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意識
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焼き肉屋を出ると、倫子は携帯電話を取り出す。さっき何かメッセージが入っていたからだ。その画面に思わず頬をゆるませた。
「どうしたの?」
「古本屋さんにね。本が入荷したってメッセージが入ったの。」
「古本屋?」
その言葉に春樹の眉間にしわが寄る。古本というのは、作家にも出版社にも利益はない。だからやっかいなものだというイメージしかなかった。
「何の本?」
伊織が聞くと、倫子は少し笑っていった。
「遠藤守さんの初期の作品。」
「あぁ……遠藤先生の。」
だったら仕方がない。初期の作品は絶版になっているからだ。それに出版社は遠藤守のモノの過去作は再販もされないらしい。何かの理由はあるようだが、春樹のような一編集者には知らされることもない。
「どこの本屋?」
「上野の所よ。」
「あぁ。ここから近いよね。まだやってる?」
「どうかしら。行ってみようかな。終電にはまだ時間があるし。あぁ……三人は帰っても良いですよ。明日も仕事ですよね。」
フリーの仕事の良いところだろう。だがこの界隈は歓楽街だし、倫子のような格好をすればすぐに声をかけてくる人も多いだろう。
「倫子。俺が一緒に行くよ。」
伊織が言ってくれたが、倫子はそれを断った。
「悪いけど、伊織は泉を送ってあげて。泉、この間、警察に補導されかけたの。」
「もうっ。それは言わないでって言ったのに。」
泉はそう言って倫子を責める。だが本気ではないのだろう。泉にも倫子にも笑顔があるからだ。
「俺が行きます。」
「藤枝さん。そんなにつきあわなくても……。」
「古本屋ってのが気になるんです。もしかしたら、寺田茂吉先生の初版とか、洋書の古いモノもあるかと思って。」
「洋書もありますよ。」
「楽しみですね。」
倫子が心配と言うよりも、古本屋が気になるのだろう。二人は並んで繁華街の奥へ向かっていく。その後ろ姿をみて、伊織は少し首を傾げた。
「どうしたの?伊織。」
「んー……。前に藤枝さんに会ったとき、倫子と顔を合わせたのは二、三回あるかって言ってたんだ。でも何でこんなに距離が近くなったんだろうって思って。」
「近い?」
「食事に行くって言ったときも思ったけど、藤枝さんは作家と編集者の距離をずっとキープしてたんだ。なのに、今はそれがないように思うよ。」
「気のせいじゃないの?倫子って人の旦那とか、不倫とか、嫌がるもの。私も嫌だけど。」
「泉も人の旦那は嫌だ?」
「わざわざ人の旦那をとる意味がわかんない。独身にもっといい人が居るでしょ?」
「俺みたいな?」
「それは自信過剰だわ。」
そう言い合いながら、二人は駅の方へ向かった。見た目は同じ酔っぱらい達が、二人の側を行ってしまう。
繁華街の中に目立たずひっそりとある古本屋があった。右隣はソープランドで、左隣は薬屋だがあまりまともな薬屋ではない。何せ今は夜二十三時。こんな時間に、薬屋も本屋も本来ならやっていないのだ。
「上野古書店」と書いてあったその看板の下の入り口に、倫子は慣れた足取りで入っていく。そしてその後ろを春樹も入っていった。本屋特有のかび臭い匂いが、すぐに伝ってきた。
「いらっしゃい。お、倫子。もうきたのか?」
入り口のすぐ近くにカウンターがある。そこにはスキンヘッドで、体や耳にはピアスが重そうな男が居た。
「入ったって連絡があったし、こっちに来てる用事もあったから。」
「そっか。ん?後ろの人は彼氏?」
男がめざとく春樹をみる。春樹は少し微笑んで、頭を下げた。
「違うわ。担当者よ。」
「あー。ってことは出版社関係の?すいませんね。こんな阿漕な商売してて。」
「そんなことはないですよ。俺、ちょっと店内をみたいので、回ってきます。」
