触れられない距離

神崎

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白菜の重ね蒸し

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 しらすとわかめのスープは溶き卵を入れることでふわふわと美味しそうに見える。そして白菜の重ね蒸しに芹は取りかかった。
 シンクでは翔がネギを刻んでいる。麻婆豆腐を作るためなのだ。
「ネットで見るとさ。白菜の重ね蒸しってこう……ケーキみたいに作ってるヤツ多いけど、そうした方が良いのか。」
 芹はそう聞くと、翔は首を横に振る。
「火の通りはそっちの方が早いけど、結構食べにくいからさ。それに鍋にするわけじゃ無いんだろ?」
「ま、それもそうか。じゃあ重ねていくわ。」
 白菜を剥いていくと、たまに青虫の死骸なんかが出てくる。収穫して少し時間が経っているのだ。死骸になっていても不思議は無い。
「虫だ。あぁ、気持ち悪い。」
 翔はそう言うと、芹が笑いながら言う。
「都会人ぶりやがって。」
「お前、気持ち悪くないの?」
「別に。虫が付いてたら安心だって聞くしさ。虫が食べるほど安全なんだよ。この野菜。」
「へぇ……。」
 よく見れば白菜は虫が食べたあとだろうか、穴があいているモノも多い。外側の葉に多いようだが、外側の葉が少し固いのでどちらにしても食べられないのだ。
「お前は誰よりも都会に近い所の出身なのに、そういうのは抵抗ないんだ。」
「って言っても下町だし。線路脇で音はうるさいし、隣の家の喧嘩なんかも聞こえるような所だったし。」
「へぇ……。」
「翔は団地だっけ?高校まで?」
「いや。中学卒業までかな。」
「団地ってのは畑とか無さそうだよな。無理も無いか。」
「お前の所はあったのか。」
「いや。無いけどさ。母親の実家はすげぇ田舎で、たまに五人で里帰りしたときにこういうのをもらって帰ってたわ。」
 兄である裕太は虫に飛び上がっていたようだが、妹の咲良はその虫を捕まえて蝶になるまで育てていたのを覚えている。兄弟でもここまで違うモノかと思っていたのだ。おそらく咲良の方は好奇心の方が強かったのだろう。
「咲良がさ。あの芋虫みたいなヤツが付いているヤツを蝶にするってスーパーとかで買ってきたような野菜をやってた。でもそういうヤツは食わないんだよ。防虫剤が振ってあるから食ったら死ぬってわかってるみたいだって言っていたな。」
 虫すら危険なモノに口を付けない。だが危険だと思っても足を踏み入れる人間は、欲深いのかも知れないのだ。
「……虫も慣れなのかな。」
「そうだと思うけど。沙夜は虫が全然怖く無さそうだったな。」
 咲良と同じようなことを言っていた。沙夜と咲良はやはりよく似ているのだろう。
「望月ってヤツが担当しているバンドの奴らも、気が付いたんじゃ無いのか。」
 奏太から翔に連絡が入ったのだ。バンドのメンバーが奏太を外してもう一度レコーディングをしたいと言って来たらしい。と言うか、奏太に担当になって欲しくないと言ってきたらしい。それに奏太は憤慨していたのだ。翔や渡摩季が余計なことを言ったのでは無いかと。
「完全に逆恨みだよ。」
「確かに。あの望月ってヤツはこういう仕事ってのは向いてないな。ピアノは上手いんだろうけど、まぁ……ピアノが上手いピアニストなんてゴロゴロいるし。これからどうするのか。」
「さぁね。会社でも持て余すことになりそうだ。」
 世界を渡っていたという。だが沙夜に言わせれば、定着しなかったのだ。そう言う男が人間関係もうまくやっていけるとは思えない。本当に世界で何を見てきたのだろう。
 白菜と豚肉を鍋に入れてえのきも根元だけを切ったモノを鍋の中に入れる。そして酒をかけると蓋をして火にかける。白菜自体の水分が出てくるので、じっくり蒸し焼きになるのだ。
 だったらスープをその間に作っておけば良かった。この間が少し時間を持て余してしまう。沙夜ならそういう事を瞬時に判断するのだが、芹にはまだその力は無い。
「時間があるな。なんかしようか?」
 芹はそう言うと、翔は首を横に振る。
「良いよ。テーブル拭いて、それからニュースやってないかな。天気予報が知りたいんだ。」
「わかった。テレビ付けろって事だな。」
 布巾を濡らしてテーブルを拭いたあと、テレビを付ける。時間的には夕方のニュースがギリギリしているかと言ったところだろう。
 チャンネルを変えていると、ふと目に付いた番組があってチャンネルを止めた。それはバレエの舞台をしているようだった。
「バレエか。」
「へぇ……。これって今年のニューイヤーだね。今更、再放送なんかするんだ。」
 昔からの音楽が多く、そのほとんどは録音なのだろう。だがこの舞台は脇で演奏する人がいるらしい。だが演奏をしている人達にはほとんどスポットは当たらない。主役はダンサーなのだから。
「しかし、こういう奴らって凄いな。良くあんなに足が上がるモノだ。」
