触れられない距離

神崎

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パニーニ

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 リハーサルは厳戒態勢で行われた。スタッフでも限られている人しか居ないし、撮った映像も厳重に管理されているようだ。佐久間芙美香が歌っているので、芙美香がスポットを当てられている。だが端々に写るバックの演奏をしている人達にもこんな人がいるのかとおそらく視聴者は目を見張るだろう。
 だが番組スタッフが話をしているのを聞いて、リハーサルが終わった純は楽屋に戻った途端にため息を付いた。
「超面倒。」
 つまりバックの中でも有名な人を使うというのは、芙美香がそれだけ人望があると思わせたいところがあるらしい。一馬と純を使うというのは「二藍」ありきで言っていることなのだ。ギターやベースの腕では無く、名前だけで取られたというのは純にとっても本意では無い。
「そんなモノだろう。純。あまり目くじらを立てない方が良い。」
 一馬はそういう事に慣れている。そしてもっとそれが慣れているのは遥人なのだろう。遥人は今でこそ「二藍」の遥人だと言われているが、その前はアイドルグループの一人だったというネームバリューで取られていたところがあるのだ。人によってはそうやって割り切っていることもあるのだろう。
「一馬っていつもそんな感じなのか?前のバンドの名前で取られていたりとかして、それでも黙って演奏をしていたのか?」
「仕方ないだろう。ジャズバンドにいたことは事実だし、そもそもそんな理由で取らないでくれなんて言える立場じゃ無い。」
「けどさぁ……。」
「純。確かにお前のギターは良いと思うし、それだけでは無くてラジオ番組だって割と評判も良い。それにギターのメーカーとコラボしたエフェクターだって、そこそこ売れているんだろう?」
「まぁな。」
「だからといって天狗になることは無いと思う。俺らが「二藍」で好きに音楽が出来るのは沙夜さんのお陰だし、ラジオは「二藍」の名前があったから。ギターのことだってお前が売っているじゃ無くてその製品開発に関わってくれた人、バイヤー、楽器店なんかが売ってくれているからだ。お前一人の力じゃ無い。」
「……天狗になってるつもりは無いんだけどさ。あまり良い気分にはならないと思って。」
「わからないでも無いが、有名なギタリストだって元々はバンドを組んでいたりしたんだ。元と言われるのは仕方ない。部長だって元「Glow」だってずっと言われていたんだろうしな。」
 バンドから足を洗ってもそれはずっとつきまとう。だが西藤裕太の場合はそれを逆手にとって、会いたい人に会えるといつも上機嫌だった。
 そろそろ衣装を着た方が良いかと、掛かっている衣装に手を伸ばした。黒いスーツは喪服のようだと思う。このまま葬式にも出られそうだ。
「そう言えばさ、西藤部長って言えばこの間、お前の話を聞いたよ。」
「ソロのことだろうか。」
「遅すぎるくらいだって言ってたけどさ。あれ、音源になるの?」
「さぁ。だがベースの音源など需要があるかといわれると微妙だな。」
 革のジャンパーを脱ぎ、そしてセータやシャツを脱ぐ。そしてワイシャツに手を通した。純も同じようにそうやって着ている。
「なると良いな。お前が一番遅いくらいだし。」
「俺が?」
「みんなそれぞれ活動しているじゃん。「Spring Session」のように音楽以外の活動をしているわけじゃ無いけど、お前だけがずっと立ち止まって居るみたいだった。」
「……スタジオミュージシャンはずっとしていたんだが。」
「そこから一歩出てないって事だよ。」
 確かに一馬は活動を派手にしているわけでは無い。純のように楽器のメーカーとコラボもしていないし、翔のように講師をしているわけでも無い。ただ、他のメンバーのバーターとして仕事をすることはあるが、一馬としての活動はほとんどがスタジオミュージシャンだった。
「あれは、俺がCMに出るわけでは無い。」
「でもクレジットは一馬の名前じゃん。「夜」の名前ってでないんだろ?」
「嫌がってる。」
「だろうな。」