そう言って春樹はうずうずが止められないように、店内を物色しはじめた。
「相変わらず漫画なんかは少ないのね。」
「図書館かよって奴もいるけどな。漫画は引き取れば置き場がなくなるし。」
「そうね。漫画の方が人気の移り変わりが激しいわ。」
「お前の本は結構高値だぞ。ほら、サインしろよ。」
「したことあるわよね。」
「あれ、五千円で売れたわ。」
「半分よこしなさいよ。」
「バカいうな。取り置きさせておいて。」
そう言って男は、片隅にある本を手にする。青い表紙の本だった。
「見せて。」
そう言って倫子は、その本の中身をチェックする。落丁や、発行年をみているようだった。
「初版本ね。いくら?」
「三千円。」
「原価超えてんじゃない。バカじゃないの?それに初版本だって、そんなに高くないわ。」
すると春樹が奥からやってきた。
「これを下さい。」
春樹がそう言って手渡したのは、洋書のようだった。
「すごい。全部読めるんですか?」
「そんなわけ無いですよ。拾い読みでも面白いですし。どうしても訳す人で、内容が違うこともありますから。」
「なるほどね。倫子。こういうところを見習えよ。」
「敬太郎。いつからそんなに偉くなったの?」
「お前の体に入れ墨入れて以来だろ?」
そう言ってこの店のオーナーである上野敬太郎は、その本の金額をレジに入れる。
「千円です。はい。ありがとうございます。で、倫子は買うの?」
「仕方ないわねぇ。」
この男がこの倫子の体に入れ墨を入れたのか。そう思いながら春樹は、その本の代金を支払っている倫子をみていた。
「入れ墨なんかも入れるんですか?」
「えぇ。興味あります?」
「いいえ。これでも会社員なんで。」
「そっか。最近は厳しいですよねぇ。向こうじゃ、入れ墨なんていうのは普通だったし、倫子も火傷の跡が目立たなくて良いって言ってたのに。」
「火傷?」
すると倫子は焦ったように敬太郎を止める。
「敬太郎。おしゃべりなんだから。」
「悪い。口が滑ったわ。」
「滑りっぱなしじゃない。」
不機嫌そうな倫子だったが、倫子の知らないところがまた見えた。それだけで春樹は嬉しいと思う。
「どうしたの?」
「古本屋さんにね。本が入荷したってメッセージが入ったの。」
「古本屋?」
その言葉に春樹の眉間にしわが寄る。古本というのは、作家にも出版社にも利益はない。だからやっかいなものだというイメージしかなかった。
「何の本?」
伊織が聞くと、倫子は少し笑っていった。
「遠藤守さんの初期の作品。」
「あぁ……遠藤先生の。」
だったら仕方がない。初期の作品は絶版になっているからだ。それに出版社は遠藤守のモノの過去作は再販もされないらしい。何かの理由はあるようだが、春樹のような一編集者には知らされることもない。
「どこの本屋?」
「上野の所よ。」
「あぁ。ここから近いよね。まだやってる?」
「どうかしら。行ってみようかな。終電にはまだ時間があるし。あぁ……三人は帰っても良いですよ。明日も仕事ですよね。」
フリーの仕事の良いところだろう。だがこの界隈は歓楽街だし、倫子のような格好をすればすぐに声をかけてくる人も多いだろう。
「倫子。俺が一緒に行くよ。」
伊織が言ってくれたが、倫子はそれを断った。
「悪いけど、伊織は泉を送ってあげて。泉、この間、警察に補導されかけたの。」
「もうっ。それは言わないでって言ったのに。」
泉はそう言って倫子を責める。だが本気ではないのだろう。泉にも倫子にも笑顔があるからだ。
「俺が行きます。」
「藤枝さん。そんなにつきあわなくても……。」
「古本屋ってのが気になるんです。もしかしたら、寺田茂吉先生の初版とか、洋書の古いモノもあるかと思って。」
「洋書もありますよ。」
「楽しみですね。」
倫子が心配と言うよりも、古本屋が気になるのだろう。二人は並んで繁華街の奥へ向かっていく。その後ろ姿をみて、伊織は少し首を傾げた。
「どうしたの?伊織。」
