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交際
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本屋の女性が吹聴しなくても、泉の噂はすぐに店の中に広まる。ずっと恋人がいなかったような泉に恋人が出来ているようだと。そしてその相手は誰なのかと犯人探しのように噂が広まる。それを泉は呆れたように見ていた。
知るはずはない。伊織がここに来ても仕事でしかこないし、泉は案外時間通りに帰るが、伊織と一緒になることはほとんどないのだから。
休みの日だって合わない。土日が休みの伊織と、平日休みの泉ではデートらしいデートもしないのだ。それでもいい。帰れば伊織がご飯を付くって待っていてくれる。それだけで嬉しかった。
今日は何をするといっていたかな。泉はそう思いながら、コーヒーを淹れていた。すると休憩から帰ってきた川村礼二が、階段を上がってきてフロアに戻ってきた。
「戻ったから、一階に戻っても良いよ。」
お互いが休憩中の時には、一階の本屋からスタッフがやってくる。今日は男性のスタッフだった。礼二に何か言うと、一階へ戻っていく。その様子に礼二は少しため息を付いた。
「どうしました?」
サーバーからドリッパーを外して、泉はカップを用意しながらカウンターに戻ってきた礼二に聞く。
「阿川さんの口が堅いって。」
「あぁ。さっきからうるさいと思ってて。別に良いじゃないですか。私が誰と付き合っても。」
そう言って泉は頬を膨らます。すると礼二は少し笑ってオーダーの紙をみた。どうやらオーダーは今泉が作っているもので終わりだ。
「隠すと気になるものなんだ。」
「迷惑。」
泉はそう言ってカップ二つにコーヒーを淹れて、トレーに載せた。砂糖とミルクも用意して、伝票をカウンターを出て行く。向こうの席には少年のようだがおそらく編集者の男と、ぼさぼさの髪を一つにくくったパンクロッカーのような男が座っていた。
倫子にはこういう男が似合うのだろうに、どうして春樹のような既婚者と付き合ってしまったのだろう。そう思いながら、泉はコーヒーをテーブルに持っていこうとした。だがこの店には少し違和感を持つ男二人だ。
パンクロッカー風の男はよく見たら、耳だけではなく口にもピアスがあり、耳と口をつなぐようにピアスがある。そして手の甲には泉にはわからない梵字の入れ墨があった。本当にパンクロッカーなのだろうか。だとしたら向かいの男は編集者ではなく、レコード会社の人だろうか。
「すごいその小泉倫子って人は、意固地なんですね。」
倫子の名前に思わず泉は足を止めた。
「絶対書かないそうです。」
「……参ったなぁ。あぁいうさくふうを描きたいと思ってたのに。」
「田島先生。別に、小泉先生にこだわらなくてもいいんじゃないんですか。確かに俺は、小泉先生の同期ではありますけどね。そんなにつてがあるわけでもないし。」
どこかで見たことがあると思ったら、あの小さな男の方は同じ大学の男だ。名前は忘れてしまったが。
だがオーダーを取るときにこっちのことは気が付いていなかった。だとしたら、こちらから声をかける義理もない。
「お待たせしました。ブレンド二つですね。」
泉はそう言ってコーヒーを二人の前に置き、砂糖とミルクもテーブルに置いた。そして伝票をテーブルに置いてさっさとカウンターに戻ろうとしたときだった。少年のような男がちらっと泉をみた。
「あれ?阿川さんじゃない?」
しまった。ばれてしまった。泉は少し笑って、男をみる。
「えっと……ごめんなさい。名前を忘れてしまってて。」
「浜田。」
「あぁ。浜田君。」
大学の時、倫子はあの雰囲気でよく男から声をかけられていたが、全く相手にしていなかった。だがその声をかける男たちとはまた別に、遠巻きに倫子を見ている男たちがいた。つまり、興味はあるが声をかける勇気のない男たちだと言うことだろう。
「ここで働いているの?本屋の店頭にいると思ってた。」
「あー。イヤ……。ちょっと事情もあって。」
本当は本屋の方へ行きたいと思っていたが、今はそれも難しい。圧倒的にカフェ部門の人数が足りないのだ。
「小泉先生の同期?」
「あ……はい。そちらは?」
「今担当してる田島政近先生。」
「……編集か何かをしているの?」
「うん。「戸崎出版」で漫画雑誌。」
「あぁ。そうだったんだ。じゃ、ごゆっくり。」
そう言って行こうとした。正直、こういう人は苦手だ。倫子と近いからと言って、泉に近づいてくる人も多い。結局は倫子なのだから。