「練習次第だろうね。それからこれってほら、北の方の国の団体じゃ無いか。」
「そうみたいだ。」
 番組情報を見ていると、そういう風に書いている。
「向こうの方が本場で、バレエダンサーっていう仕事もあるくらいだ。産まれてしばらくしたら、振り分けられるみたいだしね。」
「振り分け?」
「ようは骨格とか、太りやすいとか太りにくいとかそういったところですぐにはじかれるんだ。」
「人間を選別するのか。」
 そのやり方は気に入らない。何にしても命だろうに。そう思っていたのだが、この国の人もそう言うところがあるのだ。一概に否定は出来ない。
「ん?でもこのダンサーの男さ。」
「何?」
 豆腐を切ろうとしていた翔がまた再びテレビに目を向ける。すると男はどちらかというと東洋系の顔立ちをしていた。
「こっちの人みたいだね。でも恵まれた体格をしているな。」
「練習とか食生活で体型とかそういう事は何とか出来そうだけど、骨格だけはどうしようも無いだろ?」
「そうだね。この人は全てに恵まれているみたいだ。」
 東洋系の人というのは手足が短いというイメージがある。それはこの国が正座の国で椅子を使わなかったという所にあるだろう。だがこの男はそんなことも無く、向こうの人達と全く見劣りもしない。更にこのダンスでの表現力の高さは凄いモノがある。確かにバレエは演目なんかが決まっているが、演技力と言うよりは表現力が重要になるのだろう。だがこの男の表情一つ、動き一つが繊細できめが細かい感じがした。その辺はこの国の人達が得意とすることだろう。
「凄いな。こいつ。バレエダンサーってみんなこんな感じなのかな。」
「みんなとは限らないと思うけどね。」
 その時だった。玄関のチャイムが鳴る。その音に芹は反応して、インターホンをみる。そこには藤枝靖の姿があった。スーツ姿なのは会社帰りだからだろう。
 芹はそのまま応対すると玄関へ向かう。そして靖を迎え入れた。
「いらっしゃい。」
「何だ。渡先生。エプロン姿じゃん。」
「たまには料理もするよ。沙夜が居ないしさ。だからもう一人強は客が来るんだ。渡先生って呼び方を辞めて。」
「え?あ、居ないんだ。わかった。」
 靖はそういうところが寛大なのか天然なのかわからないが、誰が来るのだろうとかそう言うことは聞かない。空くまでここでは客なのだというスタンスなのだ。靖は靴を脱ぐと、芹に土産を手渡す。
「これ。良かったら食べて。」
「何?」
「豆腐。評判の豆腐屋で買ってきたんだ。」
「今日、麻婆豆腐してんのにさ。」
「じゃあ、明日は湯豆腐にすれば良いから。」
 前向きにそう言うと、靖はその部屋の中に入っていく。すると生姜の匂いとニンニクの匂いがした。まだ麻婆豆腐を作っている感じはしない。
「芹。鍋が煮立ってきたぞ。」
「だったら火を弱くしてくれないか。」
「わかった。」
 翔と芹で料理をしているのだ。靖はそう思いながらコートを脱ぐとハンガーにそれを掛けた。するとテレビの画面が目に止まる。そこにはバレエの舞台が移っていた。
「これ……。」
「おー。靖。手を洗うんだったら台所の方を横切らないと行けないから。」
「……芹さん。この人知ってる?」
「あ?バレエの?知らない。たまたま付けたらやっていたんだ。」
「……この人、鳴神順大って人だよ。」
「凄い名前だな。本名か?」
 すると靖は何も知らなそうな二人に思いきって言った。
「今度ビールのCMに出る予定だって言っててさ。その……曲が花岡さんがやるんだっていう噂が立ってる。」
「ベースで?」
 翔は驚いて靖の方を見る。そして芹は手を更に止めた。
「噂だよ?でもほぼ確定みたいにこっちでは囁かれててさ。それをきっかけに鳴神順大が、こっちの国に帰ってくるかもしれないって。もう三十過ぎてるみたいだし体力的な問題もあるみたいだからね。」
「……藤枝君。一馬のベースだけでCMになんかならないだろ?別に演奏者が居ると思うけど、誰がするの?」
 翔は不安そうにそう聞くと、やはり何も聞いていなかったのかと靖は心の中でため息を付く。更に何も知らないのは芹の方だろう。芹はただの好奇心で翔に聞く。
「翔は声がかかっていないのか?」
 芹はそう聞くと、翔は首を振って言う。
「俺、初めてそういう話を聞いたよ。誰……。」
 その時翔はやっと気がついた。そのバックで演奏するのはもしかしたら沙夜なのかも知れないと。
 そうなると「夜」とのコラボを、一馬がまた先にしてしまうのだ。プライベートのことでは相談出来る仲であって良いと思う。だが仕事となると別だ。
「あっつ!」
 思わず手をフライパンに触れてしまった。それに気がついて芹が慌てて駆け寄ってくる。
「冷やせ。」
「え……。」
「良いから。冷やせ。明日仕事が出来なくなるだろ?藤枝。鍋変わってくれないか。」
「わかった。」
 翔は手を水に浸けながら、その拳を握る。また一馬に先を越されて悔しかったからだ。
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