「んー……。前に藤枝さんに会ったとき、倫子と顔を合わせたのは二、三回あるかって言ってたんだ。でも何でこんなに距離が近くなったんだろうって思って。」
「近い?」
「食事に行くって言ったときも思ったけど、藤枝さんは作家と編集者の距離をずっとキープしてたんだ。なのに、今はそれがないように思うよ。」
「気のせいじゃないの?倫子って人の旦那とか、不倫とか、嫌がるもの。私も嫌だけど。」
「泉も人の旦那は嫌だ?」
「わざわざ人の旦那をとる意味がわかんない。独身にもっといい人が居るでしょ?」
「俺みたいな?」
「それは自信過剰だわ。」
そう言い合いながら、二人は駅の方へ向かった。見た目は同じ酔っぱらい達が、二人の側を行ってしまう。
繁華街の中に目立たずひっそりとある古本屋があった。右隣はソープランドで、左隣は薬屋だがあまりまともな薬屋ではない。何せ今は夜二十三時。こんな時間に、薬屋も本屋も本来ならやっていないのだ。
「上野古書店」と書いてあったその看板の下の入り口に、倫子は慣れた足取りで入っていく。そしてその後ろを春樹も入っていった。本屋特有のかび臭い匂いが、すぐに伝ってきた。
「いらっしゃい。お、倫子。もうきたのか?」
入り口のすぐ近くにカウンターがある。そこにはスキンヘッドで、体や耳にはピアスが重そうな男が居た。
「入ったって連絡があったし、こっちに来てる用事もあったから。」
「そっか。ん?後ろの人は彼氏?」
男がめざとく春樹をみる。春樹は少し微笑んで、頭を下げた。
「違うわ。担当者よ。」
「あー。ってことは出版社関係の?すいませんね。こんな阿漕な商売してて。」
「そんなことはないですよ。俺、ちょっと店内をみたいので、回ってきます。」
そう言って春樹はうずうずが止められないように、店内を物色しはじめた。
「相変わらず漫画なんかは少ないのね。」
「図書館かよって奴もいるけどな。漫画は引き取れば置き場がなくなるし。」
「そうね。漫画の方が人気の移り変わりが激しいわ。」
「お前の本は結構高値だぞ。ほら、サインしろよ。」
「したことあるわよね。」
「あれ、五千円で売れたわ。」
「半分よこしなさいよ。」
「バカいうな。取り置きさせておいて。」
そう言って男は、片隅にある本を手にする。青い表紙の本だった。
「見せて。」
そう言って倫子は、その本の中身をチェックする。落丁や、発行年をみているようだった。
「初版本ね。いくら?」
「三千円。」
「原価超えてんじゃない。バカじゃないの?それに初版本だって、そんなに高くないわ。」
すると春樹が奥からやってきた。
「これを下さい。」
春樹がそう言って手渡したのは、洋書のようだった。
「すごい。全部読めるんですか?」
「そんなわけ無いですよ。拾い読みでも面白いですし。どうしても訳す人で、内容が違うこともありますから。」
「なるほどね。倫子。こういうところを見習えよ。」
「敬太郎。いつからそんなに偉くなったの?」
「お前の体に入れ墨入れて以来だろ?」
そう言ってこの店のオーナーである上野敬太郎は、その本の金額をレジに入れる。
「千円です。はい。ありがとうございます。で、倫子は買うの?」
「仕方ないわねぇ。」
この男がこの倫子の体に入れ墨を入れたのか。そう思いながら春樹は、その本の代金を支払っている倫子をみていた。
「入れ墨なんかも入れるんですか?」
「えぇ。興味あります?」
「いいえ。これでも会社員なんで。」
「そっか。最近は厳しいですよねぇ。向こうじゃ、入れ墨なんていうのは普通だったし、倫子も火傷の跡が目立たなくて良いって言ってたのに。」
「火傷?」
すると倫子は焦ったように敬太郎を止める。
「敬太郎。おしゃべりなんだから。」
「悪い。口が滑ったわ。」
「滑りっぱなしじゃない。」
不機嫌そうな倫子だったが、倫子の知らないところがまた見えた。それだけで春樹は嬉しいと思う。
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