触れられない距離

神崎

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年末

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 長時間のフェスだった。だから芹も仕事としてやってきているが、前半は別の人がライブのレポートをしている。客の中には一番最初から居るという人は珍しいかもしれない。それで無くても自然と立ち上がって声援を送ったり拍手をしているのだ。後半でも最後の方になれば疲れはピークを超しているのだろうに、「二藍」が出てくるとそんなことは気にしていないように思えた。
 遠慮無く立ち上がり、ノリの良い曲では声援を送っているし、聴き馴染みのある曲では一緒に歌ったりしている。それだけノリが良いのだろう。
 だがあの不倫ソングになるとその様子が一変する。最初のピアノの音が鳴ると会場は静かになっていき、遥人の歌が始まると音楽だけが会場の中を包んでいる。映画を観た人も中には居るのだろう。涙を流している人も居るようだ。
 芹もこの映画を観た。それは仕事としてでは無ければ絶対観ないタイプの映画だっただろう。元々恋愛映画は苦手なのだ。その上不倫がテーマになっている。どうしても紫乃のことを思い出すようだったから。
 隣を見ると沙菜が胸の前で手を握っている。沙菜も不倫をしたことがあるのだ。
 最初は独身だと男が言っていた。だが何度か体を重ねていくうちに、男には家庭があることがわかって別れようと思ったが、思った以上に沙菜の方がはまり込んでいたのかもしれない。男は本気では無かったのに。
 そのうちに男の奥さんの弁護士から内容証明や、慰謝料なんかの請求が届いた。それを見て沙夜が呆れたように二度と不倫なんかしないでと言ったのを覚えている。そこに真実の愛南かは無かった。男が一番愛していたのは、家族だったのだから。だが沙菜がそれを壊した。
 一度の不倫が家庭も人生もめちゃくちゃにしたのだ。おそらくあの奥さんは、沙菜に幸せになって欲しくないと思っているだろう。その奥さんの願いは届いている。今は決して結ばれることは無い芹と、ずっと体を重ねているのだ。沙夜から奪う気は無かったのに離れられない。不倫では無いが略奪をしているのだ。それが沙夜に顔向けが出来ないことでもあるのだろう。
 しかし芹にはその後ろに移っているスクリーンを見て、ため息を付いている。そのスクリーンに映っている遥人の指には指輪があった。遠くて良くわからないが、おそらくあれは芹が沙夜に送ったモノだと思う。曲の演出としては良いかもしれない。だが芹にとってはそれを沙夜が渡したというのは、その程度のことだったと思うようだった。
 そしてその歌が終わると、一気にまたアップテンポの曲になる。すると盛り上がりは最高潮になるようだった。今年最後の曲だから。それでも芹も沙菜もモヤモヤは取れそうに無い。
「今年も一年ありがとうございました。」
 そう言って「二藍」のメンツは頭を下げると、舞台脇の方からスタッフらしい人達がやってくる。「二藍」に並んで今まで出てきたバンドのメンツがステージに乗るからだ。もちろん全部というわけでは無いが、「二藍」はみんな残るのだろう。治のドラムセットの隣にももう一つドラムセットが組まれたり、翔の機材の横にもまた機材が組み込まれる。ここのスタッフというのはみんなお揃いのTシャツを着ているようで、沙夜達のように外部の人は一目でわかる。そのTシャツを着ていないからだ。それに沙夜のようなスーツ姿の人は沙夜くらいしか居ない。沙夜はどこへ行くにもその格好を崩さないのだ。
 その様子を見ていた沙菜はふと首をかしげる。
「あれ?姉さん居なく無い?」
 「二藍」のセッティングの時には沙夜の姿があった。だが今はいない。「二藍」のスタッフはいないのかもしれないと思ったが、沙夜と一緒に出てきていた男はその場にいるのだ。ドラムセットのバスドラを運んでいるのが見えた。
「そうだな。何かあったのか……。」
 その時だった。芹の隣に居た男が芹に声をかけてきた。芹と同じくらいの背の高さで、あまり身長が高い方では無いが伸ばしている髪はバンドマンのように見える。
「天草芹君だろう?」
 いきなり本名を言われて、芹は驚いたように男を見る。するとその男に見覚えが会った芹は思わず声を上げる。
「あんた……「Harem」の……。」
「うん。ベースを担当していた千尋って言うんだけど。」
「……芹。知り合い?」
 沙菜がそう聞くと、千尋は少し驚いたように沙菜を見る。いつか見かけた「二藍」の担当者である沙夜によく似ていると思ったから。
「「Harem」のベーシストだよ。」
「「Harem」って芹のお兄さんがしてる?」
「あぁ。もっとも、あんたとは話もしたこと無いかもしれないけど。」