他のテーブルにあったカップなどを片づけて、泉はカウンターに戻ってくる。
「知り合い?」
そう言って礼二が今度は聞いてきた。
「大学の時の同期です。」
「ふーん。だったら小泉さんとも同期か。小泉さんが憧れの人みたいな。」
「よくわかりますね。」
「わかるよ。目立つから、小泉さん。大学の時もあんな感じだったんだろう?」
「えぇ。まぁ……。」
どうも泉は倫子と仲が良い割に、劣等感を持っている感じがする。しかしそれは無理はないかもしれない。女を全面に出したような倫子と、どこか女らしさがない泉にとって倫子は憧れの存在だったのだろうから。
「阿川さん。あまり卑屈に取らない方が良いよ。」
「え?」
「良さって言うのは人それぞれだから。阿川さんが良いって言って恋人だって出来たんだろうし。」
「そりゃ、そうですけど……。」
頬を膨らます。だが、礼二は知っている。
倫子は見た目だけなら女らしいが、その中身は男勝りだ。気が強く、そして不安定で、あの女と付き合うのは難しいだろう。かえって、見た目は女っぽくなくてもその中身は女らしい泉の方が魅力があるようだ。それがこの二人から少し離れたから、礼二もわかるようになったのだ。
「でも、倫子の話をしてたんですよね。何を話してたのか。」
「小泉さんの?」
「倫子はあの性格だから、小説家としては人気があるのかもしれないけれど、敵も多かったのは昔からだし。」
「……。」
「嫉妬されてた。大学の時あらぬ噂を立てられてたもの。誰かの男を寝取ったとか、教授と不倫してるとか。」
不倫という言葉に、泉は少し言葉に詰まった。今はそれが事実なのだ。春樹と寝ているのだから。意識のない妻に隠れるように、情事を重ねているらしい。
「あー……。無理はないね。ん?あ、そうだ。阿川さん。話は変わるけど、どっかで有給を消化してくれって本社から言われてたんだ。」
「有給?そんなのありましたっけ?」
「だいぶ流れているよねぇ。でもそれが許されない世の中になったから。」
「休みの時はどうするんですか?」
「どうにでもなるから、とりあえず取ってくれって。俺、この日にしようかと思ってて。一気に二人休んだら困るだろうし、阿川さんも決めててよ。」
ここの定休は決まっている。だから礼二はその定休の前日に有休を取るらしい。そうすれば連休になって、家族サービスが出来ると思っているのだろう。
「んー。ちょっと考えておきます。」
伊織と相談したい。伊織と休みが被れば、デートの一つも出来るかもしれないのだ。
知るはずはない。伊織がここに来ても仕事でしかこないし、泉は案外時間通りに帰るが、伊織と一緒になることはほとんどないのだから。
休みの日だって合わない。土日が休みの伊織と、平日休みの泉ではデートらしいデートもしないのだ。それでもいい。帰れば伊織がご飯を付くって待っていてくれる。それだけで嬉しかった。
今日は何をするといっていたかな。泉はそう思いながら、コーヒーを淹れていた。すると休憩から帰ってきた川村礼二が、階段を上がってきてフロアに戻ってきた。
「戻ったから、一階に戻っても良いよ。」
お互いが休憩中の時には、一階の本屋からスタッフがやってくる。今日は男性のスタッフだった。礼二に何か言うと、一階へ戻っていく。その様子に礼二は少しため息を付いた。
「どうしました?」
サーバーからドリッパーを外して、泉はカップを用意しながらカウンターに戻ってきた礼二に聞く。
「阿川さんの口が堅いって。」
「あぁ。さっきからうるさいと思ってて。別に良いじゃないですか。私が誰と付き合っても。」
そう言って泉は頬を膨らます。すると礼二は少し笑ってオーダーの紙をみた。どうやらオーダーは今泉が作っているもので終わりだ。
「隠すと気になるものなんだ。」
「迷惑。」
泉はそう言ってカップ二つにコーヒーを淹れて、トレーに載せた。砂糖とミルクも用意して、伝票をカウンターを出て行く。向こうの席には少年のようだがおそらく編集者の男と、ぼさぼさの髪を一つにくくったパンクロッカーのような男が座っていた。
倫子にはこういう男が似合うのだろうに、どうして春樹のような既婚者と付き合ってしまったのだろう。そう思いながら、泉はコーヒーをテーブルに持っていこうとした。だがこの店には少し違和感を持つ男二人だ。
パンクロッカー風の男はよく見たら、耳だけではなく口にもピアスがあり、耳と口をつなぐようにピアスがある。そして手の甲には泉にはわからない梵字の入れ墨があった。本当にパンクロッカーなのだろうか。だとしたら向かいの男は編集者ではなく、レコード会社の人だろうか。
