煮物やらを電車の中で食べて終えた春樹は、いつもの電車の中ではやる気持ちを押さえっている。
「そんなに早く帰るの?」
 母はそう言っていたが明日も少し会社に顔を出さないといけないし、何よりあの家には伊織もいる。泉がいればあまり心配はしないが、伊織は倫子を狙っているのだ。
 あのとき、「倫子が好きだ」とまっすぐに春樹に言った。そして脅しは通用しないとまで言ってきたのだ。政近を脅すようなことをしていないが、脅されるようなことは沢山している。真優のこと、妹の月子のこと。表に出れば、今までの地位は崩れ去るだろう。
 伊織にはそんなネタはない。何より、ここの土地にずっと居たわけではないのだ。幼い頃からの繋がりなどもない。
 そう思いながら、流れる光を見ていたときだった。携帯電話がなる。音を押さえていたので、振動だけでそれを感じて手に取った。相手は芦刈真矢だった。
「海産物を沢山いただいたから、もらってくれないだろうか。」
 文章だけのシンプルなメッセージは、倫子に良く似ている。絵文字や顔文字などはない。
「遠慮しないよ。」
 春樹はそうメッセージを送ると、すぐに真矢からメッセージが届いた。
「用意してあるから、家の前に来たら電話をして欲しい。」
 この間家に送った。話を聞きたいという下心だけで送ったが、そのあと真矢は春樹になだれ込むように体を寄せてきたのだ。酔っていたからそうしたのだろう。そう考えなければ、こんなつきあいは出来ない。
 駅で降りると、ドラッグストアの方へ足を運ぶ。駅前にある居酒屋と並んでドラッグストアがあり、その横の細いわき道を抜けるとアパートが数件並んでいた。その中に二階建てのアパートがある。あまり新しくもないが、古くもない。前に春樹がずっと住んでいたアパートや、倫子が大学の時に住んでいたところとは全然違う。
 電話をすると、真矢は二階の一番手前の部屋から出てきた。今日も仕事だったのか、いつも通り眼鏡とのばしっぱなしの髪を一つにくくっただけのシンプルなスタイルだった。
「急にごめんなさいね。藤枝さん。思いつく人が藤枝さんしか居なくて。」
 真矢はそう言って手に持っているビニール袋を春樹に手渡した。紙袋などではなく、コンビニやスーパーでもらえるような白い袋だった。こう言うところが真矢の飾らないところで、そして春樹はそれが気に入っているのだ。
「良いよ。もらったものなの?」
「えぇ。昔、お世話をした人なんだけれど、一人暮らしだと何度も言っているのだけれど、送ってくるのがいつも多くて。」
 中身を見ると、加工された魚がある。イカを干したもの、イリコ出汁用の乾燥した小魚、めざしなんかがあった。
「同居人が喜ぶよ。ありがとう。」
 すると真矢はふと春樹の手荷物を見た。おみやげ用の紙袋なんかが握られている。それは自分たちの地元のお菓子だった。
「実家へ帰っていたの?」
「あぁ。妻の四十九回忌でね。」
「今日行って、今日帰ってきたの?」
「明日も雑務が残っていてね。今日も出ている人は居たのに、悪いことをしたと思っているよ。」
「奥様のことだもの。仕方ないわ。」
 出来た夫を演じている。そう思えて仕方なかった。意識がないとはいえ、奥さんが生きていた頃から倫子とつきあいがあったのだ。つきあいとは、つまり体の関係だろう。
「真優に会ってね。」
「姉に?」
「お菓子はこっちの方が美味しいと言われたよ。新製品でね。甘いものが得意な人がうちの部署は少ないんだ。こういう甘くない煎餅は、助かるよ。」
「姉はそう言うところに良く気がつくわ。私だったら何でもいいんじゃないって言ってしまいそうだもの。」
「……真美ちゃんって言ったかな。」
「娘?」
「真優には似てる。だけど田島先生にも、似てると言えば似ているかもしれない。」
「この間、話したのは可能性の話。そうかもしれないってだけ。だって……別に調べた訳じゃないもの。戸籍上は別れた旦那の子供って事になっているけどね。」
 真美もそれで信じている。政近のことなど、出してはいけないのだ。
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