 そしてこれからも話をすることは無いと思っていた。あんな音楽で満足しているような男なのだ。アーティストとしてもそこまで持ち上げるような男では無いことはわかる。
「「Harem」はこのフェスに呼ばれていないのか。」
「瀬名の都合が付かなかったんだ。瀬名は今、海外の方へ行っていてね。」
「つまり、メンバーの都合が付かなかったから「Harem」としては活動が出来なかったって事か。それでもみんなオフってわけじゃ無いんだろう?」
「俺は二,三日くらい前から身辺の整理をしている。」
「身辺?」
「「Harem」を脱退するから。明日からはフリーなんだ。」
 その言葉に芹は首を横に振った。これで益々裕太の歯止めがきかなくなるだろうと思ったから。
「脱退するの?もったいなくない?「Harem」って今人気が出てきているでしょう?」
 沙菜でも知っていることだった。瀬名が格好よくて、女優仲間でも人気があったから。すると芹は沙菜をたしなめる。
「まともだったら脱退するのは当たり前だと思う。」
「芹。」
「逆に今まで良くあんたが付いていっていたと思ってたよ。」
 辛口な言葉に千尋は少し苦笑いをした。しかし芹が言うことも間違いでは無い。
「俺はベースが弾ければ良かったから。別に「Harem」では無くてもベースが弾ければどこでも良かったし。」
 と言うことは脱退するのは、そうも言っていられない状況になったと言うことなのだろうか。
「何かあったの?」
 沙菜はこういう時には迷いが無い。わかっていないところもあるのだろうがズバッと本題に切り込むのだ。その辺は沙夜によく似ていると思う。
「色々あったけれど、一番は俺らは機械じゃ無いって事だから。」
「機械?」
「裕太は少しそう言うところがあるんだ。シンセサイザーを使って音を作ることが多かったからかな。微妙な違いに気が付いてそれを言うと、こっちで修正が効くから良いって言ってきてさ。」
「ライブでは誤魔化しがきかないんだろうに。」
「するとライブはもうそこまで重点を置かない。テレビなら受けると言ってきてさ。」
「テレビだったら修正が効くからな。」
「そんなモノなの?」
「あとで音源を入れ直したり、修正をしたりすることも出来るから。」
 「二藍」はその様子が無い。本当に生で演奏をしているのと変わらないと思ったから。
「でもテレビ局には嫌われているところもある。しかし瀬名が居ればテレビ局もそう言っていられない。」
「脅しね。まぁ……あたしはテレビの仕事は珍しいなって思うくらいだけど。」
「そうまでして「Harem」を存続させたいかって言うと疑問に思ったし。」
 すると芹は少し考えて千尋に言う。
「あんたがまともで良かったよ。「Harem」は音楽を作っているのに、音楽で最後の良心も無くす結果になったんだな。」
「そんなに大々的なモノじゃ無いよ。」
「兄を止められるのはあんたくらいしかいないと思ってたんだけどな。」
 すると千尋は首を横に振った。そしてまだ準備をしているステージを見る。
「あの場に俺も立ちたかったな。でも……どうしてもあいつに比べられるだろうし。」
「一馬さん?」
「あぁ。また上手くなったな。昔から安定したベースだと思っていたし、言われたことしかしない男だと思っていたけど、自分の主張もしっかり出してきていた。」
「……。」
「特別にレッスンでも受けているのか。」
「さぁ。その辺は知らないけど。」
 すると芹を飛び越して、千尋は沙菜に話を聞く。
「えっと……あのマネージャーさんの妹さんでしょ?何か聞いてない?」
「知らない。あたし、最近は姉さんと連絡を取って無くて。」
 何も知らないようだ。その言葉に千尋はため息を付く。その様子に芹が首を振って千尋に言った。
「あんたが気にすることじゃないだろう。それよりもあんたは自分のことを考えた方が良い。ベースに未練があるならまず自分の体をしっかり治すことが重要だよ。」
 その言葉に驚いたように千尋は芹を見た。何を知っているのかと思ったからだ。
「芹君。何を……裕太に聞いたんだ。」
「何も聞いてないよ。兄には出来るだけ連絡を取らないようにしているんだ。」
「だったらどうしてその事を知ってるんだ。」
 すると芹は千尋の方を見ていった。
「目が黄疸してるよな?それにあんた、顔色が地黒ってわけでもなかったのにどす黒い。肝臓?」
 その言葉に千尋はぎゅっと手を握る。裕太には真実を言っても信じて貰えなかったのに、芹は言う前から気が付いたのだ。本当に兄弟なのかと言うくらい、芹は敏感だったのだ。いや、裕太もそれくらい敏感だったのに他人のことは気が付かないくらい自分のことしか見えなくなっていたのだ。その原因はわかっている。なのに裕太は周りが見えないくらい必死なのだ。それが周りから人を遠ざけている。その原因は誰でもわかることで、それでも千尋は止められずその場を去るのだ。
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