「すごいその小泉倫子って人は、意固地なんですね。」
倫子の名前に思わず泉は足を止めた。
「絶対書かないそうです。」
「……参ったなぁ。あぁいうさくふうを描きたいと思ってたのに。」
「田島先生。別に、小泉先生にこだわらなくてもいいんじゃないんですか。確かに俺は、小泉先生の同期ではありますけどね。そんなにつてがあるわけでもないし。」
どこかで見たことがあると思ったら、あの小さな男の方は同じ大学の男だ。名前は忘れてしまったが。
だがオーダーを取るときにこっちのことは気が付いていなかった。だとしたら、こちらから声をかける義理もない。
「お待たせしました。ブレンド二つですね。」
泉はそう言ってコーヒーを二人の前に置き、砂糖とミルクもテーブルに置いた。そして伝票をテーブルに置いてさっさとカウンターに戻ろうとしたときだった。少年のような男がちらっと泉をみた。
「あれ?阿川さんじゃない?」
しまった。ばれてしまった。泉は少し笑って、男をみる。
「えっと……ごめんなさい。名前を忘れてしまってて。」
「浜田。」
「あぁ。浜田君。」
大学の時、倫子はあの雰囲気でよく男から声をかけられていたが、全く相手にしていなかった。だがその声をかける男たちとはまた別に、遠巻きに倫子を見ている男たちがいた。つまり、興味はあるが声をかける勇気のない男たちだと言うことだろう。
「ここで働いているの?本屋の店頭にいると思ってた。」
「あー。イヤ……。ちょっと事情もあって。」
本当は本屋の方へ行きたいと思っていたが、今はそれも難しい。圧倒的にカフェ部門の人数が足りないのだ。
「小泉先生の同期?」
「あ……はい。そちらは?」
「今担当してる田島政近先生。」
「……編集か何かをしているの?」
「うん。「戸崎出版」で漫画雑誌。」
「あぁ。そうだったんだ。じゃ、ごゆっくり。」
そう言って行こうとした。正直、こういう人は苦手だ。倫子と近いからと言って、泉に近づいてくる人も多い。結局は倫子なのだから。
他のテーブルにあったカップなどを片づけて、泉はカウンターに戻ってくる。
「知り合い?」
そう言って礼二が今度は聞いてきた。
「大学の時の同期です。」
「ふーん。だったら小泉さんとも同期か。小泉さんが憧れの人みたいな。」
「よくわかりますね。」
「わかるよ。目立つから、小泉さん。大学の時もあんな感じだったんだろう?」
「えぇ。まぁ……。」
どうも泉は倫子と仲が良い割に、劣等感を持っている感じがする。しかしそれは無理はないかもしれない。女を全面に出したような倫子と、どこか女らしさがない泉にとって倫子は憧れの存在だったのだろうから。
「阿川さん。あまり卑屈に取らない方が良いよ。」
「え?」
「良さって言うのは人それぞれだから。阿川さんが良いって言って恋人だって出来たんだろうし。」
「そりゃ、そうですけど……。」
頬を膨らます。だが、礼二は知っている。
倫子は見た目だけなら女らしいが、その中身は男勝りだ。気が強く、そして不安定で、あの女と付き合うのは難しいだろう。かえって、見た目は女っぽくなくてもその中身は女らしい泉の方が魅力があるようだ。それがこの二人から少し離れたから、礼二もわかるようになったのだ。
「でも、倫子の話をしてたんですよね。何を話してたのか。」
「小泉さんの?」
「倫子はあの性格だから、小説家としては人気があるのかもしれないけれど、敵も多かったのは昔からだし。」
「……。」
「嫉妬されてた。大学の時あらぬ噂を立てられてたもの。誰かの男を寝取ったとか、教授と不倫してるとか。」
不倫という言葉に、泉は少し言葉に詰まった。今はそれが事実なのだ。春樹と寝ているのだから。意識のない妻に隠れるように、情事を重ねているらしい。
「あー……。無理はないね。ん?あ、そうだ。阿川さん。話は変わるけど、どっかで有給を消化してくれって本社から言われてたんだ。」
「有給?そんなのありましたっけ?」
「だいぶ流れているよねぇ。でもそれが許されない世の中になったから。」
「休みの時はどうするんですか?」
「どうにでもなるから、とりあえず取ってくれって。俺、この日にしようかと思ってて。一気に二人休んだら困るだろうし、阿川さんも決めててよ。」
ここの定休は決まっている。だから礼二はその定休の前日に有休を取るらしい。そうすれば連休になって、家族サービスが出来ると思っているのだろう。
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