 これ以上、沙夜は表に出たくないと思っているのだろう。順大と居てもその様子が良くわかった。
 スラックスをはいて、ジャケットを羽織る。そして一馬はそのまままたベースを手にすると、曲のおさらいをしておこうかと思っていたときだった。
「すいません。ちょっと良いですか?」
 女性の声がした。その声に純が反応してギターを置くと、楽屋の入り口に駆け寄ってドアを開ける。
「どうしました?」
「あぁ。夏目さん。いらっしゃったんですね。佐久間さんから少し話があるから、呼んでくれって言われてですね。」
 その言葉に一馬は手を止めた。そして純の方を見る。純は一瞬戸惑ったような顔をしていたが、すぐにそれを払拭する。
「わかりました。」
「案内します。」
 先程のリハーサルでは何も言われなかったようだが、何かあるのかもしれない。純はそう思っていたが、一馬は違う。
「純。気をつけろよ。」
「え?」
 何も言わなくても一馬はわかっているだろうと思っていた。そして純も思いだしたように頷く。
「うん……。」
 スタッフに連れられ手順は楽屋をあとにする。その背中を見て、一馬はため息を付いた。
 前に佐久間芙美香のレコーディングに付き合った時、芙美香はやたらギタリストに厳しかった。そしてこれ以上だったら別のギタリストを用意すると言っていたのだが、それで純が呼ばれたのだったらそのギタリストの力量が足りなかったのだと言えるだろう。だが純はあまりアコースティックには慣れていない。どちらかというとハードロックの激しいギターの方が印象が強いのだ。
 それなのに純を呼んだというのは芙美香の狙いがあったのかもしれない。そして純だけ呼び出されたというのは、更にそれが確信へ繋がる。そう思って一馬は携帯電話を取り出すと、沙夜に連絡をしておいた。万が一のことがある。
 するとすぐに沙夜から連絡が入った。すると沙夜は先を図と読んでいたのだろう。純がもし芙美香と二人になるようなことがあったら、携帯電話の録音機能を使ってくれと言っている。音声だけでも重要な証拠になるからだ。
 だが程なくして楽屋の外が騒がしくなった。一馬はその声に思わず手を止める。何かあったのかと思ったのだ。すると楽屋のドアがノックされる。
 ドアを開けると今度は男性スタッフが駆け込んできた。
「花岡さん……夏目さんは居ますか?」
「いえ。佐久間さんに呼ばれて楽屋の方へ行っているはずですが。」
「撮影は中止です。すぐに夏目さんにもここへ帰るように言いますね。どんな人が連れて行きましたか?」
「茶色いショートカットの小柄な女性が連れて行ったようですが。」
「相沢ですね。連絡します。」
「何かありましたか?」
「詳しいことはまだ言えないんですけど、夏目さんが帰ってきたらわかると思います。あ、もしもし。相沢さん?夏目さんが居るだろう。楽屋に戻して。撮影は中止になったから。」
 純はまだ芙美香の所へは行っていなかったのか。そう思ってほっとした。そしてしばらくすると純が一人で戻ってくる。撮影が中止だと聞いて、一馬はもう衣装から私服へ着替えていた。
「早くねぇ?」
「何かあって撮影が中止になったんだろうと思ったからな。」
「そうみたいだ。なんか……佐久間さん自身だったか、佐久間さんのマネージャーだったかがスタッフに手を出そうとしたみたいって聞いたけど。まぁ……詳しくはわからないけど。」
「多分、佐久間さんがスタッフに手を出したんだろう。」
 芙美香はリハーサルの時から、ずっと目を付けている男性スタッフがいたはずだ。まるで高校生のように見えなくも無いような幼い顔立ちの男だった。
 成人済みであれば問題は何も無い。そう思ったと思う。だから自分の楽屋に男を呼んだのだろう。リハーサルの時も軽く肩に触れたり、声をかけることも多かったのでそんなところなのだろう。
「こういう事って多いのか?」
 純はそこまでテレビに呼ばれることは無い。だから興奮したように一馬に聞いた。
「無いことも無い。ただ……お前は危なかったな。」
 一馬はそう言って携帯電話を取り出す。先程沙夜にすぐ連絡が付いたのだ。そしてこのメッセージもすぐに確認出来ると思う。そう思って一馬はまたメッセージを送った。
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